木走日記

場末の時事評論

いや小沢さん、あなたの言ってることのほうがよほど排他的なんですが

 10日付け朝日新聞記事から。

小沢氏「排他的なキリスト教文明、欧米行き詰まる」

2009年11月10日21時26分

 民主党小沢一郎幹事長は10日、和歌山県高野町で記者団に「キリスト教イスラム教も非常に排他的だ。その点仏教は非常に心の広い度量の大きい宗教、哲学だ」と語った。弘法大師以来の歴史がある高野山金剛峯寺を訪れ、高野山真言宗の松長有慶管長と会談の直後。仏教のありがたさを強調するあまり、脱線気味となった。

 来年にスイスで開かれる国際会議に松長管長が出席することから、「欧米人に仏教の神髄を説いてやるのは非常に意義がある。大変うれしい」。さらには「排他的なキリスト教を背景とした文明は今、欧米社会の行き詰まっている姿そのものだ」と文明論にまで言及した。(本田修一)

http://www.asahi.com/politics/update/1110/TKY200911100459.html

 うむ、「キリスト教イスラム教も非常に排他的」なのはその通りな面もあると思うのですが、「その点仏教は非常に心の広い度量の大きい宗教、哲学だ」っていうのは、どうなんでしょうか。

 私などは、仏教ではなくて、一般の日本人が宗教に対して「非常に心の広い度量の大きい」というのならまだ理解できます。

 神社に初詣して、キリスト教信者でもないのに教会で結婚式して、仏式のお葬式出て、クリスマスを祝い、お寺の除夜の鐘で年を越し、って、まあ宗教に対して「度量の大きい」のか、熱心じゃないのかは、議論もありましょうが、一般の日本人の宗教観というのは、私も含めてある意味無邪気なものであります。

 ですから、この小沢さんの暴走ぎみの「仏教は非常に心の広い度量の大きい宗教」っていう表現は、日本人の大半が仏教徒でありかつ神道信者であることを加味すると、「神道は非常に心の広い度量の大きい宗教」であるとも言えたりはしないでしょうか。

 で、「排他的なキリスト教を背景とした文明は今、欧米社会の行き詰まっている姿そのものだ」この発言になると、もう申し訳ないですが、「排他的な○○教を背景とした文明は今、○○社会の行き詰まっている姿そのものだ」って、宗教だけで文明論を展開しちゃう粗野なテンプレートで使えちゃいますよ、宗教って確かに排他的な面持ってますもの。

 例えば・・・

「排他的なイスラム教を背景とした文明は今、イスラム社会の行き詰まっている姿そのものだ」

「排他的なユダヤ教を背景とした文明は今、イスラエル社会の行き詰まっている姿そのものだ」

「排他的なチベット仏教を背景とした文明は今、チベット社会の行き詰まっている姿そのものだ」

「排他的なヒンズー教を背景とした文明は今、インド社会の行き詰まっている姿そのものだ」

「排他的な共産主義を背景とした文明は今、北朝鮮社会の行き詰まっている姿そのものだ」

 最後の例は宗教じゃないですがまあイデオロギーも行き着くとこまでいっちゃうと宗教みたいな側面もあるということで(汗

 ・・・

 この21世紀の現代世界で、まあ日本も含めて行き詰まっていない社会・国を探すのが大変なわけでして、経済成長著しい中国やインドだってその内情は貧困や地域格差や民族問題など、矛盾だらけなわけですし、いまどき、宗教で文明をカテゴライズして批判するという手法そのものがどうなのかなあ、的を得てはいない感じであります。
 
 キリスト教イスラム教だけでなく、ユダヤ教ヒンズー教、はたまた仏教にしたところで日本基準でなく例えばチベット仏教徒とか、あるいはタイの仏教徒とか、民族や地域に土着した独占的信仰(ライバルがいないという点で)というやつは、その地域の他の宗教信者や外国人から見ると、排他的な印象を与えるものですし。

 ・・・

 まあ小沢さんが言いたかったことの真意はくみ取ろうと思えば、「弘法大師以来の歴史がある高野山金剛峯寺を訪れ、高野山真言宗の松長有慶管長と会談の直後」ということで、仏教が「非常に心の広い度量の大きい宗教、哲学だ」という点でありましょう、つまり仏教賛美ですよね、ここだけで止めておけばまだよかった。

 あるいは世界はまだまだ欧米中心ですが欧米的価値観だけでは「行き詰まっている」というならばこれも理解できます。

 でも言い方が乱暴なんですよね。

 ただ、「排他的なキリスト教を背景とした文明は今、欧米社会の行き詰まっている姿そのものだ」っていいきるのは、やはり言い過ぎというか、他の宗教の悪口ばかり目立ってしまっているふうに特に海外からは思われる危惧がありますよね、与党幹事長の要職にある政治家としてどうなんでしょうねえ。

 なんだか小沢さんの言ってることのほうが世界の人々に対して排他的に聞こえるわけですが、早くも民主党もおごりだしたのかとちょっと不安になります。

 またぞろ「排除の論理」とかよもや始めないで欲しいものです。



(木走まさみず)