永田町の「ベルサイユのばら」達〜中央公論『日本を劣化させた政治の「ベルサイユ化」』(堺屋太一)論説記事を評論する
●興味深い『中央公論』特集『「国家の品質」が危うい』
月刊誌『中央公論』でお馴染みの出版社・株式会社中央公論新社でありますが、1886年(明治19年)に創業(1926年法人化)した株式会社中央公論社が経営危機になり、1999年に読売新聞社(現読売新聞グループ本社)の全額出資によって設立し、中央公論社の営業を譲り受けております。
まあ早い話、現在の中央公論新社はスポーツ報知と同列の読売グループメディアなわけです。
中央公論社時代に比べると「論調が読売新聞社と同じく政府寄りに変わっている」として「現在の『中央公論』は『This is 読売』(廃刊)が事実上改題したものだ」との批判もあるようですが、まあそれでも月刊誌『中央公論』は比較的良質の論が多く私も時々手にしております。
で、今月号の『中央公論』ですが、たまたま本屋でパラパラめくっていたら、民主党の前原誠司氏が〈テロ特措法をめぐる波瀾含みの臨時国会で……〉「民主党は、試されている」という論を載せているので購入したわけです。
で、前原誠司氏の論はそれなりに興味深かった(それに関してはまた別の機会にでも触れてみたいと思いますが)のですが、実は今日取り上げたいのはこれとは別のやはり読み応えのある記事のほうです。
特集で『「国家の品質」が危うい』と題して5つのレポートがまとめられています。
特集●
「国家の品質」が危うい
誰が医と地方を殺したか
◆日本を劣化させた政治の「ベルサイユ化」
「このままでは日本は“アルゼンチンの道”を進むでしょう」
堺屋太一
◆失言大臣続出の背景を追及する
保阪正康
◆これは格差ではない。貧困である
足立区現象が日本を覆う
「本格的なことが始まっちゃったなと思いました」(佐野)
対談
佐野眞一
金子 勝
◆〈東京で子供が産めなくなる日〉
ルポ・都立病院の産科が消える
粟野仁雄
◆消費税目的税化は社会保障費抑制につながる
村上正泰
http://www.chuko.co.jp/koron/
これがなかなか読み応えがあったのです。
「国家の品質」が危うい
ようは、「地方の荒廃はさらに進み、年金・医療は破綻したにもかかわらず、立て直しの道筋はまだ見えない。国の運営に携わる政治家と官僚が極度に劣化しているのだ」という筋立てです。
どれも興味深い小論及び対論なのでありますが、今回は特に私がおもしろいと感じた堺屋太一氏の『日本を劣化させた政治の「ベルサイユ化」』を取り上げてみたいのです。
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●日本を劣化させた政治の「ベルサイユ化」
「外交はうまくいかず、地方の疲弊は進むばかり。社会保障に関しても国は国民の信頼を失いつつあります。今の日本は、政治、経済、外交、福祉のあらゆる面で、「国の品質」が落ちていると、言わざるを得ません」
このような書き出しではじまるのですが、堺屋氏は「国の品質」が劣化している原因を3つ上げています。
第一に日本が近代工業社会から抜け出せず、世界の文明転換から取り残されてしまったこと。
第二に官僚機構が「死に至る病」にとりつかれていること。
第三に政治家が「ベルサイユ化」していること。
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第一の原因について、堺屋氏は自身の1985年の『知価革命』を取り上げて、世界では1980年代に近代工業社会は終焉し知価社会がはじまっているのに、日本だけが前近代的な「物材・サービスの豊かなことが幸せだ」と定義した社会に取り残されていると言うのです。
知価社会では「満足の大きさこそ幸せ」と考えるようになり、最も大切なのは、知価創造的事業、つまり技術開発やデザイン・ブランドの創造、ソフトウエア、経営管理、法務、金融、医療、各種プロデュース業務などであるとします。
世界では今や、これら知価創造人材の誘致競争時代にあるといいます。
ところが、明治以来140年、一途に規格大量生産型の近代工業社会を作ってきた日本は、税制をはじめとした国の仕組みが知価創造階級を集めるようにはなっていません。
このように世界から取り残されている日本、これがまず品質の低下の第一点であるとしています。
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第二に官僚機構の病です。
自身通産省官僚として「大阪万博」や「沖縄海洋博」を手がけてきた堺屋氏に言わせると、「日本の官僚が優秀だ」というのは神話なのだそうです。
それは私たちが「日本の軍人は優秀だから戦争に負けない」と思っていたのと同列の神話であると喝破します。
戦争でこてんぱんに敗れ日本軍、なかでも陸軍大学校や海軍大学校を出た高級軍人の質が低かったのが証明されるのですが、にもかかわらず、当時の日本人が、「日本の軍人は優秀だ」と思っていたのは二つの理由があるそうです。
一つは、陸軍大学校や海軍大学校、陸軍士官学校にせよ海軍兵学校にせよ、難しい試験に合格していること。
もうひとつは、彼らは日清・日露の戦争に勝った優秀な軍人の後継者だということ。
そしてこの当時の「日本の軍人は優秀だから戦争に負けない」という神話の二つの理由は、今の日本の官僚に対する優秀論に、うり二つであるとします。
「難しい大学入試と国家公務員試験に合格したから」ということと、「あの高度成長を実現した戦後官僚の後継者だから」ということからきているとします。
現在の日本の官僚は「死に至る病」にとりつかれていると断じます。
公共事業の工事発注で、コンピューター情報による一般競争入札を行うことができないのは主要国では日本くらいであり、アメリカやヨーロッパはもちろん、中国でさえ一般競争入札が普通ですが、日本の官庁はほとんどが指名入札で、その理由が「一般競争入札では技術条件や変更条項が書ききれない」という、情報の文書化能力の劣化なのだそうです。
なぜならば日本の官僚機構には文書化能力を高めるインセンティブがないからだと堺屋氏は指摘します。
むしろ文書化しないでおくほうが、天下りの口が増えるという負のインセンティブが働いているというのです。
官僚機構のような規模も大きく、伝統もあり、十分な資産・権限を持つ組織が死に至る病は三つしかありません。
一つ目は、ある目的のために作られた機能組織が構成員共同体と化してしまうこと(機能組織の共同体化)です。
堺屋氏は太平洋戦争の時の日本軍を例に出すていますが、最近では年金問題で見られる社保庁の過保護な労働条件や横領などの不正が多発している例も、まさに機能組織の悪しき共同体化でありましょう。
二つ目は、ある環境への過剰適用です。
旧国鉄を例にしています、自動車も飛行機もない「国策鉄道時代」に過剰適用してしまい、時代の変化についていけず組織が変われず大赤字になってしまったとします。
三つ目は成功体験への埋没です。
高度成長の成功体験から抜けられなかったダイエーは、バブル後もかつての成功体験を繰り返して破綻したとしています。
そして実は日本の官僚機構はこの三つの病すべてに侵されていると堺屋氏は指摘します。
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日本の品質低下の最後三番目の原因はこの小論のタイトルにもなっている政治家の「ベルサイユ化」です。
東京しか知らない今の二世、三世議員は、宮殿に閉じこもっていた貴族と同じだ。政治家が目を開き、官僚独裁を改革しなければ、日本の将来は暗い。
堺屋氏はこう言い切ります。
ルイ14世という偉い王様がパリから少し離れたところにベルサイユ宮殿を建てます。
それから100年後ルイ16世の時代には、王様と貴族と取り巻き連中はみなベルサイユ宮殿の中に籠って世間から隔離して暮らす、宮殿の外がどれほど荒廃していようと、ベルサイユでは日々華やかなパーティーが開かれる。
今の日本の政治家には、二世、三世議員が非常に多い、しかもその多くは東京生まれ東京育ち東京暮らしで、彼らが選挙区に行くのは選挙運動のときだけ、おそらくそこで散髪屋にすらいったことはない、だから地方のことがまったくわからないのだそうです。
結果、今の政治家は地方の状況を本当に知らない、そしてマスコミも東京の情報しか発信しない、それでみんな東京の話ばかりしている、これは大変な問題だと堺屋氏は批判します。
東京一極集中の現象は、主要国では日本だけであることを、アメリカ、ドイツ、イタリア、フランス、韓国、中国、インドと対比させながら指摘し、なぜ東京に一極集中してしまうのかというと、政治家と官僚がカネと権限で無理に東京に集めているからであるとします。
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結論として堺屋氏は明治維新的大改革が今の日本には必要であると結んでいます。
明治維新と比しながら5つの改革を挙げています。
・FTAやEPAなどへの真剣な取り組み(開国)
・公務員法の大改革(武士階級の廃止)
・財政・税制・金融の改革(通貨改革)
・情報の公開(海外情報の長崎以外の解放)
これらの改革ができなければ、日本は、首都ブエノスアイレス一極集中による一部特権階級と軍人官僚の「ベルサイユ化」により国家が衰退を余儀なくされた「アルゼンチンの道」を進むだろうと警鐘を鳴らして堺屋氏はこの小論をまとめています。
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全文は是非中央公論をお読みいただくとして、なかなか興味深い論でありました。
●ひ弱な花だったのか安倍政権〜永田町の「ベルサイユのばら」達
私は個人的には氏の言うところの世界は今知価社会の時代という分析にいまひとつピンとこないところがあるので、実は堺屋氏の論説には少し批判的なスタンスなのですが、それでもこの小論はおもしろかったです。
特に官僚の問題と世襲議員の問題と東京一極集中の問題を、「ベルサイユ化」と刺激的なネーミングして論説するその手法は、さすがやね(苦笑)、と舌を巻きました。
考えてみれば、官僚の問題、世襲議員の問題、東京一極集中の問題、どれも当ブログで再三こだわって検証・議論してきたテーマばかりなのですが、そうか、これらはすべて「ベルサイユ化」だったのか(苦笑
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安倍政権の掲げたスローガン、「美しい国日本」「戦後レジームからの脱却」でありますが、政権を投げ出しちゃった今となっては「美しい国日本」のほうは特に観念的で具体性の見えづらいいかにも弱々しいスローガンに思えてきます。
上で紹介した中央公論の特集でもジャーナリストの保阪正康氏は、「失言大臣続出の背景を追及する」の中で、この安倍さんの「美しい国」という語はあえて<言語ファシズム>と評すべき、と強烈に批判しています。
当該部分を抜粋引用いたしましょう。
首相は動詞で語れ
私は、安倍首相が就任以来口にしている「美しい国」という語について、これまでなんどか批判してきた。その骨子だが、政治の最高権力者が形容詞を執拗に使い、あまつさえそれを自らの感覚だけで決めつけ、それ以外を許容しないかのような政治姿勢を、あえて<言語ファシズム>と評すべきと主張してきた。安倍首相にとって「美しい」とはどういうことか、それ以外のことを認めないとすればそれはおかしいのではないか、そのような曖昧さを伴った語を平然と用いるところに、これまで述べてきたような失言・暴言が生まれる因があるのではないか。
バラの花は美しい。
でも中には嫌いな人もいるかも知れない、政治家というものは「美しい」などという形容詞で政治を進めてはいけない、どのようなことを行うのか動詞で語ってほしい、ということであります。
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かつてベルサイユ宮殿にてルイ16世の奥さんのマリー・アントワネットが「パンがないなら、お菓子を食べたら」と言ったそうですが、これはさすがに作り話なのかなとは思いますが、当時の貴族達の美意識・価値観がいかに庶民とずれを生じていたかを示している逸話なのでしょう。
ベルサイユ宮殿の中の華麗なる貴族達を薔薇の花に喩えた池田理代子氏の少女漫画「ベルサイユの薔薇達」が集英社の編集部により「ベルサイユのばら」に変更して世に出されたのは雑誌「週刊マーガレット」(集英社)にて1972年のことでありました。
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東京しか知らない今の二世、三世議員は、宮殿に閉じこもっていた貴族と同じだ、とする堺屋氏によれば、今の世襲議員達は「ベルサイユ化」してしまっていると言います。
池田理代子氏になぞって、華麗なる貴族達を薔薇の花に喩えれば、安倍さんをはじめとする世襲議員たちは、永田町の「ベルサイユのばら」達ということになるのでしょうか。
永田町の「ベルサイユのばら」達。
総裁候補の福田さんや麻生さんを筆頭に、本家のベルバラの登場人物と比べると、こっちはあんまり「美しい」とは思えないのが玉に瑕(きず)であります(苦笑
(木走まさみず)