木走日記

場末の時事評論

閣僚として「しょうがない」久間防衛相と日本語の使い方が「しょうがない」安倍首相

 今日は「しょうがない」という日本語について考察してみたいのであります。

しよう ―やう 0 【仕様】
〔「し」は動詞「する」の連用形から。「仕」は当て字〕
(1)やりかた。方法・手段。
「返事の―が気に入らない」
(2)「仕様書」に同じ。
――が無・い
〔「しよう」は、「しょう」とも発音される〕
(1)他に良い手段がない。やむを得ない。
(2)あきれるほどひどい。手に負えない。

「―・い子だね」
――も無・い
〔「しよう」は「しょう」とも発音される〕ばかばかしい。くだらない。
「―・いことで怒るな」

三省堂提供「大辞林 第二版」より
http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?id=0934220-0010&kind=jn&mode=5

 「しょうがない」という日本語には、なるほど「他に良い手段がない。やむを得ない。」という意味と「ばかばかしい。くだらない。」という意味があるのでありますね。

 ・・・

 久間防衛相の「原爆しょうがない」発言が波紋を広げています。

 今回の発言、その内容をめぐってネットでも議論沸騰しているようですが、真摯な議論は他のまじめなブログにお譲りするとして、例によって当ブログでは、本論とは少しずれた完全に「枝葉」「末梢」の問題、まずは安倍首相の「忸怩(じくじ)たるもの」発言に焦点を当ててみたいのであります(苦笑。

 

●「忸怩(じくじ)たるもの」の使い方が「しょうがない」安倍首相

安倍首相が久間発言を擁護、「被爆地長崎の考え方も披歴」
 安倍首相は30日、遊説先の香川県丸亀市で記者会見し、久間防衛相の原爆投下に関する発言について、「詳しいことは聞いていないが、米国の考え方を紹介すると同時に、原爆の惨禍にあった長崎について自分としては忸怩(じくじ)たるものがあるという被爆地としての考え方も披歴されたと聞いている」と述べた。

(2007年6月30日22時13分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20070630ia23.htm

 久間防衛相の「原爆しょうがない」発言が野党や広島・長崎住民などから批判されている件でありますが、それを受けての安倍首相の久間防衛相を擁護する発言ですが、スミマセン、細かいことなのですが、「原爆の惨禍にあった長崎について自分としては忸怩(じくじ)たるものがあるという被爆地としての考え方も披歴された」の箇所の「忸怩(じくじ)たるもの」の使い方が???なのでした。

じくじ ぢくぢ 1 【▼忸▼怩】
(ト/タル)[文]形動タリ
自分のおこないについて、心のうちで恥じ入るさま。
「内心―たる思いであった」「―たらざることを得ない/渋江抽斎(鴎外)」

三省堂提供「大辞林 第二版」より
http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%D7%D9%D7%E2&kind=jn&mode=0&kwassist=0

 首相は「ふんまんやりかたない」のような使い方してますが、「忸怩(じくじ)たる」の意味は「自分のおこないについて、心のうちで恥じ入るさま」でありますから、この使い方はちょっとまずいんじゃないかと。

 これじゃ「原爆の惨禍にあった長崎」について、「被爆地としての考え方」が「自分たちのおこないについて、心のうちで恥じ入る」という意味不明のヤバイ文章になってしまうんですが。

 そういえば安倍首相、例の松岡農相自殺のときの発言でも「慚愧(ざんき)に耐えない」の使い方が波紋を広げてたわけですが。

 当時、当ブログでも少し皮肉を込めて取り上げたのでした。

●慚愧(ざんき)とは「自分の言動を反省して恥ずかしく思うこと」

 安倍首相は農相の自殺について「大変残念だ。慚愧(ざんき)に堪えない思いだ」と語ったそうであります。

ざんき 1 【▼慚▼愧/▼慙▼愧】

(名)スル

〔「ざんぎ」とも。元来は仏教語で、「慚」は自己に対して恥じること、「愧」は外部に対してその気持ちを示すことと解釈された。「慚」「慙」は同字〕自分の言動を反省して恥ずかしく思うこと。

「―に堪えない」「我輩常に―するです/社会百面相(魯庵)」

三省堂提供「大辞林 第二版」より
http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%D8%D0%D8%C3&search_history=&kind=&kwassist=0&mode=0&jn.x=28&jn.y=14

 なるほど、慚愧(ざんき)とは「自分の言動を反省して恥ずかしく思うこと」であり、 彼を素直に辞任させておけばこのような悲劇は起こらなかったのではないかという思いからなのでしょうか、安倍首相が何を持って「慚愧(ざんき)に堪えない」としたかはわかりませんが、「大変残念だ。慚愧(ざんき)に堪えない思いだ」とは安倍首相の偽らざる心情であり衝撃の大きさを物語っているように感じましたです。

■[メディア]慚愧(ざんき)に堪えない24日朝日新聞社説 より抜粋
http://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20070529/1180429190

 どうも、安倍さんは「ふんまんやりかたない」とか「がまんならない」とかのニュアンスを込めて、「忸怩(じくじ)たる」とか「慚愧(ざんき)に堪えない」とか、「自分のおこないについて、心のうちで恥じ入るさま」(じくじ)、「自分の言動を反省して恥ずかしく思うこと」(ざんき)、どちらかといえば「自虐的」単語を使われているような傾向があるようです。

 ・・・

 「しょうがない」なあ、そんな「自虐史観」的誤用は(爆)

 ・・・



●「個人的な感想であっても注意しないといけないし、閣僚であれば、政府の方針に従って、きちっと発言をしていかなければいけない、と自分に言い聞かせている」〜なんとも空しい4ヶ月前の国会答弁

 久間防衛相はついこの前(4ヶ月前)に、自らの発言を撤回し謝罪し国会の場で反省していたばかりなんですよね。

イラク戦争間違い発言「配慮に欠けていた」 久間防衛相
2007年02月22日19時13分

 久間防衛相は22日の衆院安全保障委員会で、イラク戦争に踏み切った米国の判断は間違っていたとする自らの発言について、「(ブッシュ大統領が)一般教書を発表したその日に、そういうことを言ったこと自体、配慮に欠けていた」と反省の弁を述べた。

 久間氏は、開戦当時に(1)イラク核兵器はないと思っていた(2)戦後の処方箋(せん)がないままに開戦を早まった――という感想を持っていたことを説明したうえで、「個人的な感想であっても注意しないといけないし、閣僚であれば、政府の方針に従って、きちっと発言をしていかなければいけない、と自分に言い聞かせている」と反省しきりだった。

http://www.asahi.com/politics/update/0222/008.html

「個人的な感想であっても注意しないといけないし、閣僚であれば、政府の方針に従って、きちっと発言をしていかなければいけない、と自分に言い聞かせている」

 ・・・

 また失言しちゃうとは、久間防衛相はどうやら反省が足らなかったようですね。

 「しょうがない」なあ、この人、閣僚としては不適格なんでしょうねえ。

 ・・・

 久間防衛相の「原爆しょうがない」発言は、まずはご本人が閣僚として「しょうがない」のでありまして、私に言わせれば、このような御人を防衛大臣という要職につけた首相も「しょうがない」のであります。

 ・・・

 「原爆しょうがない(アメリカの原爆投下はやむを得ないの意)」発言をしでかした久間防衛相自身が「個人的な感想であっても注意しないといけない」閣僚として「しょうがない」(あきれるほどご自身の発言に無自覚で手に負えないの意)御人なんであり、またその任命責任者である日本国総理大臣たる安倍首相も、「忸怩(じくじ)たるもの」という日本語の使い方が「しょうがない」(ちょっとこの文面で誤用しちゃまずいでしょの意)ですよね。

 つまり何がいいたいかといいますと、

 久間防衛相は閣僚として「しょうがない」のですが、安倍首相は日本語の使い方が「しょうがない」のであります。

 ・・・(汗

 えっと、どうやらこのエントリー自体も「しょうもない」(ばかばかしい。くだらない。の意)ようですね(苦笑。

 失礼しました。

 ジャンジャン。



(木走まさみず)