木走日記

場末の時事評論

お騒がせな「脱日」オバサンのとんだ狂言会見を徹底検証

kibashiri2007-06-29




北朝鮮「2003年に日本が北朝鮮女性を拉致」〜興味深い朝鮮日報記事

 26日付け朝鮮日報の記事から。

北朝鮮「2003年に日本が北朝鮮女性を拉致」

 北朝鮮は26日、日本が2003年10月18日に北朝鮮女性のト・チュジさん(58)を拉致したと主張した。

 在北京・北朝鮮大使館は26日午前9時(現地時間)、北朝鮮大使館で国内外のメディアを対象に共同記者会見を行い、日本が4年前にト・チュジさんを拉致したと発表した。

 この会見にはトさんも同席した。この会見でトさんは「2003年10月に豆満江で悪い人たちにジープに乗せられ、在瀋陽日本国総領事館を通じて、日本へ強制拉致された」「3年7カ月間日本で生活したが、今月21日に日本を脱出して、現在は在北京・北朝鮮大使館で保護を受けている」と主張した。

 この日トさんは記者団の質問に一切答えず、北朝鮮映画『民族と運命』の主題歌を歌いながら会見場を後にした。

 トさんは1949年10月28日に神奈川県川崎市でト・サンダルさんの三女として生まれ、1960年に帰国船に乗って北朝鮮に入国したという。

朝鮮日報JNS
http://www.chosunonline.com/article/20070626000035

 いやあ、ト・チュジさん、「脱日」おめでとうございます。

 ネット上でもまともな時事系ブログでは一切取り上げていないこの香ばしい記事でありますが、これは格好のメディアリテラシーの題材となるという意味で「良」記事と思いましたので、当ブログでは思いっきりこの事件を「まじめ」に取り上げて検証してみたいと思います。

「2003年10月に豆満江で悪い人たちにジープに乗せられ、在瀋陽日本国総領事館を通じて、日本へ強制拉致された」

「3年7カ月間日本で生活したが、今月21日に日本を脱出して、現在は在北京・北朝鮮大使館で保護を受けている」

 うーむ、「悪い人たち」って誰なんでしょう?

 そして失礼ながら日本政府はこの何の変哲もないオバちゃんをなぜ拉致する必要があったのでしょうか?

 また3年7カ月間も日本に「拉致」されていたのに、今回脱出できたのはなぜなのでしょうか?

 この事件、興味は尽きないのであります、メディアの報道を中心に検証していきましょう。

 ・・・



●「日本(の生活)は人間が生きていく暮らしではない」〜各紙報道徹底検証

 各紙報道を徹底検証していきましょう。

 まずは26日時事通信から。

2007/06/26-12:19 日本の生活に絶望、北朝鮮へ帰国=脱北女性「誘拐された」と主張

 【北京26日時事】2003年に北朝鮮を脱出して日本へ戻ったものの、日本での生活に絶望して北朝鮮へ帰る決意をしたとする女性(57)が26日、北京の北朝鮮大使館で記者会見し、「悪い人間にだまされ、誘拐された」「日本(の生活)は人間が生きていく暮らしではない」などと語った。脱北後の生活は極めて厳しいと宣伝する狙いがあるとみられる。
 女性は在日朝鮮人の父と日本人の母の間に神奈川県で生まれたト・チュジさんで、1960年に両親と共に北朝鮮に渡った。トさんは03年10月に中国側へ脱出、瀋陽の日本総領事館へ入り、同11月に日本へ戻った後、千葉県松戸市に住んだ。
 しかし、アパートの隣人と全く交流がないなど日本の生活になじめず、北朝鮮に残した子供が恋しいこともあって北朝鮮に帰ることを決めたという。中国への脱出は「強制的に連れて行かれたものだった」と強調した。
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2007062600422

 「日本(の生活)は人間が生きていく暮らしではない」

 うむ、そうか「日本は人間が生きていく暮らしではない」ですか、そうでしょうとも、それで、「北朝鮮に残した子供が恋しいこともあって北朝鮮に帰ることを決めた」のですね。

 27日付の西日本新聞から。

「日本は冷たい。北朝鮮に帰る」 脱北女性が北京で会見 海外の生活苦を宣伝?

 【北京26日傍示文昭】2003年10月に北朝鮮を脱出し、日本で生活していた在日朝鮮人の女性が26日、北京の北朝鮮大使館で記者会見し、「悪い人にだまされて日本に行ったが、日本での生活に絶望した」「日本は氷のように冷たかった」と述べて、北朝鮮に戻ると表明した。記者会見には同大使館職員2人が付き添い、英語の通訳も交えて行われ、脱北後の生活の厳しさを広く宣伝する狙いがあるとみられる。

 会見したのは、川崎市出身の都秋枝(トツジ)さん(57)。都さんは在日朝鮮人の父と日本人の母の三女として生まれ、1960年に両親らとともに北朝鮮に渡った。結婚して5人の子どもを生んだが、03年10月18日に豆満江を渡って中国へ脱出したという。脱出したのは「本意ではなく、悪い人にだまされて誘拐されたからだ」と述べた。

 その後、瀋陽の日本総領事館を経て同11月に日本に戻り、千葉県松戸市のアパートで生活を始めた。だが、隣人との交流がないなど日本の生活になじめず、「誰も知らない土地で死ぬより、北朝鮮に残した子どものそばで死にたい」と考え、北朝鮮に戻ることを決意。今月21日に北京に来たという。

 関係者によると、都さんの日本名は「石川一二三」で、96年に単身脱北して日本で作家として活動している宮崎俊輔さん(59)の実妹。宮崎さんは著書「北朝鮮大脱出・地獄からの生還」(新潮社、2000年刊)で、北朝鮮での抑圧や差別、飢餓などの苦しみを赤裸々につづっている。

=2007/06/27付 西日本新聞朝刊=
2007年06月27日00時19分
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/world/20070627/20070627_003.shtml

「悪い人にだまされて日本に行ったが、日本での生活に絶望した」

「日本は氷のように冷たかった」

「誰も知らない土地で死ぬより、北朝鮮に残した子どものそばで死にたい」

 うむ、どうやら日本では「千葉県松戸市のアパートで生活」されていたようですね、軟禁状態というわけでもなかったのでしょうが、「隣人との交流がないなど日本の生活になじめず」とありますので、さぞや孤独だったのでありましょう。

 心情お察し申し上げます。

 で、ちょっと気になったのが「関係者によると、都さんの日本名は「石川一二三」で、96年に単身脱北して日本で作家として活動している宮崎俊輔さん(59)の実妹。」ってとこであります。

 なんだ、トさんはあの宮崎俊輔さんの実妹だったのでありますか。

 うーん、なるほど、かたや兄は氷のように冷たい国で「北朝鮮大脱出・地獄からの生還」などという著書で、将軍様を冒涜するような北朝鮮での抑圧や差別、飢餓などの苦しみを赤裸々につづっているわけでして、トさんも心中苦しかったのでしょうね。

 26日付け朝日新聞から。

脱北女性が会見「日本社会は冷たい」 拉致問題で牽制か
2007年06月26日20時41分

 脱北してこれまで日本に住んでいたという在日朝鮮人女性が26日、北京の北朝鮮大使館で記者会見し、「日本社会は氷のように冷たかった」などと語った。核問題をめぐる協議が動きつつある中、北朝鮮拉致問題の解決を訴える日本を牽制(けんせい)する狙いがあるとみられる。

 北朝鮮大使館員に付き添われて会見したのは「ト・チュジ」と名乗る女性で、49年に川崎市在日朝鮮人の父と「いしかわみよこ」という名の母の三女として生まれ、60年に親と北朝鮮に渡ったと話した。

 女性は03年10月、「本意でなかったが、だまされて(中朝国境を流れる)豆満江を渡った」と説明。瀋陽の日本総領事館に行き、千葉県で暮らしたという。

 日本政府当局者から子どもも日本で一緒に暮らすよう促されたが、北朝鮮に戻ると決め、今月21日に北京に来たという。

 女性が話した後、質問を受け付けずに大使館員が会見を打ち切った。

    ◇
 会見したのは、先に日本に戻っていた兄の手引きで03年10月に瀋陽の日本総領事館に保護され、同11月に帰国した女性(57)とみられる。脱北し日本に帰国した女性が「北朝鮮に戻る」と記者会見を開いたのは05年4月の平島筆子さんに次いで2人目。
http://www.asahi.com/international/update/0626/TKY200706260433.html

 うむ、この朝日新聞の記事のポイントは、トさんのことを「先に日本に戻っていた兄の手引きで03年10月に瀋陽の日本総領事館に保護され、同11月に帰国した女性」と表現している点ですね。

 うーん、そうか「兄の手引き」で、「本意でなかったが、だまされて(中朝国境を流れる)豆満江を渡った」わけかああ。

 そうなると「豆満江で悪い人たちにジープに乗せられ」(26日付け朝鮮日報記事)た「悪い人」って、実の兄である宮崎俊輔さんだったのか。

 実のお兄さんに連れ去られるなんてなんという悲劇だったのでありましょう。

 うーむ。

 ・・・

 26日付け日経記事から。

日本移住は誘拐・元在日朝鮮人女性が北京で会見

 【北京=佐藤賢脱北者とみられる元在日朝鮮人のト・ツジさん(57)が26日、北京の北朝鮮大使館で記者会見した。北朝鮮から日本に移住した経緯について「悪い人間にだまされて誘拐された。日本(の生活)は人間が生きていく暮らしではない」などと訴え、北朝鮮に帰国すると表明した。北朝鮮側には脱北後の状況の厳しさを宣伝するとともに、拉致問題の解決を強く求める日本をけん制する狙いがあったとみられる。

 トさんは在日朝鮮人の父と日本人の母の間に生まれ、神奈川県で育ったが、1960年に家族と北朝鮮に移住。中国瀋陽の日本総領事館を経由して2003年11月から千葉県に在住し、今月21日に離日した。日本政府筋によると「北朝鮮に残る子どもが脅されていたようだ」という。トさんは同総領事館に駆け込んで保護された石川一二三(ひふみ)さんとみられる。(15:01)
http://www.nikkei.co.jp/news/kaigai/20070626AT2M2601C26062007.html

 うん? 

 日本政府筋によると「北朝鮮に残る子どもが脅されていたようだ」という指摘でありますが、どういうことなんでしょう?

 だって、トさんは、「悪い人にだまされて日本に行ったが、日本での生活に絶望した」のは、「日本は氷のように冷たかった」のであり、「誰も知らない土地で死ぬより、北朝鮮に残した子どものそばで死にたい」と思い、決死の「脱日」を今回計ったのでありますよね。

 日経は何を根拠に「北朝鮮に残る子どもが脅されていたようだ」(日本政府筋)などと報道しているのでしょう、プンプン。

 ・・・

 さて、26日に北京の北朝鮮大使館で記者会見したトさんは、同日無事に夢にまで見た祖国に帰還、氷のような冷たい国から見事「脱日」に成功したのでした。

 26日付け時事通信から。

2007/06/26-21:26 脱北女性の帰還を報道=北朝鮮

 【ソウル26日時事】北朝鮮朝鮮中央通信は26日、「日本に誘拐された朝鮮女性ト・チュジさんが空路平壌に帰ってきた」と報じた。朝鮮通信(東京)が伝えた。
 朝鮮中央通信によると、トさんは空港で子どもらの出迎えを受けたという。トさんは北京を出発する前に北朝鮮大使館で記者会見し、2003年に脱北して日本へ戻ったが、日本の生活に絶望、北朝鮮に帰る決意をしたなどと訴えていた。
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2007062601070

 おお、北朝鮮朝鮮中央通信が大々的に「日本に誘拐された朝鮮女性ト・チュジさんが空路平壌に帰ってきた」と報じたそうであります。

 26日付けスポニチ記事から。

「感謝」…脱北女性が北朝鮮に戻る

 北朝鮮から2003年10月に中国に脱出し、その後日本に居住していた在日朝鮮人の女性ト・ツジさん(57)=川崎市出身=が26日午後、経由地の北京から平壌国際空港に到着した。

 トさんは、空港で出迎えた子供たちと抱き合い、「私のために多くの人が心配してくれた。(北朝鮮に戻れて)感謝している」と話した。 (共同)
[ 2007年06月26日 20:33 速報記事 ]
http://www.sponichi.co.jp/society/flash/KFullFlash20070626049.html

 うん、「空港で出迎えた子供たちと抱き合」ったトさんは、今回の「脱日」において「私のために多くの人が心配してくれた。(北朝鮮に戻れて)感謝している」と話したのだそうであります。

 いやおめでとうございます。

 いやよかった、よかった。

 ・・・



●「集まった外信記者たちは露骨に不満を吐いてはあざ笑った」〜今回の会見自体をあざ笑う海外メディア報道

 この件では海外メディアも取り上げていますですね。

 26日AFP通信記事から

「誘拐され日本に連れて行かれた」と主張する脱北女性が記者会見
2007年06月26日 23:16 発信地:北京/中国

【6月26日 AFP】北京(Beijing)の北朝鮮大使館で26日、「誘拐され日本に連れて行かれた」と主張する在日朝鮮人の女性、ト・チュジ(To Chu-Ji)さんが記者会見し、「日本での生活に絶望し北朝鮮に帰国する決意をした」と語った。集まった数十人の記者の大半は、北朝鮮核問題に関する記者会見が行われるものとして出席していたという。

 トさんは、2003年10月に「本意ではなかったが、悪い人にだまされて(国境を流れる)豆満江(Tumen river)を渡り、中国に入った」と説明。中国遼寧(Liaoning)省瀋陽(Shenyang)の日本領事館に2週間滞在した後、日本に向かったという。ここ数年、飢餓や抑圧に耐えかねた数百、数千人の北朝鮮人が似たようなルートで脱北したと考えられている。

 トさんは2003年11月から2007年6月まで千葉県松戸市に住んでいたが、母国に残してきた5人の子どもを思うと「頭がおかしくなりそうだった」と語る。「子どもたちとの手紙や電話は、いつも涙で始まり涙で終わった。部屋に1人でいると、子どものことを考えて枕を涙で濡らした」と述べ、「心気症患者か精神病質者のように、ほとんど毎晩、薬やアルコールに頼らなければ眠ることもできなかった」と続けた。

 トさんは2番目の義理の息子が入隊したことを知り、最終的に帰国することを決めたという。トさんは監禁されているような状態だったというが、どのように親戚と手紙や電話のやり取りをしたかについては説明しなかった。

「わたしが子ども時代の日本人にはお互いを思いやる気持ちがあったが、今の日本はまるで氷のように冷たい」と語るトさんは、北朝鮮の伝統的な歌を震える声で歌い、会見を締めくくった。トさんは在日朝鮮人の子として日本で生まれ、1960年に北朝鮮に帰国したという。

 国連(UN)による北朝鮮の核査察の再開が世界の注目を集める中、北朝鮮がなぜこのような会見を開いたかは不明。日本が北朝鮮による日本人拉致への怒りを表明しているため、日本に対する報復行為ともみられている。北朝鮮政府当局者は核問題に対する質問には回答しなかった。(c)AFP
http://www.afpbb.com/article/life-culture/life/2245004/1723273

 「頭がおかしくなりそうだった」

 「子どもたちとの手紙や電話は、いつも涙で始まり涙で終わった。部屋に1人でいると、子どものことを考えて枕を涙で濡らした」

 「心気症患者か精神病質者のように、ほとんど毎晩、薬やアルコールに頼らなければ眠ることもできなかった」

 うーん、「トさんは監禁されているような状態だったという」そうですが、これはさぞやつらい日々を過ごしたのでしょう。

 お隣の韓国ではこの事件をどう捉えているのでしょうか。

 中央日報27日付け記事から。

<取材日記>日本が北朝鮮人拉致?…北大使館の“生半可”会見

26日午前9時、北京の駐中北朝鮮大使館で内外信記者会見が行われた。記者たちは緊張した。ここ北朝鮮大使館が記者会見を開くのはほとんど2年ぶりだからだ。国際原子力機関IAEA)代表団が中国を去って平壌に向かい、6カ国協議再開が予想されるタイミングで、記者たちの触覚を刺激した。

しかし会見のテーマは予想とまったく違った。金日成(キム・イルソン)、金正日キム・ジョンイル)の肖像画が掛かった会見場には北朝鮮に暮らし、日本によって拉致されたという女性が、大使館関係者2人とともに出席した。進行者が「4年前、日本で拉致されたト・チュジさん」(58、女)と紹介したこの女性の言葉を整理すれば次の通りだ。

「1949年、日本の川崎で在日韓国人ト・サンダルと日本女性の間の三女として生まれた。60年、第48次北送船に乗って家族とともに北朝鮮に渡った。2003年10月18日“悪い人”に誘われ、豆満江を渡って中国に密入国させられた。川を渡った後、待機中のジープに乗せられて拉致された。3日後、瀋陽駐在日本総領事館に抑留され、同年11月21日、日本の千葉県に連れてこられた。毎日、殺人事件が報道される所で、3年8カ月間、悪夢のような生活をした。当局者たちに「家族を連れてこなければならないのではないか」と勧められたが「嫌だ。こんな非人間的な所に子供を住まわせるわけにはいかない。私は故国に帰る」と拒否した。睡眠薬と酒で毎日を送り、北朝鮮に置いてきた5人の子供が幸せに暮らしているという話を聞いて6月21日、東京の成田空港を発って北京に到着した」そして最後に「将軍様をしのぶ」という内容の北朝鮮シリーズ映画『民族と運命』の主題歌を歌った。この映画は在外海外同胞たちが北朝鮮の懐に抱かれる内容の政治宣伝物だ。会見はこれで終わった。

北朝鮮のどこに住んでいたのか、誰が、どうやって自分を誘い出して北朝鮮を離れたのか、拉致されたと言いながらどうやって日本を自由に離れることができたのかなどの質問が飛んだが、トさんと北朝鮮大使館関係者は何の返事もなく会見場を去った。質疑応答の時間はまったくなかった。集まった外信記者たちは露骨に不満を吐いてはあざ笑った。

一方的に発表されれば信頼は落ちるほかない。この日の北朝鮮大使館の行動は「日本人拉致問題に対する生半可な対抗」と言われて終わった。

チン・セグン北京特派員

2007.06.27 11:44:46
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=88772&servcode=500§code=500

 北朝鮮のどこに住んでいたのか、誰が、どうやって自分を誘い出して北朝鮮を離れたのか、拉致されたと言いながらどうやって日本を自由に離れることができたのかなどの質問が飛んだが、トさんと北朝鮮大使館関係者は何の返事もなく会見場を去った。

 集まった外信記者たちは露骨に不満を吐いてはあざ笑った。

一方的に発表されれば信頼は落ちるほかない。

 この日の北朝鮮大使館の行動は「日本人拉致問題に対する生半可な対抗」と言われて終わった。

 ・・・(汗

 「集まった外信記者たちは露骨に不満を吐いてはあざ笑った」ですか。

 続いて27日朝鮮日報記事から。

【記者手帳】北朝鮮大使館のおかしな会見

 25日夜、北京の北朝鮮大使館は外国の特派員らに対し、「明日午前9時、大使館で緊急記者会見を行う」と伝えた。緊迫度が増す北朝鮮の核問題に関する発表を予想していた各国の記者約80人は翌朝、1時間前から大使館の外に長蛇の列を作った。

 ところが予想は大きく外れた。大使館は「これから、日本に強制的に連行された都秋枝(ト・チュジ)さん(58)の記者会見を開きます」とアナウンスしたのだ。

 記者たちの前に現れた中年の女性は、1949年に日本で生まれ、15歳のときに在日朝鮮人の帰国事業で北朝鮮に渡り、現在は5人兄弟の母親だという。ところが、「2003年10月、悪い人たちにそそのかされ、豆満江を越えて中国に渡ったところで無理やりジープに乗せられ、日本へ連れていかれた」と彼女は語った。

 そして「日本ではただ子どもたちに会いたいという一心で、酒と睡眠薬におぼれる毎日でした…北朝鮮では“苦難の行軍”(1990年代中盤の食糧不足)のときにも幸せだったのに…」と涙ながらに語り、「日本は子どもが親を殺すような国だ。人間の住む所ではない」と語気を強めながら非難した。

 今月21日に日本を脱出したという彼女は最後に「歌を1曲歌う」と言った。そして「ああ、将軍様のおかげで‐わたしたちは一つの家族、将軍様の家族です」と歌った後、記者の質問にも答えず足早に会見場を後にした。

 2年前の05年4月にも、北京の北朝鮮大使館で記者会見が開かれた。このときも「核問題に関する発表」を予想して集まった記者たちは、「日本人に拉致された」という安筆花=日本名・平島筆子=さん(69)のメチャクチャな主張を聞かされた。安さんはこの時、「将軍様の家族です」という歌の代わりに「将軍様、万歳!」と叫んだ。

 北朝鮮は日本が自国による「日本人拉致問題」を追及し続ける中、「われわれも被害者だ」と主張しようとしているのかもしれない。だが、そうした主張が説得力を持つには、少なくともなぜ拉致が行われたのか、どうやって「脱出」し、どこで生活していたのか、詳しく説明するべきではないだろうか。2年後に同じような「異常ずくめの記者会見」を見させられた外国の特派員たちは皆苦りきった様子だった。

北京=李明振(イ・ミョンジン)特派員

朝鮮日報朝鮮日報JNS
http://www.chosunonline.com/article/20070627000039

 「日本ではただ子どもたちに会いたいという一心で、酒と睡眠薬におぼれる毎日でした…北朝鮮では“苦難の行軍”(1990年代中盤の食糧不足)のときにも幸せだったのに…」

 「日本は子どもが親を殺すような国だ。人間の住む所ではない」

 うむ、さすが母国語を解する記者の記事だけありますね、トさんの発言が実にリアルなのであります。

 彼女が会見の最後に歌った歌の歌詞もわかります。

「ああ、将軍様のおかげで‐わたしたちは一つの家族、将軍様の家族です」

 ジーン。

 ・・・

 しかし記事の結語は中央日報と同様、この会見に極めて批判的に結ばれています。

 北朝鮮は日本が自国による「日本人拉致問題」を追及し続ける中、「われわれも被害者だ」と主張しようとしているのかもしれない。だが、そうした主張が説得力を持つには、少なくともなぜ拉致が行われたのか、どうやって「脱出」し、どこで生活していたのか、詳しく説明するべきではないだろうか。2年後に同じような「異常ずくめの記者会見」を見させられた外国の特派員たちは皆苦りきった様子だった。

 うーむ、「「異常ずくめの記者会見」を見させられた外国の特派員たちは皆苦りきった様子だった」ですか。

 ・・・

 どうも、時間の経過とともにお隣韓国ではこの会見を冷静に批判的に捉えなおしているようであります。

 しかもべた記事とかコラムでの小さな扱いなのであります。

 で、日本のメディアの方はというと、もうね、産経・読売などは完全に無視、その他メディアもバカらしいのか、続報は皆無なのであります。

 ・・・



●脱北女性ト・チュジは拉致されていなかった〜すべてをばらしたデイリーNK記事

 では最後にデイリーNK27日記事でしめくくりましょう。

“脱北女性ト・チュジは拉致されていなかった”

日本のNGO “ト氏自身が日本行きを希望”…“北の家族 '帰って来て'
梁貞兒記者
[2007-06-27 14:28 ]

日本に強制的に拉致されたと主張して、北朝鮮に帰ったト・チュジさん(59)は、自らの主張と異なり、実の兄とともに自ら日本に帰国したと、日本の脱北者支援団体が明らかにした。

またトさんは日本で暮らしていた時、北朝鮮にいる家族から帰って来るようにという懐柔を受け続けていたことが分かった。

中国の北朝鮮大使館は26日午前、北京市内の北朝鮮大使館で、トさんを参加させて内外信の合同記者会見を持ち、"日本が去る2003年10月18日に、北朝鮮の女性ト・チュジさんを強制的に拉致した"と主張した。

日本の脱北者支援団体の関係者は27日、デイリーNKとの通話で"日本に先に入国した兄が妹のトさんを連れてくるため2003年10月に直接国境地域に行った"と述べ"トさんは自ら日本に来たのであって、北朝鮮が主張する強制的な拉致を日本はしていない"と語った。

トさんは1949年10月28日に日本の神奈川県川崎市で、ト・サンタルさんの三女として生まれたが、1960年に両親と一緒に第48次帰国船に乗って北朝鮮に入国した。

その後、1990年代末に兄が先に北朝鮮を脱出して日本に渡り、北朝鮮にいる妹のトさんと連絡を続けた。トさんは2003年10月に豆満江の近くで兄に会い、瀋陽の日本総領事館の保護を受け、11月に日本に渡った。

トさんは豆満江を越えた時は、兄と会うことが目的だったが、兄と会った後、日本に行くことを決心したという。

トさんは日本に入国した後、千葉県で生活していた。日本の脱北者支援団体の関係者は、"トさんは日本に来た後、兄との仲が悪くなった"と述べ、"家族がすべて北朝鮮に残っている状況で、かなり寂しく感じていたのだろう"と伝えた。

この団体の関係者は"北朝鮮政府は残っている家族を通じて、トさんに連絡を取り続け、帰国をしょうようした"と述べ、"家族に会うために北朝鮮に再び帰る決心をするようになったようだ"と語った。.

北朝鮮政府は残っている家族を利用して、日本に定着した脱北者を懐柔する作業を続けているという。

この関係者は"日本政府は脱北者を受け入れるだけで、韓国政府のように、彼らが社会に適応できるシステムが用意できていない"と述べ、"日本は自国に定着した脱北者と対話するために努力しなければならない"と明らかにした。

日本に定着した脱北者北朝鮮に再び帰ったのは、2005年4月のアン・ピルファ(平島筆子)さんに次いで2人目だ。アンさんは北朝鮮に帰った後、日本を誹謗して、北朝鮮体制を宣伝する大衆講演に出ている。

トさんは26日、平壌順安空港に到着し、北朝鮮に入国した。トさんの子供たちは綺麗に装って出迎えた。
http://www.dailynk.com/japanese/read.php?cataId=nk00100&num=826

 なんだ、「トさんは豆満江を越えた時は、兄と会うことが目的だったが、兄と会った後、日本に行くことを決心した」のであり、その後「日本で暮らしていた時、北朝鮮にいる家族から帰って来るようにという懐柔を受け続けていた」のでありますか。

 で、「日本の脱北者支援団体の関係者は、"トさんは日本に来た後、兄との仲が悪くなった"と述べ、"家族がすべて北朝鮮に残っている状況で、かなり寂しく感じていたのだろう"と伝えた」わけですか、つまり来日後、兄である宮崎俊輔さんとの仲が悪くなったんでありますね。

 うーむ、ぜんぜん「強制拉致」なんかじゃないじゃん。

 ・・・



●お騒がせな「脱日」オバサンのとんだ狂言会見

 それでは最初の記事をしっかりリテラシーし直しましょうか。

 もう一度26日付け朝鮮日報の記事から。

北朝鮮「2003年に日本が北朝鮮女性を拉致」

 北朝鮮は26日、日本が2003年10月18日に北朝鮮女性のト・チュジさん(58)を拉致したと主張した。

 在北京・北朝鮮大使館は26日午前9時(現地時間)、北朝鮮大使館で国内外のメディアを対象に共同記者会見を行い、日本が4年前にト・チュジさんを拉致したと発表した。

 この会見にはトさんも同席した。この会見でトさんは「2003年10月に豆満江で悪い人たちにジープに乗せられ、在瀋陽日本国総領事館を通じて、日本へ強制拉致された」「3年7カ月間日本で生活したが、今月21日に日本を脱出して、現在は在北京・北朝鮮大使館で保護を受けている」と主張した。

 この日トさんは記者団の質問に一切答えず、北朝鮮映画『民族と運命』の主題歌を歌いながら会見場を後にした。

 トさんは1949年10月28日に神奈川県川崎市でト・サンダルさんの三女として生まれ、1960年に帰国船に乗って北朝鮮に入国したという。

朝鮮日報JNS
http://www.chosunonline.com/article/20070626000035

 「2003年10月に豆満江で悪い人たちにジープに乗せられ、在瀋陽日本国総領事館を通じて、日本へ強制拉致された」

 この発言は全くの虚言であります。

 彼女は「悪い人たちにジープに乗せられ」たのではなく、実の兄の手引きを受け自分の意思で「脱北」したのであり、日本に「強制拉致」されたわけではありません。

 その後、日本に来て軟禁状態でもなんでもなく千葉のアパートに普通に暮らしていたのでありますが、兄と仲たがいしたこともあり、また北朝鮮政府の執拗な工作により北に残した子供達から再三帰国をするよう促されていたこともあり、誰にじゃまされることもなく、今回の帰国となったのであります。

 つまりこのお騒がせな「脱日」オバサンの会見発言はほとんど事実ではなかったのであります。

 帰国したけりゃかってにしてくれてけっこうですが、この期に及んで自分の意思で来たくせに、実の兄を「悪い人」呼ばわりしたり、日本に「強制拉致」されただのと狂言しないでほしいものでありますね。

 ・・・

 以上、「氷のように冷たかった」国のブログで「氷のように冷たい」検証したのは、「日本は人間が生きていく暮らしではない」中でけっこう満足している「悪い人」のひとりである「木走まさみず」でございました。

 ジャンジャン。



(木走まさみず)