木走日記

場末の時事評論

ネット上にマスメディア関係者の特権はない〜「花岡信昭氏ブログ炎上問題」に見るマスメディア関係者の驕り

●不肖・木走が唱うと「演歌」にしか聞こえない「シャ乱Q」の『シングルベッド』(爆)

 音楽にはまったく疎い不肖・木走オヤジですが、「モーニング娘。(←この。が重要なんだってば(笑))の『ラブマシーン』は大好きな愛唱歌でありました。

 特にサビの部分がとても好きですねえ。

にっぽんのみらいは、おうおうおうおう♪♪
せっかいがうらやむ、いぇいいぇいいぇいいぇい♪♪
恋をしようじゃないか、おうおうおうおう♪♪
だんす、だんすいんおーるおぶあない(←本当の歌詞はDancin' all of the nightらしいです)♪♪

 当時不況だった日本経済を励ます歌だったのですよね。

モーニング娘。(←しつこいですがこの。が重要(笑))も、おうおうおうおう♪♪
あんたもあたしも、いぇいいぇいいぇいいぇい♪♪
みんなもしゃっちょさんも、おうおうおうおう♪♪
だんす、だんすいんおーるおぶあない♪♪

 うんうん、木走的には特にこの「しゃっちょさん」のフレーズがとっとも好きなのでした(爆

 あとモーニング娘。(←しつこいですがこの。は文の終わりじゃないです(笑))内の3人ユニットの「プッチモニ」のデビュー曲『ちょこっとLOVE』のCDも、なぜかおじさんの社用車に常備されています(笑)

 特に2番のサビの部分が大好きです。

おやおやなんと刺激少ない方をお選びですか?♪

謙虚なあなたが(スキ・・・)♪

愛という字を (Oh Baby)♪

思い出すとき (Oh Baby)♪

家族の顔が先に浮かんできたぞ♪

(WaHaHaHaHa)♪

ささやかだけど (Oh Baby)♪

先へ進むぞ (Oh Baby)♪

愛しい人 All You Need is LOVE♪

 とても親しみやすいセリフ回しの中で、友情とか家族愛とかの大切さを唱ってるわけですね。

 まあ、私の場合「モーニング娘。」や「プッチモニ」が特別に好きな訳じゃまったくなくて、どっちかといえば、プロデューサーであるつんく氏の作品が「シャ乱Q」時代から好きなんですよね。

 「シャ乱Q」の『シングルベッド』は私のカラオケの締めの一曲ですがな(笑)

 これもサビの部分が大好きなんだなあ。

シングルベッドで夢とお前抱いてた頃 ♪
くだらない事だって 二人で笑えたね ♪
今夜の風の香りは あの頃を同じで♪
次の恋でもしてりゃ 辛くないのに ♪

 もうね、「しんぐるうべえどでゆううめと、おまえだいてたころおおお♪」なんて目を閉じて熱唱する私ですが、口の悪いヤツに言わせると私が唱うと「演歌」にしか聞こえないそうですが失礼なコトです(プンプン

 ・・・

 まあ、メンバーの入れ替わりが激しくて「モーニング娘。」が今何人なのかもわからない私(苦笑)ですが、プロデューサーのつんく氏のプロモート能力はたいしたものだなあと思うのは、メンバーをしばしば入れ替えるだけでなく、ソロで唱わせたり「ミニモニ」だとか「プッチモニ」とかのユニットで売り出したり、それまでのアイドルのプロモートでは考えられない手法を展開したことでしょうね。

 ・・・

 で、今日はこの「モーニング娘。」の「。」で炎上してしまったブログのお話です。



●「『モーニング娘。』が日本語を壊した」発言でジャーナリスト花岡信昭氏のブログが大炎上
 ことの顛末は、私の大好きなそして当『木走日記』とも親交のある『玄倉川の岸辺』さんがくわしくエントリーされています。

玄倉川の岸辺
謝罪を要求する人たち
http://blog.goo.ne.jp/kurokuragawa/e/d326879114f8e0099cc35bcdd600e7b3

 失礼して『玄倉川の岸辺』さんのエントリー冒頭部分を引用。

いまだに大炎上を続けている花岡信昭氏のブログ。
「謝罪」で一度は鎮火するとも思われたが、花岡氏が日経BPに「ブログ再炎上、きっかけはアイドル名と句点」なるコラムを発表してさらに火力が上がったようだ。

私にとって

 ・ 「…。」問題
 ・ 「『モーニング娘。』が日本語を壊した」というトンデモ説
 ・ モーニング娘。の歌や踊りが下手だという花岡氏の主観

のどれもが心の底からどうでもいいことなのでこのエントリでは取り上げない。すでに前のエントリ“「素人」と「玄人」”で書いたことでもある。
花岡氏の論理性の欠如や文章力不足、マスコミ業界人の傲慢についても多くの批判が寄せられているが、私自身は「まあ、団塊世代のジャーナリストならああいうものだろう」という感想しか持てない。誰かに「あれでいいのか?」ときかれたら「良くはありません」と答えるけれど、「炎上」に参加している人たちのように一所懸命(あるいは面白半分)批判する気になれない。批判されるべきことはすでに言い尽くされており、今さら付け加えるものは何もない。

 (後略)

 うーん、どうやら元産経新聞編集委員であるジャーナリスト花岡信昭氏が自身のブログで「「モーニング娘。」が日本語を壊した」と発言しちゃって、言うに事欠いて「モーニング娘。の歌や踊りが下手だ」と付け足しちゃったらしいのです。

 その6月3日のエントリーがきっかけになって連日大炎上、6月5日には一旦謝罪エントリーをしますが、日経BPにまた余計なコラムを載せちゃって火に油の状態のようです。

 で、問題の花岡信昭氏の6月3日「モームス批判」エントリーはこちら。

花岡信昭ウエブサイト
2006年6月3日(土曜日)
モーニング娘。」が日本語を壊した
http://www.hanasan.net/xoops/modules/wordpress/index.php?p=259

 で、花岡信昭氏の6月5日「謝罪」エントリーはこちら。

花岡信昭ウエブサイト
2006年6月5日(月曜日)
モーニング娘。」に関する記述について
http://www.hanasan.net/xoops/modules/wordpress/index.php?m=20060605

 で、火に油の日経BPの花岡信昭氏のコラムはこちら。

第11回
ブログ再炎上、きっかけはアイドル名と句点

http://www.nikkeibp.co.jp/sj/column/y/11/index.html

 ・・・

 ふう。

 ヤレヤレです。

 はっきりいって今回の炎上理由にはまったく興味がないのでここでは言及しませんが、「謝罪文評論家」かつ「ネットいなご研究家」の私にとってこの「花岡信昭氏ブログ炎上問題」はかっこうの研究材料になりそうなのです。
(↑いつからこのオヤジは「謝罪文評論家」や「ネットいなご研究家」になったんだ?(苦笑))



花岡信昭氏の中途半端な「謝罪行為」は最低の対応

 まず少し本論とはずれますがこれも火に油を注いだ行為のひとつとして考えなければいけないのは6月5日の花岡信昭氏の中途半端な「謝罪」文掲載の行為です。

 第一に、まずネット上で「モーニング娘。」に限らず、特定アーティストの音楽性を批判する行為自体はまったく自由でいいはずです。

 言論の自由は広く認められているわけですし、専門領域以外の批評はしてはいけないわけでは全くないと思います。

 氏もジャーナリストであるならば、批判したならば反論されることは覚悟の上でしょうから、反論に対して徹底的に反論し返せば良かったのです。

 ジャーナリストらしく「モーニング娘。」のCDやDVDを徹底的に検証して、確かに「モーニング娘。の歌や踊りが下手だ」と反論すればよかったでしょう。

 いやそうではなく専門外のことでもあり確かに軽はずみな批判をしたと反省されているならば、ここは全面的な謝罪に徹するべきだったのです。

 私は以前当ブログで何回かこの「謝罪文」の問題を取り上げてきました。

■[メディア]良い謝罪文作成は人を成長させる仮説〜朝日新聞の返事を読んでの一考察
http://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20060119
■[政治]残念!「永田謝罪会見」は不合格です〜「謝罪文評論家」が各紙速報から読み解く永田謝罪会見のミス
http://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20060228/1141116742

 朝日新聞浦安市に対するコメントや偽メール事件での民主党の「永田謝罪会見」を題材に、どうせ謝罪するならば、正真正銘誠意のある謝罪をしなければ意味がない、逆効果であると主張してきました。

(前略)

●良い謝罪文作成は人を成長させる by 不肖・木走

 まあ零細企業の経営者などは「人に謝るのが仕事」みたいなところがあります。

 で、私は謝罪文を何度か作成するうちに自分なりの「良い謝罪文の作成テク」をいつしか身につけました。

 ちょっとご披露しましょう。

■テク1:邪念を捨てる〜悪いのは100%私だと心より覚悟する

 どうせ謝罪文を書くことを決意したならば中途半端な決意では文章に誠意がこもりません。

 そこで心を鬼にして(私だって悪くないとこもある)とか(先方にだって落ち度はあるじゃないか)といった邪念を一切捨てきります。

 この件で悪いのは100%自分であると言い聞かせます。

 人の世の厄介な点は、実は人様に謝らなければならない羽目になったときでも、こちら側にも何分かの正当な言い分があり、先方にも何分かの指摘し得るような問題点があるモノであります。

 しかし、そんな邪念をもっていたらいつまでも誠意ある謝罪文を作成することなどできないわけであります。

■テク2:先方の目線で自分の悪いところを批判する。

 テク1で邪念を捨てたなら、出来る限り冷静な自分を取り戻した上で、先方の視線にたって、謝罪しなければならない内容を考えてみます。

 なぜ相手が私を怒っているのか、自分が相手の立場だったらどう感じるか、冷静に分析します。

 そして、ここが重要なのですが、たしかに失礼な謝らなければいけない振る舞いをしてしまったことを、心から自覚し反省します。

 そしてウソ偽りのない素直な気持ちとして心からの謝罪の文をしたためます。


■テク3:建設的な改善策を提示する。

 自分が今回の失敗で得た教訓を冷静に考えます。

 そして、二度とこのような間違いをしないようにするために、自分としてできる改善策を建設的に相手に示し、そのように努力していくことを誠意を持って約束します。

 ここでも重要なのは心から失敗から得た教訓を納得していなければ文章自体に誠意はこもらないことです。

 うわべだけの反省など相手は何も望んではいないからです。

 ・・・

 もちろんいつもうまく謝罪文が書けたわけでもなく、ときに余分なことを書いてしまいかえって相手の反発をもらってしまったこともあります。

 ただ、出来の悪い私が実感するのは、相手からも一定の評価をいただけたような「良い謝罪文」が作成できたときは、不思議と自分自身も精神的に成長できたような気がするのでした。

 「謝罪するという行為」は、ときに人を成長させるのではないでしょうか。

(後略)

■[メディア]良い謝罪文作成は人を成長させる仮説〜朝日新聞の返事を読んでの一考察 より抜粋
http://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20060119

 今回の花岡信昭氏の謝罪文は残念ながら邪念を捨てきっていない誠意のない謝罪であると、とらえられても仕方ない文章でしょう。



●「ネットいなご」集団の生成過程と生成条件を見事に体現している「花岡信昭氏ブログ炎上問題」

 5月31日のエントリーで、私は、元日テレの藪本アナのブログ炎上問題を題材に炎上ブログと「ネットいなご」集団に関して、その生成過程と生成条件を考察いたしました。
 そして情報発信側の「不用意」性が「ネットいなご」を招く」と推測いたしました。

 (前略)

 おそらく「ネットいなご」集団の中にキャプテンや隊長(司令塔)などの役割分担はないのでしょうが、例えば今回の件で炎上経緯を検証してみると、

 ・まず問題となるエントリーが当該ブログに掲載される

 ・コメント欄が多少荒れ始める

 ・2チャンネル等のいくつかのスレ板で取り上げられる

 ・さらにコメント欄が炎上していく

 ・ブログ主がエントリー削除やコメント削除やコメントへの反論など、不用意な対応をして、さらにひんしゅくを買う

 ・有名ブログやネット新聞で取り上げられ、火に油が注がれる

 このようなステップで燃え広がっていくと推察できるわけです。

 まあ知名度の低いブログでどのような暴論がエントリーされていても、そう滅多には炎上などしないわけですが、たぶん「ネットいなご」集団が形成されるのは、上記のような過程を経て形成されるのとは別にいくつかの条件が必要なのでしょう。

 無名のブログが炎上することもたまにはあるようですが、やはり「ネットいなご」大集団が発生するには、発信者がある程度知名度がある場合に限られるようです。

 ・発信者が有名人である(芸能人やマスコミ関係者など)

 ・発信者がネット有名人である(いくつかの人気ブログ主やイデオロギー的に偏りのあるブログ主)

 次に炎上するきっかけとなるエントリーの内容ですが、今回の件も典型的であるとおもうのですが、不用意な特定集団・個人に対する弁護、あるいは不用意な特定集団・個人に対する批判が展開されるときに起こるようです。

 ・発信者が自分の属する集団(個人)を不用意に擁護する

  (マスコミ関係者がマスコミ擁護論を展開するとか、朝日新聞記者が匿名で朝日記事の擁護をしていたとか)

 ・発信者が自分の敵対する集団(個人)を不用意に批判する

 私が思うに炎上するブログ主に共通するキーワードはこの「不用意」性にあるのだと思います。

 同じ擁護(批判)するにしても、今回のように①自分が元同業者だという立場を無視(少なくとも軽視)して②刺激的な(「男子はパンツ見たい生き物」のような)形容である集団(後輩の男子アナ)を弁護してしまう、このような「不用意」性が必ず情報発信側にあるわけです。

 (後略)

■[社会]「ネットいなご」集団の生成過程と生成条件〜情報発信側の「不用意」性が「ネットいなご」を招く」 より抜粋
http://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20060531/1149043177

 今回の「花岡信昭氏ブログ炎上問題」ですが、この「ネットいなご」集団の生成過程と生成条件にじつに多くの事例が当てはまると思うのです。

 炎上してまだ一週間も経っていない花岡氏のブログですが、生成過程は私の上記分析をなぞるように経緯してきました。

 ・まず問題となるエントリーが当該ブログに掲載される
 (6月3日のエントリー掲載)

 ・コメント欄が多少荒れ始める
 (6月3日のエントリーコメント欄)

 ・2チャンネル等のいくつかのスレ板で取り上げられる
 (エントリー同日にはすでに取り上げられています)

 ・さらにコメント欄が炎上していく
 (6月4日以降のエントリーコメント欄)

 ・ブログ主がエントリー削除やコメント削除やコメントへの反論など、不用意な対応をして、さらにひんしゅくを買う
 (6月4日に謝罪ではなくやんわりと批判に反論エントリー、6月5日にブログにて「謝罪」するも「謝罪」に誠意がこもってないと再批判される)

 ・有名ブログやネット新聞で取り上げられ、火に油が注がれる
 (自身が日経BPのコラムでこの問題を取り上げ「火に油」を自ら投入)

 さらに生成過程だけでなく生成条件もぴったり符合するのであります。

 ・発信者が有名人である(芸能人やマスコミ関係者など)
 (氏はバリバリのマスコミ関係者(元産経新聞編集委員で現ジャーナリスト))
 ・発信者が自分の敵対する集団(個人)を不用意に批判する
 (敵対はしていませんでしたが、氏の専門とは畑違いのアイドル集団を不用意に批判)

 ・・・



●マスコミ関係者はわきが甘すぎる〜ネット上にマスメディア関係者の特権はないのだ!

 どうもマスコミ関係者はインターネットのインタラクティブ(会話型)な双方向性に関して、認識がゆるゆるなんですよね。

 旧来の紙面やTVでは一方的に言いたいことを垂れ流してきた悪癖が染みついてしまっていて、情報発信者としての特権意識が抜けきれないのでしょうか。

 従来のマスメディアだったら許された不用意な発言もネットでは、万人が情報発信者になれるわけで、発言によっては大量の「ネットいなご」集団が生成されることを肝に銘じるべきです。

 私から言わせていただければ、マスコミ関係者はわきが甘すぎるのであります。

 ネット上ではあなた方は限られたエリート情報発信者ではない、つまりネット上にマスメディア関係者の特権はないのです。



(木走まさみず)



<関連テキスト>
■[社会]「ネットいなご」集団の生成過程と生成条件〜情報発信側の「不用意」性が「ネットいなご」を招く」
http://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20060531/1149043177
■[メディア]良い謝罪文作成は人を成長させる仮説〜朝日新聞の返事を読んでの一考察
http://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20060119
■[政治]残念!「永田謝罪会見」は不合格です〜「謝罪文評論家」が各紙速報から読み解く永田謝罪会見のミス
http://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20060228/1141116742