木走日記

場末の時事評論

燕雀安くんぞ鴻鵠の志を知らんや〜小沢一郎氏の隠された政治信条

 民主党新代表に小沢一郎氏が選ばれました。



●期待と懐疑が入り交じる各紙社説

 今日(8日)の各紙社説でも一斉に小沢新代表誕生を取り上げています。

【朝日社説】民主新代表 「ニュー小沢」は本物か
http://www.asahi.com/paper/editorial.html
【読売社説】[小沢民主党]「“剛腕”に賭けた党の再生」
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20060407ig91.htm
【毎日社説】民主党新代表 「ニュー小沢」を見せてほしい
http://www.mainichi-msn.co.jp/eye/shasetsu/news/20060408k0000m070155000c.html
【産経社説】小沢新代表 政権担う党への手腕期待
http://www.sankei.co.jp/news/editoria.htm
【日経社説】再生目指す小沢民主党の険しい前途
http://www.nikkei.co.jp/news/shasetsu/index20060407MS3M0700J07042006.html

 興味深いことですね、いつもは意見が別れるマスメディア社説なのですが、小沢民主党に対する期待は共通にあるようです。

 もちろん不安や不満もまぶせながらではありますが。

 【朝日社説】はこう注文しています。

 10年前、菅氏と鳩山由紀夫氏を中心に結成された民主党の結集軸は「反自民」とともに「反小沢」だった。当時の野党第1党、新進党党首だった小沢氏の、強引な手法や体質に対する反感である。

 会議や記者会見を嫌い、側近と言われた人物が次々と去っていく上意下達の強権ぶり。民主党がめざす、党の内外を緩やかに結ぶネットワーク型の組織と肌合いはおよそ異なる。

 小沢氏にも自覚はあるようだ。代表選では所属議員の事務所を一つひとつ回って頭を下げた。立会演説では政権交代のために「私自身を改革する」と誓った。かつてとは違う「ニュー小沢」を見てもらいたい、ということなのだろう。

 その気持ちを、選挙戦の単なる戦術に終わらせてもらっては困る。寄り合い所帯の意見をまとめるのは至難のわざだ。その一方で、巨大与党に立ち向かうには鮮明な対立軸を掲げることが急がれる。

 まずは執行部人事で本当の挙党態勢を実現できるかどうか。コンセンサスづくりへのねばり強い努力も必要だろう。

 小沢氏がもし、かつて党内対立の果てに新進党を解体させたのと同じ轍(てつ)を踏むことになれば、「政権交代こそ真の構造改革」という小沢氏と民主党の夢は夢のまま終わる。政権交代を普通のことにしていかねばならない日本の政治にとっても、失うものは大きい。

 小沢氏の「上意下達の強権ぶり」「側近政治」は民主党の目指す「党の内外を緩やかに結ぶネットワーク型の組織」にはなじめないから、やり方を変えなければならない、「コンセンサスづくりへのねばり強い努力も必要」と指摘しています。

 【読売社説】民主党の「寄り合い所帯」体質を危惧しています。

 小沢氏は、2大政党制のもとでの政権交代こそが真の構造改革だと訴えた。だが、政権交代を実現するには、いくつものハードルがある。

 党の基本政策をまずは、一致させなければならない。憲法、外交・安全保障政策は「右」から「左」まで幅がある。

 「寄り合い所帯」体質を改め、党内で合意を形成することは容易ではない。

 その上で小沢氏の政治手法を懸念しています。

 小沢氏の党運営について党内には懸念も少なくない。新進党の党首時代、“純化路線”を取り、反小沢派を排除した。自由党時代も党が分裂、側近議員が離れた。「壊し屋」との異名もある。

 「私自身が変わらなければならない」と小沢氏が繰り返したのも、従来の小沢流では挙党態勢を築けない、という判断があったからではないか。

 「従来の小沢流では挙党態勢を築けない」という判断が小沢氏自身にもあるのだろうと推測しています。

 【毎日社説】も同様に小沢氏への注文と民主党の体質の批判を併記しています。

 新代表として、まず心がけてほしいのは、国会や記者会見などオープンな場で、自らの考えを丁寧に国民に説明することではなかろうか。そして、この日、「徹底的に政策論議する」と自ら語ったように、党内の議論や手続きも大事にしてもらいたい。そんな、「ニュー小沢」を見てみたいと思う。

 一方、所属議員も、決まった以上は全員で代表を支えることだ。今回の代表選でも、特に中堅議員の間には「小沢氏も菅直人元代表も嫌」と距離を置く空気が目立った。かといって前原誠司前代表の「若さの失敗」に対する負い目もあってか、中堅グループからは候補者を擁立する動きもなかった。

 評論家のように批評するだけといった冷めた姿勢が民主党の一体感を損ねてきたことは再三指摘してきたところだ。むしろ、「小沢アレルギー」が強いと言われる中堅議員こそ積極的に小沢氏と議論を重ねた方がいい。そして激論の末、一度決めたら、その方針は守る。もう、まともな「大人の政党」に脱皮する時だ。

 小沢氏には、「オープンな場で、自らの考えを丁寧に国民に説明」し、「党内の議論や手続きも大事にしてもらいたい」と注文しています。

 そして、民主党自体も「評論家のように批評するだけといった冷めた姿勢が民主党の一体感を損ねてきた」点があると批判しつつ、「一度決めたら、その方針は守る。もう、まともな「大人の政党」に脱皮する時」だと指摘しています。

 【産経社説】は二大政党政治が機能するためにも小沢氏のもとで民主党が再生することを期待するとしています。

 民主党が政権を担える政党となり、二大政党政治が機能することは日本の議会制民主主義の定着と成熟に不可欠だ。小沢氏は「国民が政権を任せてみたいと思える信頼され、安心感のある政党をつくりたい」と抱負を語った。小沢氏が責任野党を創り出す手腕と決断に期待したい。

 その意味で小沢氏がまず取り組むべきことは、憲法や安全保障などの基本政策のとりまとめである。

 そして民主党の寄り合い所帯体質を指摘した上で「小沢氏らしい構想力の発揮」を期待しています。

 民主党はこれまで、寄り合い所帯の亀裂を深めたくないと論議を不十分なまま、結論をあいまいにしてきた。小沢氏もこれでは政権政党たりえないと考え、「皆で議論して明確な結論を出す」必要性に言及したのだろう。

 小沢氏は記者会見などで「日米関係は一番重要だが、本当の対等の関係にならなければならない」「(憲法改正は)国民が変えた方がいいというなら、自然体で取り組めばいい」などと述べた。このような集団的自衛権の行使と絡む日米同盟関係や憲法改正の中身を小沢氏はたたき台として示してはどうか。小沢氏らしい構想力の発揮に国民の期待があるのではないか。

 挙党態勢についても問題は、何のための挙党態勢かだ。党内各派の融和のための人事という意味なら、国民はそっぽを向くだろう。

 【日経社説】も小沢氏の独善的政治手法を改善することを注文しつつ、「寄り合い所帯の民主党が抱える構造的な欠陥」を批判しています、

 かつて新進党自由党を分裂させた小沢氏には「壊し屋」のイメージもつきまとう。民主党内には小沢氏の政治手法が独善的だとして、警戒する声も残る。こうした不安をぬぐい去るために、小沢氏は党内外に説明責任を果たす必要がある。

 党の会議にきちんと出席し、記者会見などでは積極的に自らの考えを示してもらいたい。就任直後の記者会見を聞く限り、こうした意欲は伝わってこない。歴代の代表のように本会議や委員会で何回も質問に立ち、小泉純一郎首相に論戦を挑むことも重要だろう。発信力は現代の政党リーダーにとって不可欠な資質だ。小沢氏は繰り返し「私も変わらなければならない」と述べたが、その言葉を信じて、変身を期待したい。

 選挙で選んだ以上、好き嫌いを超えて新代表を支えるのは当然のことだ。この当たり前のことができないのが、寄り合い所帯の民主党が抱える構造的な欠陥である。誰が代表になっても一部の側近を除くと、大半の議員は非協力的だった。まさに党の存亡がかかる局面であり、党再生の前途は険しい。本当に挙党一致で乗り切るという覚悟が要る。

 ・・・

 【産経社説】も認めてる「民主党が政権を担える政党となり、二大政党政治が機能することは日本の議会制民主主義の定着と成熟に不可欠」であるわけで、小沢氏に託された責任は極めて重いと言えましょう。

 しかし、責任という意味では小沢氏個人だけではなく民主党議員全員が厳しく国民から批判されていることも忘れてはならないでしょう。

 【日経社説】の結語が語っているとおり、民主党にとって、「まさに党の存亡がかかる局面であり、党再生の前途は険しい」わけであります。

 民主党議員全員が「本当に挙党一致で乗り切るという覚悟」を求められているのでしょう。



●これはガバナビリティの問題〜リーダーの「統治能力」も必須だが、構成員の「被統治能力」の未熟さこそ民主党の最大のガンではないのか?

 まず、各紙社説が鋭く批判している民主党の「寄り合い所帯体質」についてですが、これはもう組織論でいうところのガバナビリティ・被統治能力の著しい欠如にあると言い切れましょう。

 民主党という組織は、まったく未熟であり、各構成員の組織人としての志気とモラルの著しい低下と責任放棄体質、これらが野放しで放置されてきたので、若い組織ではあるにも関わらず、組織のメンタル面では完全に疲弊していると言えましょう。

 民主党にはその党内に無責任な評論家が多すぎるのです。

 【毎日社説】が指摘する「評論家のように批評するだけといった冷めた姿勢が民主党の一体感を損ねてきた」のはまぎれもない事実でありますが、問題は何故そのような冷めた姿勢が容認されてきたのか、と言う点にあります。

 TVの討論番組でも平気で党執行部の政策を批判する民主党議員を見たりしますが、彼等は自由な討論と組織構成員としての責任ある言動を、まったく使い分けることができていません。

 党内にいろんな意見や政策が存在することは決して悪いことではありません。大いに議論し政策論を戦わせて互いの論考を深めればよろしい。

 自民党にしたって、各派各人で政治見解は大きく異なっているわけで、例えば対外外交政策ひとつ取り上げても対米追随型からアジア重視型までいろいろあるわけで、政策の選択肢が広いこと自体は何も悪いことではありません。

 日本はどこかの独裁国家ではないわけですから、民主党内に多種多様な意見があることはむしろ歓迎すべきことなのでしょう。

 しかしそのような自由な議論と、組織が正統な手続きを経て決定した政策に組織人として責任を持って従うことを混在させてはいけません。

 このように組織構成員が無責任に指導部を批判したりルールを守らず勝手に行動したりすれば、いかなる人間が指導者になってもその組織は「死に体」となり活力を発揮することはできないでしょう。

 今、民主党に求められているのは、実は強力なリーダーシップ(統治能力)だけではないと思います。

 すなわちガバナビリティ(被統治能力)の向上こそがより求められているのではないでしょうか。

 国レベルでガバナビリティの重要性を考えてみれば、民主党の病根、ガンとも言えるこの問題の深刻さがよくわかります。

 今世界で最も国民のガバナビリティの向上が求められている国といえばイラクでしょう。

 指導者の統治する能力も大切ですが、国民側の被統治される能力が未熟であることは、ときに致命的な問題となりましょう。

 ・・・

 小沢氏および民主党議員達がまず意識して取り組むべきは、組織人としてのガバナビリティの向上を計ることだと思います。

 これなくしては如何に小沢氏が素晴らしい政策を打ち立てたとしても、彼が従来の上位下達の強権政治手法を改めたとしても無駄となりましょう。

 行動力の伴わない無責任な政党に投票するほど、この国の国民は愚かではないでしょう。



●燕雀安くんぞ鴻鵠の志を知らんや〜小沢一郎氏の隠された政治信条

 不肖・木走は小沢一郎氏に大いに注目したいと思っています。

 ひとつは今指摘した組織としての民主党が抱えている「寄り合い所帯体質」とガバナビリティの欠如に対し、彼がどういう手腕で対峙し改善していくのか、期待を込めて注目していきたいのです。

 そしてもうひとつは政治家、小沢一郎氏の頑固な信念・信条に期待したいのです。

 確かに彼は旧田中派出身であり、47才という若さで自民党幹事長にまで登り着いた権力中枢を知り尽くした保守政治家であります。

 幹事長時代、首相候補3人を自分の事務所まで呼びつけ面接したり、あえて不遜とも思える行動・発言をしては国民の顰蹙(ひんしゅく)を買ったことも一度ではありません。
 また、自らが率いる自由党を解党してまで民主党と吸収合併した際には、多くの側近を含めた身内とも言える仲間達を切り捨てて来たのも事実ではあります。

 当時のマスコミは一応に首をかしげたものです。

 合意の際に両党が交わした合意書では(1)小選挙区の当選者、(2)比例代表で復活当選現職が競合する選挙区では惜敗率の高い者――の順で候補者を決めることになりました。

 この原則だと自由党議員で小選挙区から打って出ることができるのは、小沢氏ら数人にとどまることを承知の上で、小沢氏は"身売り"を強行し、事実旧自由党議員は大リストラに遭ってしまいました。

 ・・・

 小沢一郎という政治家は、利権政治で悪名高い旧田中派出身であり、かつその政治手法はときに仲間の犠牲すら平然といとわない強権的手法でもって「壊し屋」の異名を持っているのも事実なわけで、民主党に取り強烈な「劇薬」でしょう。

 さらに最近の若い世代からすればすでに賞味期限の切れた「老政治家」というレッテルも張られているようです。

 ・・・

 しかし、私は若くして自民党幹事長という要職、権力中枢を知り尽くしたこの男が、そのまま無難に時を待てば黙っていても権力を手中にできたであろうときに、敢えてその立場を放棄し自民党を飛び出した、小沢一郎のその政治信念と行動力を今一度注目してみたいのです。

 小泉首相も「自民党をぶっこわす」とか物騒な物言いで国民の支持を獲得してきたわけですが、彼は口先だけで全然物理的に「自民党をぶっこわす」ことはしなかったわけですが、小沢氏は少なくとも自民党を割って出ることを実行してきたわけです。

 ではこのような権力中枢から飛び出して、あえて非自民政党による政権獲得といういばらの道を彼に歩ませたその行動原理のコアには、いったいいかなる政治的信条があったのでしょうか。

 小沢一郎氏はめったにイデオロギー的政治信条は口にしません。

 したがってマスコミでは上記の彼の取った行動も、表面的には彼自身がしばしば口にしている「政権交代のある健全な二大政党制を実現」することが目的であるとしています。
 これは正しいでしょう。

 しかしその奥そこに、現自民党中枢部である旧福田派から現森派に至る保守本流勢力に対する彼の拭いがたい拒否感情があることを忘れてはなりません。

 彼のこの感情は岸信介首相率いる岸派に対する反発まで遡るのです。

 ここに珍しく彼がこのあたりの赤裸々な感情を吐露しているインタビューがあります。

(前略)

――う〜ん。岸さんが「戦犯」だったからですか。

「『戦犯』ということばは、連合国軍が作ったものだから、それはともかくとして、敗戦ということ、300万同胞の死という結果をもたらした責任者の一人という事実は消えないわけです。あの誤った政治によって国民の血が流れ、明治以来の財産を失ったと、私は思います。その人がまた次の時代を指導するという生きざまは、わたしの生き方とは相容れない」

――終戦と共に政界からおさらばすべきだったと…‥。

「ええ、頭をまるめて山のなかで英霊を弔(とむら)っているべきだったと思う」

――そうですか。これは全く予期せざることばでした。

「たとえどんなに優秀であろうが、どんなに有能であろうが、あの生き方は賛成できない。岸先生だけのことではないが、あの人は当時商工大臣だった。単なる一官吏とはちがう。後生畏(おそ)るべし、人材はいくらでもいるんです」

――そこまで過去をさかのぼって人間を見るんですか。

「だって、ささいなことじゃないでしょう。300万人の命が散ったんですよ。その重荷というのは、非常に大きい。岸さんの能力をいってるんじゃないんです、政治家としての生きざまをいってるんですよ」

――しかし、岸さんが手掛けた安保条約というのは、大変なことだった。あれが、今日の日本の繁栄を構築したと思います。

「それはべつに岸さんだけがやったわけではない。多くの人たちの力なんです」

小沢さんにお会いしたのは、これが最初で、その後はありません。あとで同席していた秘書が、「先生がこういう話をするのは初めてです」と、語っていました。

(後略)


正論編集部ブログ
政治家の生きざま より抜粋引用
http://seiron.air-nifty.com/seiron/2006/04/post_350b.html

 ・・・

 現在、小沢氏はこの戦後保守政治中枢に対する激しい反感・批判を口にすることは封印しているようです。

 しかし彼のたどった政治家としての歩みをただ「二大政党制の実現」という手段の実現だけで解釈するのは本質的ではないと私は考えます。

 「燕雀(えんじゃく)安(いず)くんぞ鴻鵠(こうこく)の志(こころざし)を知らんや」

(意味:小人物には大人物が抱いている大きな志(こころざし)は悟ることはできない。)

 「史記」より

 ツバメやススメなどの小さい鳥は、鴻鵠(ヒシクイや白鳥)のような大きい鳥が秘めている目標、理想なんかわかりっこないさ、という意味だそうです。

 ・・・

 当ブログとしては小沢一郎氏の最後のチャレンジに注目していきたいです。



(木走まさみず)