木走日記

場末の時事評論

もう一回だけ日の丸・君が代論争再考

 以下のエントリー及び青龍さんの反論エントリーの追記です。

(議論の経緯の知らない読者は恐れ入りますが以下のテクストを時系列にお読みいただくと議論の流れがご理解いただけると思います。)

木走日記
「スポーツ朝鮮」記事より説得力がない「朝日新聞」社説〜国旗・国歌論争
http://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20060317/1142563601

青龍の雑文Blog
君が代 - それは「マナー」か?

http://seiryu-y.cocolog-nifty.com/blog/2006/03/post_7f60.html

木走日記
日の丸・君が代論争再考
http://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20060323/1143119561

青龍の雑文Blog
続・君が代 - それは「マナー」か?

http://seiryu-y.cocolog-nifty.com/blog/2006/03/post_0155.html

 青龍さん、真摯なエントリーありがとうございます。

 読者のみなさん、コメント欄にて多くの有意義なご意見ありがとうございます。

 青龍さんが再びご意見を書かれてタイトルに「続」と付けてきましたので、怪獣映画大好きな私は思わずときめいてしまって(苦笑)、ここはエントリータイトルで「木走の逆襲」とか「青龍VS木走〜地上最大の決戦」とか「キバシリファイナルウオーズ」とか、ゴジラシリーズのタイトルを付けようかと思ってしまいました。(爆)

 が、いづれも木走がゴジラのように消滅・退治されてしまう恐れがあるので止めておきました。(苦笑)
(↑すみません、軽い冗談です)



●真摯な青龍さんの再反論

 さて前回エントリーに関して、青龍さんから真摯なトラックバックをいただきました。

青龍の雑文Blog
続・君が代 - それは「マナー」か?
http://seiryu-y.cocolog-nifty.com/blog/2006/03/post_0155.html

 とても青龍さんの考えている内容が素直に伝わってきて良く理解できるたいへん読みやすい文章であります。

 で、木走に対する意見(疑問も含めてと思います)主な3点を抜粋引用させていただきます。

木走の意見 

私が強く主張したいのは、「卒業式で君が代を斉唱すべきという主張は君が代ひいては国家や歴史に関する特定の価値観を基盤としているイデオロギー的なもの」という認識は、今日の日本では残念ながら一般化していないだろうということです。

 「国家や歴史に関する特定の価値観を基盤としているイデオロギー的なもの」そこに結びつけることには、私には(そして私が思うに多くの国民には)違和感しかないのです。

それに対する青龍さんの意見

 私も、日本国民の多くは戦前の軍国主義全体主義への回帰を理由に君が代を支持しているわけではないと思います。木走様の分析されるように各種のスポーツイベントなどを通じて君が代に愛着を感じている人が多いのでしょう。
 ただ、コメント欄でも書いたように、それだけなら自らが歌いたいという動機にはなっても歌いたくない者にまで無理矢理歌わせようという気にはならないのではないかと思います。
 強制してまでの斉唱を求める人は、国歌の斉唱による効果(国歌への帰属意識を高めたり・人格形成に役立つ等)を必要だと考えているでしょうし、その前提として日の丸・君が代が国歌としてふさわしいと考えているのでしょう。私の指摘した「国家や歴史に関する特定の価値観を基盤としているイデオロギー的なもの」というのは広くそのようなものも含むのです(その意味では、君が代に無関心な人も、スポーツイベントを通じて何となく君が代が好きになった人も、もちろん君が代が嫌いな人もこの二点について何らかの立場に立っています。どうでもいいというのも一つの立場なのですから)。
 前回書いたように、君が代についての主張が特定の価値観に基づくものであることは何も悪いことではありません。それを認識することが議論の出発点なのだと私は考えます。

 なるほど、「強制してまでの斉唱を求める人は、国歌の斉唱による効果(国歌への帰属意識を高めたり・人格形成に役立つ等)を必要だと考えている」点が問題なわけですね。
 本題とは少し離れるかも知れませんが、とても興味深いことですが、国旗(日の丸)掲揚と国歌(君が代)斉唱を等しく議論している中で、私はどちらかというと国旗(日の丸)に意識が向かっているのに対し、青龍さんは、「それだけなら自らが歌いたいという動機にはなっても歌いたくない者にまで無理矢理歌わせようという気にはならないのではないか」というご意見にもありますが、どちらかというと国歌(君が代)斉唱により違和感があるようですね。

木走の意見 

国旗掲揚や国歌斉唱は、「法律」でもって強制的に罰するようなことはエレガントではなくもちろんそのようなやり方は反対であり、この件は「マナー」のような、それは守るべきであると私は個人的に考えていますが、守らない他者を罰するような「掟(おきて)」にするのは決して望ましくないというニュアンスも込めてのモノです。

 このような「マナー」がやがて戦前のような「掟(おきて)」となってしまうならば、私は断固反対いたしましょう。(私はその可能性は少ないという現状認識を持っていますが)

 法律による強制には反対です。

 ですから私は法的拘束力のない「マナー」を使ったのでした。

それに対する青龍さんの意見

 木走様が「マナー」という言葉を使った真意は了解しました。ただ、朝日新聞社説に対する批判として「マナー」という言葉が出てきた文脈からすると少々読み取りにくかったのではないかという気はしますが。
 それはともかく、木走様が法律による強制に反対という文脈で「マナー」という言葉を使われるのであれば、これまでの東京都教育委員会の措置についてはどの様に考えられるのでしょうか、これまでの木走様の発言からはそのあたりが判らなかったので是非伺いたいと思います。

 はい、ここまで意図して避けてきましたが、ここは東京都教育委員会の措置について私の意見を述べないとアンフェアーですね。(後ほど)

木走の意見 

しかし、私はそのような旗の持つ負の属性も含めて、「国旗」に自国・他国の区別無く敬意を払うことは、国際的には200ヶ国以上の独立国がひしめく現在の世界を少なくとも公平に公正に振る舞うための構成員として、少なくとも必要な「マナー」であると考えるのですが、いかがでしょうか。

  ある集団(自分以外のです)がそこに愛着を持ち敬愛の情を抱いているならば、日本を含めどの国の国歌・国旗にも、敬意を表すべきではないでしょうか。

それに対する青龍さんの意見

 他の人(集団)が愛着を抱いていることを尊重すべきであるという点では、私も木走様も違いはないと思うのです。問題は、いかなる対応をすることが尊重する(または敬意を払う)ことになるのかという点ではないでしょうか。
 この点についての私の見解は国旗掲揚・国歌斉唱の際にそれを乱すことなく静かに待っているのであればそれで十分ではないかというものです。
 なぜこのように考えるかと言えば、このような対応が国旗・国歌を尊重する者とそうでない者を平等に扱っていると考えるからです。
 すなわち、国旗・国歌を尊重するとは旗や歌そのものを尊重するということではなく、その背後にある国旗・国歌への愛着を持つ人の心を尊重することですが、他方君が代を歌いたくないと考える人も日の丸・君が代に対する否定的な感情またはその他の者に対する愛着ゆえに、日の丸・君が代を掲揚・斉唱したくないのであり彼らの意思に反して日の丸掲揚の際に起立させ君が代を斉唱させることは彼らの心を傷つけることになります。
 国旗・国歌に対して敬意を払うべきという「マナー」が他者が愛着を持つものへの尊重を基盤とするのであれば、それは君が代を歌いたくないという人に対しても同様に向けられるべきではないでしょう。愛着を持つ者への共感だけがなされ愛着を持たない者への配慮を欠いている「マナー」は両者の立場の置換可能性がない不平等な枠組みではないかと思うのです。

 また、他国の国歌斉唱の際には起立するだけで「マナー」を守っていることになるのであれば、自国の国歌の場合には起立だけでなく歌うことまで求められるのはなぜなのでしょうか。

 なるほど、たしかに「問題は、いかなる対応をすることが尊重する(または敬意を払う)ことになるのかという点ではないでしょうか。」、ここが一つのポイントですよね。

 ここでも、木走として興味深いのは、青龍さんのおもいのひとつは最後の文章、「他国の国歌斉唱の際には起立するだけで「マナー」を守っていることになるのであれば、自国の国歌の場合には起立だけでなく歌うことまで求められるのはなぜなのでしょうか。」にあるように、「君が代」を斉唱する行為に対する違和感があるのだと思いました。

 ・・・



●真摯な青龍さんの再反論に対する木走の反論

 今回のこの議論で私があえて東京都教育委員会の措置について私の意見を述べてこなかったのは、2つの理由です。

 ひとつは繰り返し述べてきたことですが、私個人はこの問題であまりイデオロギー的議論をしてそこに拘泥することを好まなかったからです。

 で、もうひとつは、教職員(大人)と生徒(小人)を混在して議論することを避けたかったからです。

 一番最初のエントリーでも指摘したことですが、取り上げた朝日社説も、正にその議論の混在があります。

【社説】2006年03月15日(水曜日)付 朝日新聞
http://www.asahi.com/paper/editorial20060315.html

 うーん、国旗・国歌論争は、不肖・木走的にはどうでもいいというか、余り関心はないんですが、日本も負け韓国国旗ばかりさんざん見せられたので(苦笑)、ここは少し朝日新聞の社説について考えてみましょう。

 まず、記事の結語「卒業式は最後の授業である。主役は生徒と先生だ。教育委員会の過剰な介入で、大切な思い出を汚してはならない。」は、とっても違和感がありますねえ、卒業式の主役は言うまでもなく生徒でしょ。

 なんで教師も主役なんだ? 脇役ならわかるけど。

 前々回エントリーより抜粋

 しかし、ここでは東京都教育委員会の措置について触れないと議論が進まないので、ここは問題の東京都教育委員会の通達を検証いたしましょう。
(↑また検証とか思わないで下さいね(苦笑) 一次ソースはしつこく検証するのが私のクセなのです)

 まず3月15日付け朝日社説が「先週末、都立の定時制高校の卒業式で、十数人の卒業生の大半が国歌斉唱で起立しなかった。これを受けて、都教委は都立学校の校長に新たな通達を出した。生徒への「適正な指導」を教職員に徹底するよう求める内容だ。」と指摘している東京都教育委員会の通達(17教指企第1193号)を見てみましょう。

平成18年3月13日
教育庁
「入学式、卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱の指導について(通達)」の発出について

 東京都教育委員会は、学習指導要領の趣旨を踏まえ、各学校が入学式、卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱を適正に実施するよう指導してまいりました。しかし、今般、一部の都立高等学校定時制課程卒業式において、国歌斉唱時に学級の生徒の大半が起立しないという事態が発生しました。ついては、別紙のとおり校長が自らの権限と責任において、学習指導要領に基づき適正に児童・生徒を指導することを、教職員に徹底するよう通達を発出しましたので、お知らせします。
 あわせて、本日、全都立学校の校長を招集して、「教育課程の適正実施にかかわる説明会」を開催し、本通達の趣旨の周知を図りましたので、お知らせします。

別紙
17教指企第1193号
平成18年3月13日
都立高等学校長殿
都立盲・ろう・養護学校長殿
都立中学校・中等教育学校長殿

東京都教育委員会教育長
中村 正彦

入学式、卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱の指導について(通達)
 東京都教育委員会は、「入学式、卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱の実施について(通達)」(平成15年10月23日付15教指企第569号)により、各学校が入学式、卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱を適正に実施するように通達した。また、「入学式・卒業式の適正な実施について(通知)」(平成16年3月11日付15教指高第525号)により、生徒に対する不適正な指導を行わないこと等を校長が教職員に指導するよう通知した。 しかし、今般、一部の都立高等学校定時制課程卒業式において、国歌斉唱時に学級の生徒の大半が起立しないという事態が発生した。
 ついては、上記通達及び通知の趣旨をなお一層徹底するとともに、校長は自らの権限と責任において、学習指導要領に基づき適正に児童・生徒を指導することを、教職員に徹底するよう通達する。

http://www.kyoiku.metro.tokyo.jp/press/pr060313.htm

 これは、かの有名(悪名高い?)平成15年の10.23通達を徹底せよという通達ですね。
 細かい話ですが、同様主旨の3.11通知(平成16年3月11日付15教指高第525号)が各学校長に通知されていますが、「通知」と今回の「通達」ではまったく重みが違います。

 「通達」に基づく校長の職務命令に従わない場合は、教職員は服務上の責任を問われることになるからです。

 で、平成15年の10.23通達の内容を押さえておきましょう。

15教指企第569号
平成15年10月23日
 
 都立高等学校長殿
 都立盲・ろう・養護学校長殿
東京都教育委員会教育長
横 山 洋 吉
 
入学式、卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱の実施について(通達)
 
 東京都教育委員会は、児童・生徒に国旗及び国歌に対して一層正しい認識をもたせ、それらを尊重する態度を育てるために、学習指導要領に基づき入学式及び卒業式を適正に実施するよう各学校を指導してきた。
 これにより、平成12年度卒業式から、すべての都立高等学校及び都立盲・ろう・養護学校国旗掲揚及び国歌斉唱が実施されているが、その実施態様には様々な課題がある。このため、各学校は、国旗掲揚及び国歌斉唱の実施について、より一層の改善・充実を図る必要がある。
 ついては、下記により、各学校が入学式、卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱を適正に実施するよう通達する。
 なお、「入学式及び卒業式における国旗掲揚及び国歌斉唱の指導について」(平成11年10月19日付11教指高第203号、平成11年10月19日付11教指心第63号)並びに「入学式及び卒業式などにおける国旗掲揚及び国歌斉唱の指導の徹底について」(平成10年11月20日付10教指高第161号)は、平成15年10月22日限り廃止する。
 

 
1 学習指導要領に基づき、入学式、卒業式等を適正に実施すること。
 
2 入学式、卒業式等の実施に当たっては、別紙「入学式、卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱に関する実施指針」のとおり行うものとすること。
 
3 国旗掲揚及び国歌斉唱の実施に当たり、教職員が本通達に基づく校長の職務命令に従わない場合は、服務上の責任を問われることを、教職員に周知すること。

別紙

入学式、卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱に関する実施指針
 
1 国旗の掲揚について
  入学式、卒業式等における国旗の取扱いは、次のとおりとする。
 (1) 国旗は、式典会場の舞台壇上正面に掲揚する。
 (2) 国旗とともに都旗を併せて掲揚する。この場合、国旗にあっては舞台壇上正面に向かって左、都旗にあっては右に掲揚する。
 (3) 屋外における国旗の掲揚については、掲揚塔、校門、玄関等、国旗の掲揚状況が児童・生徒、保護者その他来校者が十分認知できる場所に掲揚する。
 (4) 国旗を掲揚する時間は、式典当日の児童・生徒の始業時刻から終業時刻とする。
 
2 国歌の斉唱について
  入学式、卒業式等における国歌の取扱いは、次のとおりとする。
 (1) 式次第には、「国歌斉唱」と記載する。
 (2) 国歌斉唱に当たっては、式典の司会者が、「国歌斉唱」と発声し、起立を促す。
 (3) 式典会場において、教職員は、会場の指定された席で国旗に向かって起立し、国歌を斉唱する。
 (4) 国歌斉唱は、ピアノ伴奏等により行う。
 
3 会場設営等について
  入学式、卒業式等における会場設営等は、次のとおりとする。
 (1) 卒業式を体育館で実施する場合には、舞台壇上に演台を置き、卒業証書を授与する。
 (2) 卒業式をその他の会場で行う場合には、会場の正面に演台を置き、卒業証書を授与する。                    
 (3) 入学式、卒業式等における式典会場は、児童・生徒が正面を向いて着席するように設営する。
 (4) 入学式、卒業式等における教職員の服装は、厳粛かつ清新な雰囲気の中で行われる式典にふさわしいものとする。

http://www.kyoiku.metro.tokyo.jp/press/pr031023s_2.htm

 通達自体は各学校長(管理者)に当てた業務命令ですが、「記」の3項にも明記してあるように「3 国旗掲揚及び国歌斉唱の実施に当たり、教職員が本通達に基づく校長の職務命令に従わない場合は、服務上の責任を問われることを、教職員に周知すること。」とあり、一般教職員はこの通達に書かれている内容を遂行するための学校長の「職務命令に従わない場合は、服務上の責任を問われる」わけであります。

 で、ここで検証しておきたい重要な事項は、これらの通達は教職員に何を具体的に強制していて、また生徒達には何を具体的に強制しているのか、と言うことです。

 ここを徹底検証してみましょう。

 別紙を良く読むと、まず「1 国旗の掲揚について」ついては、国旗の掲げる場所とその時間を細かく指定していますが特に教職員・生徒に何か具体的行動を求めている箇所はないようです。

1 国旗の掲揚について
  入学式、卒業式等における国旗の取扱いは、次のとおりとする。
 (1) 国旗は、式典会場の舞台壇上正面に掲揚する。
 (2) 国旗とともに都旗を併せて掲揚する。この場合、国旗にあっては舞台壇上正面に向かって左、都旗にあっては右に掲揚する。
 (3) 屋外における国旗の掲揚については、掲揚塔、校門、玄関等、国旗の掲揚状況が児童・生徒、保護者その他来校者が十分認知できる場所に掲揚する。
 (4) 国旗を掲揚する時間は、式典当日の児童・生徒の始業時刻から終業時刻とする。

 次に「2 国歌の斉唱について」ですが、

2 国歌の斉唱について
  入学式、卒業式等における国歌の取扱いは、次のとおりとする。
 (1) 式次第には、「国歌斉唱」と記載する。
 (2) 国歌斉唱に当たっては、式典の司会者が、「国歌斉唱」と発声し、起立を促す。
 (3) 式典会場において、教職員は、会場の指定された席で国旗に向かって起立し、国歌を斉唱する。
 (4) 国歌斉唱は、ピアノ伴奏等により行う。

 「(1) 式次第には、「国歌斉唱」と記載する。」は主催者への指示ですので問題無さそうです。
 「(2) 国歌斉唱に当たっては、式典の司会者が、「国歌斉唱」と発声し、起立を促す。」は、司会者への指示ですが、ここは微妙ですが、2つの指示が混在しています。
 司会者は 自ら「国歌斉唱」と発声せよという指示と、参加者に「起立を促す」ことをせよという指示です。この場合の参加者は当然、教職員、来賓、生徒、父母達、式参加者全員でありましょう。

 たた、この(2)はあくまで司会者への指示であり、司会者が参加者に「起立を促す」ことを指示しているのであり、結果(参加者が起立したかどうか)は問われてはいません。
 「(3) 式典会場において、教職員は、会場の指定された席で国旗に向かって起立し、国歌を斉唱する。」ですが、ここがひとつの重要な点ですが、「会場の指定された席で国旗に向かって起立し、国歌を斉唱する。」よう指示されているのは、「教職員」だけであります。

 つまり素直に文章を解釈すれば、教職員以外(来賓や生徒や父母達)は「会場の指定された席で国旗に向かって起立し、国歌を斉唱する。」行為を強制されてはいません。

 「(4) 国歌斉唱は、ピアノ伴奏等により行う。」は些末なことですね。

 最後に「3 会場設営等について」ですが、

3 会場設営等について
  入学式、卒業式等における会場設営等は、次のとおりとする。
 (1) 卒業式を体育館で実施する場合には、舞台壇上に演台を置き、卒業証書を授与する。
 (2) 卒業式をその他の会場で行う場合には、会場の正面に演台を置き、卒業証書を授与する。                    
 (3) 入学式、卒業式等における式典会場は、児童・生徒が正面を向いて着席するように設営する。
 (4) 入学式、卒業式等における教職員の服装は、厳粛かつ清新な雰囲気の中で行われる式典にふさわしいものとする。

 これもまあ「生徒・児童の着席場所」や「教職員の服装」等についての些末な問題であります。

 ・・・

 以上、実際の通達を細かく読んでみると次の2点が明らかであります。

 この通達で「会場の指定された席で国旗に向かって起立し、国歌を斉唱する。」よう指示されているのは、「教職員」だけである。

 児童・生徒(来賓・父母含む)に直接、何らかの「行為の強制」として関連あるのは、「国歌斉唱に当たっては、式典の司会者が、「国歌斉唱」と発声し、起立を促す」箇所だけであり、ここの箇所は司会者への指示であり、参加者は「起立を促す」結果を強制されてはいない。

 国歌斉唱のとき、「声を出して斉唱する」行為を強制されているのは教職員だけであります。
 生徒の立場でこの通達内容を読み解くと、国旗掲揚・国歌斉唱のとき、「起立を促す」ことはされますが、「起立」が強制されている文章には読めません。

 まして、国歌「斉唱」に関しては、まったく生徒には触れていません。

 素直に読めば、この通達は次のように解釈できるでしょう。

 式典の司会者が、「国歌斉唱」と発声し、起立を促す。
 教職員は会場の指定された席で国旗に向かって起立し、国歌を斉唱する。

 ・・・

 私は朝日新聞の社説も青龍さんのご意見も、教職員に対する通達を参加者(特に学生・生徒)までに拡大解釈している側面があると思ってしまうのですが、いかがでしょうか。
 今回の通達が「起立を促す」のが結果として徹底されていないことに対する再度の業務命令の徹底である点は、まことにエレガントでないと思います。

 「マナー」というには教職員にとっては「強制」に近いのは御指摘通りでしょう。

 しかし、この点は東京都の職員である都立高校教職員という特定のグループに関しての特殊な問題であり、それはそれで公務員のあり方も含めて、私は別に議論を分けて考えた方がいいと思っています。

 少なくても一般人や生徒に対する「強制」とは区別する必要があると思います。

 私には、生徒や一般参加者が何を強制されているのかのほうが、より重要なことなのですが、その点であたかも生徒も「君が代まで強制的にうたわされる」と誤解を招く表現を使われるのは、議論の本質的部分であるだけに問題があると思ってしまいました。

 東京都教職員を含めて議論すべきであるというのなら異論はないですが、だとすれば私がイデオロギー論抜きで語ろうとしていたテーマ「国旗・国歌に敬意を払うことは「マナー」のようなものではないか」という一般論とは、いささか論点が違ってきてしまうと考えます。(通底する共通の問題があるのは理解しますが)

 ・・・

 国旗掲揚・国歌斉唱の際、「起立する」行為は私個人は守られるべきマナーと思っている点では前回同様、考え方は変えていません。

 私も個人的には「君が代」は唱いたくありませんが(ひどい悪声ですし(苦笑))

 青龍さま、みなさまの忌憚のないご意見をお待ちします。



(木走まさみず)