木走日記

場末の時事評論

ネットと著作権についての一考察〜元気に情報発信していこう

 今日はネットと著作権についてブロガーの立場から少し考えてみたいと思います。



●「のまネコ騒動」と「読売記事見出し裁判」

 エイベックスの松浦勝人社長がご自身のブログで謝罪したそうです。

エイベックス:「のまネコ騒動」で社長謝罪

エイベックスの松浦勝人社長 一連の「のまネコ騒動」の渦中にあるエイベックスの松浦勝人社長が6日、自身のブログ上で謝罪した。

 現行の著作権法に異論を唱えた上で「2ちゃんねるから派生したキャラクターが有名になっていくことに2ちゃんの方々が喜んでくれるのではとも思っていました。我々の考えが甘かったのかもしれません。そこは素直に謝罪します」と記した。のまネコの図形商標の登録出願を取り下げたことについては「結果は散々なものでした。想定外、そのものです」とした。

 何者かが「2ちゃんねる」の掲示板に自身や家族への脅迫文を書き込んだことについては「匿名にのっとって反社会的書き込みをする人たちに非がある」と批判した。

 また1年間続けた同ブログの閉鎖も発表。読者からは「残念だ」などと書き込まれた。

スポーツニッポン 2005年10月7日
http://www.mainichi-msn.co.jp/entertainment/geinou/news/20051007spn00m200012000c.html

 あら、ブログやめちゃうんですか。
 あれだけ騒がれて批判されれば、のまネコの図形商標の登録出願を取り下げるのも仕方ないかも知れませんが、今回は松浦勝人社長側が著作権に対する認識が甘かったのが敗因のようでありますね。

 で、著作権と言えば今日の読売新聞記事から・・・

ネット記事の見出し無断配信「違法」…初の司法判断

 インターネット上で配信された新聞社の記事の見出し部分を無断使用し、利益を得ているのは違法として、読売新聞東京本社がインターネットサービス会社「デジタルアライアンス」(神戸市)に、2480万円の損害賠償と記事見出しの使用差し止めを求めた訴訟の控訴審判決が6日、知的財産高裁であった。

 塚原朋一裁判長は「新聞社が多大な労力をかけて作成した見出しを、無断で自己の営業に使ったのは、社会的に許容されず、不法行為に当たる」と述べ、請求を棄却した1審・東京地裁判決を変更し、約23万7700円の賠償を命じた。差し止めの請求は退けた。

 ネット上での見出しの無断使用を違法とした初の判決で、ニュース配信を巡るルールに影響を与えそうだ。

 デジタル社は、新聞社・通信社が「ヤフー」に有料配信している記事の見出しを無断利用し、「一行ニュース」として配信して広告収入を得ている。見出しをクリックすると、ヤフーのホームページに飛び記事本文が読める。

 判決はネット上のニュースについて、「多大の労力・費用をかけた取材、編集などの活動があるから有用な情報となる」と指摘。見出しも、「報道機関としての活動が結実したもので、法的保護に値する利益となりうる」と述べた。

 そのうえで、デジタル社の事業について、〈1〉見出しが作成されて間もない、情報の鮮度が高い時期に、複製利用している〈2〉営利目的で反復継続している――などの点を挙げ、「原告の法的利益を侵害している」と結論付けた。読売側の損害は月に1万円とした。

 判決は、見出しの著作権について、一般的には認められないとしたが、「表現いかんでは、創作性を肯定し得る余地もある」と述べた。

 読売新聞東京本社広報部の話「記事見出しの無断使用は違法となることを認めた初の司法判断で、インターネット上のニュース配信の指針となる意義の大きい判決と考えます」

(2005年10月7日0時4分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20051006i116.htm

 ネット上での見出しの無断使用を違法とした初の判決でありまして、事実上の読売新聞側の勝訴でありますが、これは大きな意味を持つ判決でありますね。

 記事本文に著作権が認められているのと同様に、見出しも、「報道機関としての活動が結実したもので、法的保護に値する利益となりうる」と認めたことも大きいですが、いわゆる見出しの無断使用(無断リンク)を禁じたわけであります。

 余談ですが、2480万円の損害賠償を求めた読売ですが、裁判所が認めた賠償金は、「読売側の損害は月に1万円」総額で約23万7700円ですかあ・・・

 ヤスッ(爆

 で、読売は本日の社説でも勝訴したこの話題に触れていますね。

 [情報の価値]「この『見出し』はタダですか?」
(2005年10月7日1時48分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20051006ig91.htm

 なんかなあ、「商売目的なのに、大規模に無断利用している例」も確かにありますし、この判決には何ら異議はないのですが、

 通常の利用なら全く問題はない。十分に活用してほしい。そこから多彩な意見が生まれ、人と人のつながりができ、その結果、社会が豊かになればいい。

 だが、残念なことに、ネットには、風聞や誹謗(ひぼう)中傷があふれている。だからこそ確かな情報を伝える努力をしたい。

 「通常の利用なら全く問題はない。十分に活用してほしい。」と偉そうに上段から見下されちゃうのはちょっとなんなんですが、「残念なことに、ネットには、風聞や誹謗(ひぼう)中傷があふれている」って、なんか論点ずれてきてませんかねえ。マスメディアお得意の『だからネットメディアはダメなんだ』論にもって行かれそうで困惑してしまうのです。

 ・・・

 この社説や記事の論調だけだと全国のまじめなブロガー及びコメント参加者は、萎縮してしまいかねないのであります。

 うーむ、この著作権問題と記事引用問題、もう少し、ブロガーの立場から掘り下げてみましょう。



●商品としての「記事」が有する著作権と、「記事」を引用・評論する権利

 不肖・木走はインターネット新聞JANJANの市民記者登録をさせていただいており、これまで二十本ぐらい記事を掲載させていただいております。

 で、記事を作成し校正する作業の中で他のメディアの記事の引用の問題は、著作権もからみ実は一番神経を使う点であります。JANJAN編集部とのやりとりでも編集部からの修正依頼の大半はこの部分だといっても過言ではないでしょう。

 著作権を侵害しないで引用するルールは次の3つであります。

 1.質的にも量的にも、引用する側の本文が「主」、引用部分が「従」という関係にあること。
 2.引用部分がはっきり区分されていること。引用部分をカギかっこでくくるなど、本文と引用部分が明らかに区別できること。
 3.「出所の明示」をすること。通常は引用部分の著作者名と作品名を挙げておくこと。

 つまり引用部分が大半にはならないことと引用部分を明示化すること、そして出所の明示(ネットの場合URLの明示も必須でしょう)、これを全て満たさなければいけません。

 この辺りのことは、例えばasahi.comなどがわかりやすく説明しています。

(前略)

引用

 一般に、他人の作品の一部を利用することを「引用」といいますが、著作権法では、引用を次のように規定し、枠をはめています。

 「公表された著作物は、引用して利用することができる。この場合において、その引用は、公正な慣行に合致するものであり、かつ、報道、批評、研究その他の引用の目的上正当な範囲内で行われるものでなければならない」

 引用というためには次の3つの条件を満たす必要がある、とされています。

質的にも量的にも、引用する側の本文が「主」、引用部分が「従」という関係にあること。本文に表現したい内容がしっかりとあって、その中に、説明や補強材料として必要な他の著作物を引いてくる、というのが引用です。本文の内容が主体であり、引用された部分はそれと関連性があるものの付随的であるという、質的な意味での主従関係がなければなりません。量的にも、引用部分の方が本文より短いことが必要です。「朝日新聞に次のような記事があった」と書いて、あとはその記事を丸写しにしたものや、記事にごく短いコメントをつけただけのものは引用とはいえません。
引用部分がはっきり区分されていること。引用部分をカギかっこでくくるなど、本文と引用部分が明らかに区別できることが必要です。
「出所の明示」をすること。通常は引用部分の著作者名と作品名を挙げておかなければなりません。asahi.com の場合は、「asahi.com ○○年○月○日」といった表示が必要になります。
(後略)

asahi.com 著作権について
http://www.asahi.com/policy/copyright.html

 日本新聞協会編集委員会でも同様の見解を表明しています。

ネットワーク上の著作権についての日本新聞協会編集委員会の見解
http://www.pressnet.or.jp/info/kenk19971100.htm

 つまり重要なことは商法ベースでの権利としての著作権は尊重されなければいけないが、一定のルールを守ることにより、「記事」を引用・評論する権利もまた担保されているわけです。

 ちなみに、メディア記事を無節操に引用しまくり(苦笑)である当ブログのエントリーにおいても、上記の引用上の三つのルールは厳格に遵守してきたつもりです。



●情報1次ソースを独占している既存メディアと情報発信者としてのブログの関係

 日本の場合、残念ながら閉鎖的な記者クラブ制度の存在にも象徴されますが、情報の一次ソースはほとんどマスメディアに独占されています。

 メディア論的に整理すると、ブログをはじめとするネットメディアは、情報発信能力でマスメディアに対抗することなど現状では不可能なのであり、せいぜいマスメディアの情報を評論するといった2次ソース源としての位置づけなのであります。

 インターネット新聞JANJANにおいても、編集部は市民としてのオリジナルの情報発信(1次ソース源)を目指しているようですが、残念ながら現在でも記事の半分ぐらいは、マスメディアの情報を引用しての2次情報・3次情報記事になっております。

 つまり情報一次ソースとしての情報発信能力は、マスメディアに比べ、ネットメディアは全く貧弱なのであり勝負にはならないのであります。

 で、時事問題を扱うブログはいきおい一次ソースを独占しているマスメディア系の記事を引用し、それに対する評論の形を取ることが多くなります。

 ここで一部ブログが引用上のマナーを守れていないのは確かに問題であり、中にはそれがもとでコメント欄が炎上したりしているところもあるようですが、ただ、しっかりルールを守って引用するならば、ブログでもメディア記事を引用しつつ情報発信することは何ら問題はないのです。



●ネットメディアの強みはインタラクティブ性にある〜元気に情報発信しよう

 現在のところ、既存マスメディアに対抗しうるネットメディアの特性は、ただひとつ、その優れたインタラクティブ性にあるのでしょう。

 つまり、コメント欄を通じて情報発信者と読者が双方向でコミニュケーションが可能であり、またブログ同士でも、リンクやトラックバック機能を活用して豊かな双方向の情報発信ができ、ネットワークとして情報の共有も可能なことでありましょう。

 このネットメディアのインタラクティブ性、これは新聞の投書欄などに比べても圧倒的に優れたメディアとしての特性であると言えましょう。

 既存メディアの場合、情報発信者(記者)は発信しっぱなしでありそこには読者と議論する土俵は事実上全くありませんでしたが、ネットメディアにおいては、だれもがコメンテーターとして議論に参加することが可能であり、互いの知見を深めることが可能なのであります。

 もちろん、その匿名性の問題も含めてだれでも参加できる負の側面として、誹謗・中傷がはびこったり(ときに炎上したり)、信憑性のない情報が蔓延していたりしているのも事実でありますが。

 ネットメディアの評価を高めていくためには、やはり情報受信者としてのメディアリテラシー能力の向上と、情報発信者としての情報の質の向上とが不可欠でありましょう。

 私はネット新聞で市民記者をさせていただいてることも含めて、このブログの管理人としても、将来ネットメディアが既存メディアを補完するぐらいの社会的評価を勝ち取るようになるのが夢なのでありますが、今後もささやかですが一参加者として上質の情報発信をできるよう努めていきたいと思っております。

 ・・・

 幸い、当日記では、エントリー内容はさておきコメント欄のほうが充実していると評判(苦笑)でありまして、ブログの特性を踏まえてインタラクティブ性をフルに活用しつつ、今後も読者のみなさまと有意義な意見交換をしてまいりたいと思っています。

 全国のブログ参加の皆様、ルールを守り元気に情報発信してまいりましょう。



(木走まさみず)



<関連テキスト>
●ネットリテラシー考(1)〜メディアに構造相転移が起こっている
http://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20050408/1112962742
●ネットリテラシー考(2)〜構造相転移したネットメディアの優れた特性
http://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20050410
●メディア相転移説実践編(1)〜中国反日デモをブログ検証してみる
http://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20050412