木走日記

場末の時事評論

死を考えることに意味があるとするならば〜『信楽焼タヌキ』の愚考

●コメント欄沸騰に喜びたじろぐ、へたれブログ主『信楽焼タヌキ』木走

 みなさん、こんにちわ。前世が信楽焼タヌキ』の木走です(爆笑

 えーっと、靖国参拝違憲判断問題や朝日新聞NHK番組報道問題など、当ブログ好みの時事問題が報道されている中、宗教話にすっかりはまりこみ、螺旋を描いて『輪廻転生』ブラックホールに吸い込まれております当ブログなのであります。(汗

 すこしここまでのあらすじをとりあえず整理しておきましょう。

9月30日のエントリー
●子供を亡くした母親達と不快なエセ宗教家達についての一考察
http://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20050930/1128051259
10月2日のエントリー
●気になる前世の話〜私は貝になりたい
http://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20051002/1128245203

 そもそものきっかけは9月30日に朝日新聞が伝えた強烈な記事でありました。

「キリストの再臨」自称、学校テロ遺族を惑わす ロシア
http://www.asahi.com/international/update/0929/009.html

 で、不肖・木走としては、「宗教の名を借りて、子供を亡くした不幸な母親達の心の弱さにつけ込むような振る舞いだとするならば、いかがなものでしょう」と問題提起したところ、コメント欄が沸騰いたしまして、日本人の宗教観にまで議論が発展したのでした。
 正直、宗教オンチの木走は、例によって宗教の専門的な話ではうかがうばかり納得するばかりだったのですが、そんな中で、輪廻転生という言葉にとても興味を持ちまして、10月2日に追記エントリーをしたのですが、まあ専門家でもないのでまじめにエントリーするのも失礼かと考え、与太話として楽しんでいただこうとアレンジしたのですが、「軽く読み流してね」というお願いもむなしく(?)コメント欄は更に更に沸騰いたしたのでした。(苦笑



●みなさますごいです!〜素晴らしいブロガー達に感謝

 うーん、真面目で真摯で奥の深いみなさまのコメントを拝読し、これはボケをかますにかませないと観念いたしました。

 私の尊敬するくまりん様までご登場いただきありがたいやら、引っ込みが付かないやらでそりゃあもう大変なのでありますが、これはしかし逆に当ブログの読者の大多数は私と同じ宗教素人(?)層であろうと勝手に予想し、読者のみなさまにもいい勉強の機会であると考え直しました。

 で、この問題は一素人が簡単に結論付けれるようなシロモノではないのはよおく承知しておりますので、ここまでに議論に参加いただいてトラックバックやリンク等をいただいた、ありがたい為になるブログを改めてご紹介しておきましょう。

ajita様の
ひじる日々 東京寺男日記
スマナサーラ長老の新刊『死後はどうなるの?』
http://d.hatena.ne.jp/ajita/20050924

 コメント欄でも輪廻転生などとてもわかりやすく説明いただいております。

kumarin様の
くまりんが見てた!
業による輪廻的生存から解脱するために仏教は生まれた 前編
http://ngp-mac.com/kumarin/index.php?p=864

 知る人ぞ知る私の尊敬する仏教学者にして有名ブロガーでらっしゃいます。

hamlet-r様の
黙想記
[こころ] 文脈と制約条件。
http://d.hatena.ne.jp/hamlet-r/20041120#1100964660

 とても考えさせさせられるエントリーです。

antonian様の
あんとに庵◆備忘録
[カトリック・その他]姉妹なる死
http://d.hatena.ne.jp/antonian/20050929/1128006467

 お茶目なカトリック教徒イラストレーターでらっしゃいます。不肖・木走お気に入りのとってもいい雰囲気のブログです。

荏原仲信様の
荏原仲信のブログ
読書「ブータン仏教から見た日本仏教」
http://ebara.air-nifty.com/ebara/2005/10/__a430.html#comments

 JANJANデビュー以来ネット上でつかず離れずおつき合いさせていただいている大読書家でありかつ鋭い批評眼の持ち主であります。

goose様の
reclaimed land
どこから来てどこに行くのか
http://goose.asablo.jp/blog/2005/10/03/96400

 今回の当ブログのやりとりをひっそりと見守っていただき、好意的な関連エントリーをそっとして下さっていたお方です。

 いやはや、みなさますばらしい考察をされており、また当ブログコメント欄で開陳いただいた中にもすばらしい為になるご意見が数々ございました。

 で、情けないのは当の不肖・木走でありまして、ただただみなさまのご意見を傾聴し勉強し納得するのみでありますが、まあ発展途上人でありますのでご容赦いただければと思っております。(汗
 ご紹介いただいた本なども読み解きながら、これを機会に深く深く自分の頭で勉強していきたいと思っております。



ダライ・ラマ法王と転生探し

 えーっと、ここ数日いろいろ勉強したり調べたりしてひとつ行き着いたのがチベットの14世ダライ・ラマ法王発見の経緯と輪廻転生制度であります。

ダライ・ラマ法王日本代表部事務所公式サイト
ダライ・ラマ法王と転生探し
14世ダライ・ラマ法王発見の経緯と輪廻転生制度
http://www.tibethouse.jp/dalai_lama/hh_reincarnation.html

 現在のダライ・ラマ法王は14世だそうですが、ダライ・ラマ法王制度では、初代から後継者は14回にわたって輪廻を繰り返しきた生まれ変わり(化身)なのだそうです。

 ダライ・ラマ法王制度は世襲制でもなければ、選挙で選ばれるわけでもない。先代の没後、次の生まれ変わり(化身)を探す「輪廻転生制度」である。新しく認定されたダライ・ラマ法王は、先代が用いたすべての地位や財産を所有することができる。現在のダライ・ラマ法王14世は、チベットの人々を救済するという菩薩行を実現するために、繰り返し生き変わり死に変わりして転生しているとチベット人は信じている。つまり、ダライ・ラマ法王という名前をもった存在が、14回にわたって輪廻を繰り返しきたということである。しかし、それは1世が最初の存在であったことを意味するものではない。ダライ・ラマ法王の輪廻転生は、その化身の起原に関して6百年の歴史をもっており、仏陀の時代にまで辿ることが出来ると14世は述べている。

 で、1933年、13世は他界し、国民は一日も早く新しい転生者が見つかるようにと祈ったそうですが、14世ダライ・ラマ法王発見の経緯が興味深いです。
チベット人の精神的主柱であり、国家的指導者であった13世の死は、チベット人にとって「失明したような」大きな悲しみであったそうです。直ちに、チベット政府によって転生者を探す捜索が始まったのだそうです。
 で、2年の月日を費やしてラモ・トゥンドゥプ少年(現14世)が捜索隊によって発見されます。
 そのいきさつがとても興味深いのでここに抜粋いたしましょう。

◆ ラモ・トゥンドゥプ少年の発見
当時、チベットの交通手段は、馬、ロバ、ヤクに頼るのが普通だった。捜索隊一行がラサから東チベットのクンブム僧院に着くまで4カ月以上が経過していた。クンブム僧院に向かう途中、ケグドーに立ち寄り、レティン摂政からの手紙と贈り物をパンチェン・ラマに贈り、祝福を受けた。そしてこの時一行は、パンチェン・ラマから僧院近辺の3人の転生候補者の名前と特徴を告げられる。そして、クンブム僧院の周辺の環境は聖湖で見たのと酷似していたため、探していた場所はこの付近に間違いないと思うのであった。

当時、国民党政府はその一帯を中国人省長の馬歩青という人物に任せていた。一行は馬歩青のもとへ伺い、新しいダライ・ラマ法王の転生者を探すためにチベット各地域に代表団を派遣していること、自分達がアムドへ派遣された一行であることなどを伝え、援助と協力を頼んだ。

パンチェン・ラマから告げられた三人の候補者の一人に現ダライ・ラマ、ラモ・トゥンドゥプ少年がいた。タクツェル村のラモ少年宅を初めて訪れた様子は以下の通りである。

高僧のケゥツァン・リンポチェは、ロックパという羊の毛皮で作った着物を着用して召使の格好、秘書のロサン・ツェワンは隊長の格好である。一行はラモ少年の母親に自分たちが旅の途中で今夜泊めて欲しい旨を伝えた。母親は身なりのいいロサン・ツェワンを丁寧に応接間へ案内、みすぼらしい格好のケゥツァン・リンポチェを台所へ案内した。この時、3歳にも満たないラモ少年は、台所に来て一行をじっと見つめていた。ケゥツァン・リンポチェが首に巻いていた数珠を触ってマントラの「マニ、マニ」を唱え、さらに欲しいとせがんだ。その数珠はダライ・ラマ13世のものだった・・・。ケゥツァン・リンポチェはラモ少年に「私が誰か解ればあげよう」と言ったところ、ラモ少年は「セラのアカ(この地方の方言では僧侶のことをアカという)」と答えた。そしてさらに「中にいるのは誰だ」と聞くと、「ロサン」と答えたのである。ケゥツァン・リンポチェは、嬉しさのあまり目一杯涙ぐみ、自分の首にかけてあった数珠を取ってラモ少年の首にかけた。ラモ少年は嬉しそうな笑顔を見せながら再び「マニ、マニ」と唱えた。ケゥツァン・リンポチェは、言葉では表せないほど感無量な気持ちになり、ラモ少年を見つめた。翌朝、一行が出発する時、 ラモ少年も一緒に行きたいと泣き出した。ケゥツァン・リンポチェは、ラモ少年に近いうち戻ってくると約束した。

 うーん、この出来事に対する評価は読者のみなさまに委ねるとして、私としてはやはり中国による弾圧でチベットの地から亡命せざるを得ない事態に追い込まれている14世ダライ・ラマ法王と輪廻転生制度の今後を案じてしまうのですが、ダライ・ラマ自身は次のように「ダライ・ラマ制度の未来」を語っています。

ダライ・ラマが語る「ダライ・ラマ制度の未来」
67歳のダライ・ラマ法王は、現在北インドダラムサラに住んでいる。次のダライ・ラマの転生者探しについて、法王自ら次のように述べている。

チベット仏教文化の伝統に従えば、ダライ・ラマや高僧の転生者探しは、宗教関係の行事であり、政治とは何の関係もない。特に仏教の教えを否定している者にとっては、転生者探しに何の関係もなければ、それについて議論する権利もない。転生者探しは、職員や委員を選出したりすることと異なる。高僧の化身は、常に全ての生きとし生けるもののためになるように考えて生まれくるので、生まれる場所、父母と家系などが重要となる。これはチベット仏教文化の特徴である。
 もし、チベットの人々がダライ・ラマの転生者が必要であるなら、私の転生者は、中国支配下チベット国内ではなく、平和な世界のどこかの国に生まれると断言する。それは、前生がやり残した仕事を引継ぎ成就するために転生者は生まれ変わるとチベット人が信じているからである。前生がやり残した仕事を邪魔したり破壊したりするために生まれ変わる転生者はいない。もし、転生者がやり残した仕事を継承できない国に生まれたら、転生者として生まれ変わる意味がない。つまり、私の転生者を必要とするかどうかを最終判断する権利は、チベット国民にある」

 「チベットの人々がダライ・ラマの転生者が必要であるなら、私の転生者は、中国支配下チベット国内ではなく、平和な世界のどこかの国に生まれると断言する」とは深い言葉であります。



●死を考えることに意味があるとするならば

 最後に今現在の木走の考えをつたなくまとめておこうと思います。

 死を考えることに意味があるとするならば、やはりそれは自分自身がどう生きていくべきなのか、つまり生を考えることと同じくらいの意味を持つからだと解釈したいです。

 前回のコメント欄でantonianさんやくまりんさんが述べてらっしゃったように、「あの世のことは死ぬときに考えます。今はよく死ぬためによく生きることを優先的に考えたい」との御指摘は、とても納得できるモノでした。

 私は輪廻転生にとらわれて執着しましたが、くまりんさんがいうところの以下の説明はよく理解できました。

ただし仏教として押さえておかなければならないことはその業と輪廻に執らわれてしまってはいけないということです。現実に煩悩を制御(漢訳で無明の滅と訳された滅はニローダという言葉でありこれは滅するということよりも制御すること、停止することを意味し、釈尊は無明=根本的生存欲を絶滅せよと説いたわけではない)して苦悩からの解放を得て輪廻的生存から脱して行かなければならないというのがブッダの思想、論理です。

 死を「全てを失ってしまう出来事」であると想像してしまう私のような凡人が、死後にも自分自身を認識している何者かが存続し、やがて再び生を得るという『輪廻転生』の考え方そのものに魅力を感じるのは、自身の『生への執着』あるいは欲望の反映なのではないかと思い至りました。

 これまで私は自分の死を考えるとき、自分だけが消えてしまった世界のことを考えていました。たぶん、7年前の実父の死も含めて過去に自分以外の人々の死を経験し、その際に何事も変わらずに存在し続ける世界を見てきているためなのでしょう。

 しかし、自分の死を考えることとは、自分だけが消えてしまった世界のことを考えることなのか、もう一度その根本から考え直してみる必要があるように思えてきました。

 死を「全てを失ってしまう出来事」であると想像してしまうこと自体、実は死後にも自分自身を認識している何者かを存続させたいという欲望が作り出している思い込みではないかとさえ、感じています。


 以上が整理はついていませんが、謙虚にみなさまのご意見をうかがいながら出来のよくない頭でまとめてみた今の私のつたない考えであります。

 このシリーズひとまずは当ブログとして一区切りとさせていただきます。

 ご意見をいただいた多くのみなさまに感謝いたします。



(木走まさみず)