木走日記

場末の時事評論

今こそ冷静に再検証したい東京裁判

 24日エントリーの「中国が怒りだした本当の理由」のコメント欄でNN様より貴重なご意見をいただきました。

NN様のご意見
(前略)
そして大事なのは、なぜ日本の戦後復興を国際社会が支援したかです。それはサンフランシスコ講和条約のおかげでしょう。東京裁判を受託たからでしょう(判決で裁判じゃないみたいな佐藤和男さん系の議論はどうかと。日本政府自身が「裁判を受託した」と何度も公式に表明してるのですし)。フィクションに合意したからでしょう。
(後略)
●中国が怒りだした本当の理由 コメント欄より抜粋
http://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20050724/1122131825

 NN様のコメントの全文は上記エントリーを参照いただくとして、この東京裁判と続くサンフランシスコ講和条約に関してのご意見はとても考えさせられました。

 当ブログでは過去6回に渡り、靖国参拝問題について考察してきました。

靖国参拝問題〜大局的見地に立って考える
http://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20050521
靖国参拝問題〜大局的見地に立って考える(2)
http://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20050523
靖国参拝問題〜大局的見地に立って考える(3)
http://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20050525
靖国参拝問題〜大局的見地に立って考える(4)
http://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20050527
靖国参拝問題〜大局的見地に立って考える(5)
http://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20050530
靖国参拝問題〜大局的見地に立って考える(6)
http://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20050531

 そこでの考察過程でコメント欄での皆様との議論の中で、外交問題としての側面、法学論争としての政教分離上の違憲性、とともにいわゆるA級戦犯を裁いた東京裁判に対する評価がA級戦犯分祀(ぶんし)問題と絡みながら議論されていました。

 そこで今日は、小泉首相靖国参拝問題の根底にある極東国際軍事裁判東京裁判)についてその正当性について考察してみたいと思います。



主な論争点は二つに絞られる〜東京裁判の正当性とサンフランシスコ条約第11条

 25日付け毎日新聞夕刊から・・・

特集WORLD・大人の授業時間:東京裁判 形式は「勝者による裁き」
 ◇日米協調で免責も

 靖国参拝問題では、A級戦犯分祀(ぶんし)が解決策の一つとされる。A級戦犯を裁いたのが極東国際軍事裁判東京裁判)だ。正当性をめぐる議論も消えない東京裁判について、同裁判で国際検察局が行った約400人の尋問調書を米国立公文書館で入手し編集に携わった粟屋憲太郎・立教大文学部教授(日本現代史)に習った。【山田道子】

 ◆ステップ1−−概要と特徴

 Q 東京裁判はどこで開かれたか。

 (1)今の防衛庁がある市ケ谷

 (2)サンシャインシティがある池袋

 (3)連合国軍総司令部本部が置かれた第一生命館があった日比谷

 答えは(1)。ここにあった元陸軍省の講堂を使った。「軍国日本のかつての指導者らは今は人の忌みきらう拘置所の表玄関からは出られぬ身となってしまった」。1946年5月3日に始まった裁判の様子を毎日新聞はこう伝えた。

 連合国11カ国が、28年1月1日から45年9月2日までの期間の日本の政治・軍事指導者28人の戦争責任を裁いたのが東京裁判だ。捕虜虐待などの「通例の戦争犯罪」のほかに、侵略戦争を計画、開始、実行したことを犯罪とする「平和に対する罪」と民間人に対して殺人、虐待、奴隷化などの非人道的行為をしたことを犯罪とする「人道に対する罪」を国際法上の犯罪と規定したのが一番の特徴だ。A級戦犯は「平和に対する罪」に問われた被告で、「人道に対する罪」はC級、「通例の戦争犯罪」はB級だ。

 A級戦犯28人の起訴状の訴因は55にのぼり、第1類「平和に対する罪」、第2類「殺人」、第3類「通例の戦争犯罪及び人道に対する罪」から成っていた。2年半後の48年11月12日に下された判決では28人のうち、裁判中に亡くなった松岡洋右(ようすけ)元外相と永野修身(おさみ)元海軍元帥、精神障害で訴追免除となった思想家の大川周明(しゅうめい)被告を除く25人全員が有罪判決を受けた。

 法理上の問題点として弁護側は「平和に対する罪」と「人道に対する罪」は事後法に相当し「罪刑法定主義」に反するとの趣旨の主張をしたが、判決は認めなかった。

 粟屋教授は「当時の国際法に照らして『平和に対する罪』などによって個人を裁くことに問題があるのは否定できない」としながらも、「事後法による遡及(そきゅう)罰の禁止は国内法では人権を守るために必要だが、戦争犯罪では禁止しなくてもよいという考え方もある。また、事後法だからと否定的に評価するのはどうか」ととらえる。「戦後、『人道に対する罪』はジェノサイド条約をはじめ法典化が進み、旧ユーゴスラビア内戦をめぐっては国連安保理が国際戦犯法廷を設立するに至った。『平和に対する罪』も74年に国連総会が『侵略の定義に関する決議』を採択するなど法典化が進んでおり、国際法の発展の中で東京裁判の意義は否定できない」と話す。

 ◆ステップ2−−ドイツとの相違

 東京裁判に先だち、連合国がドイツの戦争指導者を裁いたニュルンベルク裁判は45年11月20日に始まった。46年10月1日に下された判決では22人の戦争犯罪人のうち19人が有罪となった。二つの軍事裁判の違いとして粟屋教授が強調するのは、「東京裁判では『人道に対する罪』の位置づけが非常に低く、独立の訴因として設定されなかった。このため日本の植民地支配が裁かれなかった」ということだ。

 「ニュルンベルク裁判で『人道に対する罪』が重視されたのはナチスユダヤ人大量虐殺を重視したから。自国民であるユダヤ人の殺害は国際法で裁けないので『人道に対する罪』を新たに設定した。日本でも自国民に対する非人道的行為としては植民地支配、とりわけ朝鮮人の強制連行や従軍慰安婦問題がある。しかし、連合国11カ国の中には植民地保有国家があるため植民地支配そのものが審判対象となることを避けようとした。旧日本軍が中国共産党の根拠地を根絶しようとした『三光作戦』や中国人強制連行、国内での治安維持法による弾圧は『人道に対する罪』に当たるが訴追の対象とはならなかった」

 植民地支配をめぐる謝罪は国交正常化した65年の日韓条約でもあいまいにされ、95年の村山富市首相の謝罪談話に至るが、今も歴史認識問題は議論が起こる。

 「植民地支配だけでなく天皇の戦争責任問題や日本軍のBC(生物、化学)兵器戦なども含め東京裁判ニュルンベルク裁判と比較して審判をまぬがれた戦争指導者や重要な出来事が多いのが特徴だ。それが日本における『過去の克服』の阻害要因になっているのではないか。ドイツと異なり、日本は自らの手による戦争犯罪追及を行っていない」(粟屋教授)

 ◆ステップ3−−「靖国」との関係

 靖国神社による戦犯合祀は59年のBC級から始まり、A級戦犯は有罪判決を受けた25人中14人が78年に合祀された。

 首相の靖国公式参拝を批判する中国が「日本の戦争責任は一部の軍国主義者にあり一般国民は中国人民と同様に犠牲者である」という考えに基づき靖国神社A級戦犯合祀を問題視するため、A級戦犯分祀が模索されてきた。

 それに対し、東条英機元首相の孫の由布子さんが分祀を拒否するのは東京裁判を納得していないからという。一般にも「東京裁判は勝者による一方的な裁きで正当性はない」という考えは根強い。

 粟屋教授は次のように語る。「日本人の判事も検事もおらず、形式は完全に勝者による裁きだ。しかし一方で日米協調で裁きを免れたこともある。昭和天皇の免責や731部隊の問題などは双方に思惑があり水面下の交渉が行われた。『勝者の裁き』を言う人たちはこの点をどのように考えるか」

 さらに日本は51年、独立に当たりサンフランシスコ講和条約第11条で東京裁判を受諾することを宣言した。「にもかかわらず裁判の欠陥を指摘することは、日本の戦争犯罪や戦争責任は直視しないでいいという社会的錯覚を生んできたのではないか。靖国参拝をめぐる八方ふさがりの状況を見れば、このような安易なごまかしは国際的な説得力を持っていないことは明らかだ」

毎日新聞 2005年7月25日 東京夕刊
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/gakugei/archive/news/2005/07/25/20050725dde012040045000c.html

 まあ、毎日新聞ですから、解説している粟屋憲太郎立教大教授も知る人ぞ知る靖国参拝反対論者でもありますので、この記事自体の論調への評価は避けたいのですが、極東国際軍事裁判東京裁判)の概要の理解と論争点を整理するには都合がいい記事ので取り上げてみました。

 いろいろ細かい争点はありますが、主な論争点は二つに絞られるでしょう。それは、東京裁判自体の正当性が問われる点とその後のサンフランシスコ講話条約第11条で日本が国際的に東京裁判を受諾した点であります。



東京裁判肯定派立花氏の論説〜東京裁判を蒸し返す政治的愚行を繰り返すな

 まずはジャーナリスト立花隆の論説をご紹介しましょう。

立花隆の「メディア ソシオ-ポリティクス」第19回 東京裁判を蒸し返す政治的愚行を繰り返すな!2005年6月2日
http://nikkeibp.jp/style/biz/topic/tachibana/media/050602_yasukuni2/index.html

(前略)
国家が一度、国際条約などの形で、国際社会全体に対してなした約束ごとの場合は、それを破ることができないのである(破るためには破る手続きが必要だし、破った場合には、その報復として国際社会から加えられるあらゆる仕打ちに耐えることを覚悟しなければならない)。

現代日本にとって重い意味を持つサンフランシスコ講和条約

現代日本にとって何がいちばん大切な国際条約かといえば、1951年のサンフランシスコ講和条約が筆頭にあげられるだろう。あの講和条約以前、日本は世界の主要な国のほとんどあらゆる国と戦争状態が継続していたのである。あの講和条約によって、はじめて国際社会の一員として認められたのである。といっても、それはサンフランシスコ講和条約にサインした48カ国とだけで、サインしなかった東側の国などとは、その後個別に交渉して平和条約を結ばねばならなかった。いまでも個別平和条約を結べず、唯一今でも法的には戦争状態が継続しているのが北朝鮮である。北朝鮮との交渉が何かにつけてむずかしいのは、これが主たる原因である。

この何より大切なサンフランシスコ講和条約の第11条で、日本は東京裁判の結果をそのまま受け入れて、それに文句を付けないということを約束してしまっている。国際法上、それを今さら引っくり返すことはできないのである。それを引っくり返すというなら、あの戦争の当事国すべてと交渉をし直す必要があるし、もちろん、国際連合からも脱退しなければならない。当然のことながら、常任理事国入りなどという日本の野望は、夢のまた夢ということになる。

(中略)

日本が国際社会に復帰できた経緯を振り返れ

小泉首相は、年代からいっても、生まれ育った環境からいっても、社会に出てから身につけた知識からいっても、典型的な「理解できない人」であると思う。

しかし、小泉首相の場合は、外務省出身の秘書官が常についていて、とんでもない失敗失言をしないように、いつでも情報を入れているから、それでも、同時代人よりは少しはましな知識をもっているようだが、先の森岡政務官の発言はあまりにひどいといえばひどい。

日本のやった戦争が、「国際法のルールにのっとってした戦争」などという発言は全く史実に反している。たとえば、誰でも知るパールハーバー攻撃は、宣戦布告なき奇襲攻撃であり、これは明々白々の国際法違反である。そもそもこの戦争は、不戦条約違反であるし、満州事変以降の中国進出は第1次世界大戦以降の世界秩序の基本を定めた9カ国条約(1922)違反、4カ国条約(1921)違反なのである。

東京裁判の法的根拠に、さまざまな問題点があったことは事実だが、先に述べたように、日本はサンフランシスコ講和条約で、それらの問題を含め、丸ごと東京裁判の結果をそのまま受けとることを約束して、国際社会に復帰したのである。だから、日本は東京裁判国際法違反であることを世界に向けて主張せよなどというのは、ただナンセンスとしかいいようがない。

この森岡という代議士は、88年に、「日本は中国侵略の意図はなかった」との発言をしたために国土省長官の座を失った奥野誠亮元法相の秘書だった男である。この発言は、その時代からの考えに基づく発言といってもいいが、さすがに、この発言のアナクロニズムには、小泉首相もついていけなかったらしく、同日の記者会見でも、「A級戦犯の責任問題は、戦争裁判ですんでいるじゃないですか」と軽く突き放し、細田官房長官も、「事実関係に種々誤りが含まれており、論評する立場にない。極東軍事裁判などは政府として受け入れている。政府の一員として話したということでは到底ありえない」

と、これまた突き放した。

(後略)

 立花隆氏は典型的な東京裁判肯定派と考えていいでしょう。氏の論説から、最初に私が提示した主要論争点に関する東京裁判肯定派の考え方がはっきり検証できます。

東京裁判の法的根拠に、さまざまな問題点があったことは事実だが、先に述べたように、日本はサンフランシスコ講和条約で、それらの問題を含め、丸ごと東京裁判の結果をそのまま受けとることを約束して、国際社会に復帰したのである。だから、日本は東京裁判国際法違反であることを世界に向けて主張せよなどというのは、ただナンセンスとしかいいようがない。

 つまり整理すればこうなります。

 ・東京裁判自体の正当性に関する点
  当時の国際法に照らして『平和に対する罪』などによって個人を裁くことに問題があるのは否定できないが、大局的に日本のやった戦争は否定されるべきである。

 ・サンフランシスコ講話条約第11条で日本が東京裁判を受諾した点
  日本はサンフランシスコ講和条約で、丸ごと東京裁判の結果をそのまま受けとることを約束して、国際社会に復帰したのである。

東京裁判否定派櫻井氏の論説〜認識せよ、東京裁判の日本憎悪

 次にジャーナリスト櫻井よしこの論説をご紹介しましょう。

「 認識せよ、東京裁判の日本憎悪 」
http://blog.yoshiko-sakurai.jp/archives/2005/06/post_350.html

(前略)

瀧川氏は「新版への序」で書いている。「東京裁判の真相は、記録を読んだだけでは掴めない」と。なぜなら、日本を裁いた連合国側の理論の違法性や矛盾を突いた法廷でのやりとりの多くが、当時報道されもせず、また東京裁判の記録からも削除されているからだという。

当時の日本では、GHQによる厳しい言論統制があり、法廷で明らかにされた連合国側の破綻した主張などは全く報道されなかったのだ。国民には、東京裁判は日本を戦争の泥沼にひき込んだ軍人たちとその暴走を許した一部政治家たちの“悪事”を裁くまっ当な裁判だとの見方が、一方的に植えつけられたのだ。

瀧川氏は、日本を弾劾したオーストラリアのウエッブ裁判長は「最初から判決を懐にして法廷に臨んでい」た、と書いた。「私はその場にいて、その光景を目撃している」とも書かれている。


東京裁判は報復と宣伝」

ウェッブ裁判長の国、オーストラリアはかつて白豪主義で悪名を馳せていた。有色人種の移民などを厳しく制限し、差別していた国柄は、アジアの人々を積極的に受け容れる現在の姿とは全く異る。オーストラリアの地方裁判所の判事だったウェッブは、ニューギニアでの日本兵による“捕虜虐待”を調査した人物で、東京裁判に至る過程では、検察官の役割も果たしていた。

日本の清瀬一郎弁護人が検察官は裁判官を兼ねることは出来ない、何故にウェッブが裁判長を務めるのかと質すと、ウェッブは「自分はマッカーサー元帥によって任命された裁判官であるから、罷める訳にはいかぬ」と理由にもならない弁明で、裁判長の役割を続けた。

検察官と裁判長の役割を同一人物が果たすという異常事態はまともな状況下のまともな裁判ではあり得ない。そのあり得ない異常がそのまま横行したのが東京裁判だった。

(中略)

「今こそ戦争犠牲者の鎮魂を」

また、世間では、日本は無条件降伏をしたと言われる。私も学校でそう教わった。だが、日本はポツダム宣言を受諾して降伏した。日本が受諾した「無条件」は前線の軍隊が「無条件に武装解除する」ということだ。繰り返すが、日本国の降伏は無条件ではない。ポツダム宣言に書かれている条件での有条件降伏である。

この点を清瀬弁護人は突いた。日本がポツダム宣言を受諾して降伏したのであるから、その降伏を受け容れた連合国側もポツダム宣言の条項を遵守せよと。同宣言には、国際法にない「平和に対する罪」などを以て、“A級戦犯”を処罰することは含まれていない。したがって連合国側に“A級戦犯”を処罰する権限がないのは明白であり、連合国に委任されて極東軍の最高司令官となったマッカーサーにも、そのような権限はないのだ。つまり、清瀬弁護人はマッカーサーが制定した極東国際軍事裁判所の裁判(東京裁判)そのものが国際法違反だと述べたのだ。事実に基づいた主張であり、論理も正しい。だが、この主張は却下された。却下には、裁判所はその理由を述べなければならない。だが、ウェッブは「その理由は後日述べるであろう」として、それ以上の説明はしなかった。今日に至るまで、理由は述べられていない。無法違法の裁判を合法と言いくるめる論理などなく、理由の説明は出来ないのだ。

 (中略)

日本はサンフランシスコ講和条約を結び独立を回復した。東京裁判の判決は受け容れたが、日本憎悪から生まれた同裁判の違法性や価値判断まで受け容れたわけではない。私たちは歴史を振りかえり、東京裁判の実態を知ることで、はじめて、日本に対する非難を一身に引き受けて犠牲となった“戦犯”の人々の想いをも知ることが出来る。その上で、彼らとその他全ての戦争犠牲者への鎮魂を、今こそ、忘れてはならないのだ。

 櫻井よしこ氏は典型的な東京裁判否定派と考えていいでしょう。氏の論説から、最初に私が提示した主要論争点に関する東京裁判否定派の考え方がはっきり検証できます。

日本がポツダム宣言を受諾して降伏したのであるから、その降伏を受け容れた連合国側もポツダム宣言の条項を遵守せよと。同宣言には、国際法にない「平和に対する罪」などを以て、“A級戦犯”を処罰することは含まれていない。したがって連合国側に“A級戦犯”を処罰する権限がないのは明白であり、連合国に委任されて極東軍の最高司令官となったマッカーサーにも、そのような権限はないのだ。つまり、清瀬弁護人はマッカーサーが制定した極東国際軍事裁判所の裁判(東京裁判)そのものが国際法違反だと述べたのだ。


日本はサンフランシスコ講和条約を結び独立を回復した。東京裁判の判決は受け容れたが、日本憎悪から生まれた同裁判の違法性や価値判断まで受け容れたわけではない。

 つまり整理すればこうなります。

 ・東京裁判自体の正当性に関する点
  『平和に対する罪』などによって連合国側に“A級戦犯”を処罰する権限がないのは明白であり、極東国際軍事裁判所の裁判(東京裁判)そのものが国際法違反である

 ・サンフランシスコ講話条約第11条で日本が東京裁判を受諾した点
  日本はサンフランシスコ講和条約で、東京裁判の判決は受け容れたが、同裁判の違法性や価値判断まで受け容れたわけではない。

●今だからこそ冷静に考察したい東京裁判の評価

 ご紹介したように東京裁判否定論者の多くが「東京裁判は勝者による一方的な裁きで正当性はない」という考えを有しており、逆に肯定論者の多くが日本は「サンフランシスコ講和条約第11条で東京裁判を受諾することを宣言しており」、それは国際公約なのだと主張しているようです。

 どちらの主張が正しいのでしょうか。

 現段階での当ブログのスタンスは、東京裁判に対する評価は、靖国参拝問題以上に、日本人自身が総括すべき問題であると考えております。

 と同時に、当ブログでは再三指摘していますが、欧米などの現在の戦勝国側の海外世論の動向には日本として冷静かつしっかり分析しながら日本のイメージをUPするようなしなやかな外交戦略をとってほしいとも願っています。

 したがってこの問題をどう対応するのがベストなのかは、当ブログとしての結論を有してはいません。

 しかし、戦後60年、靖国参拝問題や歴史認識問題で揺れ動く近隣諸国との関係を未解決のまま、日本政府が常任理事国入りを目指している今だからこそ、極東国際軍事裁判を改めて冷静に検証・考察する必要があるのだと考えます。

 東京裁判自体の正当性の問題、サンフランシスコ講話条約第11条の解釈の問題、東京裁判をこのタイミングで再評価することの国内的・国際的意味・問題も含めて、広く読者のみなさまの情報提供とご意見をうかがいたいと思っています。

 みなさまの東京裁判に関するご意見をうかがいたいです。



(木走まさみず)