木走日記

場末の時事評論

産経社説に強く反論する〜善悪で検証態度を決めては断じてならない

 昨日のエントリーの追記です。

戦艦大和の最後までつまらない論争になるこの国のメディアの憂うべき検証能力
http://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20050620/1119259102

●今日の産経社説

 今日の産経社説から・・・

■【主張】戦争の真実 常に実証的な目で検証を

 戦記文学の名著『戦艦大和ノ最期』(吉田満著)の記述に疑問が提起された。問題とされる個所は、救助艇の船べりをつかんだ大和の乗組員らの手首を、救助艇の指揮官らが軍刀で斬(き)ったと書かれたくだりである。

 本紙に証言を寄せた当時の指揮官によると、この本では駆逐艦「初霜」の救助艇の話とされているが、自分を含め初霜の乗組員は別の巡洋艦の救助にあたり、大和の救助は行っていないという。また、別の救助艇の話であっても、「海軍士官が軍刀を常時携行することはない」「救助時は敵機の再攻撃がなく、漂流者が先を争って助けを求める状況ではない」などとし、「事実無根だ」と証言している。

 当事者でなければ分からない信憑(しんぴょう)性のある証言といえよう。この元指揮官は作者の吉田氏が存命中にも同氏に手紙を出し、疑問を指摘したが、吉田氏から「次の出版の機会に削除するかどうかを判断したい」との返事が届いたまま、記述は変更されていない。

 『戦艦大和ノ最期』は昭和二十一年に原文が書かれたが、GHQ(連合国軍総司令部)から「軍国主義的だ」として発禁処分を受け、後に吉田氏が改稿して出版した経緯がある。問題とされる部分は原文になく、吉田氏が書き加えた可能性が強い。

 その信憑性に疑問が提起されたとはいえ、戦記文学としての価値が下がるわけではない。しかし、この部分はすでに新聞のコラムなどに引用され、旧日本軍の残虐性を表す一面として、独り歩きする危険性がある。新証言を機に、改めて再検証が必要だろう。

 同じように不確かな記述は、歴史教科書にも多く見られる。

 南京事件について、中国が宣伝する「三十万人虐殺」や東京裁判が認定した「二十万人虐殺」は日本の実証研究で否定されたにもかかわらず、これらの誇大な数字が高校教科書で独り歩きしている。慰安婦についても、「従軍慰安婦」という戦後の造語や「日本の官憲に強制連行された」とする誤った記述は中学教科書から姿を消したが、高校では増える傾向にある。

 「旧軍の悪」とされる戦争の記述に対し、絶えず実証的な目をもって事実関係を検証する姿勢が、歴史学者やジャーナリストなどに求められる。

平成17(2005)年6月21日[火] 産経新聞 主張
http://www.sankei.co.jp/news/editoria.htm

 なんだかなあ、産経新聞はこの件ではしつこいですねえ、社説にまで取り上げましたか・・・

 その信憑性に疑問が提起されたとはいえ、戦記文学としての価値が下がるわけではない。しかし、この部分はすでに新聞のコラムなどに引用され、旧日本軍の残虐性を表す一面として、独り歩きする危険性がある。新証言を機に、改めて再検証が必要だろう。

 この検証態度はメディアとして正論ではありましょう。
 しかし、産経の本音はこちらのようですね。

 同じように不確かな記述は、歴史教科書にも多く見られる。

 南京事件について、中国が宣伝する「三十万人虐殺」や東京裁判が認定した「二十万人虐殺」は日本の実証研究で否定されたにもかかわらず、これらの誇大な数字が高校教科書で独り歩きしている。慰安婦についても、「従軍慰安婦」という戦後の造語や「日本の官憲に強制連行された」とする誤った記述は中学教科書から姿を消したが、高校では増える傾向にある。

 で、結語としてこうなるわけです。

 「旧軍の悪」とされる戦争の記述に対し、絶えず実証的な目をもって事実関係を検証する姿勢が、歴史学者やジャーナリストなどに求められる。

 イタイなあ、ミイラ取りがミイラになっていませんかねえ。



戦争の記述に対し、「善」「悪」で検証態度を決めては断じてならない。

 木走としては、産経のこの社説には強く反論せざるをえません。

 産経新聞、「旧軍の悪」とされる戦争の記述に対し、絶えず実証的な目をもって事実関係を検証する姿勢が求められると主張しますが、そうでしょうか。

 正しいメディアの検証姿勢は、「旧軍の悪」とされる戦争の記述に対しても、「旧軍の善」とされる戦争の記述に対しても、等しく絶えず実証的な目をもって事実関係を検証する姿勢が求められるのではないでしょうか?

 そもそも、「善」とか「悪」という主観的な分け方自体、冷静に学問的に事実検証する際に必要な「ものさし」とは思えません。

 さらに付け足せば、産経の主張する「旧軍の悪」とされる戦争の記述に対しだけ厳しく検証するというその態度そのものが、他者から「偏向している」という批判を浴びることとなるでしょう。

 「偏向」している教科書の記述を訂正するために、「偏向」した態度で望むとするならば、まさにミイラ取りがミイラになってしまうのではないでしょうか?

 私は、当ブログで、左右問わずメディア批判を展開してきましたが、左右に関わらず、偏った視点からの論説は、読者に真実を伝えるというメディアの最大の使命を放棄する愚かな姿勢であると思うわけです。

 読者のみなさまのご意見をうかがいたいです。



(木走まさみず)



<関連テキスト>
戦艦大和の最後までつまらない論争になるこの国のメディアの憂うべき検証能力
http://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20050620/1119259102
●英タイムスが報じたカミカゼパイロット美談
http://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20050607/1118148066
●「人間爆弾」桜花からの生還〜「出撃した日は、桜が満開でした」
http://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20050610/1118395443