東条由布子さんは「正義の人」なのか?
今日は少し最近感じていたある感覚について考えてみたいと思います。
●「正義の人」になってはいけない
愛さんのところで、大切なことは「正義の人」にならないことだというテキストが載っておりました。
(前略)
もちろんサルトルは何も「不正」を告発することなんて「偽善」に過ぎないのだからそもそも無意味だなどということを言ったのではない。「不正」に依存せずに「正義」の資格を得られると信じ込み、得意げになって「不正」を言い立てるその態度を「下品」だと言ったのだ。
大切なことは「正義の人」にならないことなのだと、僕は思う。
「正義」の人はそうであればあるほど必然的に「不正」に汚染されている。そして「不正」があってはならないことである以上、それを待望する声高な「正義」は出来うる限り無いほうがいい。最も理想的なのは「正義」の告発なしで、誰も知らないうちに「不正」が消滅しているというかたちではないだろうか。もちろん現実的にはそういうことは難しい。だからこそ「不正」を「不正」と認識し、告発する「正義」はなくてはならないものなのかもしれない。でも「正義」というのはそもそも不健康で下品なものだ、しかもそれが声高であればあるほど、という認識はやっぱり持っておきたい、と僕は思う。
(後略)
愛・藏太の気ままな日記
「正義の人」になってはいけない より部分引用
http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20050611#p1
ちなみに、この元テキストを書かれたdeadletterさんですが、不肖・木走のエントリ−にトラバいただいたことがあります。
DeadLetterBlog
April 23, 2005
メディア・リテラシー
http://deadletter.hmc5.com/blog/トラックバックいただいたエントリー
●中国反日デモ〜ワシントンポストに対する読売新聞のプチ偏向
http://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20050420/1114022993
うーん、深いですね。私もまだまだ発展途上人でありますので、未熟にも声高に自分の主張を喚いてしまう愚かなエントリーが多くて反省しきりなのですが、
「正義」というのはそもそも不健康で下品なものだ、しかもそれが声高であればあるほど、という認識はやっぱり持っておきたい
これは自己主張をしなければならない者にとり厄介な認識ではありますが、私としては、エレガンスさと通底する微妙なしかし守っていきたい感覚なのであります。
●こえださんの東条由布子批判
ところで、くまりんさんのところのコメント欄で、こえださんが興味深い東条由布子批判を展開されておりました。
(前略)
岩浪由布子氏の「一切語るなかれ」は読みました。
自著が出版されて世間の注目を集めだしたのとほぼ同時に本名である「岩浪」から結婚前の姓である「東条」をわざわざ名乗っている東条英機の孫が書いた本です。『自己責任』という言葉を席巻させたあのイラク人質家族達が絶叫した記者会見を見た後に抱くのと同じ、言いようのない、ねっとりした不快感が残る本でした。
うまくいえませんが、人は強烈な自己主張に出会うと言葉にならない反発を覚えるものではないでしょうか。岩浪由布子氏が書いたこの本はまさに世間への強い恨みが綿々と続く書でした。
自分の父親(東条英機の長男)は「いい学校」(都立戸山高校)を出たのに、東条の子供であるが故に進学できなかった、とか自分が就職した時は外国プレスに色々取り上げられた、とか、自慢話でつか?と言いたくなるような記述が散見される上、彼女の強烈な燃え上がるような自己と東条一族の正当性の主張と世間への怒りには、仮に彼女の主張が全て正しいにしても、反発をしたくなる思い(それはイラクで人質になった家族達が、肉親が異国の地で人質になって心配なのはわかるけど、集まった記者を怒鳴り付ける事はないだろう、貴様は何様?と言いたくなる感情)を抑えられませんでした。くまりんさんがテキストで書かれている「もっとキッパリアピールしなきゃ/罪を償った人を弔うのは日本では善行で慣習なのだ」という主張は理解をしているつもりです。
しかし、そのキッパリアピールするのに適した人は岩浪由布子氏ではないと、私には思えます。岩浪氏がテレビ出演や書籍出版などで露出度を高めていく一方、東条英機と激しく対立した事で知られる石原莞爾や廣田弘毅の遺族は一切の沈黙を守っている対比を見るにつけ、為政者の責任は問われて当然だ、と言いたくなるし、湧き上がる不快感を抑えられずに中国や韓国の主張を支持したくなります。
イタリアではムッソリーニの孫が議員にまでなっている位だから、テレビ出演くらいで眉を顰めるものではないのかもしれません。狭量故の感想なのかどうか解りませんが・・くまりんさんがもしも岩浪由布子氏の著書を読まれていたのなら書評を載せて欲しいとリクエストさせて頂きます。
岩浪氏は、本を出版した事で東条英機の遺言通り「ひっそり生きる事を是とする」彼女の叔父・東条英機の次男・三菱自動車の元社長である東条輝夫氏とは絶縁となってしまったことを自著の中で明かしています(この記述だって淡々と自分の叔父、と書けばいいものを三菱の社長だ、とか東大を出ているとか、わざと書いていたような・・)が、彼女がわざわざ東条を名乗り直して最近はテレビのコメンテーターとしてもお馴染みになった姿を見てどう思うんだろうか、そして上記した多くの思いを抱きながらも沈黙を守っている他の遺族達は彼女の行動をどう思っているのか・・彼女の書評レビューを読んでも批判記事が出てこない現実に、疑問を抱かずにいられません。
(後略)
くまりんが見てた!
田口汎氏の靖国神社批判を廻って コメント欄より引用
http://ngp-mac.com/kumarin/index.php?p=815
前後の文脈やその後の流れなどは、是非「くまりんが見てた!」を参照いただくとして、このコメントはとても興味深かったのでした。
「岩浪氏がテレビ出演や書籍出版などで露出度を高めていく一方、東条英機と激しく対立した事で知られる石原莞爾や廣田弘毅の遺族は一切の沈黙を守っている対比を見るにつけ、為政者の責任は問われて当然だ、と言いたくなるし、湧き上がる不快感を抑えられずに中国や韓国の主張を支持したくなります。」
なぜ興味深かったというと、私・木走も日曜のテレビなどで東条由布子さんが主張されるのを拝見してた時、正に漠然とですがこえださんと同じ様な不快感を有していたからです。
●「南洋諸島に眠る120万柱の同胞の遺骨」収集活動する東条由布子さん
ご本人の名誉のために紹介しておきますと、東条由布子さんは旧日本兵の遺骨収集活動にも参加されているそうですね。
一年前のエントリーで恐縮ですが以下のブログがくわしいです。
(前略)
由布子さんは現在、未だアジア各地で放置されたままの120万と言われる戦没者の遺骨を拾い、埋葬する活動をNPO法人理事として行なわれている。南洋諸島の洞窟には、由布子さんのような御高齢の方(失礼)が行かれても簡単に見つけられるような場所に、ヘルメットを被り軍服を着、軍靴を履いて戦っていた当時の日本兵の方々が、そのままの格好で御遺骨として放置されているというのだ。こうした状況を見るに見兼ねたアメリカ人達の呼び掛けによってこのNPO団体は結成され、今も由布子さんが多くの若い日本人を連れて現地へ赴いているのだそうだ。この活動に関し、日本政府は「非政府団体が勝手にやっている事なので協力は出来ない」の一点張り。マスコミに至っては「そんな占領軍の手先の骨なんて拾ってどうするんだ」と言ったような事を平気で書き散らしているという。みなさんは、この現状をどう思われるだろうか。
何度も何度もしつこく書く。先の戦争を「悲惨」の一言で片付け、英霊ら先祖を敬う心を持たず、今この瞬間にも主権を侵され続けている我が国の現状に対して国民が目覚めない限り、我が国に未来はない。言うまでもなく、政府、マスコミ、そして我々世論が放置したが為にここまで長引いてしまった「拉致問題」こそが、現在の日本の体たらくを象徴しているのだ。(後略)
このブログでの東条由布子さんの発言内容がまた興味深いです。
(前略)
それにしてもマスコミ、マスメディアの取材態度は本当に悪質のようで、その事は由布子さんも苦笑まじりに言及なさってましたね。インタビューを依頼され、「ここはとても大切な私自身の意志の部分なので、どうかカットしないで使って頂きたい」とお願いしたところ“だけ”わざわざカットするなんて事は日常茶飯事だそうだ。
たとえば「戦犯の分祀についてはどう思うか?」との質問は本当に多いようで、明らかに相手は由布子さんに「分祀は賛成です」と言わせようと言葉巧みに誘導してくる。その時に、「自分自身は(合祀でも分祀でも)もうどちらでも良い。祖父もここまで皆さんをお騒がせしてるなら、いっそ分祀してくれても良いと思っているでしょう。ただ宗教儀式として執り行なった事をそう簡単に取り消す事は出来ないし、政教分離の建前から国会が分祀の是非について介入するわけにもいかない。さらに1953年の『戦傷病者戦没者遺族援護法』改正によって“全ての戦犯死亡者も等しく英霊とする”と決まったのだから、もし皆様がそれに反対ならば法律改正の為の運動をなさってはいかがでしょうか」といつもお答えになるそうなのだが、そういう肝心な部分は全部はばっさりカットし、「自分自身は(合祀でも分祀でも)もうどちらでも良い」というところだけ使ったりするんだって。そして「東条の孫は分祀に賛成」と見出しがバーンと出される。もう最悪ですね。どこの報道機関かは大体想像つきますが。(後略)
なんかマスコミの偏向報道ぶりを嘆かれています。
●はたして東条由布子さんは「正義の人」なのだろうか
こえださんも指摘しているとおり、東条英機の遺言通り「ひっそり生きる事を是とする」ことを放棄して、最近の東条由布子さんは声を大にして自己主張を始めたようにも見えるわけで、一年前と比しても明らかに一歩踏み出した発言をされているようです。
東条由布子さんの発言:
「これは個人の問題ではなく国家の問題だ。分祀を了承することは、(日本が百パーセント悪かったとする)東京裁判史観を認めることになる」
「中国の内政干渉に屈して英霊に背くのは国益に反する。A級戦犯の話のかたがついたら、中国は次はB・C級戦犯についていってくる」
東京神社には戦争犯罪人の遺骨がある」ワシントンポスト記事の憂鬱 より抜粋
http://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20050605/1117962652
多くの思いを抱きながらも沈黙を守っている他の遺族達は彼女の行動をどう思っているのか、興味深いところです。
愛さんのエントリーでの、
「正義」というのはそもそも不健康で下品なものだ、しかもそれが声高であればあるほど、という認識はやっぱり持っておきたい
この言葉の重みを今一度考えてみたいのです。
読者のみなさまのご意見をうかがいたいです。
(木走まさみず)
<関連テキスト>
●中国反日デモ〜ワシントンポストに対する読売新聞のプチ偏向
http://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20050420/1114022993
●東京神社には戦争犯罪人の遺骨がある」ワシントンポスト記事の憂鬱
http://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20050605/1117962652
●英タイムスが報じたカミカゼパイロット美談
http://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20050607/1118148066
●靖国参拝反対に寝返ったバルカン読売新聞
http://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20050609/1118284608
●「人間爆弾」桜花からの生還〜「出撃した日は、桜が満開でした」
http://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20050610/1118395443