木走日記

場末の時事評論

靖国参拝問題〜大局的見地に立って考える

 今日は靖国参拝問題について考えてみたいと思います。



●「大局的見地に立って参拝している」・・・小泉首相靖国参拝発言

昨日の朝日新聞から・・・

首相、靖国参拝は「大局的見地に立って、個人の信条で」

 小泉首相は20日の参院予算委員会で、自らの靖国神社参拝について「大局的見地に立って参拝している」と述べた。公明党の神崎代表が19日の記者会見で「もっと大局観に立った行動をしてもらいたい」と批判したのに反論した。首相は「総理大臣の職務として参拝しているものではない。個人の信条で参拝している」とも強調した。

 首相はまた、郵政民営化法案に関連して、「民営化等の見直しは行わない」とした中央省庁等改革基本法33条1項について「削除する必要はない。この条文をたてに見直してはいけないという政治的な感覚を疑う。将来、民営化が必要だと政治的に判断した場合は、改革の必要があると考えるのは何らおかしくない」との考えを示した。

2005年05月20日12時12分 朝日新聞
http://www.asahi.com/politics/update/0520/007.html

 自らの靖国神社参拝について「大局的見地に立って参拝している」と述べたのだそうですが、同じく昨日の公明新聞には、その神崎代表の「もっと大局観に立った行動をしてもらいたい」と批判した発言の詳細が出ています。

靖国問題 首相は大局観から行動を

(前略)

靖国神社参拝】

  一、(靖国参拝が与える日本の国連安保理常任理事国入りへの影響について)中国は歴史認識の問題を(常任理事国入りを支持するかどうかの)重要な判断要素にしているだろう。中国側の真意をよく確認して判断しないと、常任理事国入りの環境ができても(支持を得るのは)難しくなる。

 一、(「いつ行くかは適切に判断する」などとの首相発言に関して)真意はよく分からないが、今の日中、日韓関係を見れば、自己の信念だけで行動するのではなく、もっと大局観に立った行動をしてもらいたい。首相には、いろいろな機会に直接(参拝自粛を)申し上げている。ただ、首相の性格もあり、どうしたら一番いい方向に動かせるのかを考えながら対処していきたい。

 一、(靖国問題の解決策について)参拝を自粛する、A級戦犯分祀する、公明党が特に強く訴えている国立の(戦没者)追悼施設をつくる――との選択しかないのではないか。首相の信念を貫きつつ、一番現実的で実現性が高いのは、追悼施設をつくることだ。

 首相が自分の信念を貫くとともに、中国、韓国などアジア諸国民の感情も大事にする、との観点に立てば、追悼施設をつくる決断をすべきだ。それ以外の改善策があれば示してほしい。(来年度予算案で)引き続き(追悼施設建設の)調査費(の計上)を要求したい。

(後略)

公明新聞:2005年5月20日
http://www.komei.or.jp/news/daily/2005/0520_02.html

 中国反日デモから日本の安保理常任理事国入り問題の一連の流れの中で、小泉首相靖国参拝問題にたいする対応が俄然注目されてきています。



●首相靖国参拝で常任理入り支持は困難に・・・中国外務省高官の発言

 この公明党神崎代表の「中国は歴史認識の問題を(常任理事国入りを支持するかどうかの)重要な判断要素にしているだろう」との発言は前日の中国外務省の孔泉報道局長の以下の発言を受けてのことであります。

常任理入り支持は困難に 中国、首相靖国参拝

 中国外務省の孔泉報道局長は19日の記者会見で、日本の国連安全保障理事会常任理事国入り問題に関連し「日中両国間の最も困難な政治問題は、A級戦犯が合祀(ごうし)されている靖国神社への日本の指導者の参拝問題だ」と強調した。

 孔局長の発言は、小泉純一郎首相が参拝をやめるか、A級戦犯分祀しない限り、中国が日本の常任理事国入りを支持するのは困難との立場を示唆したものとみられる。

 小泉首相が参拝を中止すれば常任理事国入りを支持するかとの質問に対しては、回答を避けた。

 また、日本側が期待している愛知万博愛・地球博)期間中の温家宝首相訪日についても「現時点で見通しを示すことはできないが、日本の指導者がアジア各国民の感情を十分に考慮することを期待している」と述べ、参拝継続の意向を示している小泉首相の姿勢が障害になっているとの認識を示した。(共同)

(05/19 20:24) 産経新聞
http://www.sankei.co.jp/news/050519/kok080.htm

 しかし、木走としてはこの中国高官の発言には納得いかないものを感じます。仮にも現在アジアで唯一の安全保障常任理事国である中国が、東アジア地域の「安全保障」に気を配るならば、日本の首相の靖国問題よりも、北朝鮮の「核保有宣言」のほうがはるかに差し迫った深刻な問題でありましょう。

 中国も韓国も日本の教科書や靖国問題には目くじら立てて非難しますが、来月にも核実験が実施されるかもしれない北朝鮮の核開発問題には、なぜ強く非難しないのでしょう。
 少し本論からずれましたが、いずれにせよ靖国参拝問題を、中国側は「日中両国間の最も困難な政治問題」と捉えているようです。

 この問題でも日本の世論は真二つに割れているようです。メディアでは社説などの主張から朝日・毎日・日経が参拝反対派、産経・読売が参拝賛成派といったところでありますが、当ブログとしても早急に結論を出す前に賛成派・反対派のそれぞれの見解を考察していくことにしましょう。



●参拝反対派〜立花隆氏『小泉首相はドイツ型謝罪で中国・韓国との関係修復急げ』

 ジャーナリスト立花隆は、『小泉首相はドイツ型謝罪で中国・韓国との関係修復急げ』と題したオピニオンを提示されています。

 全文はリンク先でご覧ください。ここでは抜粋して引用してみます。

小泉首相はドイツ型謝罪で中国・韓国との関係修復急げ』
http://nikkeibp.jp/style/biz/topic/tachibana/media/050502_syazai/index.html

小泉首相が、8月15日に靖国参拝をしたいなら、まず、中国、韓国両国の戦争殉難者の碑の前に行って、手を合わせて謝罪して来たらどうだ、と私がいったのは、レトリックとしていったのではない。

問題がここまでこじれたら、もうそれしか方法がないのではないかと思う。小泉首相がバンドンで、村山談話を引いて、「反省と謝罪」のことばをつらねたのに対し、中国側は「(反省と謝罪は)行動で示してもらいたい」というだけだった。

中国も、韓国も、求めているのは、ドイツ型の謝罪である。ドイツ型の謝罪とは、1970年に当時の西ドイツ首相ブラントがポーランドを訪問して、ワルシャワ・ゲットーの記念碑の前にひざまずき、「こうすべきであったのにこうしなかったすべての人たちに代ってひざまずく」といって、ひざまずいて謝罪したことをさす。

その後、1985年には、ワイツゼッカー大統領が終戦40周年記念式典で有名な謝罪演説を行い、94年にはコール前首相が、05年にはシュレーダー首相が、などなどドイツ歴代の首相、大統領が(ここに名前をあげない人々を含め)、ポーランドイスラエルバルト三国などを毎年のように訪問しては、犠牲者の碑の前で、頭を下げつづけてきた。それによって、ドイツは国際社会から戦争犯罪については許しを得た形になっている。

なぜ小泉首相はそれができないのか。それができないだけでなく、逆に神経を逆なでするようなことをつづけているのはなぜか。

 (中略)

中国人の記憶から、戦争加害者日本の記憶がそう簡単になくなってくれることは期待できそうにない。

異民族による大量殺戮のようなことが起きると、それは民族的な記憶として残り、その記憶は孫子の代まで消えない。そのような民族的にしみついた記憶を忘れてもらうためには、50年ではとても足りない。最低でも75年の時間は必要だろう(1世代25年として3世代分の時間ということ)。それは、我々の側のヒロシマナガサキの記憶を例にとればすぐわかる。

記憶が残る間に許してもらうためには、やはり謝罪が必要なのである。私は1940年生まれだから小泉首相とほぼ同世代で、リアルな戦争加害者の世代ではないし、戦争世代の共通意識である皇国皇民意識を植えつけられた記憶も全くない。しかし、中国側が、反日デモを起す気持はよくわかる世代でもある。私は戦争時代、子供ながら、大日本帝国の臣民の一人として北京にいたから、現地の中国人に「バカヤロー!」と面罵されたこともある。日本人は中国人にひどいことを沢山してきたのだ、と親たちの世代から具体的事例を聞かされてもきた。

しかし、最近の世論調査では、それがわからない世代、中国側に歴史認識が欠けているといわれてもその意味すらわからない世代が多数派になっているらしいことを知って、これは本当にヤバイ時代になりつつあるのかもしれないと思いはじめている。このままいくと日中両国は、双方の若い世代の感情的な行きちがいから衝突コースを歩む可能性がかなりありそうだ。

それはどちらにとっても不幸なことだから、早く和解の儀式にもっていく必要がある。政治には儀式が必要なのである。民族の代表者として、小泉首相には、ドイツ型謝罪のセレモニーをやってもらう必要がある。与野党を問わず、日本の政治家の中からそういう声が出てこないのは、どうしたわけなのだろう。

このままいくと、日本は民族をあげての戦争無反省国家であると思われてしまう可能性が非常に強い。そのようなネガティブイメージが日本の将来に及ぼすマイナス効果はおそるべきものがあるだろう。

 なにかと物議をかもしている立花隆氏ですが、靖国参拝反対派を代表して氏の意見をご紹介いたしました。

 いくつかの靖国参拝反対派の論説に共通して見られることですが、反対派の主張の特徴は、

 ①海外からの批判に敏感に反応している点
 ②中国に対する批判がほとんど展開されていない点
 ③戦後ドイツの例を出し日本の謝罪方法を批判する点

 などでありますね。この立花氏の論説も見事に特徴を出していると思います。



●参拝賛成派〜櫻井よしこ氏『“靖國”問題で内政干渉する中国の作戦に揺らぐな』

 一方、ジャーナリスト櫻井よしこ、『“靖國”問題で内政干渉する中国の作戦に揺らぐな 日本の妥協策は憲法違反』と題したオピニオンを提示されています。

『“靖國”問題で内政干渉する中国の作戦に揺らぐな 日本の妥協策は憲法違反』
http://blog.yoshiko-sakurai.jp/archives/2005/01/post_310.html#comment-post

このところ、聞き捨てならない話を耳にする。小泉純一郎首相の靖國神社参拝問題で冷却した日中関係打開のために、玉虫色の解決を探る動きが進行中だというのだ。国家の基盤にかかわる事柄で玉虫色の妥協策など、あってはならない。また、靖國神社へのさまざまな働きかけや圧力は、政教分離を謳(うた)う日本国憲法に違反する。

どんな妥協策が考えられているかといえば、靖國神社の中に、A級戦犯といわれる人びとのみを別にお祭りする社(やしろ)を建てることがその一つだそうだ。別の案は、靖國神社にお祭りしている英霊の名簿から、A級戦犯といわれる人びとの名前を削除することだそうだ。

そのほかにも考えられている方策があるのかもしれないが、いずれにしても、これらがなぜ日本側にとって受け入れられることなのだろうか。両案は共に、外国に言われて日本のために亡くなった人びとを貶(おとし)める行為だ。日本の国会は、1953年に全会一致で“A級戦犯”も含めてすべての戦死者を国に殉じた戦没者として認め、その遺族には等しく扶助料、恩給を支給することを決定した。戦勝国が敗戦した日本を裁いたなかで、A級戦犯がつくられていったのは周知のとおりだ。だが、53年の国会決議は、外国政府が何を言おうと日本人だけは、A級戦犯などと言って彼らをその死後まで貶めることはしないと決議したことを意味する。だから今、A級戦犯とそのほかの戦没者を区分して扱うことは、理にも情にも合わないことなのだ。

加えて神道の本質をよく見なければならない。神道には仏教における卒塔婆(そとば)があるわけではない。靖國神社戦没者たちのお骨があるわけでもない。そこにあるのは、ただ霊魂のみである。霊魂は、名簿から削除されたからといって消滅したり他所に行ったりするものではないだろう。

日本の戦争で命を落とした人びと、敗戦国として受けなければならなかった理不尽な裁判のなかで一方的に裁かれた人びとを、罪人ではなく戦没者として認めたプロセスには、国としての懊悩(おうのう)が滲んでいる。戦没者全員を懐に抱き取った先の国会決議は、当然の帰結である。

永田町で進行中の企みは、こうした日本国の懊悩の歴史を踏みにじるものだ。日本の国家基盤を一角から突き崩す。そして再度強調するが、政治によるこの種の働きかけは憲法政教分離に反し、明確な憲法違反である。

いったい誰がこのような動きを画策しているのか。信じがたいが、中曽根康弘元首相の名前も、ほかの政治家のそれとともに耳に入ってくる。旧国鉄改革をはじめ、中曽根氏の功績を私は大いに認めるが、靖國神社参拝問題についての氏の行動は、氏の経歴上、最大の汚点として歴史に残るだろう。中国から批判されて氏が参拝を取りやめたのは86年だ。以来、日本に対し中国が内政干渉し、日本人の心の問題にズカズカと踏み込んでくることがまるで慣例のようになった。こうした傾向の出発点をつくったのが中曽根氏である。そして氏は今“分祀(ぶんし)論”を展開、“落としどころ”を探っているというのだ。

氏だけではない。小泉首相にきわめて近い政治家も中国を訪れ、胡錦濤国家主席周辺の人物と会合した。会談の席では中国側から「靖國なんかどうでもいい」との言葉が出たそうだ。面子(メンツ)さえ立てば中国は鉾(ほこ)を収めると言っているのだ。中国は、領海侵犯と相殺のかたちで持ち出した歴史問題への反発が予想外に強く、ODAにも実質的影響が及ぶことなどを警戒しているのだ。

中国は、必要なら対日歴史カードを使う。不必要なら引っ込める。だからこそ重要なのは、日本が揺らがないことだ。靖國神社参拝問題での安易な妥協を許せば、日本国の歴史上、大きな汚点となるだろう。

 いつも冷静な論説で評判の櫻井よしこ氏ですが、靖国参拝問題ではかなり熱く語られています。(苦笑
 靖国参拝賛成派を代表して氏の意見をご紹介いたしました。

 いくつかの靖国参拝賛成派の論説に共通して見られることですが、賛成派の主張の特徴は、

 靖国問題は国内問題であり海外からの批判は内政干渉であると批判する点
 ②中国に対し妥協をすれば際限がないので認められないとする点
 ③政治によるこの種の働きかけは憲法政教分離に反するとしている点
 などでありますね。この櫻井氏の論説も見事に特徴を出していると思います。
 


●「大局的見地に立って」考えたい靖国参拝問題

 現段階での私のスタンスは、靖国問題は個人的宗教観の問題であるから個人個人の自由意志で参拝するも参拝しないも決めればよく他者が干渉する問題ではないと思っています。
 しかしながら、中国・韓国だけではなく、欧米などの海外世論の動向には日本として冷静かつしっかり分析しながら日本のイメージをUPするようなしなやかな外交戦略をとってほしいとも願っています。

 したがってこの問題をどう対応するのがベストなのかは、当ブログとしての結論を有してはいません。

 南京大虐殺の問題を考察したときも事実かどうかの検証作業が極めて困難でありましたが、そもそも個人でできる情報収集には限界があります。

 そこで、今回の靖国参拝問題では、広く読者のみなさまの情報提供とご意見をうかがいたいと思っています。

 みなさまの靖国参拝問題に関するご意見をうかがいたいです。



(木走まさみず)



<関連テキスト>
靖国参拝問題〜大局的見地に立って考える(2)
http://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20050523
靖国参拝問題〜大局的見地に立って考える(3)
http://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20050525
靖国参拝問題〜大局的見地に立って考える(4)
http://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20050527