報道倫理にまつわる読売新聞の恥ずかしいダブルスタンダード(追記)
●JANJANに記事投稿しました。
昨日のエントリーの追記です。
●[メディア][社会]報道倫理にまつわる読売新聞の恥ずかしいダブルスタンダード
http://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20050514/1116048212
まあ、今回の読売新聞のドジというか格好の悪さは、なにやら見ていてかわいそうになるようです。そのタイミングの悪さも一因なのでありますが、しかし日本マスメディアの「報道倫理」の低すぎるレベルをよくあらわしている事例であると思いました。
そこで時事性も高いと思いましたので、このエントリーを要約した記事をJANJANに投稿いたしました。
本日掲載されました。
インターネット新聞JANJAN はこちら
http://www.janjan.jp/
木走の記事『笑止!読売のダブルスタンダード』はこちら
http://www.janjan.jp/media/0505/0505136996/1.php.
以下はJANJAN掲載記事の元原稿です。
笑止!読売のダブルスタンダード 2005/05/15
TBSのホームページコラムが記事盗用
TBSが公式ホームページに掲載しているコラムが新聞のコラムや記事を盗用していたことが発覚し、波紋を呼んでいるようだ。
最初に発覚したのは読売新聞のコラム「読売寸評」からの盗用で全40行の「寸評」のうち約30行分を、同一または酷似した表現で無断転載していた。
読売新聞からのクレームを受け、TBSは内部調査の上で盗用を認めたが、最初のうちは、フリーライターの文責とし契約を打ちきったことですませようとしたが、おそまつなことに、それは全くの虚偽であり、編成制作本部スポーツ局の「担当部長」の肩書を持つTBS社員だったのである。
記事盗用というメディアにあるまじき恥ずべき行為も非難されるべきであるが、虚偽の報告でごまかそうとした行為は、全くもって許されるものではない。
TBSを非難する読売社説
13日付けの読売新聞社説では、[TBS盗用問題]「報道倫理に対する背信行為だ」と題して、TBSを激しく糾弾している。
曰く「盗みとウソ――。二重の背信行為に、怒りを通り越して、あきれてしまう。」
冒頭から「盗みとウソ」という強烈な言葉で始まる。
曰く「本紙の調査で、毎日新聞や朝日新聞からの盗用もあることがわかった。指摘を受けたTBSは急ぎ綿密な調査を行い、11日夜、担当部長が本紙からの5件以外にも毎日から11件、朝日から1件の計17件の盗用をしていた、と発表した。
TBSの最初の説明を記事にした本紙は、結果的に誤った情報を読者に伝えてしまった。担当部長の行為は言うに及ばず、事実が発覚した後のTBSの社内調査もあまりにお粗末ではないか。」
TBSのうそにより、自分たちも誤報してしまったと嘆く。
曰く「過度の引き写しは、盗用にほかならない。元の記事やコラムの下地となった筆者の取材、創意工夫、ジャーナリズム精神までをも踏みにじることになる。
私たちも、自戒したい。」
結語は「ジャーナリズム精神」まで持ち出して、「私たちも、自戒したい」と結んでいる。 盗用されたメディアとして読売新聞の言い分はそのとおりであろう。
この件では、TBS側はメディアとしての自覚が欠落しており、猛省しなければなるまい。
笑止! 読売のダブルスタンダード
しかしである。上記社説でTBSを批判した同じ13日、同じ読売新聞に奇妙な「お知らせ」が載っているのである。
「脱線事故会見巡る不適切発言でおわび…読売・大阪本社」と題したその記事は、「大阪本社社会部長 谷 高志」の記名記事となっている。
曰く「脱線事故をめぐるJR西日本幹部の記者会見で、読売新聞大阪本社の社会部記者に不穏当・不適切な発言があり、読者の読売新聞およびジャーナリズムに対する信頼を傷つけたことはまことに残念です。読者や関係者に不快感を与えたことに対し、深くおわびします。大阪本社は事実を確認した段階で、ただちに当該記者を厳重注意のうえ、既に会見取材から外すなどの措置を取っています。 」
この書き出しから始まる。
曰く「当該記者は、5月4日から5日未明の幹部の会見で、事故直後の対応や天王寺車掌区の社員がボウリング大会や懇親会を開いていた問題の説明を求め、「あんたら、もうええわ、社長を呼んで」などと声を荒らげたり、感情的発言をしたりしていました。」
テレビでも再三放映されたあの無礼なヒゲ記者のことである。
曰く「JR側の説明が二転三転したため、会見は全体として詰問調になったようですが、当該記者の発言の一部は明らかに記者モラルを逸脱していました。
この模様がテレビや週刊誌で報道されると、読者から叱責(しっせき)や苦情が寄せられました。使命感や熱心さのあまりとはいえ、常に心がけるべき冷静さを欠いたと言わざるを得ません。日ごろの指導が生かされなかったことに恥じ入るばかりです。」
まったくもってあきれた話である。TBSに対し「報道倫理に対する背信行為だ」と社説を使って糾弾した同じ日に、「読者の読売新聞およびジャーナリズムに対する信頼を傷つけたことはまことに残念です」とは、何事か。
「当該記者の発言の一部は明らかに記者モラルを逸脱していました」と認めるならば、読売新聞はTBSのことを「報道倫理に対する背信行為だ」と批判する資格などない。
JR西日本職員に対し、罵詈雑言に近いメディアとしての品位の欠片もない言動を浴びせておいて、自分たちの報道姿勢が批判されれば、お詫びのお知らせですませるのか。
読売新聞が日本メディアの報道倫理をTBSに説くとは、まさに見事なダブルスタンダードである。
笑止である。
●余談・・・木走流記事投稿手法
今日は日曜ですし、少し本論からはずれますが、メディアリテラシー的余談として、自分の記事をまな板に載せて、「木走流記事投稿手法」を解説いたします。
昨日のエントリーでは、読売新聞のダブルスタンダードぶりを批判しつつも、日本のマスメディア全体が身内に甘いこと、TBSにしても文責記者名すら公表しないことなど、マスメディア全体の問題として取り上げてみました。
まず、このままの構成では記事にできません。それはひとつの記事にまとめるのには、テーマが多すぎるわけです。
個人のブログでいろいろ好き勝手に書くならばそれでもよいのですが、新聞の記事としてはテーマを絞らなければなりません。
報道する事実のマトを絞るわけです。この作為は事実の切り捨て行為でありますね。
そこで不肖・木走としては、TBSの謝罪ページと日本のメディアが身内に甘い問題(文責記者名の公開の問題)を記事から省きました。
文責記者名の公開の問題など興味深いテーマではあるので実に残念なのですが、そのままそれらにも触れると記事自体のテーマが拡散しすぎてしまうわけです。
そうすると、結果的に読売新聞に関する部分だけが残ります。
次に、今回の内容は、あまりにもおそまつな読売新聞の対応を事実だけ示しても、記事にパンチがないので、文体を木走の主観をにじませた「抗議調(おこっているんだぞ調)」に装飾してみました。
この「抗議調(おこっているんだぞ調)」テクニックは新聞の社説にもよく使われているテクニックなので、読者のみなさまもご存知であると思いますが、実は諸刃の剣なのでありますね。
つまり、記者の主観を交えたこの時点で、冷静に事実を報道する記事ではなく、例えば産経の正論のようなオピニオン記事という扱いになるわけですね。
さて、記者の主観記事(メディア)がどう評価されるかは、まさに読者(オーディエンス)に委ねられるわけでありますが、「盗みとウソ」というセンセーショナルな体言の書き出しで始まる読売社説に対するカウンター記事でありますから、ちょっとお茶目に「笑止!」という体言での記事見出しにいたしました。
以上、つたない素人市民記者の記事作成余談でありました。
まあ、いつもメディアの偏向報道を批判している当ブログでありますが、ちゃんと自分の記事もまな板にあげちゃうことで、バランスを取ろうとしているわけでもあります。(苦笑
読者のみなさまの参考になれば幸いです。
(木走まさみず)