木走日記

場末の時事評論

ネットリテラシー考(3)〜ネットメディアの情報検証能力


 今日はメディアリテラシー論としてネット上の記事の検証方法に関して、まじめに考察してみたいと思います。



●プチ誘導を認めて訂正していた産経新聞

 前々回のエントリー、

●「靖国参拝」・・・親日派にトドメを刺した産経新聞のプチ誘導
●「靖国参拝」・・・親日派にトドメを刺した産経新聞のプチ誘導(追記)
http://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20050428

 この話題では、問題となった産経新聞の記事に関して、 e_r_i_c_t様がリレーエントリーでさらに詳細を分析されていました。

 ところで、e_r_i_c_t様情報によれば、産経新聞の記事自体、掲載後訂正されていたようであります。

不可視型探照灯
趙英男氏が番組降板に至る原因となった記事の推移を眺める
http://erict.blog5.fc2.com/blog-entry-50.html

詳細はe_r_i_c_t様のブログを御覧いただくとして、ここでは訂正の事実だけ明らかにいたします。

当初掲載されていた産経記事本文には”参拝を終えた”と明記されていたようです。

私が引用した訂正後の記事文章

(前略)
 チョさんは「彼ら(日本人)は自分たちの先祖がいくらひどいことをしたとしても、先祖だから何があっても祀(まつ)らなければならないと言うだろう・・・・
(後略)

訂正前の記事文章

(前略)
 参拝を終えたチョさんは「彼ら(日本人)は自分たちの先祖がいくらひどいことをしたとしても、先祖だから何があっても祀(まつ)らなければならないと言うだろう・・・・
(後略)

 明らかに訂正されていたようです。

 ただ、電子版のほうでは訂正の履歴はなく訂正後の記事のみが掲載されているのです。なお、有料記事検索サイトでは最初の訂正前の記事も検索できるようです。

 しかしこれはある意味でとても深い問題であると考えさせられました。



山根一眞氏の意見「ネットで文化の伝承は不可能」

 前回の私のエントリーで紙の紙面も見て批判すべきと興味深いコメントをいただいたわけですが、

●手抜き批評とクレームいただいちゃいました。(苦笑
●あきれた毎日報道〜核問題はカレー談義に、経済連携はゾウ談義に
http://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20050430

 今回の産経新聞の記事訂正は、ここでいただいた御批評とも通底する問題であると考えました。
 つまり、無料の電子版を読むだけでは、産経新聞の記事訂正の経緯を把握できなかったわけであります。

 私も前回のように紙面構成自体を批判するときには直接紙の紙面で確認いたしますが、記事単体ではいちいち紙面にまで遡り確認することはほとんどしていません。ましてや、地方紙や海外新聞などを論評する場合には、日々リアルタイムに個人でできる情報収集としてはネット情報にほぼ限定されています。

 その電子情報が可変であり履歴も確認できないとすれば、これはメディアとして深刻なことだと思います。

 このブログでもネットリテラシー関連の話題は何回かエントリーさせていただきましたが、3月27日のエントリーでメディアとしてのネットに批判的な意見について触れています。

産経新聞メディア論に対するメディアリテラシー的考察
http://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20050327

 ここで触れた、ノンフィクション作家である山根一眞氏の産経新聞に載ったオピニオン・『ネットで文化の伝承は不可能』が、今回の出来事に関するネットのメディアとしての欠点について、ある意味で的を得ている評論のようです。

 山根氏は何点かネット批判されていますが要約した箇所の一部を抜粋いたします。

・「ネット上の情報」は紙媒体と違い、可変であり「将来に対して保存や記録が利かない」のであり、「ドロドロ流れている川みたいなもので、文化を後世に伝えることは不可能」に近い。

 少しここでいう「文化」という単語の持つ範疇が何を指すかあいまいではありますが、記録されたモノの改竄が阻止できないという意味合いでとらえてみましょう。

 ここの部分の当時の私のコメントを抜粋します。

 二点目で指摘させていただきますが、本当に「ネット上の情報」は、「ドロドロ流れている川みたいなもので、文化を後世に伝えることは不可能」なのかという点です。ここでも山根氏は少々勉強不足ではないのかと勘ぐってしまうのですが、「ドロドロ流れている川」のように垂れ流すメディアとしての形状を議論しているのであれば、インターネットだけでなくラジオやテレビも含まれます。勿論、テレビも一瞬のうちに絶えず消滅していくメディアですが、しかしビデオその他の情報保管技術は発達しており、「将来に対して保存や記録が利かない」わけではありません。

 インターネットにおいても同様で、テキストは絶えず可変であるかも知れませんが、その変更履歴も含めて媒体に長期間保存することは可能なのです。問題は情報発信側のリテラシー意識にあるだけです。 

 私としては情報発信側のリテラシー意識が向上すべきであると主張していました。



●ネット上の記事テキストは検証可能な「過去ログ」を残すべきである。

 ここらあたりのメディア側の諸問題を『愛・蔵太のきままな日記』で愛・蔵太さんが、既存メディア側の視点で、鋭くまとめられています。

愛・蔵太の気ままな日記
[報道]新聞や既成のマスコミが、インターネット・ブログ文化に対抗する3つの方法
http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20050323

 詳細は是非愛さんのブログを御覧いただきたいのですが、愛さんのエントリーの冒頭部分を引用させていただきます。

単純に、以下のことをやれば対抗できるどころか、今現在でも新しいメディアであるインターネットやブログを逆に利用できます。

1・ネット上の記事テキストは「過去ログ」として、他からの言及(リンク)に耐える形で半永久保存しておく。

2・ネット上の記事テキストで語られているものについて、「公式」にネットで公開されているもの(元データ)は、記事中に元データへのリンクを貼っておく。

3・記事を書いた人間の記者名を明記する。

以上3点は、マスコミが提供する情報・報道について、俺が不満に思っている、というか、「なぜそんな簡単な、ネット初心者でもやっているようなことを、情報を扱うプロの側が実践しないのか」と疑問に思っていることでもあります。

なぜやらないか、に関しては、マスコミ側の説明がない(俺の知っている限りでは見たことがない)ので、勝手に解釈しますと、過去ログを残さないのは、過去の記事テキストを有料で見せるコンテンツ的な思惑があるから、で、記事中にリンクを貼らないのは、元テキストが何と言っているか直接知られるのが困る(デメリットが生じる)と思っているから、なんじゃないかと。記者名を明記しないのは、2ちゃんねるの真似ですか(←本当は2ちゃんねるが真似してるんですが)。

ここらへんの、いささかネット時代に対応していないやりかたが、あまり世間的に問題になっていないのは、「それが問題だ」と言っている媒体が、ネット以外には存在しない(マスコミの側では沈黙している)からですが、現在は媒体ではなく「報道される側」による逆襲もはじまってたりするわけで。

(後略)
『愛・蔵太の気ままな日記』より抜粋
http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20050323

 実に興味深い、そして鋭い着眼点であります。ただ、愛さんも指摘していますが、お金を払えば過去履歴は見られる点は、しっかり認識しておく必要がありましょう。

 しかし、現状の各新聞のwebニュースサイトが更新履歴までは無料で公開してくれない以上、この問題(ネット上の記事は可変である)は注意して扱わなければならない重要な点であり、しっかりと考えておかなければなりません。

 私は理想論としてネット上の記事テキストは検証可能な「過去ログ」を残すべきであると考えておりますが、残念ながら現状はそれが実現されていないわけであります。



●ネットリテラシー・情報検証能力を高めるために

 ではこのような問題をどう解決していくべきなのかは、もちろん私一人の手には負えない大きな問題でありますが、情報の受け手側である当ブログの方針というか考え方をここで提示して、読者のみなさまと考察を深めておくことは、有意義であると考えます。

 以前、当ブログでネットリテラシーについて考察いたしました。

●ネットリテラシー考(1)〜メディアに構造相転移が起こっている
http://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20050408
●ネットリテラシー考(2)〜構造相転移したネットメディアの優れた特性
http://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20050410

 その考察から、私の現時点の考えは、ブロガーおよびコメンテーター各人のリテラシー能力を高める努力を怠らないという前提の上ではありますが、次の2点が重要であると考えてます。

 一点目は、ネットの媒体としての優れた特性である、インタラクティブ性を最大限利用すべきであると考えます。

 具体的には、相互リンクやトラックバック機能を活用することにより、ブロガー一人一人の情報検証能力には限界があってもネットワークとしての検証能力を高めていくことは可能だと思っています。付け加えれば、当ブログでも再三貴重な情報提供いただいておりますが、コメント欄を通じての幅広い情報収拾が可能なのであり、その情報を積極的に活用すべきであります。

 二点目は、ネット記事から提供される情報が不確かである可能性がある以上、それを利用して結果として間違った情報を発信してしまったら、真摯に迅速に情報訂正する姿勢を維持し続けることでありましょう。いかなるエントリーにおいても誤謬性は避けて通れないわけでありますが、きちんと修正履歴を明示しながら、訂正するべきは訂正する姿勢を維持し続けることであると考えます。

 ここで重要なことは、ネット上の記事の発信した情報も、自己ブログの発信した情報も、絶えず真摯に批判的に見直しながら対峙することなのだと思います。

 私としては、ネットメディアとしての優れた特性をポシティブに評価して、ブログの持つ可能性を積極的に追求していきたいと考えています。

 読者のみなさまはいかがお考えでしょうか?



(木走まさみず)


<関連ブログ>
●不可視型探照灯
趙英男氏が番組降板に至る原因となった記事の推移を眺める
http://erict.blog5.fc2.com/blog-entry-50.html
●愛・蔵太の気ままな日記
[報道]新聞や既成のマスコミが、インターネット・ブログ文化に対抗する3つの方法
http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20050323

<関連テキスト>
●「靖国参拝」・・・親日派にトドメを刺した産経新聞のプチ誘導
●「靖国参拝」・・・親日派にトドメを刺した産経新聞のプチ誘導(追記)
http://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20050428
●手抜き批評とクレームいただいちゃいました。(苦笑
●あきれた毎日報道〜核問題はカレー談義に、経済連携はゾウ談義に
http://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20050430
産経新聞メディア論に対するメディアリテラシー的考察
http://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20050327
●ネットリテラシー考(1)〜メディアに構造相転移が起こっている
http://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20050408
●ネットリテラシー考(2)〜構造相転移したネットメディアの優れた特性
http://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20050410