人生訓
人の一生は重荷を負って、
遠き道を行くが如し、
急ぐべからず
徳川 家康 by kibashiri
大切なことは、遠くにある人や、大きなことではなく、
目の前にある人に対して、
愛を持って接することだ
マザーテレサ by 海岸通り
無常たちまちにいたるときは国王大臣親?従僕妻子珍宝たすくるなし、
ただ独り黄泉に趣くのみなり。
無常迅速、いかなるか邪見、いかなるか正見と、
かたちをつくすまで学習すべし。
道元禅師 by くまりん「まさに無常の風が突然やってくるときには、国王たる権力者であっても政治の力も、また親しい友人も忠実に働いてくれた部下であっても、妻や子の力であっても、金銀財宝も、手を貸してはくれません。すべて何の力にもならないのです。ただ自分一人だけが黄泉(あの世)にゆくだけなのです。その無常の迅速なるを知れば、なにが正しくてなにが正しくないかかたちを尽くすまで学習せよ」と。
無常とは自分の思いとは関わりなく進む時間的因果関係をあらわします。自己も他者も常にある常住不変ではないものを因とし、またもう一方のある常住不変ではないものを縁とし、良くも悪くも変化し続けます。それは肉体ばかりでなく精神も思想もまたそのようであってこの世に何一つ常住不変で固定的なものなどありません。しかしいつの世においても何か一つの固定的な実在をおいてそれを本質として事象が展開し表装として有機的相互依存的な非時間的空間的ものと捉えるほうが人情的であり分かり易いためか、そのような世界観を持つ人の方が圧倒的多数です。例えば「正義」というアプリオリを立てる思想などその典型です。が正義もまた時間と時代の変化によって変化するなんの実体もともなわないものなのです。むしろ時間の一断面に留まった正義はやがて時間の変遷とともに正義であるはずのポジションから転落し、むしろその正義を正義と認めない人たちを排除していく思想的根拠となって、デリタのようにアプリオリを脱構築しようとする人の前には妖怪のように立ちはだかります。
皇国史観もナショナリズムも流れる時間の一点を取り出しそれを根拠としスローガンとする固定的な世界観ですが、マルクス主義を原点とする左翼運動も同様です。その思想を根拠とする活動の正義の名目のために犠牲になった人々の数は、例えば日本の皇国史観と共産主義国家のそれと比べてみれば、スターリンの粛正、中国の文化大革命、チベット・ウイグルの武力的破壊、東欧諸国によるそれと検討してもどちらも自分のことをタナに上げて他者を非難する資格のないことが良くわかります。しかも恐ろしいことに某教員組合や某党などはその根源的な自己批判なしに、自分たちが痛くもかゆくもない日本の軍国主義を批判することで自己浄化しているのですから開いた口がふさがりません。
道元の時代は(今もそうなのですが)仏教もまたそのような世界観に陥っていました。道元はそれを再び動的でダイナミックな思想、すなわち仏教で言うところの縁起の思想でありますが、それへと仏教を戻すべく当時の仏教を批判し、政治権力にも近づかないために北陸の福井の山中で道場を開きました。→永平寺。
しかし道元は今のネオナショナリズムやリベラルとは名ばかりの固定的静止的観でスローガンを掲げるともがらが現れることを予見したかのように、その永平寺において常に動的なままに他者との関係を構築すべく時間的因果関係をそのままに受け入れる自省内省的な観世界観を学人達に身につけさせるべく執筆と講義を晩年まで続けました。「いかなるか邪見、いかなるか正見と、かたちをつくすまで学習すべし」とはその世界観に立ってそのときそのときで何を選択すべきかを厳しく学習せよとの道元禅師の後進にたいする渾身のメッセージであります。「ぐずぐずしていると寿命が来て死んでしまうぞ。そのときはたった一人だぞ!そのとき一人ででも動じないように縁起の思想を正邪を尽くして参究せよ!」とでも訳すのが道元禅師の本意ではないかと思います。
by くまりん
健全なる精神のもと、他者に優しく、自身に厳しく、社会正義を願う、
そう言う人にだけは、疲れるからなりたくない。
お○ん○んについているゴミのように、存在価値のないぐうたらな人間でありたい。
つーさん by つーさん
真実一路、真面目が一番、正直、至誠
荏原仲信 by 荏原仲信
ずいぶん敵を持ったけど、妻よ、お前のようなやつははじめてだ。
バイロン(英・詩人) by Yagyu8bei
(木走まさみず)
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