朝鮮学校無償化を唱える朝日社説に反論する〜これは日本国の税金の公正な使途の話、「社会の成熟度」などまったく関係なし!
朝鮮中央通信(KCNA)は14日、「日本列島は核爆弾により海に沈められなければならない。日本はもはやわが国の近くに存在する必要はない」とする北朝鮮の朝鮮アジア太平洋平和委員会による報道官声明を伝えました。
そして翌15日、「日本はもはやわが国の近くに存在する必要はない」との言葉を行動で裏付けるように、またも日本上空を通過する形で弾道ミサイルを太平洋側に発射いたしました。
そんな15日に朝日新聞は朝鮮学校の高校を無償化すべきという内容の社説を掲載いたします、内容も最低なら相変わらずタイミングも図ったように最低なのであります。
(社説)朝鮮学校訴訟 説得力を欠く追認判決
2017年9月15日05時00分
http://www.asahi.com/articles/DA3S13133442.html?ref=editorial_backnumber
社説は東京地裁の国側の全面的勝訴を不満げにつたえます。
高校の授業料無償化をめぐり、朝鮮学校が対象からはずされたことの違法性が争われた裁判で、東京地裁は国側の主張を全面的に認めた。文部科学相がとった措置は「不合理とまではいえない」と述べた。
これは「行政を監視し、法の支配を実現させるという司法の使命を忘れた判断」と痛烈に批判します。
行政を監視し、法の支配を実現させるという司法の使命を忘れた判断だ。無償化をめぐる同様の訴訟で「教育とは無関係な外交的、政治的判断があった」と述べ、政府の措置を違法とした7月の大阪地裁判決のほうが事実に即し、説得力に富む。
社説は「北朝鮮による犯罪行為」と「朝鮮学校の生徒らに同世代の若者に対するのと同じく教育の機会を保障し、成長を手助けすることとは、別の話」だと説明します。
改めて確認したい。
北朝鮮による拉致行為は許し難い犯罪だ。だがそのことと、朝鮮学校の生徒らに同世代の若者に対するのと同じく教育の機会を保障し、成長を手助けすることとは、別の話である。
社説の結びは「自分のルーツの民族の言葉や文化を学ぶことを望む生徒」たちも「明日の社会の担い手である」とし、「社会の成熟度が問われている」と結ばれています。
朝鮮学校と朝鮮総連の間に一定の関係があるとしても、同校は、一市民として日本社会で生きていくために、必要な知識や考え方を身につける場になっている。通っているのは自分のルーツの民族の言葉や文化を学ぶことを望む生徒で、韓国・朝鮮籍や日本国籍など多様だ。
誰もが明日の社会の担い手である点に違いはない。この当たり前のことを胸に刻みたい。社会の成熟度が問われている。
「社会の成熟度」ですか・・・
さてネットでは、最悪のタイミングでのこの訴訟にミサイル飛ばしといて何が金くれ!だと、非難ごうごうです。
中村ゆきつぐ
北朝鮮 本日もJアラート それなのに金くれ!洗脳は簡単に説得できない
http://blogos.com/article/246298/
お気持ちはわかりますが、ここはひとつ冷静になってこの問題を考えてみたいのです。
朝日新聞は「社会の成熟度」を持ち出していますが、
「成熟度」の問題ではなく、私は朝鮮学校無償化に反対なのです。
朝鮮学校に貴重な税金を投入すべきではありません。
別に拉致問題が無くても弾道ミサイルが日本をまたがなくても、朝鮮学校無償化に反対なのです。
今回はこの問題を取り上げます。
・・・
私は工学系専門校で20数年教鞭をとっておりますが、国家は学校教育に過度に干渉すべきではないと思っております、特に思想教育などの国家による強制はもってのほかであり、公的教育は現場にまかせ国家としては「金は出すが口は出さない」が一番だと考えています。
朝鮮高等学校が民族教育をするのも母語教育をするのもそれはその人々の教育の自由でありますし、それを縛ることは認められないことでしょう。
教室内にかつては将軍様の御写真が掲げられていたり歴史教育が反日的でおかしな内容になっているのは問題でしょうが、まあ日本は広く自由と平等が認められている民主主義国であります。
さて朝鮮高等学校ですが、東京都などの各地自治体が補助金を出しておりました。
この事実は重要です、この補助金を認めた上でですが、加えて新たに国からの高等学校等就学支援金を朝鮮高等学校に付与することには私は反対です。
「拉致被害」や「核ミサイル」と絡めての反対論が散見されていますが、私はこの論法は話を混乱させるきらいがあると思っています。
たとえ「拉致被害」事件や「核ミサイル」の問題がなかったとしても、あるいは、解決したと仮定しても就学支援金を朝鮮高等学校に付与することには反対なのです。
現在の朝鮮高等学校に修学している生徒達は、親の意思も含めてではありますが完全に自らの自由意思による選択で選んだわけです。
その国の公立学校への入学資格が与えられているにもかかわらず、あえてその国の言語以外の外国語で教育を受けたい生徒のための学校であります。
つまり公立学校とは異なる理念での教育を求める人のための学校です。
それをも公費で賄う義務が日本国にはあると思えません。
今まで同様、彼らの教育選択の自由はしっかりと守られるべきです。
また民族のアイデンティティや母国語と母国文化の継承なども尊重されてよろしいでしょう。
しかしそれと公費で賄うかどうかは同列で議論できないと思っています。
私の主張はもちろん、朝鮮学校だけではなく日本の一条校認定校以外の外国人学校全般をターゲットにしています。
これは何も日本が例外ではないです、例えば逆のケースで海外の日本語学校の場合ですが、ヨーロッパなどで現地の自治体が日本の東京都などが朝鮮学校にしているように補助金を出しているケースはあるようですが、国として支援金を日本語学校の生徒に拠出しているという事例は聞いたことはありません。
海外赴任されて日本語学校にお子さんを預けられた方ならばご承知でしょうが、一般に現地の学校よりも日本語学校の教育費は高く付きます。
これは当然ですし、あえてその国の言語以外の外国語で教育を受けることは当然それなりの費用が発生すると考えていいでしょう。
コストは掛かりますが当然なのであり、日本語学校に現地の税金を投入して無償化するような要望自体ありえないし聞いたこともありません。
ちなみに、アメリカでヒスパニック系移民が急増しているカリフォルニアで、公立学校の教師は、英語とスペイン語のバイリンガルであることを条件とする、という法案が持ち上がりましたとき、今回の日本と同様の論争が起こりました。
議会は当然のように棄却しました。
アメリカで国の援助で教育を受けるならば、将来アメリカ国民として望ましい人材を育てるべく母国語(=英語)を習得してくださいということだったのだと思います。
母国語を英語と公式に規定する州が増えている中で、しかしアメリカの懐が大きいのは、例えばニューメキシコ州では、子どもたちに特殊な能力をつけるプログラムという趣旨で、バイリンガル教育が続けられています。
スペイン語を母語とするヒスパニックの子どもたち、民族の言葉を失った先住民の子どもたち、公教育の中でプログラムをいくつか組んでいます。自分たちのルーツを大切にしようというのが目的です。
しかしこれらはあくまでも英語を母語とした母語教育の中での、一部の取り組みでありプログラムであります。
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もし朝鮮学校にも無条件で公的支援金を付与するならば、これはおそらく世界の先駆けとなることでしょう。
しかし私は税金の使途として非常に大きな問題であると思っています。
公立学校への入学資格が与えられているにもかかわらず、あえて外国人学校を選択するのならば、もちろん教育選択の自由は認めた上でですが、自治体などの補助金はともかく、このような国による支援金制度の対象にはすべきでないと考えます。
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朝鮮学校無償化の問題を「社会の成熟度」などという情緒的であいまいな物差しで誘導しようとする朝日新聞社説は間違っています。
朝鮮学校は無償化すべきでありません。
これは「社会の成熟度」の問題ではありません。
日本国の税金の公正な使途の話です、「社会の成熟度」などまったく関係ありません。
(木走まさみず)