木走日記

場末の時事評論

「3月の月曜日」記事に想う朝日新聞の無配慮と21世紀日本の暗澹たる現実

 過去のいろいろな出来事が重なり影響しあい現在があります。

 つまり今の世の中の有様は連綿と続く時の流れの中で過去の出来事からいろいろな影響を受けて構成されているということです。

 そして誰も正確にその姿を予測できませんが、未来は現在とは違うことだけは事実ですが、未来もまた現在からしか到達できません。

 現在のいろいろな出来事が影響しあい未来の有様を構成していくことでしょう。

 これは世の中だけの話ではなく、人の心もまた、過去から現在そして未来といろいろな出来事を体験することによって構成され、ときに再構築され、変化していくことでしょう。

 団塊の世代とか団塊ジュニアとか日本人はある世代にニックネームを付けるのが好きな人たちなのですが、もし世代心理(ジェネレーション・マインド)というものがあるとすれば、それはそれぞれの世代特有の体験してきた過去の出来事によって影響を受け構築されたモノでありましょう。

 戦後66年、過去の日本の歴史的エポック、敗戦と占領時代を、高度経済成長を、東京オリンピックを、大阪万博を、石油ショックを、バブルとその後のバブル崩壊を、リアルに体験したか否か、あるいは大人としてか、または子どもとしてか、つまりその時代と世代としてどう関わったのか、このあたりのエポックの体験の蓄積がそれぞれの世代心理(ジェネレーション・マインド)を構築しているのに少なからずの影響を与えていることでしょう。

 昭和30年代中頃の生まれの不肖・木走にとっては、高度経済成長時代(昭和29年〜42年まで)のど真ん中で生まれ、まさに物心付いてから小学生時代までその時代を子供として体験しました。

 東京オリンピック(昭和39年)の開会式を自宅の白黒TVで観た記憶がかすかにあります、また大阪万博(昭和45年)の開会式を自宅で観たときはTVはカラーに変わっていました。

 私の世代はTVが始めて自宅にやってきたという世代よりは若干後になります、物心ついたときにはすでに自宅にTVはありました、それよりもイベントとして心に残るのはカラーTVなるものが始めて自宅にやってきた日のことです、ウルトラマンを初めてカラーで見たときのあの感動(苦笑)は生涯忘れることはないでしょう。

 それより後、ランニング&短パンで毎日遊びまわっていた小学生の夏休み、我が家に初めてエアコンが設置されたときの感動も忘れられない思い出のひとつでした。

 高度成長時代、3C(カラーテレビ、クーラー、カー)が庶民の「3種の神器」と呼ばれていた時代、私はまさに少年時代でした。

 当時の私の心象では、東京中が毎年毎年姿を劇的に変え暮らしの風景も毎年変化していました、東京中がいや日本中がいつも工事をしていました。

 土がむき出しの砂利道だった裏路地が舗装され、メンコ遊びやロウ石による落書きがしやすくなりました、汲み取り式の便所が水洗になりました、東京中で下水道工事が進められ、当時の空き地には、まさに「ドラえもん」や「天才バカボン」で描かれているマンホールが必ず転がっていたものです。

 当時はそれが当たり前の日常だったわけでしたが、公園には子供達があふれ、私が育った商店街の悪がきたちはけっして裕福とはいえませんでしたが、朝から晩までみんなで遊びまわっていたのです、そして夜になれば「ウルトラマン」とか「鉄人28号」あるは「スーパージェッター」などのアニメを夢中で見て、ときに親にねがって目白東宝ゴジラ映画を観たりもしましたっけ。

 人々は日本の未来に対し今からすれば超ポシティブに捉えていました、少年誌には「10年後の日本」とか「21世紀の日本」とかが特集され、そこにはロボットや夢のような乗り物が登場する未来都市が描かれていました。

 ・・・

 高度経済成長期に子供時代をすごした同年輩の読者も個人差や地域差こそありましょうが同様の体験をしてきたことでしょう。

 これが我々より10歳上の昭和20年代生まれの人たちは、高度経済成長に社会人として加わったという点で少し違う視座を持ってその時代を捉えていることでしょう。

 また我々より10歳下の昭和40年代生まれの人たちは、おそらく高度経済成長終焉の時期をわずかに記憶しているぐらいなのでしょう、やはり我々とは違った体験・時代の捉え方があるのでしょう。

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 ふう。

 統計によれば、日本の年間自殺者ですが3万人を超えた状態が続いております、また10代から70代まで自殺者の年代分布は当然ながら広がりがありますが、その中でも40代、50代、60代の自殺者の割合が高いのがとても気になります。

 昭和の頃、日本の21世紀がまさかこのような暗澹たる閉塞社会になっているとは、誰が想像できたでしょうか。

 31日付け朝日新聞のまったく気の滅入る紙面記事から。

自殺者数「3月の月曜日」が最多 年度末と週初め重なり

2010年3月30日22時41分
  
 「3月の月曜日」の自殺者数が1日あたり平均105人にのぼり、最も多いことが30日に発表された内閣府の調査で明らかになった。年度末と週初めという生活環境の変化が重なることが要因とみられる。内閣府は時期や属性、地域別の傾向を詳しく分析・公開することで、より効果的な自殺対策を進めたいとしている。

 自殺について厚生労働省が人口動態統計、警察庁が自殺統計でそれぞれ集計しているが、内閣府が初めて両省庁のデータを集約・分析した。

 内閣府によると、2004年から5年間の自殺者数を月別にみると、3月が最多の1日あたり91.0人で、4月87.5人、5月86.6人の順。最も少ないのは12月で72.9人だった。リーマン・ショック直後の10月が最多だった08年を除くと、毎年3月が最も多かった。

 3月に自殺者が多かった職業は、09年では「自営業・家族従業者」「被雇用者・勤め人」などの有職者が4割を占めた。一方、「主婦」は4〜5月、「失業者・年金・雇用保険等生活者」は5〜6月に多い傾向があるという。

 曜日別では月曜が92.8人と最多で、週末の土曜、日曜は少ない。また、月初めや月末に多い傾向がある。月と曜日で合わせてみると「3月の月曜」が平均105.3人で最も多く、最少は「12月の土曜」の63.1人だった。

 内閣府参与として分析にあたった、自殺予防や遺族の支援に取り組むNPOライフリンク」の清水康之代表は「3月は決算期で、月曜や月初めとともに生活、環境の変わり目であることが影響している可能性がある。『3月の月曜日』はそうした要因が重なり、自殺のきっかけとなってしまうのかも知れない」と分析する。

 また、有名人の自殺や無理心中、いじめによる自殺などが報じられた直後に、自殺が増える傾向も明らかになった。前後で1週間あたりの自殺者数を例年の数値と比べると、当日からの1週間の自殺者数が突出していた。

 鳩山内閣は3月を自殺対策強化月間と位置づけ、自治体と連携した対策に取り組んでいる。今回は都道府県ごとに職業や時期、市区町村の特徴などについて自殺との関連を幅広く分析しており、今後の対策に役立てていく方針。清水氏は「さらに検証を続け、この複合的な分析を地域の自殺実態に合わせた対策につなげて欲しい」と話している。(佐藤美鈴)

http://www.asahi.com/national/update/0330/TKY201003300462.html

 「3月の月曜日」の自殺者数が1日あたり平均105人にのぼり、最も多いことが30日に発表された内閣府の調査で明らかになったそうであります。

 その理由をこの記事は「3月は決算期で、月曜や月初めとともに生活、環境の変わり目であることが影響している可能性がある。『3月の月曜日』はそうした要因が重なり、自殺のきっかけとなってしまうのかも知れない」(NPOライフリンク」の清水康之代表)との分析を載せています。

 しかし記事の内容もそうですが気分を暗くするのは、朝日新聞はまったく空気を読んでいないなあと思う点です、記事自体で「3月の月曜日」に自殺が多い要因のひとつに「3月は決算期」との自殺予防や遺族の支援に取り組むNPOの分析を載せていながら、このような記事をよりによって年度末の3月31日朝刊に掲げてしまう配慮のなさはどうでしょう。

 マスメディアは社会記事をタイムリーに読者に届ける使命がありますが、この記事は日を急いで読者に伝える緊急性があったとは思えません、せめて年度末日を過ぎてから掲載する配慮があってもよいのではないでしょうか。

 中小企業のコンサルを生業にしている不肖・木走としては、朝日新聞にはもう少し配慮がほしいと思いました。

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 一年を通じて「3月の月曜日」の自殺者数が1日あたり平均105人にのぼり最も多いことが統計で明らかになったのであります。

 年間自殺者が3万人以上という異常な数字が恒常化してしまっている21世紀の日本。

 40年前、昭和世代がバラ色の夢を描いていた21世紀日本のこの暗澹たる現状。

 まったく憂鬱な年度末日であります。



(木走まさみず)