木走日記

場末の時事評論

社民党宣言〜遮眼革(しゃがんかく)をつけ視野をさえぎる馬となるのか社民党

●「心大きく見守る人」と「心狭く行動する人」〜両方を備えていなければ時事報道はできない

 前回はゴジラネタで少し趣味に走り暴走気味のエントリーになってしまいました(苦笑)が、ちょっとその当たりの反省も込めながら・・・

 人の心の大きさとその人の行動力について、不肖・木走はかねがね感じていることがあります。

 心の大きい人とは、視野広くいろいろな角度から物事を考察でき、他者をも単純に結論付けることなく慎重に分析した上で評価していきます。

 一方心の狭い人は、狭い視野で物事を一方向の決め付けた視点でもって考察し、他者に対しても単純に善し悪しを決め付けて評価してしまう傾向にあります。

 おもしろいのは、前者と後者では、実は後者の方が行動力もあり自己主張する声も大きくなりがちなことです。

 ある意味これは当然なことでありまして、心の大きい視野広い人は、物事の評価や結論を出すことに慎重なわけであり、一方の視野せまい人は、判断する材料も少なく検討の余地も余りないですから、決断するまでにあまり時間を必要としないのでしょう。

 で、ここで興味深いのは事実や事件を時事報道するメディアの姿勢でありまして、実は「心大きく見守る人」と「心狭く行動する人」の両方を備えていなければ時事報道はできないのであります。

 記事の性格(速報記事か社説やコラムなどのオピニオン記事か)にもよりますが、当然即時性を求められているので、いつまでも悠長に「視野広くいろいろな角度から物事を考察」している時間はありません。

 そこで「心大きく見守る人」として最低限の事実の検証を行ったならば、ここは敢えて「心狭く行動する人」になって、一気に記事を書き上げなければなりません。

 これは何も大新聞だけに言えることではなく、不肖・木走や多くの個人のブログにおいても、記事をエントリ−するときの心の動きを考えてみれば、同様なのではないでしょうか。

 当ブログも例外ではなく、特にメディアの批判記事などをエントリーするときその瞬間の私は、間違いなくかなり心狭き狭量な人間になっております。

 考えてみれば大人の広い大きな心を持ってしまっては、いちいち産経コラムのゴジラに関する記述の1行の表現を取り上げて3000字もの批判文を掲載するなどという大人げない行動はできないのであります。(爆笑

 ・・・



●[社民党宣言]「時代錯誤の『非武装中立』回帰」〜今日の読売社説より

 今日(12日)の読売社説から・・・

2月12日付・読売社説(2)
 [社民党宣言]「時代錯誤の『非武装中立』回帰」

 今さら、歴史の歯車を逆に戻せるわけでもない。何とも時代錯誤としか言いようがない。

 社民党が11日、党大会で採択した社会民主党宣言には、こんな言葉が並ぶ。

 「明らかに違憲状態にある自衛隊は縮小を図り……、改編・解消して非武装の日本を目指す」「日米安全保障条約は、平和友好条約へと転換させる」

 戦後の政治史を知る人は、保革対決の55年体制の時代にタイムスリップしたかのような錯覚を覚えるかもしれない。

 例えば、社民党の前身である社会党の綱領的文書である1964年の「日本における社会主義への道」は、日米安保条約廃棄、自衛隊解消、国民警察隊・平和国土建設隊への改変を掲げている。今回の宣言と、よく似た内容だ。

 自衛隊違憲非武装中立は、長年、社会党の基本政策だった。今となっては、ある程度の年配の人が、懐かしい思いで記憶している程度だろう。

 社会党が自民、さきがけ両党との連立政権を発足させた1994年、当時の党委員長だった村山富市首相は、自衛隊について「憲法の認めるものである」と表明した。「日米安保体制の意義と重要性」も認めた。

 従来の自衛隊違憲・反安保からの大転換だった。実際に政権を担当して、非現実的な安全保障政策を転換せざるをえなかったのは、当たり前だ。

 96年に党名を社民党に変えたが、基本政策は村山路線を継承したはずだった。それが今なぜ、“先祖返り”なのか。

 社民党の説明では、村山内閣時と比べて、自衛隊が大きく変質しているからだという。“変質”を示す例として、日米新ガイドライン、周辺事態法や有事法制の整備、海上自衛艦のインド洋派遣や自衛隊イラク派遣、ミサイル防衛などを挙げている。

 周辺事態法や有事法制は、日本の安全を守るために不可欠だ。海上自衛艦のインド洋派遣や自衛隊イラク派遣は、国際社会の平和を維持・創出する国際平和活動の一環だ。

 社民党の主張通りにしたら、国民の生命、財産を守ることはできないし、日本は国際社会の孤児になってしまう。

 社民党の党勢は低迷し、現在は衆参の国会議員13人の小政党に過ぎない。「護憲」を訴えて生き残りを図る社民党には、自衛隊違憲論をよすがに「護憲」をよりアピールする狙いもあるのだろう。

 それでも当面、わずかな支持を得ることは可能かもしれない。だが、時代の大きな流れを変えることなど、出来るはずもない。

(2006年2月12日1時33分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20060211ig91.htm

 どこの大新聞の社説からも無視されている新しい社会民主党宣言ですが、読売新聞がやっと取り上げてくれました。(パチパチパチパチ)

 うーん、タイトルからし「時代錯誤の『非武装中立』回帰」でありますか。

 社説冒頭からし「今さら、歴史の歯車を逆に戻せるわけでもない。何とも時代錯誤としか言いようがない。」でありますか・・・

 ・・・

 ふう、全文通じて、新しい社会民主党宣言の完全否定なのであります。

 ま、他のメディアのように無視されるよりは、取り上げてくれるだけましというものですよね。(苦笑)

 しかし、社説の結語「それでも当面、わずかな支持を得ることは可能かもしれない。だが、時代の大きな流れを変えることなど、出来るはずもない。」ですが、大人げないなあ。

 「わずかな支持を得ることは可能かもしれない」なんて、そんなこと大きなお世話というものです。(苦笑)

 「時代の大きな流れを変えることなど、出来るはずもない。」なんて、そんなことたぶん社民党幹部も百も承知でしょうから、ほっといてください。(苦笑)

 ・・・

 まったくもうこの読売社説には、心にゆとりというか雅(みやび)さというか風情がないんだよなあ。

 早春に咲く小さな梅の花を愛を持って鑑賞するように、もっと小政党をあたたかく「愛(め)でる」姿勢がほしいですねえ。
 (↑木走、雅(みやび)さの欠片もないお前だけは言えないだろうの声多数(苦笑))

 ・・・(汗



●どこへ行くのか社民党〜遮眼革(しゃがんかく)をつけ視野をさえぎる馬となるのか

 しかし、社民党は政策的にどこにいこうとしているのでしょう?

 国民の支持を得る勝算はあるのでしょうか?

 「今なぜ、“先祖返り”なのか。」と批判する読売社説なのですが、実は、不肖・木走は、もはやここに至っては社民党のとる戦略はこれしかないだろうとは理解しています。
 ・・・

 冒頭の「心大きく見守る人」と「心狭く行動する人」の話は、政党にもあてはめて考えることができるのではないでしょうか。

 私は今の社民党は「心狭く行動する政党」に戻っている気がしてなりません。

 たしかに、自民党のような大政党かつ政権党でもないし、議会制民主主義の多数決の論理の中で吹けば飛ぶようなわずかな議席(失礼)しか有していない今の社民党が、「心大きく見守る政党」になっても誰も評価しないでしょう。

 読売社説が批判するとおり現実主義路線に戻り改憲派になったとしても、社民党アイデンティティはますます喪失するばかりで、その存在価値すら問われることでしょう。

 社民党が存続するためには、ここは敢えて「心狭く行動する政党」に徹し、罵詈雑言は無視して我が道を行くしかないのかも知れません。

 ・・・

 神経質な競走馬に装着する装具の一つに、遮眼革(しゃがんかく)があります。

しゃがんかく 2 【遮眼革】

馬が前方しか見えないように視野をさえぎる装具。遮眼帯。ブリンカー

三省堂提供「大辞林 第二版」より
http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%BC%D7%B4%E3&kind=jn&from=tptb

 つまり、あえて馬の視野を前方しか見えないように狭めて、安心させ、ひたすら進行方向に疾走する行為にのみ、馬の心を集中させる装具であります。

 興味深い道具ですね。

 人だけでなく馬の世界でも「心大きく見守る」よりも「心狭く行動する」ほうが場合によりよろしいようなのであります。

 ・・・

 先祖帰りの「非武装・中立」ですか。

 それも別によろしいのかも知れません。

 ・・・

 社民党は、新しい社会民主党宣言を通じて、どのように変わろうとしているのでしょうか。

 私には、どうにも遮眼革をつけ視野をさえぎり疾走する馬の姿を連想してしまうのですが、ここはひとつ「心大きく見守る」こととしましょう。



(木走まさみず)



<関連テキスト>
社会民主党宣言(第2次案)」
http://www5.sdp.or.jp/central/topics/sengen2.html