木走日記

場末の時事評論

ダライラマがインドへ帰国〜日本メディアは沈黙

kibashiri2005-04-19


 本日、4月8日から日本滞在中であったチベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世
が亡命先のインドへ帰国(?)されました。

 その間、日本のマスメディアは、ほぼ完全に無視し続けたわけですが、新聞報道でも地方紙を除くと以下の2報道だけでありました。

ダライ・ラマ14世が来日、熊本などで講演へ 中国反発

来日したダライ・ラマ14世は、明治神宮を訪れ参拝した=8日午後3時16分、東京都渋谷区で

 チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世が8日、成田空港に到着した。19日まで滞在し、熊本市のほか、東京・両国、金沢市で講演する予定。明治神宮や京都・西本願寺に参拝するなど、仏教の宗派を超えた交流を進めるという。

 同氏の訪日は03年10月以来、10回目。インドのチベット難民支援を続ける熊本県玉名市NPO法人「れんげ国際ボランティア会」などが招いた。

 中国外務省は「(同氏は)一般の宗教人ではなく、政治亡命者だ」として、日本政府が同氏の日本国内での活動を許可したことについて「重大な懸念」を表明した。

 ダライ・ラマ14世は59年、チベットで起きた中国からの独立運動が鎮圧された後、インドに亡命。同氏は「独立」ではなく、民主的な政治制度に基づく「自治権の確立」を求めるなど中国政府との対話姿勢を示しているが、中国政府は同氏の各地での言動が「祖国分裂活動だ」との批判を続けている。

2005年04月08日19時15分 朝日新聞
http://www.asahi.com/national/update/0408/TKY200504080243.html

 あいかわらず、朝日は中国政府の主張を載せて、とんちんかんな記事構成をしております。

ダライ・ラマ14世:「思いやりから世界平和」−−看護福祉大で講演 /熊本

 来日中のチベット仏教の最高指導者でノーベル平和賞受賞者のダライ・ラマ14世は12日、玉名市の九州看護福祉大(二塚信学長)で講演、1400人の学生に「利他の思いを自分のものにして、看護、福祉の仕事をしてほしい」と呼びかけた。

 演題は「愛のある思いやりからの世界平和」。看護や福祉を学ぶ学生たちに「他人のために仕事をする動機に思いやりや優しさといった良き思いがあれば、必ず相手に伝わる。それは良き行いであり、自分自身の幸せでもある」と身近な事柄で思いやりのある利他の心の大切さを説いて、人生で、あるいは実社会で困難に出合った時には、物事の本当の姿をよく見極める認識力、考える力をつけておけば、必ず道が開ける、と語りかけた。

 後半は学生との質疑応答。「法王(14世)にとって宗教とは何か」といった素朴な質問や「友達に思いやりを持てなくなった。どうすれば」といった人生相談まがいの質問にも14世は温かく答えていた。

 終了後、14世は「チベット国歌」を演奏して迎えてくれた学生たちにあいさつし、会場の体育館入り口でソメイヨシノの苗木を記念植樹した。【西東靖博】

毎日新聞 2005年4月13日
http://www.mainichi-msn.co.jp/chihou/kumamoto/news/20050413ddlk43040365000c.html

 この毎日新聞の記事においては、政治的背景に一切触れないふがいなさです。読売、産経、日経にいたってはほぼ全く沈黙しております。
 どのような政治的思惑がからんでいようとも、これはメディアとして異常な状況であります。

 当ブログとして以下のテキストを掲げて、マスメディアへの警鐘とさせていただきます。

 以下の文章は、ダライラマ法王事務所ホームページより、木走が編集引用したモノです。

ダライラマ法王日本代表部事務所公式ホームページ
http://www.tibethouse.jp/home.html

 現在のチベットの状況

独立国家であったチベットは、1949年に口火を切った中国の侵略で、戦闘によって人命損失の危機にさらされ、続いてすぐに、共産主義イデオロギー文化大革命(1967- 1976)に代表されるような計画によって、普遍的な自由さえも失ってしまった。しかし、最悪の事態は既に過ぎ去ったかのような誤った認識がまかり通っている。現在でも、チベット固有の国民性、文化、宗教の独自性は、中国によって深刻な脅威にさらされ、翻弄され続けている。

中国の占領と弾圧の政策は、チベットの国家としての独立、文化、宗教性、自然環境の破壊を引き起こし、人々は基本的な人権まで奪われている。再三再四、国際法を犯す中国のこれらの破壊行為は、注目はされているが、未だに罰されることなく繰り返されている。

■ 侵略された独立国家

中国支配以前、チベットが独立主権国家として存在していたことが、2000年以上も前の歴史に記されている。近年では、1913年にはモンゴルと蒙蔵条約が、1914年にイギリスとシムラ条約が締結されていることでも、チベットが完全な独立国家として認識されていたことが明らかである。ただ、国際連合に代表をもたなかったために、世界は中国の侵略と破壊行為をただ傍観することを容認してしまったのである。

チベット人は繰り返し中国からの独立を訴えてきた。我々チベット人は非暴力による抵抗運動を行ってきているが、チベットでは10歳にも満たない子供達が「チベットは独立国家だ」とか「ダライ・ラマ法王にご健勝あれ」とささやいただけでも、中国は『母国』を『分裂』をたくらんでいると告発し、投獄を宣告されることが多々ある。チベット国旗に似たものを所持するだけで、7年間投獄される。

■ 文化と宗教

中国のチベットでの情け容赦のない宗教破壊は、文化大革命時の6千を越える僧院と、膨大な数の宗教芸術品の破壊に見て取れ、そして、今日でも共産党当局の宗教に対する態度は少しも変わっていない。
チベットの学究と熟考の中枢である僧院には、中国当局の「工作隊」が駐在し、力ずくで僧や尼僧に政治的・宗教的信念の「愛国再教育」をしている。彼らの手法は文化大革命時に強いたものと同様で、1996年から1998年の間に、中国当局による「厳打」キャンペーンで492名の僧尼が逮捕され、9,977名が僧籍を剥奪された。
チベットの精神的・政治的指導者であるダライ・ラマ法王と、法王が認定したパンチェン・ラマ11世は公然と非難され、チベット人は中国政府への忠誠を誓うよう強制されている。忠誠を誓わない場合は、投獄やその他の形での処罰が科せられる。ダライ・ラマ法王の写真を所持することは、現在、チベットでは違法となっている。

■ 人口移入

近年、継続する中国人のチベットへの人口移入によって、チベット人が自らの地で少数派になっているという現象がおきている。現在、チベットでは、チベット人600万人に対し、中国人は750万人で、中国人人口の方が勝っている。経済開発・社会開発という口実で、計算され、政府が推奨している移住政策は、チベット人の経済・教育・政治・社会構造を軽んじたもので、それは、チベット文化を押しつぶす脅威となっている。

■ 教育

中国による占領と大量の中国人のチベットへの移住により、チベット語より中国語が有利になりつつある。中国政府は、すべての分野においてチベット語を無用な状態にすることで、チベット文化を抑圧している。中国人と共産主義イデオロギーによってコントロールされている、チベットの教育システムは、中国人移住者と妥協したチベット人達によって管理されている。チベット人学生は、法外で差別的な授業料を支払い、辺鄙な地域の設備の整っていない施設に追いやられている。

■ 普遍的人権

1998年の終わりに、中華人民共和国は人権宣言、人権規約及びその実施措置の3分野のすべてを含む国際権利章典に調印したが、中国国内でもチベット内においても実行からはまだ程遠い。日常生活での抗議を続けるチベット人に対し、そして、未来におけるチベット固有の文化の存続に対し、個人的・集団的権利の侵害は続いている。

21世紀に入り、チベット亡命政府は、中国政府のチベット在住のチベット人に対する生命・自由・安全に対する権利の侵害、さらに言論・宗教・文化・教育の自由に対する侵害を厳重に見直している。
現在、チベットでは以下のような事が公然と行われている。

中国共産主義イデオロギーに反するような意見はどんな表現であっても、逮捕の対象となる。
中国政府は、ダライ・ラマ法王に対する忠誠心、チベット民族主義、およびあらゆる反対意見を組織的に覆い隠している。
チベット人は、恣意的な逮捕・拘禁をされている。
現在収監されているチベット人達は法的代理権は与えられず、また中国の訴訟手続きは国際基準を満たさないものである。
国際の拷問等禁止条約に矛盾しているにもかかわらず、中国の刑務所や拘置所では、今でも拷問がはびこっている。
チベット人女性は、不妊手術・避妊・中絶手続きを強要する対象にされている。
生計困難、不十分な設備や差別的な方策のため、多くのチベット人の子供達は、適切な健康管理や就学の権利を与えられていない。
政治的理由による投獄率が、その他の中国支配下の他の地域に比べ、はるかに高い。
子供でさえ、言論の自由に対する中国の抑圧から免除されることはない。18歳未満のチベット人政治犯がおり、子供の僧尼たちは自分達の宗教施設からことごとく放逐されている。中国は近年、チベットは非仏教地区になりつつあると宣言した。
強制収容され、詳細な拘留理由も明らかにされることなく、失踪を余儀なくされるケースが続出している。
パンチェン・ラマ11世は、1995年の報告以来、行方不明のままである。
70パーセント以上のチベット人は 「チベット自治区」に住んでおり、現在、貧困線(最低限の所得水準)以下の生活をしている。
人権誓約の規定により中国政府が罰せられるよう、継続的な国際的圧力をかけることが非常に重要である。

■ 環境

アジアの中心に位置し、チベットはこの世界における環境的な要塞であり、非常に繊細な地域のひとつである。チベット人は、地球を構成している生きとし生けるもの全てが相互依存しているという仏教の信仰によって、自然と調和して生活している。しかし、チベットの侵略とともに、消費拡大主義で物質主義的な中国共産主義イデオロギーによりチベットの人々のこの自然尊重の姿勢は踏みにじられてしまった。過去50年間に、森林伐採・土壌浸食・野生動物の絶滅・過放牧・無制限な採鉱・核廃棄物の投棄など広範囲に亘って環境が破壊される結果となった。今日でも、中国人は−しばしば海外の援助を受け−少しの環境保護も無しに、様々な天然資源を採取し続けている。その結果、チベットはその国境を遥かに越えた世界にも影響を及ぼすことになるであろう環境的な危機に直面している。

森林伐採

チベットは世界でも高水準の森林貯蓄量を誇っている。チベットでは、多くの樹木が高さ27.5メートル、幹の太さ1.5メートルに成長するまでには数百年を要します。中国のチベットに対する「開発化」「近代化」計画は、見境の無い森林の破壊に見て取ることができる。1959年には2千520万ヘクタールあった森林面積が、1985年には、中国の乱伐により1千357万ヘクタールにまで減少してしまった。46パーセント以上のチベットの森林が破壊され、いくつかの地域ではこの数値が80パーセントという高い数値ところもある。1959年〜1985年の間に、中国はチベットから540億米ドル(約6240億円)相当の材木を運び出した。森林伐採と不適切な森林再生計画は、野生動物、土壌浸食を惹き起こし、世界的な気象の変化に深刻な影響を与えている。

■ 土壌浸食と河川の氾濫

チベットにおける大規模な森林伐採、採鉱、および農耕地の拡張は、土壌浸食とアジアの重要な河川の沈泥の増大を惹き起こしている。メコン川の沈泥、揚子江、インダス河、サルウィン河、黄河などの河床の上昇が、近年アジアで起こった主な河川の大氾濫の原因となっている。これは、地すべりや農耕可能な土地の減少を誘発し、チベットに端を発する河川の下流域に住む世界の人口の約半数に悪影響を及ぼしている。

■ 地球気象への影響

科学者達はチベット高原の自然植生と、南アジアの穀倉地帯にとってかかせないものである、インド及び南アジアのモンスーンの安定についての相互関係を認めている。また、チベット高原の環境が、世界的な環境に悪影響を及ぼす太平洋の台風やエルニーニョ現象の原因とされている、チベット高原上空のジェット気流との相関関係にも言及している。

■ 野生動物の絶滅

1901年にダライ・ラマ13世は、チベットでの野生動物の狩猟禁止令を発令した。残念なことに、中国は同様の制約は実施せず、それよりも絶滅寸前種の「トロフィー・ハンティング」が積極的に奨励されてきた。チベット高原においては、39種の哺乳類、37種の鳥類、4種の両生類、1種の爬虫類の、少なくとも81種が絶滅の危機に瀕していると指摘されている。中国人によって国民のマスコットとして宣伝された有名なジャイアントパンダは、実はチベット固有の動物なのである。

■ 鉱物資源と鉱業

硼砂(ほうしゃ)・クロム・塩・銅・石炭・金・ウランなどの採掘は、産業発達のための原鉱石として、積極的に開発されている。中国の15の主要な鉱物資源のうちの7つは、10年以内に枯渇すると予測されており、その結果として、チベットでの鉱物資源の採掘が、急速かつ無制限に増大している。採掘活動の増大は、更なる植生範囲の減少を加速させ、大規模な地すべりや、広範囲の土壌浸食、野生動物生息地の減少、河川の汚染を増大している。

■ 核廃棄物投棄

かつてインドと中国間の平和的な緩衝地帯だったチベットは、今では少なくとも30万の軍隊と、核ミサイル舞台の4分の1以上を擁する軍事的要所になっている。1971年、中国は最初の核兵器チベット高原に持ち込んだ。現在、中国はチベットを自国や他国の核廃棄物の投棄場として使用しているようである。1984年、中国核燃料総公司は、西側国の核廃棄物施設に1kgあたり1500米ドルで提供した。

中国の核施設の近くに住むチベット人や家畜の不審な死亡が報告されており、また癌発症や出生障害などの増大も報告されている。さらに、水質汚染が発生し、中国人の地域住民には水の使用に関し、公式に警告が発せられたが、チベット人住民には一切伝えられなかった。中国は、チベットの壊れやすい生態系や土地の公正な居住者達になんの配慮もなく、チベット高原を占領し続けている。

 親日家でもある法王の14回目の滞在は、日本の主要マスメディアの完全なる沈黙の中で国民にろくに情報伝達されぬままに、本日亡命先インドに戻られたのです。

 日本のマスメディアのチキンジャーナリズム(腰抜けメディア)には、憮然としてしまいます。

 読者のみなさまはいかがお考えでしょうか?



●追記 2005.07.19 11:25

7月18日エントリーのコメント欄で真田孝高様より、情報提供いただきました。
以下の二つのメディアでも取り上げられていましたので追記しておきます。

産経新聞
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050420-00000009-san-int
東京新聞
http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20050410/mng_____tokuho__000.shtml

(木走まさみず)