「ライブドア・ショック」の育ての親は実はマスメディアじゃないのか〜決して自分たちの過剰報道には言及しない大新聞社説
しかし、たいへんな事態になってしまいました。
マスメディアでは「ライブドア・ショック」とか「ライブドア・パニック」という新語が踊っているようです。
たしかに、前代未聞の東証取引停止事態にまで陥ってしまい、この2日での損失時価総額は約19兆円にものぼり、今日以降の株価見通しもどこまで下げるのかわからない異常な事態であるわけです。
●ライブドアや東証や国や狼狽売りのデイトレーダー達を批判する新聞社説
今日(19日)の新聞社説は一斉にこの前代未聞の東証取引停止に触れています。
【朝日社説】東証大混乱 国際市場の看板が泣く
http://www.asahi.com/paper/editorial.html
【読売社説】[株取引停止]「東証をマヒさせたライブドア」
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20060118ig90.htm
【毎日社説】市場大混乱 「想定外」ではすまない事態だ
http://www.mainichi-msn.co.jp/eye/shasetsu/news/20060119k0000m070149000c.html
【産経社説】ライブドア激震 健全な市場つくる警鐘に
http://www.sankei.co.jp/news/editoria.htm
【日経社説】脆弱な構造映した株式市場の混乱(1/19)
http://www.nikkei.co.jp/news/shasetsu/index20060118MS3M1800618012006.html
・・・
さっそく各紙社説をメディアリテラシーしてみましょう。
いったい今回の事態に対してマスメディアは誰を批判しているのでしょうか。
各紙社説の文章から誰かを批判・非難したり、あるいは誰かの責任に言及している箇所を検証してみましょう。
●【朝日社説】東証大混乱 国際市場の看板が泣く
【ライブドアに対する批判】
検察の捜査が入ったことで、ライブドアグループの時価総額はみるみるうちにしぼんだ。法や取引ルールを順守し、倫理面にも目を配る経営の基本が軽んじられたツケは重い。
【東証に対する批判】
日本の証券市場がこれほどひ弱だったとは。内外の投資家の嘆きもうなずける。
東証も情けない限りだ。個人投資家の取引が伸びるのに応じて処理能力を高めてきたというが、「注文に応じられない」と取引を止めるようでは国際的な市場ではない。最近も、プログラムの誤りによる取引の停止やみずほ証券の誤発注での大騒ぎがあったばかりだ。
市場に入る資金が何よりも嫌うのは、取引の不明朗さや売買停止などの不安定さである。この程度の混乱も乗り切れない東証の実力を内外に示してしまった。
昨年からの上げ相場の原動力は、国内の個人と海外の機関投資家といわれる。一連の騒ぎに個人は震え上がり、海外勢はあきれて、ともに市場から立ち去る事態にもなりかねない。
【個人投資家に対する言及・諷刺】
東京地検がライブドアの本社などを捜索したことで、個人投資家から小口の売り注文が殺到した。ライブドア本体にも粉飾決算の疑いが出てきたことで不安はさらに増幅されている。
【ライブドアに対する批判】
引き金は、ライブドアグループが強制捜査を受けたことで、個人投資家が動揺し、大量のろうばい売りに走ったことだった。ライブドア本体には粉飾決算の疑いも新たに浮上している。事実とすれば投資家の信頼を裏切る行為だ。ライブドアの罪は極めて重い。
【東証に対する批判】
システムが正常に動いているのに、証券取引所が自らの判断で取引を停止するのは前代未聞のことだ。主要国の取引所でも前例がない。東証の国際的な信用を低下させる恐れもある失態だ。
東証にも大きな責任がある。証取法違反事件の摘発で、売りが急増することもあるだろう。だが、取引所に上場された株式はいつでも売却して換金できるところに大きな価値がある。あらゆる事態を想定し、取引停止に追い込まれないように対策を講じておくべきだった。
【個人投資家に対する言及・諷刺】
引き金は、ライブドアグループが強制捜査を受けたことで、個人投資家が動揺し、大量のろうばい売りに走ったことだった。
現在は、取引急増に対応して、システムを部分的に強化するその場しのぎの対応を続けている。背景には最近の株高で個人投資家の取引が一段と活発化していることがある。しかも、インターネットを使って短期売買を繰り返す「デイトレーダー」が増え、システムの負荷が過酷な状態になっているのも事実だ。
●【毎日社説】市場大混乱 「想定外」ではすまない事態だ
【ライブドアに対する批判】
証券取引法違反の疑いでライブドアは東京地検の強制捜査を受けたが、子会社のM&A(企業の合併・買収)だけでなく、ライブドア本体についても粉飾決算の疑惑が浮上している。
この結果、ライブドアには、グループ企業も含めて売り注文が殺到している。粉飾決算が事実なら、カネボウの場合と同様にライブドアの上場廃止もありうる。
【東証に対する批判】
【個人投資家に対する言及・諷刺】
小口注文の激増は、インターネットを通じて株式売買を繰り返す個人投資家が引き起こしているとみられている。デイトレーダーと呼ばれ、売買手数料が定額のため一日に何度も売買を繰り返す。
こうしたデイトレーダーの動きは、ライブドアがM&Aで急成長を続けるうえでも大きな役割を果たしたとみられる。新興企業向け株式市場の取引の大半が個人投資家によって行われている。株式分割やM&Aを発表するたびにライブドアの株価が急騰したが、デイトレーダーたちにとっては格好のマネーゲームの場だ。
●【産経社説】ライブドア激震 健全な市場つくる警鐘に
【ライブドアに対する批判】
同社は時価総額を膨らませるために、一年間で株式数を一万倍にするという常識外れの株式分割を行った。堀江貴文社長の過剰なまでのテレビなどへの露出も、時価総額の増大に貢献していた。現在地検が捜査している風説の流布や、粉飾決算疑惑なども時価総額維持のためとの見方が強い。トヨタ自動車の時価総額は売上高の約二倍だ。ライブドアの時価総額は家宅捜索直前で同社の売上高の約七十八倍で、肥大ぶりはあきらかだ。
【東証に対する批判】
無し
【個人投資家に対する言及・諷刺】
過熱感の源は、一日に何度も同じ銘柄を売買する、デイトレーダーと呼ばれる個人投資家だ。彼らはライブドア株を支える存在でもあり、市場の混乱はこうした個人投資家のパニック売りが引き金とみられる。
●【日経社説】脆弱な構造映した株式市場の混乱
【ライブドアに対する批判】
無し
【東証に対する批判】
貯蓄から投資へ家計の行動の変化が始まったこの重要な時期に、市場を混乱に陥れた上場会社の不正疑惑に対して、行政と証券界は市場の規律を確保するための抜本的な対策を講じる必要がある。新しい現実に対応し、東証はバックアップ体制を含むシステム整備を急がねばならない。
【個人投資家に対する言及・諷刺】
人気銘柄の急落で証拠金の積み増しを迫られた個人投資家などの売りが市場全体に広がり、悪材料に敏感に反応した投資家が殺到して売買注文が膨れあがった格好だ。
持ち合い解消で主役になった個人や外国人の投資行動は、上げ相場で買い、下げ相場で売る、順バリに傾きがちで、目先の材料に過剰反応する傾向が強く、影響は家計に直接及ぶ。
●驚くほど傍観者視点の日本のマスメディア〜「ライブドア・ショック」の育ての親はマスメディアじゃないのか?
産経社説のように東証批判は抑えて、ライブドアの手法の批判とそれに踊らされる個人投資家への警鐘に重きをおいて論説するものもあれば、日経社説のようにライブドア批判はあえて触れずに冷静な分析を中心にしながら、東証と投資家に対して「日本の株式市場が様変わりしている現実を認識」せよと主張しているモノもあります。
しかし、まあ全体を通して各紙社説の論説をまとめてみると、今検証したとおり、ライブドア、東証、個人投資家、この3者のいずれかに対し批判もしくは警鐘を鳴らすという点で共通しているわけです。
まず、諸悪の根元はライブドアおよびその経営陣であるときって捨て、しかしながら脆弱で情けない東証システムに対する批判にも多くをさき、そして狼狽売りするデイトレーダー達への諷刺も忘れていません。
まとめれば、今回の騒動の責任は、まずはライブドアが悪いのだが、この程度でシステム停止になる東証システムも問題であり、狼狽売りする個人投資家ももっと現実を認識しなさい、といったところでしょうか。
・・・
ごもっともです。
たしかに、今回の「ライブドア・ショック」はライブドアならびに堀江社長のしでかした行為が発端であり、強制捜査を受けたライブドアこそ一番重い責任を有していることは異論のないところでしょう。
また最近では300万件を越す取引が常態化していたにもかかわらず438万件で停止するなどという脆弱な東証システムの問題もおおきいでしょう。
そして個人投資家達が狼狽売りに走ったことも、日経社説の指摘の通り「目先の材料に過剰反応する傾向が強く、影響は家計に直接及ぶ」のでありましょう。
しかしです。
よくマスメディアは、ここまで傍観者として「ライブドア・ショック」を冷静に分析し、ライブドアや東証そして個人投資家達を批判できるものです。
東証システムをダウンさせてしまうほど個人投資家達が狼狽売りに走った原因のひとつは、間違いなくあなた方マスメディアの異常とも言える過剰報道にあったのではないですか?
前回のエントリーでも当ブログで指摘したとおり、フジサンケイグループを筆頭に、新聞紙面を埋め尽くす勢いで「お祭り騒ぎ」のように本件を過剰に取り上げ、またTVでは繰り返し繰り返し強制捜査の報道をし、ときに興味本位な扱いでセンセーショナルに過剰報道をしてきたのは、ほかならぬ日本のマスメディアであります。
マスメディアがさんざん無責任に人を煽るような報道を垂れ流してきたことが、株の大暴落をまねき東証取引停止にまで至り国家予算並みの損失時価総額約19兆円という被害が発生したこの事態に、何も関係はないのだと言い切ることができるのでしょうか。
今回のマスメディア各紙の社説に共通する点は、自らの過剰報道を全く触れないで、全ての責任を、ライブドア自身、東証システムの脆弱性、個人投資家たちの狼狽売りに転嫁して、まったく無責任に傍観者として論説している点です。
・・・
繰り返しますが、今回の「ライブドア・ショック」騒動、生みの親は確かにライブドア自身、東証システムの脆弱性、個人投資家たちの狼狽売りなのでしょう。
しかし、この「ライブドア・ショック」騒動の育ての親は、無責任に過剰報道を垂れ流し続けてきた日本のマスメディアであると言えないでしょうか。
いまさら、個人投資家達が「目先の材料に過剰反応する傾向が強く、影響は家計に直接及ぶ」などと冷静な分析を、さんざん狼狽売りを煽るような報道をしてきたマスメディアに指摘されては、個人投資家のみなさんもやりきれないのではないでしょうか。
(木走まさみず)
<関連テキスト>
●目くそ鼻くそを嗤うとはこのこと〜フジサンケイグループがホリエモン強制捜査で大はしゃぎ
http://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20060117
良い謝罪文作成は人を成長させる仮説〜朝日新聞の返事を読んでの一考察
以下のエントリーの追記です。
「寸鉄人を刺す」のもいいが、朝日はとっとと浦安市に謝罪すべきじゃないのか
http://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20060113/1137143464
●これって反論なの謝罪文なの???
愛さんのところ経由で朝日新聞が浦安市役所に返事の手紙を出したことを知りました。
愛・蔵太の気ままな日記
■[報道]朝日新聞が「ネズミ踊り」の件で浦安市役所に返事の手紙を出した様子
http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20060119#p1
で、浦安市役所ホームページに掲載されている朝日新聞社からの回答文はこちら。
1月12日、朝日新聞東京本社に対し、浦安市及び浦安市教育委員会は、朝日新聞1月10日夕刊記事「素粒子」に対する抗議書を提出しました。
これに対して、1月16日付けで、朝日新聞社から、広報部長名で、浦安市長及び教育長あてに回答がありましたので、お知らせします。
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2006年1月16日
浦安市長 松崎秀樹様
朝日新聞社広報部長 両角晃一
冠省
1月10日付の夕刊記事「素粒子」について、1月12日付で弊社社長あてにいただいた「抗議書」に対して、対外的な応対の責任者である当職から回答させていただきます。
「素粒子」というのは、世間一般の出来事など森羅万象を題材とし、短い文章で自由な批評を加えるというコラムです。
浦安市の成人式についての批評も、当日の朝刊に掲載された記事やテレビ報道などを見て、筆者が感じたところを短文につづったものです。当該コラムは、決して浦安市の新成人を中傷することを意図したものではありません。
いずれにしましても、この度、式についての市長、教育長のお考えは十分承知いたしました。ご意見は真摯に受け止め、今後の参考にしていきたいと思います。
以上、簡単ではありますが回答とさせていただきます。草々
朝日新聞「素粒子」についての本市の抗議書に対し、朝日新聞社から回答がありました
http://www.city.urayasu.chiba.jp/a100/b001/d00500887.html
うーん、なんでしょう、これって反論なの?謝罪文なの?
どっちにもなっていないですよねえ。
で、愛さんの指摘がとってもステキなのであります。
「謝罪」的な記述はどこにもないみたいです。朝日新聞という会社(企業)は謝罪のしかたをあまりよく知らないのかな、と思いました。
しょうがないので朝日新聞のために、以下のところを参考に、「謝罪のサンプル」みたいなものを作ってみます。
(以下略)
愛・蔵太の気ままな日記
■[報道]朝日新聞が「ネズミ踊り」の件で浦安市役所に返事の手紙を出した様子
http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20060119#p1
ウフフフ、是非「謝罪のサンプル」はあちらをお読みいただきたいのですが、直子の代筆などを使って親切に朝日新聞のために謝罪文の例を示して差し上げているのですが、ちょっとダメダメ(ごめんなさい愛さん)で、とっても愛さんらしいウィットにとんだ素敵な「サンプル」なのでした。
・・・
しかしなあ、前回当ブログで私は以下のように予言いたしましたが、
しかし、「批判」と「誹謗・中傷」は全く別次元であることはここではっきりさせておきたいと思います。
「浦安の新成人。遊園地のネズミ踊りに甘ったれた顔して喜んでるようじゃ、この先思いやられる」
「浦安」と場所も特定しているのに「成人式についての一つの見方を示したもの」とはお笑いモノの言い草であり、全国紙の一面コラムでこき下ろされた浦安市とその新成人諸君にしてみればこれは誹謗・中傷以外のなにものでもないのであります。
ここで重要なことは市側の主張、「成人式はTDLの協力を得て市長や議長のあいさつなど粛々と進められた。記事は式典前後に行われたショータイム(計5分)のみを捉えたもので、正確で公正な記事とはいえない」にあるとおり、式全体を筆者の河谷史夫氏が把握して書いたのか、はなはだ疑わしい点です。
「早朝から自らを奮い立たせ、パソコンの画面に集中し」すぎていて、うわべだけの著者の脳内イメージのみを「寸鉄人を刺す」勢いで安直に記述したのではないのですか?
もしこのような記述が、これは一般的な「批判」であり、「誹謗・中傷」には当たらないと朝日が考えているならば、すみやかに、たしかに「浦安の新成人」達が「遊園地のネズミ踊りに甘ったれた顔して喜んで」いた事実を示し、メディアとして反論しなければなりません。式全体でたかだか5分のミッキーショウの比重がそんなに重いとは思えませんが、筆者を持って「この先思いやられる」と判断した根拠を明確に示すべきです。
・・・
当ブログで予言いたしましょう。
朝日はこの件で絶対反論はしないでしょう。うやむやに穏便に事をすませるべくはかっていくでしょう。
(後略)
なんだかなあ、これははっきりひどい中傷めいた言葉だからさすがの朝日も謝罪はするんじゃないのかと思って、謝罪の可能性には含みをもたせつつ「朝日はこの件で絶対反論はしないでしょう。うやむやに穏便に事をすませるべくはかっていくでしょう。」と予言したのですが、うーん、たしかにこの朝日の回答文は「反論しない」で「うやむやに穏便に事をすませるべく」見事な文章なのではありますが、謝罪にもなっていないよなあ。
・・・
しかし、朝日新聞社広報部長の両角晃一氏のこの文章ですが、「素粒子」担当の論説委員の河谷史夫氏の「浦安の新成人。遊園地のネズミ踊りに甘ったれた顔して喜んでるようじゃ、この先思いやられる」に対し、「当該コラムは、決して浦安市の新成人を中傷することを意図したものではありません。」などとおっしゃっていますが「中傷することを意図」していないなら、どのような意図で書かれたのか是非うかがいたかったなあ。
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まあこれは「中傷」表現に対する、朝日と一般読者の認識のちがいなのでしょうかねえ。
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不肖・木走は、人に謝罪をするというのは、心理的につらく苦しく辛抱の必要な行為であることはよく理解しているつもりです。
朝日新聞社広報部長の両角晃一氏も、いくら広報担当という職業上の立場とはいえ、同じ会社の人間の書いたモノではあっても他人の書いたことで謝罪するのはしんどいことなんでしょう。(←あ、謝罪はしてないか(汗))
●ああ、今思い出してもつらいのであります(涙
不肖・木走は零細IT企業を経営しておりますので、立場上謝罪文も抗議文も何回も書く羽目を経験して参りました。
抗議文などはまだ精神衛生上問題はそれほどないのですが、謝罪文はビジネス上のこととはいえこれはかなり精神的にきついのであります。
読者のみなさまにも仕事上謝罪文を書かれた経験のある方はご理解いただけると思うのですが、謝罪文という性質上、100%己の主張を殺して謝罪する相手の立場に立った誠意のある文章を心掛けなければならないわけです。
これがしんどいのです。
自分のミスで謝罪する場合でもしんどいのですが、立場上自分の部下のしでかした失敗などで謝罪文を書く場合などは、まさに人間性の鍛錬というか修行なのじゃないかと思うぐらい、自分を殺して心より謝罪する文章を作成することは、人間のできていない私などのような心せまい俗物には苦行なのであります(苦笑
頭の中は走馬燈のようにいろいろな雑念がめぐりめくのでありますよ。
なんでオレがあんな嫌なやつに謝罪しなけりゃいけないんだ、むこうだって非があるだろうが。。。
なんでオレがこんなバカな部下のために謝罪しなけりゃいけないんだ、ああオレは世界一不幸な上司だ。。。
もう、心臓はバクバク胃はキリキリでありまして、そのような情緒不安定な状態にも関わらず、謝罪文を書く必要になるときは決まって一日を急いで先方に謝罪文を送りお詫びしなければならない状況なのが常なのでありますよね。
じっくり文章を推敲する心理的余裕も時間的余裕もない窮地に立たされるのでございます。
ああ、今思い出してもつらいのであります(涙
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●良い謝罪文作成は人を成長させる by 不肖・木走
まあ零細企業の経営者などは「人に謝るのが仕事」みたいなところがあります。
で、私は謝罪文を何度か作成するうちに自分なりの「良い謝罪文の作成テク」をいつしか身につけました。
ちょっとご披露しましょう。
■テク1:邪念を捨てる〜悪いのは100%私だと心より覚悟する
どうせ謝罪文を書くことを決意したならば中途半端な決意では文章に誠意がこもりません。
そこで心を鬼にして(私だって悪くないとこもある)とか(先方にだって落ち度はあるじゃないか)といった邪念を一切捨てきります。
この件で悪いのは100%自分であると言い聞かせます。
人の世の厄介な点は、実は人様に謝らなければならない羽目になったときでも、こちら側にも何分かの正当な言い分があり、先方にも何分かの指摘し得るような問題点があるモノであります。
しかし、そんな邪念をもっていたらいつまでも誠意ある謝罪文を作成することなどできないわけであります。
■テク2:先方の目線で自分の悪いところを批判する。
テク1で邪念を捨てたなら、出来る限り冷静な自分を取り戻した上で、先方の視線にたって、謝罪しなければならない内容を考えてみます。
なぜ相手が私を怒っているのか、自分が相手の立場だったらどう感じるか、冷静に分析します。
そして、ここが重要なのですが、たしかに失礼な謝らなければいけない振る舞いをしてしまったことを、心から自覚し反省します。
そしてウソ偽りのない素直な気持ちとして心からの謝罪の文をしたためます。
■テク3:建設的な改善策を提示する。
自分が今回の失敗で得た教訓を冷静に考えます。
そして、二度とこのような間違いをしないようにするために、自分としてできる改善策を建設的に相手に示し、そのように努力していくことを誠意を持って約束します。
ここでも重要なのは心から失敗から得た教訓を納得していなければ文章自体に誠意はこもらないことです。
うわべだけの反省など相手は何も望んではいないからです。
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もちろんいつもうまく謝罪文が書けたわけでもなく、ときに余分なことを書いてしまいかえって相手の反発をもらってしまったこともあります。
ただ、出来の悪い私が実感するのは、相手からも一定の評価をいただけたような「良い謝罪文」が作成できたときは、不思議と自分自身も精神的に成長できたような気がするのでした。
「謝罪するという行為」は、ときに人を成長させるのではないでしょうか。
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●朝日新聞がダメなのは、めったに謝罪をしないのでメディアとして成長していないからではないか仮説
ここまで書いてきてとふと仮説を思いつきました。
朝日新聞がダメなのは、めったに謝罪をしないのでメディアとして成長していないからではないか・・・
零細企業のオヤジの仕事上の謝罪文と、天下の公器たる朝日新聞の公開謝罪文を同列に扱うなどとはおこがましいことなのです。(苦笑)
しかし、せんないことをどうこう言っても仕方ないですが、あやまるべきはきっぱりあやまる、「実るほど頭を垂れる稲穂かな」その精神こそ、今回の朝日新聞に必要なのではないのかと思うのでした。
今回の件で、朝日新聞の人たちは「人様に頭を下げる」行為を敗北としてしか理解していないのか、本当に「人様に頭を下げる」必要はないと信じているのか、私には知る由もありません。
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ふう。
私などは「良い謝罪文作成は謝罪する人を成長させる」ものだと思うのですが、今回の朝日新聞の対応はその意味でとても残念なことだと感じましたです。
(木走まさみず)