木走日記

場末の時事評論

元旦早々その「角度」の付いた報道姿勢を見せつける朝日新聞社説

あけましておめでとうございます。

元旦の朝日新聞社説を取り上げたいです。

少し長くなります、お時間のある読者はお付き合いくださいませ。

国連サミットで採択された「持続可能な開発目標(SDGs)」、この国際的かつユニバーサル(普遍的)な目標から、いかに日本の安倍政権を批判する論に展開するのか、その『アサヒロジック』の見事さを読者のみなさんと味わってみたいのです。

まずは「持続可能な開発目標(SDGs)」について、外務省の説明を公式サイトより抜粋。

持続可能な開発目標(SDGs)とは

持続可能な開発目標(SDGs)とは,2001年に策定されたミレニアム開発目標MDGs)の後継として,2015年9月の国連サミットで採択された「持続可能な開発のための2030アジェンダ」にて記載された2016年から2030年までの国際目標です。持続可能な世界を実現するための17のゴール・169のターゲットから構成され,地球上の誰一人として取り残さない(leave no one behind)ことを誓っています。SDGs発展途上国のみならず,先進国自身が取り組むユニバーサル(普遍的)なものであり,日本としても積極的に取り組んでいます。

https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/sdgs/about/index.html

外務省資料「持続可能な開発のための2030アジェンダ」(PDF)によれば、17の目標は以下のとおり。

持続可能な開発目標

目標 1. あらゆる場所のあらゆる形態の貧困を終わらせる
目標 2. 飢餓を終わらせ、食料安全保障及び栄養改善を実現し、持続可能な農業を促進する
目標 3. あらゆる年齢のすべての人々の健康的な生活を確保し、福祉を促進する
目標 4 . すべての人々への包摂的かつ公正な質の高い教育を提供し、生涯学習の機会を促進する
目標 5. ジェンダー平等を達成し、すべての女性及び女児の能力強化を行う
目標 6. すべての人々の水と衛生の利用可能性と持続可能な管理を確保する
目標 7. すべての人々の、安価かつ信頼できる持続可能な近代的エネルギーへのアクセスを確保する
目標 8 . 包摂的かつ持続可能な経済成長及びすべての人々の完全かつ生産的な雇用と働きがいのある人間らしい雇用(ディーセント・ワーク)を促進する
目標 9. 強靱(レジリエント)なインフラ構築、包摂的かつ持続可能な産業化の促進及びイノベーションの推進を図る
目標 10. 各国内及び各国間の不平等を是正する
目標 11. 包摂的で安全かつ強靱(レジリエント)で持続可能な都市及び人間居住を実現する
目標 12. 持続可能な生産消費形態を確保する
目標 13. 気候変動及びその影響を軽減するための緊急対策を講じる※
目標 14. 持続可能な開発のために海洋・海洋資源保全し、持続可能な形で利用する
目標 15. 陸域生態系の保護、回復、持続可能な利用の推進、持続可能な森林の経営、砂漠化への対処、ならびに土地の劣化の阻止・回復及び生物多様性の損失を阻止する
目標 16. 持続可能な開発のための平和で包摂的な社会を促進し、すべての人々に司法へのアクセスを提供し、あらゆるレベルにおいて効果的で説明責任のある包摂的な制度を構築する
目標 17. 持続可能な開発のための実施手段を強化し、グローバル・パートナーシップを活性化する

※国連気候変動枠組条約(UNFCCC)が、気候変動への世界的対応について交渉を行う基本的な国際的、政府間対話の場であると認識している。

外務省資料「持続可能な開発のための2030アジェンダ」(PDF) より
https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/sdgs/pdf/000101402.pdf

この少し硬い邦訳を外務省が「超訳」したのが以下です。

目標 1.貧困をなくそう
目標 2.飢餓をゼロに
目標 3.すべての人に健康と福祉を
目標 4.質の高い教育をみんなに
目標 5.ジェンダー平等を実現しよう
目標 6.安全な水とトイレをみんなに
目標 7. エネルギーをみんなに そしてクリーンに
目標 8.働きがいも経済成長も
目標 9.産業と技術革新の基盤をつくろう
目標 10.人や国の不平等をなくそう
目標 11.住み続けられるまちづくりを
目標 12.つくる責任つかう責任
目標 13.気候変動に具体的な対策を
目標 14.海の豊かさを守ろう
目標 15.陸の豊かさも守ろう
目標 16.平和と公正をすべての人に
目標 17.パートナーシップで目標を達成しよう

すべての国、すべての人が対象であり、「地球上の誰一人として取り残さない(leave no one behind)こと」つまり包摂的な目標であることが唱われています。

貧困・飢餓をなくし、福祉と教育を平等に提供し、気候変動に対策を講じつつ海や陸を守り、産業を振興し雇用を守り、結果、平和と公正をすべての人に提供しよう、という崇高な目標なのであります。

余談ですが、「持続可能な開発目標」は"SDGs"の直訳でありまして、"Sustainable Development Goals"の略称であり、発音は(エス・ディー・ジーズ〉(最後の"Gs"は"Goals"の略なのでジーエスと2音では発音しない)なそうであります。

10年で実現可能なのかなどの議論もありながらですが、まあこの国連で採択された「持続可能な開発目標(SDGs)」自体は、理想的な崇高な目標なのであり、言うまでもありませんが特定の政治色のないニュートラル(中立的)なものであります。

さあここから如何に日本の安倍政権批判に展開していくのか、その『アサヒロジック』の見事さを読者のみなさんと味わってみたいのです。

例年の恒例ですが元旦の朝日新聞社説は普段2本掲げる社説を一本に絞っての力作であります。

(社説)2020年代の世界 「人類普遍」を手放さずに
https://www.asahi.com/articles/DA3S14313780.html?iref=editorial_backnumber

社説は冒頭、「普遍」という言葉の定義から始まり、「持続可能な開発目標」(SDGs)が17の「普遍的な」目標を掲げていることを説明いたします。

「普遍」とは、時空を超えてあまねく当てはまることをいう。抽象的な言葉ではあるが、これを手がかりに新たな時代の世界を考えてみたい。

 国連の「持続可能な開発目標」(SDGs〈エスディージーズ〉)は、17の「普遍的な」目標を掲げている。

 たとえば、貧困や飢餓をなくす、質の高い教育を提供する、女性差別を撤廃する、不平等を正す、気候変動とその影響を軽減する、などだ。

 2030年までに「我々の世界を変革する」試みである。「誰も置き去りにしない」という精神が、目標の普遍性を端的にあらわす。

「人権、人間の尊厳、法の支配、民主主義」は、日本国憲法にも示されている「人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果」なのであり、「普遍的な理念」であると強調いたします。

 人権、人間の尊厳、法の支配、民主主義――。

 めざすべき世界像としてSDGsも掲げるこれらの言葉は、西洋近代が打ち立てた普遍的な理念として、今日に生きる。

 基本的人権の由来を記した日本国憲法の97条にならえば、「人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果」である。

さてここからが、『アサヒロジック』が全開になります。

なぜか移民対策に対するロシアのプーチン大統領の発言が取り上げられます。

 だが、21世紀も進み、流れがせき止められつつあるかに見える。「普遍離れ」とでもいうべき危うい傾向が、あちこちで観察される。

 ロシアのプーチン大統領は昨年6月、移民に厳しく対処するべきだとの立場から、こう述べた。「リベラルの理念は時代遅れになった。それは圧倒的な多数派の利益と対立している」

 リベラルという語は多義的だが、ここでは自由や人権、寛容、多様性を尊ぶ姿勢を指す。

ここでプーチンの指す「リベラル」は「自由や人権、寛容、多様性を尊ぶ姿勢」のことだと、朝日社説は、勝手に定義します。

ここでの詭弁性を指摘しておきます。

まず「持続可能な開発目標(SDGs)」とは直接は関係の無い、プーチンの移民政策に関する「リベラル」批判を取り上げ、「リベラル」を「自由や人権、寛容、多様性を尊ぶ姿勢」と勝手に再定義し、本来政治的にニュートラル(中立的)なはずの国連の「持続可能な開発目標(SDGs)」を、勝手にリベラル色に読者に印象付けています。

ここから、朝日は、「自由と民主主義が押し込まれている」とし、プーチンやトランプ、さらに欧州の排外的移民政策を批判、「排外的な右派ポピュリズムが衰えを見せない」と批判を展開します。

 自由と民主主義が押し込まれている。

 プーチン氏は強権的なナショナリズムを推し進め、米国のトランプ大統領も移民を敵視し、自国第一にこだわる。

 欧州では、排外的な右派ポピュリズムが衰えを見せない。

ここで、各国に「排外的な右派ポピュリズム」が勃興していることを指摘して巧妙に読者に、「持続可能な開発目標(SDGs)」が有する崇高な「リベラル」(と朝日が勝手に誤誘導しただけですが)が持つ「人類普遍」性が、「右派ポピュリズム」により「押し込まれている」と、思わせるわけです。

そしてここで論に日本を持ち出します。

プーチン、トランプ、香港デモと来て日本の安倍政権へと繋げるのです。

見事な『アサヒロジック』です。

「日本はどうか」と読者に問いかけ、強烈な安倍政権批判を展開します。

 日本はどうか。

 「民主主義を奉じ、法の支配を重んじて、人権と、自由を守る」。安倍政権は外交の場面で、言葉だけは普遍的な理念への敬意を示す。

 しかし、外向けと内向けでは大違いだ。

 国会での論戦を徹底して避け、権力分立の原理をないがしろにする。メディア批判を重ね、報道の自由表現の自由を威圧する。批判者や少数者に対する差別的、攻撃的な扱いをためらわない。

 戦前回帰的な歴史観や、排外主義的な外交論も、政権の内外で広く語られる。

批判が足らないからなのか、今では誰もほとんど話題にしない自民党改憲草案の批判まで飛び出します、「人類普遍の原理」という文言を、草案は前文から削除してしまったと指摘します。

 旧聞に属するとはいえ、自民党が野党時代の12年に作った改憲草案は象徴的である。

 現行憲法がよって立つところの「人類普遍の原理」という文言を、草案は前文から削除してしまった。

 代わりに「和を尊び」「美しい国土を守り」などの文言を盛り込んだ。日本の「固有の文化」や「良き伝統」へのこだわりが、前文を彩る。

 この草案にせよ、現政権のふるまい方にせよ、「普遍離れ」という点で、世界の憂うべき潮流と軌を一にしていることはまぎれもない。

ここまでいかがでしょうか。

ニュートラルなはずの国連の「持続可能な開発目標(SDGs)」を勝手にその主張を「リベラル」と染め上げ、世界各国の移民政策を「排外的な右派ポピュリズム」と、強引に「持続可能な開発目標(SDGs)」と対峙させ、批判展開します。

その延長で日本の安倍政権を、「批判者や少数者に対する差別的、攻撃的な扱いをためらわない」と一刀両断します。

社説の後半のロジックではもはや「持続可能な開発目標(SDGs)」との言葉は出現してしません、論の主題は間違いなく、安倍批判に移っているのであります。

社説は結論で唐突に「SDGsはうたう」と話を戻します、そして「高く掲げられる理念は、差し迫った眼前の危機を乗り越えるためにこそある」と結ばれています。

 近代社会を、そして戦後の世界を駆動してきた数々の理念。それを擁護し、ままならない現実を変えていくテコとして使い続けるのか。その値打ちと効き目を忘れ、うかつにも手放してしまうのか。予断を許さない綱引きが20年代を通じ、繰り広げられるだろう。

 SDGsはうたう。

 「我々は、貧困を終わらせることに成功する最初の世代になりうる。同様に、地球を救う機会を持つ最後の世代にもなるかも知れない」

 高く掲げられる理念は、差し迫った眼前の危機を乗り越えるためにこそある。

どうでしょう、この朝日社説は、崇高なSDGsの「高く掲げられる理念」を「それを擁護し、ままならない現実を変えていくテコとして使い続ける」リベラル派と、「その値打ちと効き目を忘れ、うかつにも手放してしまう」安倍政権に代表される「排外的な右派ポピュリズム」と対峙させることで、見事に本来は中立的な国連目標を、痛烈な安倍政権批判に結びつけているわけです。

安倍政権批判はいいのです。

しかしその目的のために、ニュートラルなはずの国連の「持続可能な開発目標(SDGs)」を勝手にその主張を「リベラル」と染め上げる詭弁性を用いて、安倍政権を「排外的な右派ポピュリズム」と印象づけ強引に批判展開するその論法はいかがなものか。

この社説自体の持つある「角度」を感じぜずを得ません、つまりはじめに『安倍政権批判』という目的があり、国連の「持続可能な開発目標(SDGs)」は単に論を展開し目的を達成するための「道具」にすぎないのです。

見事な『アサヒロジック』です。

国連の中立的な「持続可能な開発目標(SDGs)」から、かなり強引に安倍政権批判を導いたのでした。

元旦早々その「角度」の付いた報道姿勢を見せつける朝日新聞社説なのでした。

ふう。



(木走まさみず)