木走日記

場末の時事評論

それにしてもカビくさい朝日新聞社説「戦前の軍国主義と密接な関係がある日の丸・君が代」〜だから日本のリベラルは支持を失うのだ

 さて、東京の都立高校の元教職員が、卒業式などでの君が代斉唱の際に起立しなかったことを理由に、定年退職後に再雇用されなかったのは不当だと訴えた裁判で、最高裁判所は、東京都の判断が不合理とは言えないとして、都に賠償を命じた判決を取り消し、元教職員の訴えを退けました。

(19日付けNHKニュース)

君が代不起立で再雇用せず 元教職員が逆転敗訴 最高裁
2018年7月19日 18時09分
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180719/k10011540261000.html

 卒業式などでの君が代斉唱の際に起立しなかったのは、学校長からの職務上の命令を無視した立派な職務命令違反であります。

 職務命令違反をした不良教員22人を定年退職後に再雇用するかどうかは東京都教育委員会の勝手でありましょう。

 この最高裁判決は極めて常識的な妥当なものだと評価いたします。

 もっとも原告団は「非常に憤り感じる」とお怒りです。

 判決のあと会見を開いた原告団の代表の泉健二さん(71)は「君が代を歌えない者たちを完全に職場から排除しようという不当さを訴えてきたが、最高裁判所の論理は理解できず、非常に憤りを感じている」と話していました。

 さて20日付け朝日新聞社説は「憲法が定める思想・良心の自由の重みをわきまえぬ、不当な判決」と最高裁の判決を痛罵します。

(社説)君が代判決 強制の追認でいいのか
2018年7月20日05時00分
https://www.asahi.com/articles/DA3S13595828.html?ref=editorial_backnumber

 社説冒頭より。

 憲法が定める思想・良心の自由の重みをわきまえぬ、不当な判決と言わざるを得ない。

 「物事の本質に踏みこまない、しゃくし定規な判断」と断罪します。

 物事の本質に踏みこまない、しゃくし定規な判断に驚く。

 戦前の軍国主義と密接な関係がある日の丸・君が代にどう向きあうかは、個人の歴史観や世界観と結びつく微妙な問題だ。

 社説の結びは「社会から自由や多様性は失われる」ので、「この判決を受け入れることができない」と主張して終わっております。

 個人の尊厳を重んじ、多様な価値観を持つことを認めあう。そういう人間を育て、民主的な社会を築くのが教育の使命だ。そして、行政や立法にそれを脅かす動きがあれば、権限を発動してストップをかけることが、司法には期待されている。

 その両者が役割を果たさなければ、社会から自由や多様性は失われる。この判決を受け入れることができない理由である。

 ・・・

 原告団といい朝日社説といい、しかしおかしな主張ですね、この種の起立しない人たちは常々「君が代を歌えない者たち」と自称してますが、より正確には「生徒・学生が主役のはずの学校の公式儀式卒業式での国歌斉唱時に、己の政治的主張を固持、職務命令違反を犯し起立しなかった者たち」なのであります。

 公務員は日本国の税金で飯を食ってるのです。

 もともと国歌と国旗に敬意を払えない人間は公務員なる資格なし、嫌なら民間にいけばいいのです。

 朝日社説は「社会から自由や多様性は失われる」などと大袈裟なことを主張していますが、そもそも職場において無制限の「自由や多様性」を求めるほうが間違いです。

 例えば制服が定められている職場では、服装が作業の安全性・効率性に影響を与えるわけですから、私服で勤務したいと主張しても、恐らく認められることはないでしょう。

 また、接客業や食品製造などに関わる人がだらしなくヒゲや髪の毛を伸ばしっぱなしにしていれば、仕事に差し支える事は明らかです。

 国歌斉唱時に起立しなさいという学校長の職務命令は、主役である生徒・学生の卒業を祝する儀式の中のひとコマなのであり、脇役である教職員が自らの政治的「自由や多様性」を主張する場ではない、ということです。
 それにしても朝日新聞よ。
 いつまで国旗国歌を「戦前の軍国主義と密接な関係がある日の丸・君が代」などと左翼的テンプレートに押し込めて自己欺瞞な議論をするのでしょう。
 ワールドカップで顔に国旗のペイントをして応援する日本人サポーターや元気よく君が代を歌うサポーターや選手に、そいつは戦前の軍国主義と密接な関係があるんだぞ、などとかび臭い主張して御覧なさい、間違いなくドン引きされますよ。
 だから日本のリベラルは支持を失うのです。
 朝日新聞の主張のほうこそ21世紀にそぐわない「しゃくし定規な判断」なのです。



(木走まさみず)