木走日記

場末の時事評論

あっていないなら、自己責任で「断固あっていない」と留保抜きで言い切らんかい!!〜どうも安倍首相の周辺にはリスク管理が甘い側近が多すぎる件

 さて「加計学園」の獣医学部新設をめぐり、当時の柳瀬唯夫・首相秘書官が「記憶の限りでは」とことわった上で、「(誘致自治体側職員と)お会いしたことはありません」と、面会を「否定」したことが物議を醸しています。

 「記憶の限りでは、愛媛県今治市の方にお会いしたことはありません」

 なんだろう、この留保付き「あったことはない」発言は?

 ちょっと英語のお話をします。

 英語の場合、「記憶の限り」に近い言い方としては、"As far as I can remember,..."「私が覚えている限りではね」とかがあります。

 まあこのニュアンスは、ほぼ"I'm not 100 percent sure, but..."「100%の確信はないんだけどね」と同じです。

 そして、しばしば"I may be wrong, but..."「間違ってるかもしれないけどね」と続きます。

 「記憶の限り」を堅苦しく表現すれば、"if my memory serves me correctly,"「私の記憶が正しければ」がほぼ同じニュアンスになります。

 いずれにしてもどの表現でも単純なアメリカ人がこう表現するときは間違いなくその主張に自信がないときですね、私の知っている多くのアメリカ人の友人はほぼ日常会話で言い切り型の自己主張を展開します、小さい時から個人主義で育ってますからね、馬鹿みたいに自己主張しないと「負け組」になっちゃうのです。

 だから彼らにしてみれば、"If memory serves,"「記憶が正しければ」とか"As far as I know"「私の知る限り」とか使うときは、めんどくさい表現なのですが、後で間違っていたことがバレた時の免責・保険みたいなものであります。

 さて元首相秘書官が、公務で首相官邸で特定の日に特定の人物に対して「面会」したか否か、それが後日確認する必要があるとき、いっさいの記録がされてなくなおかつ自己の「記憶の限り」との留保を付けてしか「あっていない」と言えないのは、これは秘書官としての能力が疑われても仕方ないでしょう。

 まず秘書官として首相官邸で何月何日何時にだれだれとどのような要件で「面会」したか、「首相官邸」でありますよ、入管記録すらもないなど有り得ないのであります。

 さらに官邸面会記録がもし本当にないならば、これはもう噴飯物です、行政官として失格です、原発事故の緊急時に、議事録を一切後世に残さなかった愚かな民主党政権(当時)を笑えません。

 で、ここからが強く言いたいのですが、もし実は記録があって、それでも事情があり「面会」したことを認めるわけにいかないので、「あったことはない」と言い切ると偽証になるので、アメリカ人もよく使う免責表現で「記憶の限りあったことはない」としたならば、これは「お馬鹿」丸出し、バカ正直もいいところ、やはり首相秘書官失格であります。

 あっていないなら、自己責任で「断固あっていない」と留保抜きで言い切らんかい!!

 「記憶の限り」ではやっぱり「あっていた」としても「記憶違い」でまかり通っちゃうでしょ?

 今の局面ではそんなあいまいさ・ファジーな表現では国民に悪印象しか与えないことなぜわからないの?

 かえって安倍政権の信頼が落ちるでしょ?

 自己責任で「断固あっていない」と留保抜きで言い切らんかい!!

 いいですか、この局面ではあっているなら「あいました」と認める、あっていないなら「あっていない」と言い切る、二択しかないのです。

 「記憶の限りあっていない」は本人は気持ちに正直かもしれませんが、リスク管理としては最悪の返答です、首相秘書官が、"As far as I can remember,..."「私が覚えている限りではね」で許される局面ではないのですよ、これでは安倍政権にとってかえって疑いが深まるだけでしょう。

 ・・・

 どうも安倍首相の周辺にはリスク管理が甘い側近が多すぎると思います。

 はあ。



(木走まさみず)