木走日記

場末の時事評論

「護憲のともしび」〜朝日・毎日により繰り返される印象操作

 4〜5世紀頃の成立とされるインドの仏教論書である『アビダルマ・コーシャ・バーシャ』は、『阿毘達磨倶舎論』(あびだつまくしゃろん)として漢訳、やがて中国を経由して7〜8世紀には日本にも伝来、その後真言宗、浄土宗、浄土真宗などの日本仏教諸派に大きな影響を与えました。

(関連サイト)

阿毘達磨倶舎論
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E6%AF%98%E9%81%94%E7%A3%A8%E5%80%B6%E8%88%8E%E8%AB%96

 この『阿毘達磨倶舎論』に有名な一節があります。

「寿命は猶(なお)風前の灯燭(とうしょく)の如(ごと)し」

 「人の命というものは、風に吹かれるロウソクの灯火のような心もとないものである」という意味で、ここから、『命のともしび』という表現が生まれ、また今にも死にそうな状態を『風前の灯』と表現し、そこから派生して「危険が迫って滅ぶ寸前であるようす」を指す言葉になったわけです。

 ここから「ともしび」というこの言葉は、「いのち」のように「守り続けて絶やしては決してならない、か弱くも尊いもの」の代名詞として使われるようになりました。

 「ともしび」という言葉の響きにはこのように神聖な清らかさが宿るため、仏教だけでなく、たとえば日本のカトリック教会が制作している歴史あるテレビ番組タイトル『心のともしび』などにも使われていますね。

心のともしび
https://www.tomoshibi.or.jp/

 さて、12年間時事問題を扱ってきた当ブログが苦手な最たるものは、日本の左派勢力の情緒的感傷的センチメンタルでエモーショナルでロマンチックでなおかつ究極の自分勝手なその論法にあります。

 繰り返しますが「ともしび」という言葉の響きには神聖な清らかさが宿りますから、例えば「平和」と言う言葉とも結び付きます。

 この「平和のともしび」はやがて運動になり、これを左派勢力は自分たちの政治活動に利用し始めます、例えば「革新市政の会」(愛知県名古屋市)のこの活動とか、です。

350人がことしも「平和のともしびウォーク」
http://n-kakusin.jp/2012/12/post_493.html

 「ともしび」は、「平和」だけでなくやがて左派勢力の他の主張に拡散していきます。

 そしてそのような「ともしび」の「誤用」「乱用」は、左派メディアが先導するのです。

 例えば1日付けの毎日新聞記事は、堂々と「護憲の灯消さない」です。

毎日新聞記事)

衆院選
九州4県8区で共社一本化 護憲の灯消さない
https://mainichi.jp/senkyo/articles/20171001/k00/00e/010/142000c

 左派メディアによるひどい聴衆誘導は、記事だけではないのです、会見でもです。

 8日13時より日本記者クラブ主宰の党首討論会が開かれました。

日本記者クラブ 党首討論
https://www.jnpc.or.jp/archive/conferences/34942/report

 出席者は▽自由民主党安倍晋三総裁▽希望の党小池百合子代表▽公明党山口那津男代表▽日本共産党志位和夫委員長▽日本維新の会松井一郎代表▽立憲民主党枝野幸男代表▽社会民主党吉田忠智党首▽日本のこころ中野正志代表の8人でありました。

 記者クラブ側は司会が島田敏男(NHK)、代表質問が橋本五郎(読売)、坪井ゆづる(朝日)、倉重篤郎(毎日)、実哲也(日経)の各紙重鎮記者でありました。

 討論会は第1部(党首同士の討論)と第2部(日本記者クラブ委員4人による代表質問)の二部構成だったのでありますが、貴重な時間なのに残念なことに、朝日と毎日の記者が「モリカケ」問題に粘着するものだから、肝心の北朝鮮問題や憲法改正問題にあまり時間が与えられないのでありました。

 そしてようやく残り時間わずかで憲法改正の質疑になったとき、朝日記者がこう質問したのです。

 (社民・共産に対して)「護憲のともしびをいかに守っていくのか」

 なんでしょう、この愚問は?

 そして客観報道を旨とする中立であるべき記者が、全国中継の中で広く国民の前で「護憲のともしび」などとひどい印象操作・聴衆誘導して、どうするのですか?

 ・・・

 朝日・毎日は、ただの錆び付いた政治的主張である「護憲」に神聖な清らかさを宿らせるために、あえて「ともしび」を使っているわけです。
 多くの国民の支持を失っているカビの生えた「護憲」主張なのに、それを現状を無視して「守り続けて絶やしては決してならない、か弱くも尊いもの」に印象操作・美化しているわけです。
 左派よ、「護憲」などのただのチンケな主張に、清らかな「ともしび」を使うな!!、と言いたいです。
 少なくともメディアが「政策」に対し、「護憲のともしび」のようなそのような情緒的感傷的センチメンタルでエモーショナルでロマンチックでなおかつ究極の自分勝手な印象操作・読者誘導をしてはいけません。
 読者のみなさん。

 どう思われますか。



(木走まさみず)