木走日記

場末の時事評論

報道における『命の格差』について考察する


 10日付け朝日新聞のコラム記事が興味深かったです。

アフガンテロ、ある女性の死 報道に思う「命の格差」
編集委員・福島申二
2017年9月10日10時09分
http://www.asahi.com/articles/ASK954RNMK95ULZU00D.html

 コラム全文は是非直接お読みいただくとして、この記事はタイトルが示すように報道における「命の格差」を取り上げています。

 当該部分を抜粋。

 去る7月25日、本紙朝刊の片隅に「カブールで爆発/市民ら36人死亡」という小さな記事が載っていた。

 アフガニスタンの首都で起きたテロを16行で伝えていた。限られた労力と紙幅を思えばやむを得ないとはいえ、1人の名前も人生も、そこにはなかった。欧米のテロに比べて、こうした地域での悲劇は大抵扱いが小さい。命は等価であるはずなのに、まなざしの差は大きい。

 「欧米のテロに比べて、こうした地域での悲劇は大抵扱いが小さい」と、嘆いているわけです。

 このコラムはなぜか、アメリカ主導の「テロとの戦い」をトンチンカンに批判して終わっています。

 だが死者の数を積み上げてきた「テロとの戦い」で世界は安全になっただろうか。武力でなしうることの限界を、16年の歳月は告げているように思われてならない。

 報道における「命の格差」から「テロとの戦い」批判へと急展開、残念ながら結論は朝日らしく恣意的で強引でトンチンカンなのです。

 さて、記事より、もうひとつの箇所を引用します、おそらくここがキモです。

 1通の投書が、「36」という数字の中からアジザさんを救い上げたように思われた。それとともに、命の格差を思わずにいられなかった。たとえば英国のコンサート会場で22人が死亡したテロは「世界の悲劇」になっても、アフガンの36人に世界は無表情なまま動かない。

 ここですね、「英国のコンサート会場で22人が死亡したテロ」と「アフガニスタンの首都で36人が死亡したテロ」の扱いの違いを、この記事は「命の格差」と表現しているわけです。

 なぜメディアでは片方だけが「世界の悲劇」扱いなんだと、この朝日記事は憤っているわけです。

 朝日新聞がお茶目だなと思うのは、

 メディア批判するのはいいですがそんなあなたもメディアなんですがどうしましょう?

 ということです、毎度のことながらなのですが、朝日は自己批判ぜずにメディア批判してしまっていて、どこぞの政党みたいにひとりブーメラン(自爆)をまたしてるんですよね。

 まあ、お茶目な朝日コラムなのですが、この記事が指摘する「報道における『命の格差』」という視点は、興味深いです。

 「英国のコンサート会場で22人が死亡したテロ」と「アフガニスタンの首都で36人が死亡したテロ」の扱いの違い、この意味するところは何なのでしょうか。

 これは日本のメディアが海外の事件の報道には、まだまだ欧米メディアに頼っている事実が背景としてありそうです。

 欧米メディアは当然ながら遠く離れたアフガニスタンのテロよりもロンドンやパリのテロに関心を持ち、圧倒的な報道量の差が生じます。

 これを朝日コラムのように『命の格差』と一方的なレッテル貼りをして批判的にとらえるのはフェアとは言えません。

 確かにアフガニスタンのテロなどベタ扱いですが、欧米メディアがそのような「偏り」報道するのは、遠くの「悲劇」よりも身近な「悲劇」に関心が集まる自然なことでもあるわけで、そこに「格差」や「差別」的な発想をからめるのは、いかにも朝日新聞的でよろしくないです。

 それよりもそのようなある種「悲劇」を自分たちの身近に偏り「報道」する欧米メディアに、頼りきってそれに追従して報道を垂れ流す朝日新聞はじめ日本のメディアのあり方にこそ、自覚的に批判していただきたいものです。

 ・・・

 日本では、世界で起こる「悲劇」を報道するとき、欧米側「悲劇」中心の報道になっている、これは事実でありましょう。

 朝日新聞は人ごとのように憤っているわけですが、報道に『命の格差』が発生しているとすれば、当然ながらその主犯は明らかにメディアであります。

 ただ、我々日本人としてもそのような「偏向」報道に影響されている側面は、しっかり自覚すべきでありましょう。

 ロンドンのテロはメディアにより圧倒的に報道されるため多くの日本人が「世界の悲劇」と心に刻みますが、アフガニスタンのテロなど下手をすると記憶にとどめておかないことでしょう。 

 このあたりのことを調べたサイトがありますのでご紹介しましょう。

Map Of The Day: Which Nations’ Tragedies We Care About And Which We Don’t

http://all-that-is-interesting.com/tragedy-world-map

 このサイトのタイトルは"Which Nations’ Tragedies We Care About And Which We Don’t"、訳すと「私たちはどの国の悲劇が気になるの?気にならないの?」です。

 で、「悲劇の世界地図」と題されたもので、世界のどこかで何か悲劇的な災害や事件などが起きた際、欧米の人たちが悲しむ度合いが国ごとに色分けされています。

 色分けですがこの5段階。


赤:WHAT A TERRIBLE TRAGEDY!(なんて酷い悲劇なんだ!)
黄:THAT'S SAD!(ああ悲しい!)
緑:WELL,LIFE IS LIKE THIS(まぁ人生はこんなもん)
青:WAIT,DOES THIS COUNTRY EXIST?(え、こんな国あった?)
茶:WHO CARES?(だから何?)

 この図で赤色ですが英国はもちろんほぼ欧米諸国でありまして、でアフガン辺りは青色ですよね。

 つまり「悲劇」が起こった場所により、ロンドンのように"WHAT A TERRIBLE TRAGEDY!"(なんて酷い悲劇なんだ!)との大きな反応になったり、アフガンのように"WAIT,DOES THIS COUNTRY EXIST?"(え、こんな国あった?)とか"WHO CARES?"(だから何?)という冷淡もしくは無反応になるわけです。

 この地図で興味深いのは、米、豪、ヨーロッパ諸国以外の国で赤いのは、日本と見づらいですがイスラエルの2か国だけなんですね。

 これですね、欧米の人々が心情的にどの国までを「仲間」と考えているのか、そのような視点で考えてみるのも、おもしろいかもです。

 日本はアジアで唯一「赤い」わけですが、朝日的に言えば「名誉白人」(苦笑)のような自虐的評価になりそうですが、冷静に見れば欧米と同じ民主的な価値観を共有できる国であると日本を評価しているともいえそうであります。

 今回はお茶目な朝日コラムから「報道における『命の格差』」について考察してみました。



(木走まさみず)