筒井康隆氏の慰安婦像に対する「衝撃的な妄言」を支持する
さて筒井康隆氏であります。
韓国の朝鮮日報記事によれば、「人気小説『時をかける少女』で知られる日本の小説家、筒井康隆氏が、旧日本軍慰安婦を象徴する少女像を性的に侮辱する衝撃的な妄言を発した」ということであります。
【朝鮮日報】
慰安婦:筒井康隆氏が衝撃妄言、少女像を性的に侮辱
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2017/04/06/2017040603299.html
筒井氏は6日、自身のツイッターで「長嶺大使がまた韓国へ行く。慰安婦像を容認したことになってしまった」とした上で、少女像の前まで行って射精して精液まみれにしようなどと書き込んだ。
うむ、「少女像の前まで行って射精して精液まみれにしよう」この日本の作家による「衝撃的な妄言」にお隣の国韓国は騒然としております。
これに対してご本人は朝日新聞の取材に対して、「炎上狙った」とその意図を述べています。
【朝日新聞】
筒井康隆さん、慰安婦像への侮辱促す? 「炎上狙った」
http://www.asahi.com/articles/ASK473GJ1K47UCVL00C.html
記事より筒井氏発言部分を抜粋。
「あんなものは昔から書いています。ぼくの小説を読んでいない連中が言っているんでしょう。本当はちょっと『炎上』狙いというところもあったんです」と明かす一方、「ぼくは戦争前から生きている人間だから、韓国の人たちをどれだけ日本人がひどいめに遭わせたかよく知っています。韓国の人たちにどうこういう気持ちは何もない」とも話している。
うーむ、ご本人は「あんなものは昔から書いています」とあっけらかんですが、世間では批判が上がっています。朝日記事より。
今回のブログやツイッターに対し、ネット上では「筒井さんの作風」と擁護する声がある一方、「セカンドレイプにしか受け取れない最低な発言」「不謹慎の方向がおかしくなっている」「『下劣』としか評しようがない」などと批判が上がった。韓国紙の朝鮮日報日本語版も「衝撃的な妄言」などと批判している。
で、筒井氏らしいなあと思うのは、当該のツイッターのささやきは削除してますが、大元のブログの文章はそのまま放置(4月6日8時現在)しています、ご立派です。
筒井康隆氏『ブログ偽文士日録』
http://shokenro.jp/00001452
右ページに当該文章があります、確認のためご紹介。
筒井康隆氏『ブログ偽文士日録』1037ページより
http://shokenro.jp/00001452
長嶺大使がまた韓国へ行く。慰安婦像を容認したことになってしまった。あの少女は可愛いから、皆で前まで行って射精し、ザーメンまみれにして来よう。
各メディア記事では「性的な侮辱表現」(朝日新聞記事)などとぼかされていますが、原文は「ザーメンまみれにして来よう」と強烈であります。
それにしても「炎上目的」もあったとはいえ、この微妙な時期にこのお下品な慰安婦像に対する「衝撃的な妄言」(朝鮮日報)であります。
筒井氏の真の意図はどこにあるのでしょうか?
青春時代からツツイスト(筒井康隆氏の熱狂的なファン)を公言してきた古谷経衡氏が本件に関し、筒井氏の意図を解説しております。
筒井康隆氏の「慰安婦像ツイート炎上事件」をどう捉えるべきか?
https://news.yahoo.co.jp/byline/furuyatsunehira/20170407-00069625/
古谷経衡氏によれば、「今回の筒井氏の「慰安婦像ツイート」を「ネット右翼」や「右傾化」の文脈でとらえる」ことは「間違い」なのだそうです。
つまり筒井文学を読解すればするほど、それが単なる「ブラックで不謹慎な作風」「タブーに挑戦する作家」などには当てはめることができず、また通俗的な「エロ・グロ・ナンセンス」に落とし込めるだけの代物でもないことなど、分かり切ったことなのである。今回の筒井氏の「慰安婦像ツイート」を「ネット右翼」や「右傾化」の文脈でとらえる向きもあるが、そのような文脈は事ほど左様に間違いであり、筒井康隆氏の作風を知っていれば、筒井氏ほど「同調圧力」に異を唱えてきた作家は居ないことが理解できるというものである。
その真の目的は「「性に関する歴史的問題」すら相対化して笑うのだ、という氏が従前から貫いてきた批判精神や道徳への懐疑を開陳したまで」なのであると喝破いたします。
筒井氏は慰安婦像を性的表現で揶揄することによって、「慰安婦問題とはかく論じられるべきである」という同調の雰囲気を皮肉ったのであり、それを無知蒙昧なネット右翼や右傾化の文脈に絡めて批判すること自体、筒井文学のもつ批判精神から最も遠いと言わざるを得ない。筒井氏は慰安婦問題の是非を論じたのではなく、「性に関する歴史的問題」すら相対化して笑うのだ、という氏が従前から貫いてきた批判精神や道徳への懐疑を開陳したまでの事であり、それは繰り返すように、筒井氏がその作家時代の前半で盛んに開陳してきた、いわば筒井文学の根底を成すものであり、特段驚くにはあたらないのである。
なるほど、今回の事件はツツイスト(筒井康隆氏の熱狂的なファン)でなければ理解不能な崇高な「「性に関する歴史的問題」すら相対化して笑うのだ、という氏が従前から貫いてきた批判精神や道徳への懐疑を開陳」が目的なわけですね。
だから朝日新聞の取材でも筒井氏ご本人が渦巻く批判に対し、「ぼくの小説を読んでいない連中が言っているんでしょう」とのたまっていらっしゃるわけですね。
そうですか、「あの少女は可愛いから、皆で前まで行って射精し、ザーメンまみれにして来よう」発言は、「「性に関する歴史的問題」すら相対化して笑うのだ、という氏が従前から貫いてきた批判精神や道徳への懐疑を開陳」だったわけです。
・・・
スミマセン、ツツイストではない当ブログには、このお下品な表現の、どこが「批判精神」なのかよく理解できません、「ザーメンまみれにして来よう」あたりでしょうか、頭の悪い私にはよくわかりません。
読者のみなさんはこの文章から、筒井氏の崇高な「性に関する歴史的問題」すら相対化して笑う批判精神を理解できましたでしょうか?
理解できた? うむ、それはよかったです、うらやましい。
・・・
さて筒井氏の崇高な批判精神への理解は各個人の受け止めに委ねるとして、それはともかく、本発言はご本人のそのような崇高な精神とは裏腹にひとり歩きしています、特にお隣の国韓国では、お下品な慰安婦像に対する「衝撃的な妄言」(朝鮮日報)として、衝撃を与えています。
この事態をどうとらえるべきでしょうか?
当ブログとしてはこの日本人作家の発言を肯定的に評価したいと考えます。
そろそろ日本人の忍耐も限界だぞ、とのワーニング(警告)としての効果です。
一般に日本人の我慢のしきい値は国際的に相当高いと思われています。
つまり、めったなことでは日本人は怒りません。
慰安婦問題においても韓国では、少々外交的儀礼を欠いた振る舞いを韓国がしてしまっても日本は我慢する、決して怒ったりはしない、という「甘え」がはびこっていると思うのです。
慰安婦像を撤去するよう努力する約束をしながら、その国際的な国家間の公約を平気で無視して慰安婦像を平気で新設する、この事態に外交官を一旦帰国させた日本に対し、何の対処もせず、そればかりか、国際情勢を鑑み外交官を戻し政府要人との接触を要望した日本に対し、「いきなりは外交的に非礼」などと理由付けをしてこれを無視します。
温厚な日本人も相当フラストレーションが溜まってきたわけで、そろそろ我慢の限界に近づいていることを、かの国にわからせるためのワーニングとして、今回のお下品な筒井発言はよろしいのではないでしょうか?
これが日本政府要人が発言すればそれはそれで外交儀礼的問題に発展しかねませんが、そこはそれ、一日本人小説家のただの「妄言」であります。
韓国の人々に「日本人は決して感情的にならない」「めったなことでは日本人は怒らない」という慢心があったとするならば、それに対して警告になることでしょう。
いいかげんにしないとそろそろマジギレしますよ、と。
( かつて、日本人がマジギレしたら 帝政ロシアと大清帝国が消えて無くなり、欧州の植民地のほとんどが独立してしまったわけで、普段おとなしいこういうタイプが切れると手に負えないのですよ、と(^^ゞ )
筒井氏の今回の発言。
当ブログとしてはこの日本人作家のお下品発言を、そろそろ日本人の忍耐も限界だぞ、とのワーニング(警告)としての効果を、肯定的に評価・支持したいと考えます。
(木走まさみず)