木走日記

場末の時事評論

若い東京都民有権者の諸君へ

 さて東京都知事選であります。

小池百合子氏「覚悟決め」出馬踏み切り 党推薦なし
http://www.nikkansports.com/general/news/1674138.html
都知事石田純一氏「野党統一候補なら出たい」
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160708/k10010587631000.html
マック赤坂氏、石田純一に苦言「全然勉強していないねえ」
http://www.hochi.co.jp/topics/20160708-OHT1T50147.html
増田氏、10日に出馬表明=自民、分裂確実に―石田氏も前向き・都知事
http://news.yahoo.co.jp/pickup/6206937
東国原氏が暴露!?鳥越俊太郎氏が都知事選出馬を準備
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160707-00000044-sph-soci
宇都宮健児氏、出馬の意向…11日会見
http://mainichi.jp/articles/20160708/k00/00m/040/069000c
山口敏夫元労相出馬会見詳報 「地獄の1丁目で閻魔大王と面談」「監獄から生還した“傷だらけの人生”」
http://www.sankei.com/politics/news/160706/plt1607060012-n1.html

 うむ、例によって多くの多彩な才能と経歴の方々が東京都知事選に立候補される模様です、もうお腹いっぱいです、一東京都民として選択肢が広がることは歓迎であります、この場をお借りして候補者の皆様には感謝申し上げます、誠にありがとうございます。

 さて珍獣あり、猛獣あり、人畜無害な愛くるしい愛玩あり、絶滅危惧種あり、と、なんでもござれな例によって軽く「動物園」状態(苦笑)の賑わいを見せてきた東京都知事選なのであります。

 今年初めて都知事選挙投票権を行使する若い人もいらっしゃることでしょう。この候補者乱立の様相に、誰に投票すべきなのか悩んでいる若者もいるやもしれません。

 余計なお世話ながら東京都民としての都知事選にどう望むべきか、アドバイスをさせていただきましょう。

 古(いにしえ)よりこの国は八百万(やおよろず)の神々に守られてきたことはみなさんもご承知でしょう。

 あ、ここで表現されている、「やおよろず」とは具体的には、ものすごーくたくさんと言う意味ですね、800万という意味ではありません、念のため。

8と言う数字に無限の様にいっぱいという意味が内包されているんですね。

 家の中でも、神棚だけでなく、便所の神様、台所の神様など、街を歩けば、交差点等の辻の神様、山行けば山の神々、まぁこの国は神様だらけなわけです。

 古来日本人は、多くの災害に見舞われてきたこの島国の中で、自然に対する畏怖の念と、その自然がもたらしてくれる恵(めぐみ)と、その中でかろうじて生かされている自分の命のその「はかなさ」「小ささ」、しかしだからこその命のありがたさ、生かされていることへの感謝の念を、八百万への神々への信仰という形で、日本人特有の道徳とアニミズムを融合する形で、「神道」の教えとしてきたのでしょうね。

 その意味で神道は「宗教」というよりも私たち日本人の「生活感」「人生観」そのもののように感じることができますね。

 さて数年に一度、八百万の候補者が集うこの東京都知事選において、私たち有権者の心持ちはどうあるべきか、まさに八百万の神々を信仰してきた神道の精神にもとづく、寛容と感謝と畏怖と、そして思慮深くひとりひとりの候補者の訴える言葉に耳を傾けるべきでしょう。

 その候補者に貼られているであろういろいろなレッテルに惑わされることなく、真摯な気持ちでまずは各候補者の主張を受け止めて、そのうえで冷静に自身の貴重な一票を投じるべき候補者を選択いたしましょう。

 神々の中にはいろいろな神がいらっしゃるように、いろいろな候補者が集うこの都知事選は、数年に一度の「政(まつりごと)」であると考えましょう。

 むかしからこの国では、祭政一致であったところから、「政(まつりごと)」と「祭り事(まつりごと)」は区別されることはありませんでした。

 毎回、軽くお祭り(フェスティバる状態)のように候補者乱立になる都知事選も、まさに「政(まつりごと)」であるとともに、文字通り「祭り事(まつりごと)」ととらえれば、古よりこの国で守られてきた伝統行事のようなものだと、おおらかに解釈いたしましょう。

 ・・・

 若い有権者の諸君。

 さていまアドバイスしたとおり、都知事選においては、まさに八百万の神々を信仰してきた神道の精神にもとづく、寛容と感謝と畏怖のを抱きつつ、思慮深くひとりひとりの候補者の訴える言葉に耳を傾け、そのうえで冷静に自身の貴重な一票を投じましょう。

 ただひとつだけ、諸君には覚悟していただきたいことがあります。

 祭りや宴(うたげ)の後には、必ず寂しさが伴うことです。

『歓楽極まりて哀情多し』(かんらくきわまりてあいじょうおおし)(出典:漢武帝・秋風辞)、喜びや楽しみが頂点に達してしまうと、そのあとから切々とした悲しみの気持ちがわいてくるということです。

 祭りが終わり、部屋で一人静かにしていると、無性に寂しく感じます。

 夏が終わり夜涼しい風が吹き、鈴虫の声が聞こえて来ると、言い様の無い寂しさを感じるものです。

 祭りや宴の最中は、どうしても情熱(パッショ)や熱狂する気持ちが、沈静する気持ちよりも強くなります。

 祭りが終わると、熱狂する気持ちの方が先に消えてしまいます。後には、沈静する気持ちだけが残されます。ですから、耐えられない程の寂しさを感じるのです。

 そして、もう暫らくすると、沈静する気持ちも消えて、冷静に普段通りの心に戻るのです。

 そうするとややもすると自分達で選んだ都知事のその能力や行状が、いやがおうでもその真の姿が見えてきてしまうものです。

 もしや貴方は投票の後で、しばらくしてこのような「虚しさ」や、あるいは自らの投票行為に後悔の念を抱くやもしれません。

 どうかそのようなときはあまり落ち込まないようにしてくださいましね。

 なあに、東京都民はここ何回も『祭りのあとの寂しさ』にも、『自らの投票行為への後悔の念』にも苛まれておりますから、私も含めて・・・

 あなただけじゃありませんから。

 でも大丈夫、また数年のうちに政(まつりごと)は始まります、次こそは冷静に正しい選択をすればよろしいのです。

 そうやって多くの東京都民は自らの過ちを省みながら、しかし未来への希望を捨てず、今日も毎日楽しく憂いなく過ごしているのでございます。

 ふう。



(木走まさみず)