木走日記

場末の時事評論

「民進党」が抱える集団的”病理”を象徴する岡田代表の無理筋な政府批判

民進党であります。

 民進党岡田克也代表は2日、バングラデシュの人質立てこもり事件に関して、菅義偉官房長官が官邸を離れて参院選の応援のため新潟県内で遊説したことに関し、「(安倍晋三)内閣の危機管理に対する正常な感覚が失われているということがはっきり出た」と批判いたしました。

 岡田氏は、首相と官房長官2人ともが選挙応援のため官邸にいないというのがこの選挙戦でしばしばあった点(今回は2人ともにいた)、今回官房長官が、邦人が巻き込まれた事件が発生したにも関わらず、新潟に選挙応援に出かけた点、そして現地で治安部隊の強行突入が起きても東京に戻らず「のんきに新潟で街頭演説を2回やって」(岡田氏)いた点を、「内閣の危機管理に対する正常な感覚が失われている」重大な問題だと批判いたします。

 報道より岡田氏の当該部分発言を抜粋。

 「今回のことは(日本政府に)致命的なミスが2つあったと思う。何もないときに、危機管理として基本的には首相か官房長官が官邸周りにいるのが今までの慣例だ。それを2人ともいないというのが、この選挙戦で当たり前になっている。もし何か起きたときに、いったいどうやって対応したのかという問題がある。今回、結果的には2人ともおられたのでよかったが、やっぱり2人とも官邸を空けることはまずいことがはっきりしたと思う」

 「もう一つは、現実に事件が発生した。官房長官が、邦人が巻き込まれた可能性を記者会見でも言った後、新潟に出かけられたという信じられないことが起きた。事件が起きる前なら、どちらかが残っていればいいということかもしれないが、すでに事件が起きているときに、安全保障をつかさどる要である官房長官が選挙の応援で官邸を外してしまったということだ」

 「そして途中で(治安部隊が現場に)突入するということがあったにもかかわらず、官邸に戻ってこなかった。途中で国家安全保障会議(NSC)もあったのに、それも欠席。それから途中で下車して戻ってくることが可能であったにもかかわらず、それをせずにのんきに新潟で街頭演説を2回やって、(午後)6時過ぎか何かに戻ってくるという話だ。すでに事件が起こっていても戻ろうとすらしない官房長官というのは、私はちょっと信じられないんですね」

 「ここは本当に大きな問題だ。内閣の危機管理に対する正常な感覚が失われているということがはっきり出てきたと思う。邦人の命がどうなっているか分からない事態であるにもかかわらず、官房長官が官邸を空けて街頭演説をやっている。これは極めて重大な問題だ。官房長官がどういうふうに釈明するか分からないが、きちっと責任をとるべきだと私は思う」

2日付け産経新聞記事より抜粋
民進岡田克也代表、さっそく政府対応を批判 「致命的なミスが2つあった」
http://www.sankei.com/politics/news/160702/plt1607020062-n1.html

 当ブログは、邦人7人が犠牲になった痛ましいテロ事件の発生を受けての、野党第一党代表のこの発言は、何重もの意味において、実に残念な発言であると考えるものであります。

 本件のような痛ましいテロ事件を、ときの政権批判に即結び付けるその政治的”悪手”ぶり、そしてその悪手に飛びつくことの政治的リスクを全く考慮していない党代表と党幹部連たち、さらにいえばその愚行に対し組織として無批判にスルーする「民進党」が抱える集団的”病理”を、実にシンボリック・象徴的に具現してしまったわけです。

 まず今回のバングラディッシュで発生したテロ事件において、日本政府がこのタイミングで取れる対応は実に限られていたわけです、安倍首相がバングラデシュのハシナ首相と電話会談し「人命最優先で対応を」と要請いたしましたが、他に具体的なすべは何もなかったことでしょう。

 これは別に日本政府だけではない、今回犠牲者を出した国ではイタリア人9人、米国人、インド人も犠牲になられたわけですが、このようなソフトターゲットを狙った海外で起こった突発的なテロ事件に対しては、情報収集以外はどの国も事実上打つ手はなかったわけです。

 一歩譲って、岡田氏が指摘する官房長官官邸不在が政府の危機管理上テクニカルな問題があったとしましょう。しかしそれは、情報収集上あるいは日本政府の対応上いかなる支障があったのか、どのような問題が発生しうる可能性があったのか、事実に基づいた冷静な問題分析を踏まえた上で、今後のこの国の危機管理体制の強化を図るべきなのであり、この局面で政治的に利用し「きちっと責任をとるべき」などと官房長官の個人攻撃に向かうのは、あまりに非建設的であり、表層的な批判がための批判であると思わざるを得ません。

 日本政府の対応がいかようであろうとも、この邦人を巻き込んだ悲劇は発生したのであり、官房長官が官邸にあろうといなかろうと、この最悪の結果に影響を与えることは残念ながらなかったわけなのです。

 その意味で岡田代表の本件に関する政権批判は、実に筋の悪い政治的”悪手”だと思われます。

 そしてこの民進党の無理筋の政権批判が国民・有権者にどう映るのか、どのような心象を与えてしまうのか、理解が及んでいないことがより残念なことなのであります。 

 民進党は、本件のような痛ましいテロ事件までを、ときの政権批判に政治利用している
 国難に際しても自らの具体的プランを建設的に提示するのでもなく、ただただ他者の批判をすることで自己満足している集団・・・
 一般有権者の心に民進党はこのように映っているのかもしれません。

 揚げ足取りのように細かいことで根拠も薄弱なのに他者を執拗に批判する者。

 これは、自分に自信がない人が、自らの自尊心を維持するために、他に術がなくターゲットに対して悪口を言う場合がほとんどです。

 つまり、ターゲットの悪口を広めることにより、相対的に相手の価値を下げようとします。

 これは、ある意味、汚れた部分の人の本能です。多かれ少なかれ、民進党だけでなく誰もがもっている劣等感がなせる悪しき「行動」であります。

 しかしこのような行為が結果的に自分自身の社会的立場を貶めてしまうことを普通は学んでいくものです。

 選挙で選ばれたすぐれた人たち、つまり「選良」であるはずの民進党の議員諸氏がなぜこのような常識的判断を有していないのでしょう。

 民進党が批判する自公政権に対してよりも、無理筋で批判を繰り返す民進党に対してにこそ、国民の不信の目が向けられることに、なぜ気がつかないのでしょう。

 今回の岡田発言の意味するところは、発言内容もたいへん残念なものですが、それ以上に、本件のような痛ましいテロ事件を、ときの政権批判に即結び付けるその政治的”悪手”ぶり、そしてその悪手に飛びつくことの政治的リスクを全く考慮していない党代表と党幹部連たち、さらにいえばその愚行に対し組織として無批判にスルーする「民進党」が抱える集団的”病理”を、実にシンボリック・象徴的に具現してしまった点にこそあると思えます。

 このような集団が野党第一党であること自体が、この国の国民にとって誠に残念なことだと、当ブログは憂えるものであります。



(木走まさみず)