木走日記

場末の時事評論

日本にとって米軍の駐留は負の側面だけなのだろうか?

 20日付けBLOGOSにて、小林よしのり氏が怒りのエントリーをされています。

小林よしのり
2016年05月20日 17:56
同胞女性を守れない日本人男性
http://blogos.com/article/176319/

 失礼して抜粋。

こういう残酷な事件はこれで終わりにはなるまい。
また必ず起こる。
だからこそ、米軍基地を沖縄に集中させておくことは、いや、日本列島に他国の軍隊を駐留させたままでいることは、我々本土の者たちの堕落であり、罪悪なのだ!
同胞の女性を守れない日本の男たちは恥ずかしいと思わないのだろうか?

 うむ、お怒りは理解します、考えさせられます。

 小林氏は保守派の論客ではありますが、彼の持論はそもそも反米自主独立でありますから、この悲惨な事件をもって、「日本列島に他国の軍隊を駐留させたままでいること」は「罪悪」であるとの主張は、彼のこれまでの主張との連関からは納得のいくものです。

 ただし、もちろん彼のこの「全基地撤去」の主張は、呉越同舟と申しましょうか、一部強行リベラル派とシンクロナイズ・同調してしまうわけです。

 例えば22日付け琉球新報の社説です。

<社説>全基地撤去要求 日米政府は真剣に向き合え
2016年5月22日 06:02
http://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-283584.html

 社説の結語より抜粋。

 オバマ米大統領の広島訪問前に事件が起きたことに触れ、政府関係者が「本当に最悪のタイミング」と発言したことが一部で報じられた。事件そのものではなく、時期が最悪だとの認識だ。別の時期なら事件が起きてもよいのか。犠牲者の無念さに一片の思いも寄せられない冷酷な人間の発想だ。
 これ以上、言葉だけの再発防止策など聞きたくない。全基地撤去を求める声に、日米両政府は真剣に向き合うべきだ。

 確かに一部報道による政府関係者の「本当に最悪のタイミング」発言は、匿名とはいえ、犠牲者や親族また沖縄県民に対する配慮を全く欠いた発言であります。

 小林氏。

同胞の女性を守れない日本の男たちは恥ずかしいと思わないのだろうか?

 琉球新報社説。

全基地撤去を求める声に、日米両政府は真剣に向き合うべきだ。

 この許されざる悲惨な犯罪行為を前にすれば、これらの悲痛な主張に正面から反論することは極めて難しいことです。

 犯人が元海兵隊の軍属であり、元を正せば沖縄に米軍基地がなければ、この悲劇的な蛮行を犯した男は、確かに沖縄には存在していなかった可能性は大なのであり、そうしたならば被害者が命を落とすこともなかったにちがいありません。

 そこでしかしです。

 「国防」の視点で少し冷静に考えてみたいのです。

 在日米軍の存在は、極東で確実に戦争に対する抑止力になってきたことは、戦後70年、この国が一回も戦争の惨禍に巻き込まれることなく平和を享受してきた事実を正当に評価すれば、当ブログとして肯定的に評価しております。

 歴史にイフ(もしも)はないのですが、もしも戦後70年、この国が曲がりなりにも平和を維持できたのは例えば「憲法9条」のおかげであり日米同盟は関係ない、米軍が存在しなくても平和は維持できていたはずだ、という意見(仮説)は成立するのでしょうか。

 実は在日米軍の存在は、日本の軍国主義復活に対する「重石」の側面を持っていたことは国際的には繰り返し語られてきた支持の多い論考であります。

 もし在日米軍の存在がなければ、日本は否応なく自主自衛の道を歩まざるを得ず、防衛的戦力だけでなく攻撃的戦力も莫大な軍事費を割いて有することになっていたかもしれません、核兵器も含めて。

 そのような日本の軍事的暴走に歯止めをかけるためにも、米軍駐留は日本の防衛費拡大への「重石」としての役割を持っていた側面もどうか冷静に留意していただきたいのです。

 再度小林氏の意見。

同胞の女性を守れない日本の男たちは恥ずかしいと思わないのだろうか?

 この度の事件に対しては一日本人の男として私にしても、忸怩たるおもいがあります。

 在日米軍がここまで沖縄に集中している現実もあります。

 だけれども、この悲惨な事件をもって、過去70年の在日米軍の存在の意味合いを、全否定するような情緒的な主張には、私は同意しかねるのであります。

 米軍が去ったことにより、より大きな惨禍がこの国にもたらされるとすれば、より多くの「同胞」を守れなくなることにもなるかもしれません。

 関係各位にはどうか冷静な議論をしていただきたく思います。



(木走まさみず)