木走日記

場末の時事評論

この国に健全な野党が生まれるためにはどうすればいいのか?


 日本には自民党の政策に対抗しうる政策立案能力のある健全な野党が必要であります。

 そのような有能な野党が存在すれば、国会の論戦も緊張感がみなぎり有益な議論が展開され、ときに政府案はその欠点が修正もしくは改正され、結果、この国の立法府の能力向上、すなわち良質な法案が多く成立され、最終的には国民の利益にも貢献することでしょう。

 ジャーナリストの俵総一朗氏もBLOGOSにて、「民主党と維新の党は、合流したひとつの党として」「独自の法案を国民に示してほしい」と訴えております。

田原総一朗
2016年03月07日 22:22
民主党と維新の党が合流して、絶対にやらなければいけないことはこれだ!
http://blogos.com/article/165249/

 失礼してエントリーの結びを抜粋。

民主党と維新の党は、合流したひとつの党として議論を重ねるべきだ。そして、独自の法案を国民に示してほしい。今、日本の憲法、そして安全保障問題は、大きな分岐点にさしかかっている。合流した2つの野党が、意見を集約させ、自民党に対案を突きつけることができるのか。ただ議席数を多くするための合流では、国民にとって何の益もないのだ。

 うむ、「ただ議席数を多くするための合流では、国民にとって何の益もない」、ここは異論ありません。

 ただ、田原氏の論説は彼流の「野党愛」に満ちてはいるのですが、いかにも国民の意識に対する認識が甘いのではないでしょうか。

 世論調査で見ても多くの国民は民主党と維新の党の合流には何の期待も持ってはいないでしょう。

 それも当然、多くの国民にとって、鳩山・菅・野田三代三年半続いた民主党政権の体たらくは、もはやトラウマになっているといっても過言ではないでしょう。

 でも、日本には自民党の政策に対抗しうる政策立案能力のある健全な野党が必要なわけであります、では、どうすればそのような野党が誕生し国民の支持を再び取り戻すことができるのか?
 
 今回はこの問題を当ブログとして、三点に絞り考察してみたいのであります。

考察1:新党名からは「民主」の文字を排除すべき

 さて、民主維新による新党でありますが党名からは「民主」の文字を排除すべきであります。

 党名などは本質的問題ではありませんが、国民の支持を広く得たいのなら、国民のトラウマになっている「民主」の文字は排除すべきであります。

 当ブログとして民主党政権の体たらくの残したこの国の将来に渡る大罪は2つあると認識しております。

 ひとつはこの国において、非自民政権はダメだと、国民に痛いほど認識させたことです。

 これは自民党に慢心をもたらし政治的緊張感を弛緩させ、この国に政策的貧困をもたらします。

 もうひとつの罪は「民主」という単語に致命的なダークな色をつけてしまったことです。

 本来、民主党"Democratic Party"という党名は民主主義を体現している由緒正しい名称でした、それを三代続いた民主党政権によって、「民主」という健全だった言葉に、すっかり色がついてしまった、香ばしい匂いが染み付いてしまったのです。

 「反戦」とか「平和」とかそもそも健全だった言葉が一部左翼政党のお陰ですっかり香ばしい言葉に変質してしまったように、「民主党」という言葉も、もはやそこに斬新性や躍動感をイメージすることは不可能です。

考察2:野合を排し、異物を排し、組織としての能力の向上をまず目指せ
 新党ははっきりと政策立案能力を向上させるためには、左派を排除すべきであります。

 共産党と野合するなどもってのほかであります。

(参考エントリー)

2015-09-29 ベクトルを180度間違えている岡田代表
■[政治]戦略なき民主党共産党の候補者調整〜ベクトルを180度間違えている岡田代表
http://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20150929

 例えば安倍政権の安保法案に対抗してよりよい対案を提示するならばその存在価値は国民に認められましょう、しかし「戦争法案」などとレッテル貼りに終始しているだけで建設的な議論を一切放棄しているようならば、そのような野党に国民の支持は集まることはないでしょう。

 「戦争法案」などのざれごとを叫ぶ、共産、社民、生活とは野合を止めるべきです。

 さらに新党・党内の異物を徹底的に排除すべきです。

 民主党の最大の問題は、党内の意見集約がまったくできていないことです。

 原発再稼働問題、安全保障政策、集団的自衛権、消費税増税、TPP、経済政策、何一つ意見集約ができていません。

 党内には、連合から支持を受けた横路孝弘衆院議長など旧社会党出身者の左派系から、前原氏などの右派系まで、イデオロギー的には真逆といってもいい政治家たちが混沌と協調できずに存在しているわけです。

 原発再稼働問題にしても、野田政権が大飯原発再稼働を認めましたし、今回の民主党の選挙公約では「2030年代原発ゼロに向け政策資源の投入」とし再稼働容認しているわけですが、たとえば菅元首相のように再稼働絶対反対即刻「原発ゼロ」の実現を目指すとした公約を堂々と掲げて選挙をする議員も少なからずいるわけです。

 ここで問題なのは党内に幅広い考え方が存在していることではありません。

 そんなこといったら自民党など、安倍晋三首相と河野太郎氏の安全保障政策や歴史観原発政策は、共産党と次世代の党ぐらい隔たりがあるわけです。

 ある程度の頭数がある大きな政党ならば、党内に多様な意見があることはむしろ政策の選択肢が広がる点で、あるいは多様な視座で問題を議論することが可能な点でむしろメリットがあるわけで、政策のウィングは幅広い方が国民の要求・要望にも幅広く対応可能で支持も得やすいことでしょう。

 いろいろな考え方があるでしょうが、自民党民主党の一番の違いは党内の意見の不一致にあるのではなく、そのトップのリーダーシップと、組織構成員のガバナビリティ、つまり集団としての能力の差にあると、当ブログは考えています。

(参考エントリー)

2014-12-18 民主党再生への道
■[政治]民主党再生への道 14:15Add StarBUNTENy-wood

http://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20141218

 今の民主党は組織としてその構成員の意識に問題があることは明白でありますす。

 誰がトップに立とうとも今の民主党の組織としてのタガの外れ方を修正しない限り、リーダーシップを発揮することはできないでしょう。

 組織構成員のガバナビリティ(被統治能力)が低すぎるのです。

 ある組織のガバナンス・統治能力が失われている場合、実に多くのケースでその組織構成員側に問題があることが多いのです。

 単刀直入に言って、民主党議員は概してガバナビリティ・被統治能力が劣化していると思われます。

 本来日本人は、ガバナビリティ・被統治能力が高いと国際的には評価されていますが、ガバナビリティとはルールを守って支配される能力です、人に責任を押し付けない、各人が自らの為すべきことを責任を持って行う、全体のために個人がルールを守る、そのような能力です。

 3.11のとき、被災された方々が互いに助け合いながら騒乱も略奪もほとんど無く救援物資を奪い合うわけでもなく黙々と列に並んで各人が相応の物資を分け合う、この姿に海外のメディアは誇り高き日本人のメンタリティを絶賛していました。

 これは日本人の美徳ともいえます、集団としてのガバナビリティが極めて高いのです。

 欧米ではこのようにガバナビリティを評価されるべき能力として肯定的に使うわけですが、どうも日本では被統治能力というと従順とか没個性など否定的なイメージが伴ってしまうことが多いのですが、この価値ある能力は日本でももっと重視されてしかるべきでしょう。

 ・・・

 民主党は組織としてのルールをなかなか決められない、ルールを決めても守れない構成員がいる、言うことを聞かない構成員がいる、自己の任務の責任を取れない、逆に発生する事象を他人の責任に転嫁する・・・

 被統治能力がない組織はまとまることができません。

 民主党は、どうすればガバナビリティの高い組織に生まれ変われますでしょうか。

 ひとつだけはっきり言えることがあります。

 ルールを破り続けている組織構成員、党内の異物を排除すべきだと言うことです。

 例えば菅直人氏です。

 この方は所属する政党の公約である「2030年代原発ゼロに向け政策資源の投入」すなわち再稼働容認政策に明確に反旗を翻し、原発再稼働反対、即刻「原発ゼロ」の実現を明言しています。

 また前回の参院選東京選挙区においては、自身の所属する民主党候補を支持せず、原発反対の無所属候補を応援するという、組織構成員としてはあるまじき「利敵行為」を行っています。

 この政治家にはガバナビリティ(被統治能力)が完全に欠落しています。

 このような人物を組織内に放置している限り、民主党の組織としてのガバナビリティの向上は望むべくもなく、とすれば民主党のトップのガバナンス、統治能力の向上も望めず、民主党再生への道は、実に険しいと思われるのです。

考察3:強力なリーダーシップを有するリーダーを立てよ
 さて看板(党名)を一新し、不毛なレッテル貼りだけの左派政党との野合を排し、さらに組織内の異物を排したうえで、肝心の政策立案能力の向上を目指すのであれば、強力なリーダーシップを有するリーダーが必須でありましょう。

 残念ながら岡田党首では選挙を戦うことはできません。

 岡田さんには失礼ですが、彼は過去の民主党政権に余りにも深く関わりすぎてきました。

 「民主党」という党名に香ばしい匂いが付着してしまったように、岡田党首では、イメージ的にも斬新さは一切感じられません、国民に期待を持たせることは不可能なのです。

 では誰が適任か。

 残念ながら当ブログとして今現在固有名詞を上げることができません。

 ここに新党の深刻な人材不足を感じてしまいますが、しかし、新党にとり人心一新は必須だと思うのであります。 

 ・・・

 まとめます。

 日本には自民党の政策に対抗しうる政策立案能力のある健全な野党が必要であります。

 そのような有能な野党が存在すれば、国会の論戦も緊張感がみなぎり有益な議論が展開され、ときに政府案はその欠点が修正もしくは改正され、結果、この国の立法府の能力向上、すなわち良質な法案が多く成立され、最終的には国民の利益にも貢献することでしょう。

 ならばと、民主維新による新党が、そのような「政策立案能力のある健全な野党」になるために、いろいろ考察してきたわけですが、看板(党名)を替えて、異物を排除して、強力なリーダーを立てる、そして政策立案能力を向上させる・・・

 まあ、無理でありましょうね。

 残念なことですが、党名を変更し不良議員を排除しリーダーを含め人心一新を図る、そのような大胆な改革を民主・維新新党が出来うるはずはないだろうからです。

 おそらくは起こるであろうことは真逆で、共産党などの左派政党と野合をし、人心一新もかなわず岡田党首のままで、国民に訴える対案も明示化できないまま、参院選に向けてダラダラと無策にも時間を浪費していくことでしょう。

 その場合、それこそ民主党は党存続が危ぶまれる惨敗を期すことになるわけです。

 まあ、いったんそこまでリセットしたほうが新しい健全野党が生まれる早道なのかもしれません。

 ふう。




(木走まさみず)