木走日記

場末の時事評論

石巻の「タクシーに乗る幽霊の話」について愚考する〜本件はあまり科学的追求をすべきではないと思う

 さて固い時事問題が続きましたので、今回は少し脱線気味のエントリーであります。

 3日ほど前、BLOGOSにて興味深い記事が掲載されていました。

田中俊英
2016年01月31日 19:02
福島県浜通り、「幽霊」のいないゴーストエリア
http://blogos.com/article/158005/

 うむ、筆者は霊的感性が豊かな方なのでしょう、「幽霊」はポジティブな響きをもっていると書き出してます。

僕はたくさんネット記事を書いているからここで書いたかどうか忘れてしまったけれども、僕にとって「幽霊」とはポジティブな響きをもっている。

幽霊という他者は、我々が生きている間、常にあちこちに偏在している。

 だがしかし、福島県浜通りは、「幽霊」のいないゴーストエリアであると指摘しています。

が、今日、福島県浜通りを貫く国道6号線を北上して感じたのは、本当に「ゴースト=他者=幽霊のいないゴーストエリア」という領域があるかもしれない、ということだ。

 うむ、興味深いことです。

 当ブログは工学系エンジニアなので完全に理系脳なのであり、そのためか心霊現象は全く信じていませんが、それにしても感性豊かな記事でありますね。

 文章が難解に感じるのは、当ブログの理解力のなさ、感性のなさに由来するものでしょう。

 さて「幽霊」であります。

 そういえば、福島といえば石巻あたりで震災後1年過ぎた頃から、「幽霊」の噂が結構ありましたよね。

 2012年03月03日付けのAFPニュース記事でも扱われていました。

東日本大震災から1年、石巻で語られる「幽霊」の噂
http://www.afpbb.com/articles/-/2862313

 長文の記事ですが、外国の通信社の発信した記事なところが興味深いです、なので全文、ご紹介。

【3月3日 AFP】東日本大震災による大津波からまもなく1年。大きな悲劇を乗り越えようと懸命な宮城県石巻市で「幽霊」が出るという噂が飛び交っている。

 前年3月に亡くなった人たちのさまよう霊が不幸をもたらすことを恐れて、修復工事が中断してしまったという現場がある。半分だけ修復されたスーパーマーケットを指して、あべ・さとしさん(64)は語る。「工事の人が具合悪くなったって聞いたよ。そこらへん中で死んでんだもの。そういう話は一杯あるよ」

石巻の一部では、漁港としてにぎわっていた震災前の活気を取り戻しつつある場所もある。住宅が再建され、商売が再開され、子どもたちが学校へ戻って来ている。しかし東北で犠牲となった約1万9000人のうち、およそ5分の1は石巻の住民だった。元通りになると思っている人はほとんどいない。

 ささき・しんいちさんは3月11日の記憶は決して消えず、その消えることのない記憶が「亡霊」を生んでいると語る。「あの日のことはふと何度も思い出すんです。まして、どこで誰が亡くなっているか知っていれば、突然なことなんで、まだうろうろさ迷っているって思うこともあるかもね。自分は幽霊なんて信じるほうではないんだけど、こういう風に噂がでるのは分かる」

 あるタクシーの運転手は、大津波ですべてが流されてしまったところには止まりたくないとAFPの取材に語った。乗り込んできた客が幽霊だったら・・・と思うからだという。石巻に住むある女性は「幽霊の列」の噂を聞いたことがある。生きていた最後の瞬間の不毛な努力をなぞるかのように、幽霊たちは丘へ向かって殺到し、津波から何度も何度も逃げようとするのだという。

 カウンセラーや学者たちは、大きな災害や悲劇の後の幽霊話はいたって一般的で、社会的な「癒しのプロセス」の一形態だという。

文化人類学者の船曳建夫(Takeo Funabiki)氏は、こういった類の話が流布するのは「当然だ」と考える。 「人間は本来『死』を受け入れられないものなのです。まして突然の、異常な形での死――年をとってベッドの上で死ぬという形でない死――は昔から人間にとって最も受け入れがたい。その社会で納得できなくてたまっているものがどう表現されるかというと、噂話であったり、まつりの中で供養するなどということになります。社会的に共有できるものに変えるということがポイントです」

 最愛の人を失った人々の一部は、魂を慰めるために神職を招いたり、お盆に霊を迎える準備などをした。

 しかし、信心によっても喪失を乗り越えがたい人もいる。日本カウンセラー学院(Academy of Counselors Japan)の心理カウンセラー、池田宏治(Koji Ikeda)氏は「被災地の人は恐怖、不安、悲しみ、帰ってきて欲しいという気持ちなど色々な感情をもっている。心の中で処理しきれない非常に多くの感情が霊の投影という形で現れたと考えることができます」と語る。「(被災後の)色々な感情は溜め込んでいられなく、表現していかないといけない。現実に適応していくために、前に進むために必要だから、起きていることでしょう」

石巻で実際に幽霊を見たと表だって話す人はほとんどいないが、荒涼とした道をさまよう幽霊を受け入れる気持ちがある人は多い。すぎもと・ゆうこさんは、自分は特別迷信深いわけではないし、幽霊を見たこともないという。けれど「普通に生活してた人が突然亡くなったので、受け入れたくないと思っているんでしょう。出ない方がおかしいと思います」と語った。

 なるほどですね、「カウンセラーや学者たちは、大きな災害や悲劇の後の幽霊話はいたって一般的で、社会的な「癒しのプロセス」の一形態」というわけですか。

 これですね、災害の地に幽霊のうわさが絶えないことは、"folkloristics"つまり民俗学の対象として考察するのは、有意義かもしれないですよね。

 で、半月ほど前の朝日新聞の記事が、まさに東北学院大の社会学のゼミ生たちがフィールドワークを重ねて、卒論を書いたのだそうです、宮城県石巻市のタクシー運転手たちが体験した「幽霊現象」をテーマに選んだわけです。

被災地、タクシーに乗る幽霊 東北学院大生が卒論に
2016年1月20日11時27分
http://www.asahi.com/articles/ASHDY737QHDYUNHB00B.html

 五十代の運転手の話。

 震災後の初夏。季節外れのコート姿の女性が、石巻駅近くで乗り込み「南浜まで」と告げた。「あそこはほとんど更地ですが構いませんか」と尋ねると、「私は死んだのですか」と震える声で答えた。驚いて後部座席に目を向けると、誰も座っていなかった。

 四十代の運転手の話。

 やはり8月なのに厚手のコートを着た、20代の男性客だった。バックミラーを見ると、まっすぐ前を指さしている。繰り返し行き先を聞くと「日和山」とひと言。到着した時には、もう姿はなかった。

 で、何とも不思議なのは、実際に運転記録が残っているケースもあるそうな。

単なる「思い込み」「気のせい」とは言えないリアリティーがある。誰かを乗せれば必ず「実車」にメーターを切り替え、記録が残るからだ。幽霊は無賃乗車扱いになり、運転手が代金を弁償する。出来事を記した日記や、「不足金あり」と書かれた運転日報を見せてくれた人もいた。

 ・・・

 うーん。

 この現象はどう考えればよいのでしょうか。

 当ブログは心霊現象は信じていませんが、この発言者たちが全員嘘をついているとは思えませんです、運転手が代金を弁償しているわけですから、実質損をしているわけですしね。

 まあしかし、本件はあまり科学的追求をすべきではないと思われます。

 社会学的なあるいは民俗学的な考察に留めておくのがよかろうかと。

 実際にたくさんの不幸な痛ましい「死」が起こった場所に残って暮らす人々にとって、「幽霊のうわさ」は、AFP記事の指摘の通り「社会的な『癒しのプロセス』の一形態」と、ポシティブにとらえるのが正解なのでありましょう。

 読者のみなさん。

 この「タクシーに乗る幽霊の話」

 あなたはどうとらえますか?



(木走まさみず)