木走日記

場末の時事評論

マスメディアはなぜ”謎の油”事件容疑者を匿名報道するのか〜TVではあそこまでほぼ個人情報が特定されるような詳細な報道をしているのに・・・

 さて今回は刑事事件の容疑者の匿名報道について考察したいと思います。

 事例としては、前回のエントリーで取り上げましたが、全国の国宝級の寺社仏閣等に謎の油がまかれた事件で、米国在住の男に千葉の寺社に油をまいた疑いで逮捕状が出た件であります。

(参考記事)

2015.6.1 10:23
米国在住の男に逮捕状 千葉の寺社に油をまいた疑い 奈良などの被害にも関与か
http://www.sankei.com/affairs/news/150601/afr1506010005-n1.html

 この事件では容疑者にすでに逮捕状が出ているにもかかわらず新聞・テレビのマスメディアはすべて現時点で匿名報道であり、マスコミの取り扱いがたいへん興味深いのであります。

 なぜなら、メディア報道の内容は男の年齢や職業、さらにはキリスト教系のかなりカルト的な宗教活動で「寺社の油まきは宗教的儀式の一部として行われていた」ことまで特定、テレビ報道ではニューヨークでの男の職場近くでのインタビューや過去の男のビデオ動画や関係者などの発言など、ほぼ個人が特定可能な情報を垂れ流しているにもかかわらず、顔写真はぼかし、氏名も匿名のままだからです。

 ネットの時代にここまで個人情報が報じられれば個人が特定されるのは時間の問題です。

 当ブログにおいても、弁護士の紀藤正樹氏が自身のブログにて容疑者の氏名や個人情報の詳細を掲載していることも紹介しながら、事実関係の信憑性が高いことと今回の事件が多数の国宝級の建造物損壊容疑でありその社会的影響が大きいことを鑑み、前回実名でエントリーをしたのであります。

2015-06-01 謎の油事件で犯人に逮捕状、犯人は韓国系キリスト教団体理事か?
http://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20150601

 しかるに興味深いことにこのエントリーは提携先のBLOGOSなどのサイトでは、現在(6月2日AM11:30)、いっさい取り上げられていません。

 当ブログとしては、どのエントリーを掲載するかは各編集部の編集方針としてそれを尊重するものであり、掲載されなかったことには一切の不満はありません。

 ここで考察したいのはなぜ、今回の事件で、マスメディアは容疑者を匿名報道する必要があったのか、その一点です。

 さて刑事事件における実名報道の基準について押さえておきましょう。

 過去の二つのケースを示しますが、ひとつは公正証書原本等不実記載などの容疑で逮捕・勾留されたがその後不起訴となった原告が、容疑の内容を実名報道されたことにつき、新聞各社に対し、実名報道をしたことそれ自体の責任を追及したケースにおいて、平成2年3月23日、東京地方裁判所は、違法ではないとして原告の主張を退けています。

 また二つ目のケースは、名古屋高判平成2年12月13日において、原告が業務上過失致死容疑で書類送検されたことにつき、新聞社が実名報道したケースで、実名報道したことそれ自体が違法であると主張したことに対し、犯罪主体となった者にとっては匿名又は仮名で報道されることが望ましいことは裁判所も認めるところであるものの、実名報道を違法なものとはいえないとして原告の主張を退けています。

 警察が敢えて嘘の事実をマスコミに公表したのであれば名誉毀損になります。しかし、結果的に事実でなかったにすぎないという場合にはどうなるのでしょうか。
裁判所の判断は、この場合、警察としてその公表時点までに通常行うべき捜査を尽くし、収集すべき証拠を収集した上で、公表当時に有罪と認められる嫌疑があったのならば名誉毀損にはならないとしています。(東京高判平成11年10月21日)

 このように、実際には刑事事件で被疑者として逮捕されていることについて実名報道がなされてしまえば、報道の自由は広く認められており、人権侵害や名誉毀損となる場合のように明確に違法行為が許されないのは当然のこととして、それ以外はマスメディアによる自主規制でしかありません。

 ここで重要な点は、刑事事件で逮捕されても、起訴されても、裁判において有罪が確定するまでは本来無罪が推定されるはずですが、しかし、実名報道の自由は広く認められている点です。
 マスメディアが実名報道にするか、匿名報道にするか、実は明確な基準は存在せず、メディア各社の自主規制にまかされているのが実情ですが、その中でも次の何点かでは匿名報道がなされています。

 まず、少年事件については、少年法61条が実名報道を禁止している(参照:少年法61条「家庭裁判所の審判に付された少年又は少年のとき犯した罪により公訴を提起された者については、氏名、年齢、職業、住居、容ぼう等によりその者が当該事件の本人であることを推知することができるような記事又は写真を新聞紙その他の出版物に掲載してはならない。」)ため、匿名報道が原則です。

 次に、精神障害者については、刑事事件の捜査段階や公判で、被疑者や被告人が心神喪失で「刑事責任能力」が全くないと判断されたとき(不起訴処分、無罪判決)、またはそう判断されることが確実なときは、本人を特定する名前、住所などは記載しません。

 ただし、薬物中毒者が精神障害を起こし、被疑者(被告人)となった場合は実名もありえます。

 次に微罪事件については、報道する必要があり、実名を記載すると過度の制裁になる場合は、匿名も選択できるとされています。

(参考サイト)

刑事弁護士・東京法律事務所
報道のルール
http://criminal-bengo.com/information/10pt/cate6/index04.html

 ・・・

 さて今回の事件の容疑は建造物損壊であり刑法260条に該当する犯罪であります。

刑法第260条
他人の建造物又は艦船を損壊した者は、5年以下の懲役に処する。よって人を死傷させた者は、傷害の罪と比較して、重い刑により処断する。

 このあたりが「微罪事件」との判断なのか、よくわかりませんが、参考までに過去にはネットカフェで施設利用料金や飲食代計約2700円を支払わずに無銭飲食した男が実名報道されています。

インターネットカフェで無銭飲食したとして、岡山県警笠岡署は5日夜、詐欺の疑いで、
住所不定(愛知県半田市生まれ)、無職、生田智也容疑者(28)を逮捕した。
容疑を認めている。「ママチャリ」で約400キロ放浪した末の逮捕だった。

県警や同署によると、生田容疑者は先月20日ごろ、愛知県内で住んでいた
借家の契約期限が切れて追い出されたため、目的もなく、ママチャリで西方面へ出発。
約2週間かけて約400キロを走行し、岡山県倉敷市までたどり着いたという。

逮捕容疑は今月4日夜〜5日朝、倉敷市内のインターネットカフェを利用し、
ラーメンや唐揚げなどを食べ、施設利用料金や飲食代計約2700円を支払わずに逃げたとしている。

生田容疑者は5日正午ごろ、「無銭飲食を続ける当てのない旅に疲れた」と同署に出頭した。
所持金は5円だったという。同署が余罪を調べている。

ソース:MSN産経ニュース(リンク切れています)
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/120606/crm12060617060028-n1.htm

 今回のケースでは建造物損壊容疑で逮捕状、上記ネットカフェのケースは無銭飲食で現行犯逮捕(おそらく詐欺罪が適用されたものと推測)でありますが、その社会的影響や被害規模は今回のケースの方が明らかに大きいわけです。
 メディアであそこまでほぼ個人情報が特定されるような詳細な報道をしているのに、なぜ今回は匿名報道なのでしょうか。
 マスメディアの刑事犯罪の匿名報道の基準が、いまひとつわかりづらいと感じます。


(木走まさみず)