内閣総理大臣の解散権を「大義がない」などという抽象的な概念で批判する朝日社説
12日付け朝日新聞社説は「政治と増税 解散に大義はあるか」と題して、このタイミングでの衆議院解散を批判しています。
(社説)政治と増税 解散に大義はあるか
2014年11月12日05時00分
http://digital.asahi.com/articles/DA3S11450263.html?iref=comkiji_txt_end_s_kjid_DA3S11450263
そもそも安倍総理大臣はまだ何も解散について言及しているわけではないのに、ずいぶん勇み足な論説なわけですが、それはともかく、社説はこう「こんな解散に大義があるとは思えない」と結ばれています。
政権は7〜9月のGDPを判断のよりどころにすると言い、それが与野党の共通認識となってきた。その数字が明らかになる前のこの騒ぎである。増税に反対の世論が強い中、これに逆らうことは難しいという政局的な判断が先に立ったのかと疑わざるを得ない。
加えて、与党幹部から聞こえてくるのはこんな声だ。
「原発再稼働や集団的自衛権の関連法整備が控える来年に衆院選を戦うのは厳しい」「野党の選挙準備がととのっていない今が有利だ」
まさに党利党略。国民に負担増を求めることになっても、社会保障を将来にわたって持続可能にする――。こうした政策目標よりも、政権の座を持続可能にすることの方が大切だと言わんばかりではないか。
安倍首相の本心はまだ不明である。だが、民主主義はゲームではない。こんな解散に大義があるとは思えない。
「大義」ですか・・・
大義 たいぎ
1.人間として踏み行うべき最も大切な道。特に,国家・君主に対して国民のとるべき道をいうことが多い。 「悠久の−」 「 −にもとる」
2.重要な意義。大切な意味。 「 −を忘れて小威儀に滞ると/十善法語」
そもそも安直に「大義」などという抽象的な概念を振り回す言論は、信用できません。
「大義」ってなんなのでしょう?
・・・
●解散権は内閣総理大臣の「専権事項」
日本国憲法で衆議院の解散について触れているのは第七条と第六十九条であります。
第七条 天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。
一 憲法改正、法律、政令及び条約を公布すること。
二 国会を召集すること。
三 衆議院を解散すること。
四 国会議員の総選挙の施行を公示すること。
五 国務大臣及び法律の定めるその他の官吏の任免並びに全権委任状及び大使及び公使の信任状を認証すること。
六 大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権を認証すること。
七 栄典を授与すること。
八 批准書及び法律の定めるその他の外交文書を認証すること。
九 外国の大使及び公使を接受すること。
十 儀式を行ふこと。
第六十九条 内閣は、衆議院で不信任の決議案を可決し、又は信任の決議案を否決したときは、十日以内に衆議院が解散されない限り、総辞職をしなければならない。
解散とは、任期満了前に議員の資格を失わせる行為をいいます。衆議院議員の任期は4年ですが、内閣は衆議院を解散することによって議員の議員たる資格を失わせることができるのです。
その目的は、解散に続く総選挙によって国民の審判を求めること、すなわち「直近の民意を問う」ことにあります。
さて、日本国憲法には内閣の解散権を明示した規定はないのですが、形式的には、衆議院の解散権が天皇にあること自体には学会でも争いはありません。それは、天皇の国事行為として第7条第3号に明らかだからです。
また、実質的な解散権がどこにあるのかということについても、今日では内閣にあるということで意見が一致しています。
衆議院解散を決定する権限は内閣に属します、したがって、内閣総理大臣は閣議を開き、全閣僚に対して衆議院解散を諮り、内閣の総意を得た上で、衆議院解散を行うための閣議書に、すべての国務大臣の署名を集めなければなりません。
ここで一人でも国務大臣が署名を拒否すれば解散することはできません。しかし、日本国憲法第68条第2項は「内閣総理大臣は、任意に国務大臣を罷免することができる」と定めており、内閣総理大臣は「任意に」つまり時期や理由を問わず法的には何らの制約なく自由な裁量によって国務大臣を罷免することができるわけです。
第六十八条 内閣総理大臣は、国務大臣を任命する。但し、その過半数は、国会議員の中から選ばれなければならない。
○2 内閣総理大臣は、任意に国務大臣を罷免することができる。
したがって、衆議院解散を行うための閣議書への署名を国務大臣が拒否する場合、内閣総理大臣は当該大臣を罷免して自身が兼任するか他の大臣に兼任させることで閣議決定を行うことができます。
先例としては2005年(平成17年)の『郵政解散』の際に小泉純一郎内閣総理大臣が、署名を拒否した島村宜伸農林水産大臣を罷免したことがあります。
つまり内閣総理大臣は国務大臣の罷免権を行使することによって最終的には解散権を必ず完遂できることから事実上解散権は内閣総理大臣の「専権事項」とされているわけです。
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●「大義」などという抽象的な概念で批判する愚
日本国憲法では今確認したとおり、解散権は内閣(結果として内閣総理大臣)の「専権事項」であり、ときの内閣は衆議院を任意で解散する権限を有しております。
これは純粋に法制度のルールであり、何人たりとて内閣の解散権に干渉することは、日本国憲法第六十九条の、衆議院で不信任の決議案を可決されることを唯一の例外として、認められていません。
「今解散して国民の信を問え」とか「今は解散するな信を問うな」とか内閣の解散権に干渉することは認められていません、それは内閣総理大臣の「専権事項」なのであります。
少なくとも解散するのに「正義」だとか「大義」などという抽象的な概念を用いてときの内閣の解散権に干渉することは何人もできません。
もちろん、一般論としては、解散総選挙となれば何百億という税金が費やされるわけですし、政治空白を生むわけですから、解散権の乱用は避けるべきですし、解散する理由を国民に説明する責任は内閣にあるでしょう。
しかし「大義がない」などの抽象論での解散反対は意味がありません、内閣には理由如何に関わらずなんどきでも任意で解散する権限が憲法により保障されているのです。
一歩譲ってこの解散に国家・国民にとって「大義がない」ならば、直後の選挙にて「大義なき」内閣は有権者により厳しい審判が下されることでしょう。
それが民主主義国家におけるルールに則った民意の反映ということであります。
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朝日社説のように「大義」などの抽象的な言葉を振り回すのは言論の質が問われます。
解散に「大義」があるかどうかなど問うのは愚問です。
しいていえばその判断は有権者が下せばいいのです。
安倍さんは好きな時に解散・総選挙する権限があります。
解散権を行使したその結果、主権者たる有権者の投票結果の責任は、良くも悪くも最高権力者である安倍さんが一身に受ければよろしいのです。
それが「民意を問う」ということです。
(木走まさみず)