木走日記

場末の時事評論

教条主義的で不毛な「不戦の誓い」論争をやめよ〜戦後69年まったく進歩のない護憲派メディアに反論する


 終戦記念日となる15日、政府主催の全国戦没者追悼式で安倍晋三首相が述べた式辞全文を確認しておきましょう。

◆首相の式辞全文

 天皇、皇后両陛下のご臨席を仰ぎ、戦没者のご遺族、各界代表、多数のご列席を得て、全国戦没者追悼式を、ここに挙行致します。
 祖国を思い、家族を案じつつ、戦場に倒れられたみ霊(たま)、戦禍に遭われ、あるいは戦後、遠い異郷に亡くなられたみ霊、いまその御前にあって、み霊安かれと、心より、お祈り申し上げます。
 戦没者の皆さまの、貴い犠牲の上に、いま、私たちが享受する平和と、繁栄があります。そのことを、片時たりとも忘れません。
 いまだ、ふるさとへの帰還を果たされていないご遺骨のことも、決して忘れません。過日、パプアニューギニアにて、ジャングルで命を落とされ、海原に散った十二万を超える方々を思い、手を合わせてまいりました。
 いまは、来し方を思い、しばし瞑目(めいもく)し、静かに頭を垂れたいと思います。
 日本の野山を、せみ時雨が包んでいます。六十九年前もそうだったのでしょう。歳月がいかに流れても、私たちには、変えてはならない道があります。
 今日は、その、平和への誓いを新たにする日です。
 私たちは、歴史に謙虚に向き合い、その教訓を深く胸に刻みながら、今を生きる世代、そして、明日を生きる世代のために、国の未来を切り開いてまいります。世界の恒久平和に、能(あた)うる限り貢献し、万人が、心豊かに暮らせる世の中の実現に、全力を尽くしてまいります。
 終わりにいま一度、戦没者のみ霊に永久(とわ)の安らぎと、ご遺族の皆さまには、ご多幸を、心よりお祈りし、式辞と致します。

 ここには「平和への誓い」との言葉はあるもののここ近年の「歴代」の首相が言及してきた「不戦の誓い」という言葉が昨年に続きありませんでした。

 これをもってメディアは一斉に当日夕刊より批判的記事を載せています、朝日新聞毎日新聞東京新聞の各記事をご紹介。

朝日新聞
戦没者追悼式 首相式辞、今年も「加害」に言及せず
2014年8月15日12時59分

 69回目の終戦記念日となる15日、政府主催の全国戦没者追悼式が日本武道館(東京都千代田区)で開かれた。安倍晋三首相は約310万人の戦没者を悼み、「今日は平和への誓いを新たにする日」と述べた。一方、昨年に続きアジア諸国への加害責任には言及がなかった。

 式典は正午前に始まった。全国の遺族約4600人のほか、天皇、皇后両陛下が参列した。

 安倍首相は式辞で、「貴い犠牲の上に平和と繁栄がある。そのことを片時たりとも忘れない」「ふるさとへの帰還を果たされていないご遺骨のことも決して忘れない」などと述べ、戦没者に哀悼の意を表した。

 そのうえで「歴史に謙虚に向き合い、世界の恒久平和に能(あた)うる限り貢献し、万人が心豊かに暮らせる世の中の実現に全力を尽くす」と決意を述べた。

 安倍首相は昨年の追悼式で、歴代首相が繰り返してきた式辞内容の一部を変えた。1993年に細川護熙首相が「哀悼の意」を表明し、次の村山富市首相が「深い反省」を加えて引き継がれてきたアジア諸国に対する加害責任への言及をしなかった。「不戦の誓い」という表現も使わなかった。今年の式辞もそれは変わらなかった。

(後略)

http://www.asahi.com/articles/ASG8G55ZZG8GUTFL008.html

毎日新聞
終戦の日:69回目 今、問い直す平和 首相、「不戦」に触れず
2014年08月15日 東京夕刊
http://mainichi.jp/shimen/news/20140815dde001040078000c.html

東京新聞
首相「不戦の誓い」今年もなし 69回目終戦記念日 戦没者追悼式
2014年8月15日 夕刊
http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2014081502000242.html

 彼らの批判を代表して、しんぶん赤旗記事から「歴代首相が表明してきたアジア諸国への「加害」の反省や「不戦の誓い」を昨年に続き表明せず、歴史逆行の姿勢を改めて強く示し」たとの論評記事をご紹介。

2014年8月16日(土)
首相、「加害」「不戦」再び削除

終戦記念日靖国」に玉串料奉納

 69年目の終戦記念日の15日、安倍晋三首相は、昨年に続き過去の日本の侵略戦争を正当化する靖国神社(東京・九段)に玉串料を奉納しました。また、都内の日本武道館で開かれた政府主催の全国戦没者追悼式の式辞では、歴代首相が表明してきたアジア諸国への「加害」の反省や「不戦の誓い」を昨年に続き表明せず、歴史逆行の姿勢を改めて強く示しました。

3閣僚が参拝

 首相は昨年の式辞で、2007年に自ら述べた「アジア諸国の人々に多大の損害と苦痛を与え、深い反省と追悼の意を表する」という表現を用いず、歴代首相が使っていた「不戦の誓い」を削除し、厳しい批判を受けました。さらに昨年末には現役首相として靖国神社参拝を強行し、アジアだけでなく全世界から厳しい批判を受けました。

 批判を省みず今年の式辞でも同じ態度を繰り返す一方、安倍首相は「歳月がいかに流れても、私たちには変えてはならない道があります。今日は、その平和への誓いを新たにする日」などと述べました。

 玉串料は、昨年来「首相側近」として代理奉納を続けている萩生田光一自民党総裁特別補佐を通じて、党総裁の肩書で私費で神社に納めました。

 靖国神社には新藤義孝総務相古屋圭司国家公安委員長稲田朋美行政改革担当相ら3閣僚が参拝。衛藤晟一首相補佐官も参拝しました。

 集団参拝では自民、民主、維新、次世代、生活など与野党の国会議員194人(代理含む)が参拝しました。

 首相が靖国神社玉串料を納め、閣僚が参拝したことに中国外務省は「断固反対する」、韓国外務省は「嘆かわしい気持ちを禁じ得ない」と非難するコメントを発表しました。

 「玉串」 玉串とは神道で神前に拝礼するときに捧(ささ)げる榊(さかき)などの枝に木綿か紙をつけたもの。靖国神社のオフィシャルガイドブックによると「玉串の玉は人の『魂』、串は常緑の『榊』で、それに願いを託してご神前に捧げる」としているように歴然とした宗教行為です。

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik14/2014-08-16/2014081601_01_1.html

 ・・・

 「不戦の誓い」から「平和の誓い」へと言葉を言い換えた安倍首相の政府主催の全国戦没者追悼式における式辞に、主に護憲派メディアから批判が噴出しております。

 赤旗曰く「歴代首相が表明してきたアジア諸国への「加害」の反省や「不戦の誓い」を昨年に続き表明せず、歴史逆行の姿勢を改めて強く示し」たのだと。

 今回は当ブログとしてこれら護憲派メディアの批判に反論を試みます。

 まず一点。

 政府主催の全国戦没者追悼式における式辞において、日本国内閣総理大臣が前例に倣って式辞を述べなければならない理由はどこにもありません。

 逆に戦後69年、激動する国際情勢に冷静に対峙しその言葉がときとともに変動することは、日本国を率いる政府の最高責任者たる総理大臣の発言としては当然のことであり、無批判的な独断にもとづく「前例に従え」という教条主義に陥ること自体がおかしなことなのであります。

きょうじょうしゅぎ【教条主義

ドグマティズムdogmatismの訳語で,元来,科学的証明なしに,ドグマ(宗教上の教義や教条)にもとづいて〈世界の事象〉を説明することをいう。歴史的には一般に中世のスコラ学が代表的なものといわれる。無批判的な独断にもとづくという意味で独断主義,定説主義ともいわれ,今日ではマルクス主義において否定的な意味で用いられている。ヘーゲル教条主義形而上学的思考として弁証法に対置して批判し,マルクス主義では,特定の理論,命題を,事物の変化,条件や環境の変化を考慮せずに機械的に現実に適用する態度をさして批判した。

http://kotobank.jp/word/%E6%95%99%E6%9D%A1%E4%B8%BB%E7%BE%A9

 さらに付け足せば、赤旗曰くの「歴代首相が表明してきた『不戦の誓い』」という表現の偽善性です。

 政府主催の全国戦没者追悼式において「不戦の誓い」という言葉を初めて使用したのは2002年の小泉首相(当時)が初めてであり確かにそこから2012年の野田首相まで「継承」されてはきましたが、戦後69年の期間でくくれば最近のことにすぎません、2002年それ以前の総理大臣は95年の村山首相も含めて誰一人として使用してはいません、赤旗などの「歴代」とする表現は偽善です。
 そしてより本質的な2点目。

 日本だけが「不戦」を唱えればそれだけで「戦争」を避けることができ、恒久的平和を獲得できるのか、という疑念です。

 現実に中国の台頭により東アジア情勢は緊迫しています。

 当ブログでは3月に「突出した伸び率で軍事大国化を計る中国は実は無理をしていない」と近年の中国の軍事大国化のペースが尋常ではないことに対して警鐘を鳴らし、合わせて「日本のメディアの分析は甘い」とメディア批判を展開いたしました。

2014-03-07 突出した伸び率で軍事大国化を計る中国は実は無理をしていない 編集
■[中国]突出した伸び率で軍事大国化を計る中国は実は無理をしていない〜日本のメディアの分析は甘い
http://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20140307

 このエントリーはネット上で注目をいただき少なからずの議論がありました。

 検証内容を振り返ります。

■図1:東アジア四か国の軍事費推移

中国の軍事費の伸びが突出していることがわかります。

 1989年からのこの四半世紀で実に中国の軍事費は9倍に膨張しているわけです。

■表2:東アジア四か国の軍事費、直近25年間の伸び率

Country 1989 2013 伸び率
China 18336 166107 9.059
Korea 14826 31660 2.135
Japan 46592 59271 1.272
Taiwan 10810 10721 0.992

 この四半世紀において韓国は2倍にしておりますが日本や台湾が軍事費がほとんど伸びていない中、中国は実に9倍を越える膨張を示しています。

 これをもって日本のメディアはその絶対額において中国の軍事費の突出ぶりを論じています。

 しかし当ブログが「日本のメディアの分析は甘い」としたのは、もう一歩踏み込んで統計数値を押さえておきたかったからです。

 当該エントリーより抜粋引用。

 統計情報は生の絶対的数値だけで分析すると起こっていることを見落としてしまうことがよくあります。

 中国の軍事費をその伸び率だけで追えばかなり無理して軍事力強化を図っている印象を与えますが、はたして実態はどうなのでしょうか。

 参照しているストックホルム国際平和研究所(SIPRI)の統計データがほぼ正確な値だとして、ここで軍事費の各国のGDPに占める割合でグラフ化してみましょう。

 中国、韓国、日本、台湾に、参考までに米国、ロシア、インド、パキスタンを新たに加えてみます。

■図2:主要国の軍事費推移(対GDP比)

 日本がほぼ1%で推移しているのに対し中国はほぼ2%で推移していることが見て取れます。

 これは3〜6%で推移している米国やロシヤ、3%前後で推移している韓国やインドよりも低い数値なのです。

 中国軍事費の財源全体は、表に出ている国防費の2倍以上ともいわれていますので、このグラフでもって断定的な分析は避けるべきでしょうが、ひとつだけ確信的に判断できることは、中国がその国力に比較して突出して軍事費を膨張させているわけではないということです。

 この統計数値が示す事実は、各紙社説が「とどまるところを知らぬ中国の軍拡には警戒を強めざるを得ない」(産経)という絶対的数値に対する警鐘より以上の深刻な現状を示しています。

 絶対額では世界の中で突出した軍事費の伸び率を示している中国ですが、実は国力に応じた軍事費に抑制している、決して無理をしていないという事実は、私たちは深刻に受け止めるべきでしょう。

 日本のメディアの分析は甘すぎると考えます。

 ・・・

 この冷徹な現実を前に日本だけが「不戦の誓い」を念仏のように唱えれば平和が確保できるなどそれこそ平和ボケ外交音痴な戯言(ざれごと)です。

 この状況下で、防衛、外交方針を具体的に打ち出す保守派に対して、リベラル勢力は数十年前から更新されない言葉で教条的かつ精神論的な憲法9条擁護論を繰り返すだけで、現実に存在する国民の不安に対応しようとしません。

 多くの護憲派メディアおよび論者は「不戦を唱えろ」と安倍首相をバカにすわけですが、こうした指摘自体が一歩譲って仮に妥当だったとしても、リベラル勢力はこうして相手をバカにするだけで自分たちは具体的な、現実的な処方箋を出せていません。

 これで国民の支持を得れるはずがありません。

 リベラル派は国家に軍事力が必要であることも、近隣諸国の反日ナショナリズムの問題も一通り認めなければなりません、その上で、保守派の掲げる論以外の現実的な選択肢を提示することこそすべきなのです。

 保守派の主張以外の手段を講じた方が、国防に結びつくというアピールがまったくないのです。

 もっとも問題なのは、リベラル勢力のある種の大衆蔑視ともいえる自己陶酔です。

 保守派は現実に起こっている変化に何とか対応しようと具体的に政策を打ち出しますが、リベラルは教条的憲法擁護論に拘泥し、自らの主張に酔い反対意見を机上で論破することのみに執着し、現実の日本を取り巻く状況に対して何ら具体的政策を国民に訴えることを放棄して、そこで自己満足しているのです。

 現実に社民や共産などの護憲政党の長期凋落傾向を持ち出すまでもなく、護憲派リベラルの浮世離れした教条的憲法擁護論だけでは、すでに国民の支持を失っていることを自覚すべきでしょう。

 ・・・
 
 国家間の戦争には、有史以来、当事者としては2つの側面しかありません。

 戦争を仕掛ける側と仕掛けられる側です。

 そして仕掛ける側も仕掛けられる側も「自衛」を全面的に旗印にするのも繰り返されています。

 第二次世界大戦の枢軸国、ドイツや日本の主張も「自衛戦争」でした。

 戦後69年。

 日本が仕掛ける側にはならない、自ら戦争を仕掛けない誓いは重要です。

 この場合「不戦の誓い」=「平和の誓い」が成り立つでしょう。

 しかし一方日本が戦争を仕掛けられる場合、「不戦の誓い」≠「平和の誓い」であります、等式は全く成立しません。

 否それどころか、日本が絶対反撃しないとわかっていたら、逆に戦争を呼び込むことになりかねません。

 戦後69年、教条主義的で不毛な「不戦の誓い」などの言葉に、護憲派もそろそろ見切りをつけるべきです。

 冷徹な現実を見つめよ、ということです。 



(木走まさみず)