最後まで「ないものねだり」な佐村河内さん
名誉毀損(めいよきそん)とは、他人の名誉を傷つける行為であります。
損害賠償責任等を根拠づける不法行為となったり、犯罪として刑事罰の対象となったりいたします。
日本の民法上、名誉毀損は不法行為となり得えます。日本の民法は、不法行為(民法709条)の一類型として、名誉毀損を予定した規定があります(民法710条、723条参照)。
不法行為としての名誉毀損は、人が、品性、徳行、名声、信用その他の人格的価値について社会から受ける客観的評価(社会的評価)を低下させる行為をいいます。
名誉感情(自己の人格的価値について各人が有している主観的な評価)を害されただけでは、名誉毀損とはなりません。
例えば、ある表現について本人が憤っているとの事情のみでは、名誉毀損とはなりません。
ただし、名誉感情を害するような行為が人格権の侵害に該当する行為であるとして、不法行為が成立する場合はあり得ます。
民事上の損害の回復は手段は、金銭による賠償が原則であります(民法417条、金銭賠償の原則)。
しかし、名誉毀損については、民法723条により、「名誉を回復するのに適当な処分」を裁判所が命じうるとされています。この措置により、名誉毀損によって低下した社会的評価の回復が図られます、この措置の具体例としては、謝罪広告があります。
名誉毀損
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%8D%E8%AA%89%E6%AF%80%E6%90%8D
・・・
さて、ゴーストライターだった音楽家・新垣隆さんへのインタビューをもとに書いた週刊文春の記事について、佐村河内さんは「真実でない部分がある」と主張、新垣さんらを名誉毀損で訴えるつもりだと語っています。
社会に対して謝罪会見を行なっている「主犯者」当人が「共犯者」であるゴーストライターを名誉毀損で訴えるという、滑稽な図式なのでありますが、佐村河内さんにははたして勝算はあるのでありましょうか。
名誉毀損とは「人が、品性、徳行、名声、信用その他の人格的価値について社会から受ける客観的評価(社会的評価)を低下させる行為」なのでありますが、すでに佐村河内さんの「名誉」は、新垣さんの発言の一部に「真実でない部分がある」無しに関わらず、自らが18年に渡り犯してきた社会に対する背任行為により、著しく低下しています。
つまり彼には新垣さんの発言の一部に「真実でない部分がある」のが事実だとしても、自業自得の反社会的行為によりすでに「毀損」されうる「名誉」など存在していないと判断するのが普通でしょう。
記者会見で佐村河内さんは「もうテレビはこれが最後、今後いっさい出演しない」と話しています。
聞こえているにも関わらず、まったく聞こえない全聾(ぜんろう)者を装い続ける。
オーケストラの楽譜を起こす能力もないのに、ゴーストライターに頼って「現代のベートベン」を気取り続ける。
そして自己の謝罪会見の場で、既にありもしない自分の「名誉」を守ろうとする。
つくづく自己愛の強い人であり、ない物を欲しがる、実現できないことを無理に望むことに執着する人なんだと感じます。
最後まで「ないものねだり」な佐村河内さんなのでした。
佐村河内さん、あなたには既に守るべき名誉などないのです。
ふう。
(木走まさみず)