木走日記

場末の時事評論

「死亡前、鬼籍の親・仏ら『お迎え』…4割が体験」〜プチ報道規制でかえって内容がファジーになってしまった読売科学記事

 21日付け読売新聞電子版「科学」記事。

死亡前、鬼籍の親・仏ら「お迎え」…4割が体験

 自宅でみとられた患者の約4割が、亡くなる前、すでにいない親の姿を見たと語るなど、いわゆる「お迎え」体験を持ち、それが穏やかなみとりにつながっているとの調査研究を、宮城県などで在宅医療を行っている医師らのグループがまとめた。

 在宅診療を行う医師や大学研究者らが2011年、宮城県5か所と福島県1か所の診療所による訪問診療などで家族をみとった遺族1191人にアンケートした。

 「患者が、他人には見えない人の存在や風景について語った。あるいは、見えている、聞こえている、感じているようだった」かを尋ねた。回答者541人のうち、226人(42%)が「経験した」と答えた。

 患者が見聞きしたと語った内容は、親など「すでに死去していた人物」(51%)が最も多かった。その場にいないはずの人や仏、光などの答えもあった。

 「お迎え」を体験した後、患者は死に対する不安が和らぐように見える場合が多く、本人にとって「良かった」との肯定的評価が47%と、否定的評価19%を上回った。

 調査は、文部科学省の研究助成金を得て実施。「お迎え」体験は経験的にはよく語られるが、学術的な報告はきわめて珍しい。

(2012年6月21日15時57分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20120621-OYT1T00710.htm

 うむ、興味深い「科学」記事ですね、

 自宅でみとられた患者の約4割が、亡くなる前、すでにいない親の姿を見たと語るなど、いわゆる「お迎え」体験を持ち、それが穏やかなみとりにつながっているとの調査研究が、宮城県などで在宅医療を行っている医師らのグループがまとめたのだそうです。

 ところでこの記事ですがネットに掲載された後で記事の結語の部分が削除されたんですよね。

 ところが削除される前の記事が、こっちの読売新聞の医療サイト「yomiDr.」(ヨミドクター)では掲載されています。

死亡前、鬼籍の親・仏ら「お迎え」…4割が体験
http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=60558

 削除された部分。

 研究メンバーである在宅医療の専門医、岡部健・東北大医学部臨床教授は「『お迎え』体験を語り合える家族は、穏やかなみとりができる。たとえ幻覚や妄想であっても、本人と家族が死を受け入れる一つの現象として評価するべきだ」と話している。

 おそらくですが、読者プレビュー数が多いメインサイト記事では、「たとえ幻覚や妄想であっても、本人と家族が死を受け入れる一つの現象として評価するべきだ」あたりの発言内容を過剰にとらえたんでしょうか、よくわかりませんが記事がカルト集団などに悪用されるのを恐れたんでしょうかね。

 さて岡部健・東北大医学部臨床教授といえば、タナトロジー(死生学研究)の権威であります。

どう生き どう死ぬか―現場から考える死生学 [単行本(ソフトカバー)]
http://www.amazon.co.jp/%E3%81%A9%E3%81%86%E7%94%9F%E3%81%8D-%E3%81%A9%E3%81%86%E6%AD%BB%E3%81%AC%E3%81%8B%E2%80%95%E7%8F%BE%E5%A0%B4%E3%81%8B%E3%82%89%E8%80%83%E3%81%88%E3%82%8B%E6%AD%BB%E7%94%9F%E5%AD%A6-%E5%B2%A1%E9%83%A8-%E5%81%A5/dp/4900354902

 死を意識しない毎日の中で突然、自身や身近な人の死が迫ったとき、その動揺ははかりしれない。 かつて日本人の多くは自宅で死を迎え、死にゆく人、看取る人、ともに死を受けとめる文化を持っていた。在宅ホスピスという死の現場を共有する医療者・研究者である執筆者たちは、この失われた文化を探りつつ、死から逃げず、死と正面から向きあいながら生きていくとはどういうことかをさまざまな分野から解説する。

 岡部教授は、終末期医療という現場の実践を重視しつつ、「死にゆく人、看取る人、ともに死を受けとめる文化」を探求、死生学的側面から「『お迎え』体験」を評価しているのだと思われます。

 つまりこのレポートで重要なのは、お迎え体験が科学的事実なのか幻覚や妄想の類なのかという点の科学的検証ではなく、「『お迎え』体験を語り合える家族は、穏やかなみとりができる」ことのほうなのですね。

 まさに「信じるものは救われる」の効用を臨床医の立場からレポートしているのだと思います。

 もちろん読売記事は社会的影響等色々考えて岡部教授の発言を記事から削除したのでしょうが、私はこれでは逆に岡部教授たちの研究の目的が読者に正しく伝わらず、「死亡前、鬼籍の親・仏ら「お迎え」…4割が体験」というタイトルだけがネットで広まってしまう点で逆効果じゃないのかと思います。

 最近の「てんかん」患者の事故報道でも、一部メディアが病名を自主規制して伏せて報道して読者にわかりづらい報道になってしまったことがありましたが、それと同種の、過剰規制により結果として事実を逆にまげて伝えてしまっている点が残念なのであります。

 細かい指摘ですが、このプチ規制に日本のメディアの過剰な報道自主規制の悪弊が象徴的に現れていると思えたのであえて取り上げました。



(木走まさみず)