木走日記

場末の時事評論

責任を取らない投資ジャンキー(中毒者)が「ソブリンリスク」を高めている

 「実業」の対義語で「虚業」という言葉があります。

 この国では、大衆を騙くらかす胡散臭い事業、「土地ころがし」や「ねずみ講」など、具体的価値を生み出すことのない、実体なき事業を指すことが多いですが、特定の事業を指す言葉ではなく、使用される範囲に明確な線引きはないようです。

 ホリエモン騒動や村上ファンド事件あたりから、モノを生産しないという意味でマネーゲームのプレイヤー達(金融業や一部サービス業)もこう称されることが多くなりましたが、実はこの言葉、私が知る限り英語には存在しないようです。

 しいて訳せば"risky business"当りでしょうか、でも「危険なビジネス」では微妙にニュアンスが違いますよね。

 私は経済の専門家でもない一人の民間企業経営者に過ぎませんから、好き勝手に「虚業」を定義させていただきますと、一言で言えばそれは「社会的責任を放棄した生業(なりわい)」なのではないかと思っています。

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 ギリシャを発端にスペイン、イタリアと国債暴落がドミノ倒しで起きているユーロ圏では、頼りのドイツ国債が大量に売れ残るという衝撃的な事態にまで陥っています。

 また、アメリカでは財政赤字削減をめぐる米議会の超党派協議が決裂したことで、米国防予算が今後10年で1兆ドル以上の大幅削減を迫られる恐れが強まってきました。

 今世界中で「ソブリンリスク」つまり国家に対する信用が大きく揺らいでいます。

 言うまでも無くこの事態は先のリーマンショックにおける世界同時不況で、各国が自国産業を守るためお金をいっぱい刷って市場に投下、自国経済を下支えしたのがそもそもの原因です。

 お金をいっぱいする、これすなわち国家が借金(国債など)を増やすことに他なりません。

 各国民間企業はこれで救われたのですが、借金を急増させた各国の財政は悪化、3年前各民間企業を狙い撃ちした投機マネーは、今度は財政の悪化した国家の借金=ソブリンを狙い出したわけです。

 イタリアの国債が乱降下しつつ暴落する中で某国ファンド筋が見事に売り抜けて1週間で荒稼ぎをするというニュースを見ていると、町場の零細企業経営者としてはどうしても「虚業」という言葉を思い出してしまうのです。

 もちろん、ファンドや投機筋にしてみればルールに則って投資・回収しているだけなのであり、彼らが守るべきは彼らのクライアントの利益なのであり、運用実績を高くすることこそ彼らの「正義」なのでありましょう。

 しかしどうもそこに社会的責任が見えない。

 このもやもやした不快感はどうやら自分だけではないようです、10月25日付けエコノミスト誌記事によれば、イングランド銀行(英中銀)のアンドリュー・ホールデン金融安定化担当理事が今の銀行経営者は投資ジャンキー(中毒者)だと、強烈に批判し話題になっています。

Reforming banks
The wrong numbers
http://www.economist.com/blogs/buttonwood/2011/10/reforming-banks

 会員限定記事ですが以下の日経電子版でもアンドリュー・ホールデン氏の講演の内容が紹介されています。

巨大銀行がさまようリスクの袋小路
英中銀高官が一石
2011/11/26 6:00
http://www.nikkei.com/news/headline/related-article/g=96958A9C9F81949EE0E7E2EA818DE0E7E3E3E0E2E3E3E2E2E2E2E2E2;bm=96958A9C93819591E3EAE2E0E08DE0E4E3E3E0E2E3E39797EAE2E2E2

 イングランド銀行(英中銀)のアンドリュー・ホールデン金融安定化担当理事の講演内容を要約いたします。

 19世紀の当時の銀行の自己資本は負債の半分程度あり、大きな衝撃でも吸収できる健全なバランスシートを確保していた。

 当時の銀行が「無限責任」の協同組合組織だったからで、当時の銀行が経営破綻した際に預金者の預金は1ペニーも失わなれなく、代わりに無限責任の株主の多くは破産に追い込まれた。

 資金需要が高まるなか、株主に重い責任を問う無限責任は時代遅れとなり、現在のような「有限責任」の共同資本形態が定着、さらに統合による銀行の巨大化が進んだ。

 「有限責任」で銀行経営は変質した。

 ロウリスクでハイリターンを狙うことが可能になる。

 つまり変動率(ボラティリティ)が増すほどリターンは増えるので、「有限責任」の共同資本となったことで、銀行経営はボラティリティ・ジャンキー(中毒者)の手に落ちた。

 ジャンキーはリスクを追求した、19世紀半ばは負債は自己資本の3〜4倍だったが、「無限責任」でなくなった19世紀末には5〜6倍に上昇。最近では30倍以上という例も出てきた。

 レバレッジを利かせて収益を上げれば自己資本利益率(ROE)はたやすく上昇する。それでは経営陣の賞与は天井知らずだ。1989年に米有力銀7行の最高経営責任者(CEO)は平均で米世帯収入の100倍を稼いでいたが、2007年には500倍以上に膨れ上がったのだ。

 アンドリュー・ホールデン氏は銀行が「有限責任」になったことが今日の投機的野放図の事態を招いたとしているわけです。

 銀行にしろファンドにしろ、顧客(クライアント)のお金を運用する以上、本来は社会的責任もあり、ハイリスク・ハイリターンの投資を繰り返すことはできません。

 しかし「有限責任」である限り、彼らは無限の責任から逃れられるから「ハイリスク・ハイリターン」な投機にまるでジャンキー(中毒者)のように投資を繰り返し、高額の報酬を得ているというのです。

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 一零細企業経営者としてとても考えさせられます。

 なぜなら日本の中小零細企業の経営者は事実上は「無限責任」を負っているといえるからです。

 もちろん、日本の株式会社は法律上「有限責任」会社であり、会社が倒産したときなどに、会社の債権者に対して出資額を限度として、責任を負うということを指します。つまり、会社がつぶれたときに出資したお金は消えてしまうが、それ以上は責任を負わないということです。

 しかし、多くの中小零細企業が金融機関から融資を受ける際には、社長の個人連帯保証を求められるケースがほとんどですから、つまり、会社がお金を返せなくなった場合に、社長個人として借金を肩代わりするということになります。

 日本の場合、多くの中小零細企業の社長が倒産と同時に自己破産を余儀なくされる厳しい状況にあります。

 私は金融投資はすべて悪だと決め付けるつもりはありません。

 しかし今の利潤追求に走りすぎている様は、「社会的責任を放棄した生業(なりわい)」なのではないか、と憂うざるをえません。

 責任を取らない投資ジャンキー(中毒者)が各国のソブリンリスクを結果として煽っている側面があると思うのです。



(木走まさみず)