木走日記

場末の時事評論

日本版GPS衛星7機体制を報道する読売記事を補足する

 5日付け読売新聞記事から。

日本版GPS、衛星7機体制へ…精度10倍に

 政府は4日、日本版GPS(全地球測位システム)を構築するため、準天頂衛星「みちびき」の同型機と静止衛星を、2014年から2年程度の間に集中的に6〜7機打ち上げる方針を固めた。

 アジア太平洋全域を対象に、現在のGPSより10倍高い精度で測位できる体制を整える。打ち上げなどにかかる計2000億円規模の費用には民間資金を活用する方針だ。

 政府の宇宙開発戦略本部(本部長・菅首相)が、原案を固めており、8月をめどに計画を決める。財政難の中、政府は民間の資金とノウハウを活用するPFI法の改正案を次期通常国会に提出し、衛星製造をPFIの対象事業に加える方針だ。

 日本独自のGPSを構築するのは、米国のGPSの本来の目的は軍事利用のため、有事などの際に民間向けの電波の発信までも第三国に妨害され、市民生活や経済活動が影響を受ける恐れがあるからだ。

 日本は10年9月、独自開発した準天頂衛星の1号機「みちびき」を打ち上げた。同型機も含め3機以上にすれば、1機は常に日本上空に位置することになる。米国が運用するGPSと組み合わせれば、カーナビゲーションなどの精度は現在の10倍高まり、誤差は1メートルまで小さくなる。

(2011年1月5日03時03分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/news/20110104-OYT1T00905.htm

 うむ、いいニュースですね、政府は日本版GPSを構築する方針を固めたようです、衛星7機体制で「アジア太平洋全域を対象に、現在のGPSより10倍高い精度で測位できる体制を整える」ということです。

 構築する理由は「日本独自のGPSを構築するのは、米国のGPSの本来の目的は軍事利用のため、有事などの際に民間向けの電波の発信までも第三国に妨害され、市民生活や経済活動が影響を受ける恐れがあるから」だそうです。

 しかしこの記事ですが技術的には誤解を招きやすい表現が多く、酷な言い方に聞こえるかも知れませんがおそらく記事をおこした記者も内容をチェックする校正担当者もGPSの技術的知識を有していなかったと推察されます。

 なぜならば、この記事の内容では「日本独自の衛星7機だけでアジア太平洋全域を対象に、現在のGPSより10倍高い精度で測位できる体制が可能」となると誤読されてしまう可能性が大きいからです。

 この記事の文章は、一文一文の単体としてはそれぞれ誤りではないのですが、全体としては大変誤解を招きやすい難解(?)な内容となってしまっています。

 私は大学や専門学校で通信工学系授業を受け持っていますがGPSの原理も教えたことがありますので、今回はGPSの原理をわかりやすく説明しつつ、この記事を科学的にリテラシーして説明を補強したいと思います。

 ・・・

 GPS(グローバル・ポジショニング・システム)とは日本語で全地球測位システムと訳されている、アメリカ軍によって運用される衛星測位システムのことで、ナビスターと呼ばれる31個のGPS衛星が地上約20000kmの高度をそれぞれ独自の軌道でぐるぐる回りながら地球上の全域をカバーしているのであります。

 この31個のGPS衛星の軌道ですが、たいへんよく計算されていまして、地球上の主だったどの地点でも常時最低4個以上のGPS衛星の信号が受信可能なように計算されています。

 カーナビや最近では携帯電話にもGPS受信機能を持った機種も登場していますので地上における現在位置が正確にわかるGPSの便利な機能はみなさんも利用されていると思います。

 カーナビなどのGPS受信機は複数のGPS衛星からの信号を受信しその情報に基き計算によって現在位置をある誤差の範囲で求めています。

 余談ですが、GPS衛星からの情報はCDMA(code division multiple access)という変調方式が採用されていますが、これは大変利便性の良い変調方式のため、私達が現在使用している携帯電話(3G:第三世代)もこの方式を取っています。

 地上のGPS受信機が複数のGPS衛星の情報を捉えて現在位置を正確に導く原理を難解な数式はいっさい用いずに説明を試みたいと思います。

 GPS衛星にはとても正確な時刻を刻む(したがってとても高価な)原子時計が搭載されています。

 GPS衛星は地上に向けて正確な現在時刻と衛星の現在の軌道情報を送信し続けています。

 地上約20000kmの高度のGPS衛星からの信号を地上のカーナビなどの受信機が受信するまでには、いかに電波が光速(秒速約29.97万km)で飛んでくるとは言えコンマ何秒かの遅れが生じます。

 つまり衛星の正確な発信時刻と受信機側の正確な受信時刻の時間の遅れが正確にわかれば、その遅れの時間に光速を掛けることによってその衛星までの距離がわかります。

 数学的な話が続いて恐縮ですがもうしばらくお付き合いください、一個の衛星からの距離が分かっても地上の現在位置を特定することはできません。

 一般に空間上のある点から、距離R離れた点の集合は、半径Rの球面を構成します。

 そこで受信機は別の2個目の衛星からの情報も受信し、その衛星との距離も計算します。

 こうすることで2つの球面の交わり部分(一般的には円になります)の線上に自分がいることを絞り込むことができます。

 さらに、3個目の衛星からの情報も受信し、その衛星との距離も計算します。

 最初の2個の情報で得た円と3個目の球面を交わらせると、ついに空間上の2つの点のどちらかが自分の座標であることが導かれます。

 2つの点のうちGPS受信機は地上を指し示す点(もう一点ははるかかなたの宇宙空間を指しています)を自分の現在位置と認識するわけです。

 数学的原理では、このように三点測量と同じ原理で3個の衛星から受信できれば現在位置を導くことが可能なのです。

 しかし実際には4個目の衛星からの情報も必要なのです。

 カーナビなどの地上の一般的なGPS受信機には高価な原子時計など使うわけにはいきませんから、受信時刻のほうは実際には無視できない誤差が必ず発生しているからです。

 したがって空間座標(x,y,z)の3変数だけでなく誤差δ(デルタと読みます)の4変数を解くためには、式を4つ連立させなければ解けないために、4個目の衛星からの情報も受信して、誤差を含めてすべての変数を求めることになるのです。

 つまりGPS受信機が現在位置を計算するためには最低4個のGPS衛星の信号を拾う必要があるので、最初に説明したように31個のGPS衛星の軌道は、地球上の主だったどの地点でも常時最低4個以上のGPS衛星の信号が受信可能なように計算されているわけです。

 ・・・

 読売記事に戻ります。

 政府は4日、日本版GPS(全地球測位システム)を構築するため、準天頂衛星「みちびき」の同型機と静止衛星を、2014年から2年程度の間に集中的に6〜7機打ち上げる方針を固めた。

 現在は日本のGPS衛星は、準天頂衛星「みちびき」一機だけですから、最低3個のアメリカのGPS衛星の信号を利用しなければ原理から現在位置は計算できないですね。

 したがって政府は「6〜7機打ち上げる方針」を固めたわけです。

 アジア太平洋全域を対象に、現在のGPSより10倍高い精度で測位できる体制を整える。打ち上げなどにかかる計2000億円規模の費用には民間資金を活用する方針だ。

 「アジア太平洋全域を対象に、現在のGPSより10倍高い精度で測位できる体制を整える」とありますが、たかだか6〜7機打ち上げただけでは、日本のGPS衛星だけで「アジア太平洋全域を対象に、現在のGPSより10倍高い精度で測位」することは不可能です、この文章全体がアメリカの衛星を利用することが前提の文章になっています。

 「アジア太平洋全域」ではなく日本列島に限って考えて見ましょう。

 日本列島からアメリカの衛星を利用せずに日本のGPS衛星だけで現在位置を計測するにはすくなくとも常時4個のの日本のGPS衛星が日本上空にいなければいけません。

 ところで準天頂衛星「みちびき」は日本上空に滞在している時間は8時間ですので、常時24時間日本上空に4個のGPS衛星を備えるためには、単純に計算しても4個掛ける3組、つまり12個の衛星が必要なことがわかります。

 記事にある「アジア太平洋全域を対象に、現在のGPSより10倍高い精度で測位できる体制」はたかだか7個の衛星で実現は不可能なことは自明ですね。

 政府の宇宙開発戦略本部(本部長・菅首相)が、原案を固めており、8月をめどに計画を決める。財政難の中、政府は民間の資金とノウハウを活用するPFI法の改正案を次期通常国会に提出し、衛星製造をPFIの対象事業に加える方針だ。

 日本独自のGPSを構築するのは、米国のGPSの本来の目的は軍事利用のため、有事などの際に民間向けの電波の発信までも第三国に妨害され、市民生活や経済活動が影響を受ける恐れがあるからだ。

 記事はここで「日本独自のGPSを構築するのは、米国のGPSの本来の目的は軍事利用のため、有事などの際に民間向けの電波の発信までも第三国に妨害され、市民生活や経済活動が影響を受ける恐れがある」と説明してしまっているので、あたかも日本独自のGPSだけで「アジア太平洋全域を対象」したGPSのシステムが実現するという誤解を生じかねないわけです。

 日本は10年9月、独自開発した準天頂衛星の1号機「みちびき」を打ち上げた。同型機も含め3機以上にすれば、1機は常に日本上空に位置することになる。米国が運用するGPSと組み合わせれば、カーナビゲーションなどの精度は現在の10倍高まり、誤差は1メートルまで小さくなる。

 「同型機も含め3機以上にすれば、1機は常に日本上空に位置することになる」のは事実ですが、常時4個の衛星が日本上空にいなければ日本独自のGPS衛星だけでは位置計算は不可能なのです。

 したがって「米国が運用するGPSと組み合わせれば、カーナビゲーションなどの精度は現在の10倍高まり、誤差は1メートルまで小さくなる」のは事実ですが、逆に言えば現状では米国が運用するGPSと組み合わせなければ日本の衛星だけでは役に立たないのです。

 また「6〜7機打ち上げる方針」が実現したとしても、そんな個数では、「アジア太平洋全域を対象」にするならばやはりアメリカの衛星を利用することを前提にしなければ実現できないのです。

 衛星7機体制で「日本独自のGPSを構築」と報道する読売記事なのですが、ちょっと読者の誤解を生みやすい説明不足だと思い補足説明をするために取り上げましたが、別に記事内容を批判するのが目的ではありません、いずれにしても日本に取り良いニュースであるのはかわりません。



(木走まさみず)


<補記>15:55

 ブックマークにてnaya2chan様より貴重なご指摘をいただきました。

naya2chan 宇宙開発 このあたりは読んでおいて欲しい。http://www.kantei.go.jp/jp/singi/utyuu/QZS/dai3/siryou2.pdf ちょっと最近木走りさんお疲れなんじゃない? 2011/01/07

http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/kibashiri/20110107/1294373502

 そうか日本上空に限られた時間しか滞在できない準天頂衛星だけでなく24時間半永久的に日本上空に静止している「静止衛星」も投入するんですね。
 うむ、良く読めば読売記事にも「準天頂衛星「みちびき」の同型機と静止衛星を」と明記されてありました。

 投入する静止衛星の数によってはアメリカ衛星にたよらない自立した日本独自のGPSが構築可能ですので、補記させていただきます。

 具体的には上記エントリーこの説明箇所が替わってきます。

 日本列島からアメリカの衛星を利用せずに日本のGPS衛星だけで現在位置を計測するにはすくなくとも常時4個のの日本のGPS衛星が日本上空にいなければいけません。

 ところで準天頂衛星「みちびき」は日本上空に滞在している時間は8時間ですので、常時24時間日本上空に4個のGPS衛星を備えるためには、単純に計算しても4個掛ける3組、つまり12個の衛星が必要なことがわかります。

 すべて準天頂衛星だけならば12個必要になりますが、もし静止衛星が1個あれば、準天頂衛星は3個掛ける3組の9機、合計10機で自立したGPSが可能という計算になります。

 同じく静止衛星を2個利用すれば準天頂衛星は2個掛ける3組の6機、合計8機ですみますね。

 同じく静止衛星を3個利用すれば準天頂衛星は1個掛ける3組の3機、合計6機ですみますね。

 なるほど静止衛星を含めれば7機体制でも十分に少なくとも日本近辺では日本独自のGPSは構築できます。

 naya2chan様、貴重な情報ありがとうございました。

>ちょっと最近木走りさんお疲れなんじゃない?

 ほっといていただけますでしょうか(苦笑)

 エントリー全体のGPSの原理の説明等は影響ないと思いますので、補記の形で訂正させていただきます。