木走日記

場末の時事評論

斜陽する朝日新聞社説

 普段は2本掲載される社説を一本に絞っての朝日新聞渾身の「力作」社説が29日付けで掲載されています。

斜陽の年―興隆、衰退そして再生へ
http://www.asahi.com/paper/editorial.html

 うーん、考えさせられました。

 全文を不肖・木走の寸評付きで以下にご紹介しましょう。

 (時間がもったいない読者はここから駄文がだらだら続きますので、下の方の☆印までワープしてください、まったく問題ありません。)

 全通したばかりの東北新幹線新青森駅へ。さらに在来線と津軽鉄道を乗り継ぐ。うまくいって1時間半ほどで五所川原市金木(かなぎ)町に着く。太宰治のふるさとである。

 ほほう、社説子氏開通したばかりの新青森駅へ旅されたのですね。

 太宰の生家は津軽の大地主だった。高さ4メートルのれんが塀で囲まれた和洋折衷の重厚な建物は、戦後人手に渡り、斜陽館として保存されている。

 うむ、斜陽館って太宰の代表作からの命名ですよね。

 敗戦は日本をいったんゼロにリセットした。それから65年後の今年、日本を覆うのは、やり場のない斜陽の感覚である。雪に覆われた巨大な館の前でみな立ちすくんでいるかのようだ。

 なるほど、現在の日本も「やり場のない斜陽の感覚」で覆われていると。

■目まぐるしい盛衰

 1945年にゼロ歳の日本ちゃんが生まれたとしよう。11歳で「もはや戦後ではない」と初等教育を終え、若々しく成長し、19歳で早くも五輪を成功させ国際デビューする。伸び盛りの25歳の時には万博も開いた。

 「日本ちゃん」って(苦笑

 石油ショックなどがあって成長の速度は落ちたが、30代になると一億総中流を自任した。40歳で対外純資産が世界1位になった。さすがにもうけすぎだと言われて、プラザ合意で為替レートが一変しバブルが始まる。

 うむ、「一億総中流」ですか、今は昔のフレーズ、懐かしゅうございます。

 40代半ばのころ東西冷戦が終わり、その後バブルが崩壊する。50歳の時に阪神大震災オウム事件に遭った。そのころから病気がちになり、小泉改革の劇薬も効かず65歳の今にいたる。このまま老衰するわけでもあるまいが、人の一生に等しい短い時間で目まぐるしい盛衰を経験しつつある。

 なんかすげえザックリ観ですな、まあ戦後の日本を「日本ちゃん」って擬人化した時点でアバウトな論説なのは理解はしています、はい。

 今年おそらく国内総生産で世界2位の座を中国に譲った。鶴のマークが海外への希望の象徴だった日本航空は破綻(はたん)した。大学生の就職は超氷河期。所在不明の高齢者は続出し、自殺者は13年連続で3万人を超えそうだ。

 「自殺者は13年連続で3万人を超え」、ふう、深刻な数字ですよね。

 国民の期待を背負って政権に就いたはずの民主党の迷走は、日本の立ち位置を皮肉な形で示してくれた。

 この当たりから社説子氏が何を言いたいのかよくわからなくなってきます。

 えっと、「民主党の迷走は、日本の立ち位置を皮肉な形で示してくれた」って、前後の文脈から何の話なのか読み説けないのですが・・・まあいいか。

 変化を掲げたオバマ米大統領は、巨大資本の呪縛や保守派の攻勢で身動きがとれない。中国は拡大する経済に見合った軍事力への渇望や、広がる格差が生む動揺を抑え切れていない。

 うーん、アメリカに中国と論は拡大するのですが、何が言いたいのかとしばし考え込みましたが、やはりよくわからん。

人口減社会の行方

 それぞれに矛盾を抱え、支配力を失っていく東の大国と、力をつけていく西の大国とどう付き合っていくのか、日本の姿勢は定まらない。インドや韓国の台頭もあって、アジアでの存在感は希薄になるばかりだ。

 おおそうか、今度は日本の外交姿勢を説いているのか。

 インターネットと市場の標準化によってグローバル化した世界は、その創設者である米国にも他のどの国にも制御できなくなってしまった。その流れが経済だけでなく、政治や社会全体に及んでいることがウィキリークスなどの登場ではっきりした。

 うん? 今度はウィキリークスに話題は飛ぶのか。

 国の枠を超えて直接つながった新しい世界には中心も辺境もない。誰がそれを動かしているかもわからない。えたいの知れないものに支配されるような不安が人々を襲っている。

 ネット空間の話ね、「えたいの知れないものに支配されるような不安」て何かなとしばし思考。

 斜陽感を生む原因の最たるものは、国が縮んでいくことだ。英国の雑誌エコノミストは11月、「日本の重荷」という特集を組んだ。主題は少子高齢化による人口減少である。この点では、世界の先端を走る日本の動向が注目されているということだ。

 おお、ここで「斜陽」に戻るのか、少子高齢化による人口減少により国が縮んでいくことですね。

 今のままでは95年に8700万人いた労働人口が2050年までに5200万人にまで減る。人口ピラミッドは上の方が広いつぼのような形になる。国力は衰退し、年金制度や社会保障は行き詰まる、という警告である。

 うむ、エコノミストの記事は私も読みましたが確かに深刻な予測が並んでいましたね。

 そんなことは外国から言われなくともわかっている。だが、わかっていても私たちは真剣に考えているだろうか。いつか誰かが、どうにかしてくれるわけはない。

 おお、この当たりがこの社説の問題提起のコアなのかな、少子高齢化による国力衰退を日本国民は真剣に考えろ、と。

 日本ちゃんの比喩で言えば、まだ元気な40代ぐらいまでに次世代のことを考えるべきだったのだ。

 おお、「日本ちゃん」が再登場です。しかしなあ、この深刻な問題に「日本ちゃん」をぶつけるのはどうにかならんでしょうか(苦笑)、社説子さん。

 対策ははっきりしている。子どもを産み育てやすい環境をつくる。女性が働きやすい仕組みをつくる。外国から人を入れる。どれもが必要で、劇的に進めないともう間に合わない。

 うーん、「子どもを産み育てやすい環境」も「女性が働きやすい仕組み」も賛同しますが、「外国から人を入れる」のは異論反論もあり同列に語れないと思うのですが・・・まあいいか。

■人類史から学ぶ

 今年、ハーバード大学の「正義」の授業が話題になり、ニーチェマルクスが読まれた。行き詰まりを打開する鍵を探そうという思いからだろう。

 うむ、「正義」を語ろうではないか、って新鮮なキャッチでしたよね。

 朝日新聞が識者アンケートで選んだ「ゼロ年代の50冊」の1位はJ・ダイアモンド著の「銃・病原菌・鉄」だった。社会の豊かさの違いがなぜ生まれるのかを、最後の氷河期が終わった1万3千年前からの人類史をひもといて論じたものだ。

 うむむ、今度は「最後の氷河期が終わった1万3千年前からの人類史」をひもときますか(汗・・・まあいいか。

 ダイアモンド氏は「銃……」の続編の「文明崩壊」で日本を取り上げ、先進国の中でも人口密度の高い社会が維持されてきた理由を、恵まれた自然と地勢、江戸時代に森林を管理、再生させたことなどによるとしている。

 ん? 「江戸時代に森林を管理、再生させたこと」が「人口密度の高い社会が維持されてきた理由」の理由のひとつなのか。

 名古屋であった「地球生きもの会議」を機に、この列島の森や海が、世界でもまれな生物多様性に富んだものであることが再認識された。

 日本列島は「世界でもまれな生物多様性に富んだものである」のが再認識されたんですね。

 最後の氷河期が終わったころ、日本は縄文草創期である。縄文人は豊かな自然の中で、鋭利な石器を削り、世界で最古級の土器をつくった。

 うーん、そうですか、「縄文人は豊かな自然の中で、鋭利な石器を削り、世界で最古級の土器をつくった」ですか。

 うーん・・・論旨がさらにみえなくなってきたなあ。

 斜陽の気分の中で思い起こすべきなのは、私たちはなお恵まれた環境にいるということだ。知識や社会資本も十分に蓄えられている。それらを土台に何か新しいものを生みだし続けていく。そうすれば、これからも世界で役割を果たしていけるだろう。

 そうか、「斜陽の気分の中で思い起こすべきなのは、私たちはなお恵まれた環境にいるということ」なのか、それで「知識や社会資本も十分に蓄えられている」んだから、「それらを土台に何か新しいものを生みだし続けていく」そうすれば日本はこれからも「世界で役割を果たしていける」のか。

 そうか、そうだったのか、文章が長い割にはさわやかな結びだったのですね(苦笑。

 ふう。

 ・・・

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☆印(ワープ先)

 いかかですか、「斜陽の年―興隆、衰退そして再生へ」と題した朝日新聞渾身の「力作」社説であります。

 この社説、これは深刻な問題を提起しているのでございます。

 なにが深刻な問題なのか。

 天下の朝日新聞が一本に絞っての力作です、当然ながら読者に力強く何かを訴えているはずです。

 なのに、私には「日本ちゃん」の擬人化などまったく意図が分からないし全文だらだらの駄文にしか読めませんでした、ですから社説の訴えたいこと、それが私には皆目読み説けなかったのです。 

 うむ、そうか。

 この朝日社説は斜陽する日本社会への深刻な問題提起なのであります、きっと。

 朝日新聞の深謀がみなさんには理解できませんか。

 つまり、日本の斜陽を日本を代表するメディアの社説自体のレベルを斜陽させることによって体現しているのです、きっと。

 自らの社説を駄文化することによってこの国の「斜陽」を読者に訴えているのです、きっと。

 天下の朝日新聞がこのような長文社説を800万部も紙にするということは、まさに「斜陽の年」にふさわしいということであります、きっと。

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 それにしても「日本ちゃん」は余計だったと思いますがいかがなものか(ボソ



(木走まさみず)