木走日記

場末の時事評論

心臓が弱い人は民主党を支持するときには注意が必要〜役人の論理の前で突然に変節する民主党の政治信条

 政治家の政治信条とはかくも変節可能なものなのでしょうか。

 29日付け読売社説から。

死刑執行 やっと法相の責任を果たした(7月29日付・読売社説)

 民主党政権になってから初めて、2人に死刑が執行された。昨年7月に3人の執行があって以来1年ぶりになる。

 千葉法相はかつて「死刑廃止を推進する議員連盟」のメンバーだった。昨年9月の就任以降、死刑執行に対する法相としての姿勢を明確にしないまま執行ゼロの状態が続いていた。この結果、死刑確定者は109人と、過去最高の水準にまで増えていた。

 刑事訴訟法は、死刑確定から6か月以内に刑を執行しなければならないと定めている。法相の考え方や信条によって、執行のペースが左右されるとすれば、法治国家として異常な事態である。

 先の参院選で落選した千葉法相が、民間人として続投することには批判も出ていた。この時期、突然の執行に踏み切った真意をいぶかる声もあるが、法に基づく執行は、法相として当然の責務だ。

 内閣府が今年2月に公表した世論調査では、死刑容認派が過去最高の85・6%を占めた。被害者や遺族の感情に配慮する意見や、凶悪犯罪の抑止力になることを期待する意見が多かった。

 世界的には欧州を中心に、死刑を廃止か停止している国の方が維持している国よりも多い。だが日本では、国民の大多数が死刑を容認している現実を踏まえ、その声を尊重する必要があろう。

 法相は自ら希望して、拘置所で2人の刑の執行に立ち会った。記者会見では「見届ける責任があると思った」と述べた。法務行政の最高責任者が執行に立ち会うのは、初めてのことだという。

 法相はまた、死刑制度のあり方について、省内で本格的な議論を始める方針を明らかにした。

 昨年から裁判員裁判が始まっており、いずれ裁判員が裁判で死刑の選択を迫られる日も来る。

 国民が責任の一端を担う以上、死刑制度の議論を深めること自体には意味があろう。だが、最初から廃止や停止の結論ありきでは、国民の理解は得られまい。

 死刑に関する情報の公開も欠かせない。法相が東京拘置所の刑場を報道陣に公開する方針を示したことは前進と言える。

 これまで法務省は、死刑について徹底した「秘密主義」を貫いてきた。執行した死刑囚の氏名まで公表するようになったのは2007年以降である。

 刑場の構造、執行の方法、死刑囚の生活――。そういった情報が提供されることが、国民一人ひとりが死刑制度を考えるきっかけになるだろう。

(2010年7月29日01時08分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20100728-OYT1T01124.htm

 本当に驚きました。

 よもや「死刑廃止を推進する議員連盟」のメンバーだった千葉法相が、参院選で落選し民間人として大臣を継承することに物議をかもしているまさにこのタイミングに、まさに突然の死刑執行であります。

 読売社説は「やっと法相の責任を果たした」と無邪気な評価をしています、私も死刑制度容認派でありますので執行を決断したこと自体は肯定的に評価したいです。

 がしかし、「死刑廃止を推進する議員連盟」のメンバーであった千葉氏の今回の突然の変節は正直理解に苦しみます。

 政治家の政治信条とはかくも突然に変節するものなのでしょうか。 

 この変節は死刑制度廃止派から厳しい批判をまぬがれないでしょう、またタイミングの悪さもありさっそく野党からも批判が起こっているようです。

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 ふう。

 当ブログではこの気の毒な法務大臣を本件では批判を控えたいです、そもそも彼女はさきの参院選で落選したときに辞任すべきだったし本人も辞任を希望してたのです、留任させたのは本人の意思ではなく菅首相であり、現在の彼女は管政権の姑息な保身策の犠牲者という側面もあるからです。

 それに、「法相は自ら希望して、拘置所で2人の刑の執行に立ち会った」とありますが、報道によれば彼女は絞首刑場で死刑執行をガラス越しに立ち会ったそうです、顔面蒼白であったとあります、そうとうの覚悟で立ち会ったのでしょう、一部報道でこの時期の死刑執行は政治的パフォーマンスではないのかとありますが、私はその論はありえないと考えてます、パフォーマンスで死刑執行現場に立ち会うなどは、昨日の彼女の会見の疲れ切った重い表情を見れば、千葉氏にそのような余裕はなかったと考えるのが普通でしょう、事実は逆で、追いつめられた苦渋の決断だったのではないか、推測します。


 ここは素直に「刑の執行に立ち会った」千葉氏の覚悟と責任感には敬意を表したいです。

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 別の新聞報道によると、千葉法相は、在任期間中の「執行ゼロ」を避けたい法務省側からの説得を受け入れ、徐々に執行の決意を固めていったようです。

 同省側は法相に対し、裁判員裁判で国民が死刑か無期懲役かという重い判断を迫られるようになったため、それでも執行を避け続ければ国民の理解を得にくいことを強調していたそうです。

 2月の内閣府世論調査で死刑容認が過去最高(85・6%)になったことも、決断の背景にあるのではと同省側は話しております。

 今回の突然の執行は、刑場を国民に向けて公開する必要性を説いていた法相と死刑執行を行わせたい役人側との間で「執行とセットでの情報公開」というぎりぎりの妥協点だった側面もあるという見方もあります。

 6月24日、千葉法相は土曜日にもかかわらず登庁し大臣室で死刑執行命令書にサインしたそうです。

 参院議員の任期が満了する前日であります。

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 私は今回の死刑執行で千葉氏を個人的に批判する気にはなれません、しかし、どうにもこの突然の死刑執行は驚きであり、いろいろな意味で民主党政権についてあらためて深く考えさせられてしまいました。

 政治家の政治信条とは役人の論理の前では、なぜかくも簡単に変節するものなのでしょうか。 
 
 鳩山氏は、普天間基地移設問題で選挙前「最低でも県外」と公約し政権成立後も埋め立ては沖縄の海を冒涜するなどの発言を繰り返し、「政治主導」で解決すると意気込みました。

 が、結局は外務省の用意したとおりのシナリオに落ち着きます、役人の説明に「抑止力の認識を新たにした」と発言し、現行通りに決着させます、この鳩山氏の突然の「変節」は、事前説明がいっさい無く、地元沖縄の人々の怒りを買ったわけです。

 菅氏は、財務相に就任した当時は、無駄使いは「逆立ちしても鼻血も出ないほど絞り取る」と喝破していました。

 しかし財務相として国際的な蔵相会議に出席するなどを通じて、ギリシャの経済危機などを役人を通じて学習、日本の財政危機を危急的速やかに解決すべき深刻な問題と認識するようになります。

 そして自らが首相になるとあの突然の「消費税増税発言」となります。

 これも国民にとって突然の変節でありました。

 そして今回の千葉氏の突然の死刑執行、「変節」であります。

 ここには共通した流れがあります。

 野党時代からその政治家の大切にしていたであろう政治信条が、与党の要職に就きしばらくすると役人の説得・説明に感化・影響され180度真逆に変節していく。

 その変節の過程はけっして有権者には説明されず、ある日突然、発表され国民を驚かす。

 そして皮肉にも、変節のベクトルはすべて「政治主導」から「官僚主導」へと向かいます。

 この流れの意味するところは深刻です。

 民主党政権のうたう「政治主導」なるものはまったく実態をともなわないスローガンに過ぎないということです。

 しかもたちが悪いことに政治家の変節の過程は一切見えませんから、国民にとってはいつも突然の変節になって現れます、まさに「晴天の霹靂(へきれき)」です。

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 心臓が弱い人は民主党を支持するときには注意が必要だということです。



(木走まさみず)