木走日記

場末の時事評論

普天間問題:「見得」の切り方のスケールが小さい鳩山首相

kibashiri2009-12-24




越年必至となった普天間問題でありますが、鳩山首相指導力が厳しく問われているわけですが、今回は本件で新聞の社説がいったい誰の「目線」「立場」で論説されているのか、この興味深いテーマから触れてまいりましょう。

 24日付け産経新聞社説。

【主張】普天間問題 不信高める首相の「虚言」
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/091224/plc0912240229004-n1.htm

 社説タイトルに「虚言」という単語を使用するあたり産経社説子のお怒りがもう十分伝わってきて本文を読む必要がないほど(苦笑)でありますが、この社説のポイントはここ。

 首相は11月の日米首脳会談でも「私を信頼してほしい」と早期決着を約束するかのような発言でオバマ大統領に誤解を与え、結果的に対日不信を募らせた。
 今回のコペンハーゲンでの首相発言も、デンマーク女王主催の晩餐(ばんさん)会で隣席した際の会話にすぎない。しかし、鳩山首相は記者団に説明する中で、あたかも日本の政府方針をクリントン長官が全面的に容認したかのような印象を与えた。このため、長官は大使を呼び出す形であえて首相発言を訂正させたともいえる。

 「私を信頼してほしい」とか「長官には十分に理解をいただいた」とか、このままでは首相自身の発言が、アメリカ側から「虚言」と受け取られかねないと続きます。

 問題はそうした信頼の喪失が閣僚でも高官でもなく、トップである首相自身の発言から繰り返し生じていることにある。
 鳩山首相の発言の軽さと迷走ぶりはかねて批判されてきた。しかし、普天間をめぐる不信がここまでくると、米側では迷走を超えて「虚言」や「ミスリード」と受け取られかねない。国家の安全や同盟の信頼を預かる指導者として重大な事態といわざるを得ない。

 「首相は日米同盟の信頼修復のためにも直ちに政府方針を再考し、現行計画に基づく解決を決断すべき」(産経社説)との主張を持つ産経新聞社説でありますが、興味深いのはほぼ全文を通じて同盟国アメリカの「目線」を強く意識しているわけです。

 まあ日米同盟堅持の保守派論説として同盟国アメリカの「目線」で今回の問題を同盟の危機と捉えているわけです。

 ・・・

 一方、産経社説とは真逆とも言える「目線」を、地元の沖縄のメディアから取り上げてみましょう。

 22日付け琉球新報社説。

冷戦と普天間 「大義」訴えることが肝要
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-154636-storytopic-11.html

 社説は冷戦を終結させた旧ソ連大統領のミハイル・ゴルバチョフ氏の見解を中心に構成されています。

 社説冒頭から。

 辺野古移設か県外・国外移設かで揺れ続ける普天間飛行場代替施設問題で、旧ソ連大統領のミハイル・ゴルバチョフ氏が本紙に見解を寄せた。
 オバマ米大統領の来日を前に、本紙が11月に実施した県民世論調査の結果などを踏まえて、「県民の7割が反対を表明している事実は重い。両政府は重く受け止めるべきだ」と、日米両政府にくぎを刺している。
 大国ソ連を指導し、米ソの冷戦を終結させた同氏の発言には重みがある。「外交とは主権のぶつかり合い」「独り勝ちはない。論議を尽くして着地点を見いだすことだ」との言葉も大統領経験者ならではだろう。

 で、社説タイトルの「大義」とは、ずばり沖縄の民意であると続きます。

 ゴルバチョフ氏は「政治は民意が大義だ」と強調している。本紙の世論調査結果や県内移設に反対する集会に2万1千人余が集結したのは、県民の総意にほかならない。
 大事なことは同氏の助言のように「ホワイトハウスにメッセージを送ること」だろう。県内から絶えず県内移設反対の民意を発信し続けることこそが肝要だ。

 「政治は民意が大義」(ゴルバチョフ氏)なのであり、そのためにも「県内から絶えず県内移設反対の民意を発信し続けることこそが肝要」と社説は結ばれています。

 当然ながら琉球新報社説子のこの論説は、ほぼ全文を通じてゴルバチョフ氏の発言を利用しつつ、沖縄県民の「目線」で今回の問題を捉えているわけです。

 ・・・

 では鳩山首相はこの問題を誰の「目線」で捉えようとしているのか。

 首相の発言からは沖縄県民には「県民の痛みを軽減しなければいけない」と、いったん沖縄県民の「目線」まで下がり県外移転の願いを共有していると思わせ、アメリカに対しては「トラスト・ミー」私を信じてなどとアメリカの立場、その「目線」に理解を示すかの思わせぶりの発言をしているように見えます。

 これはまさに歌舞伎の見得(みえ)のポーズを彷彿とさせます。

 歌舞伎でいわゆる「見得を切る」というポーズは、感情の高まりなどを表現するために、演技の途中で一瞬ポーズをつくって静止する演技をさし、その人物をクローズアップさせる効果があります。

 多くの場合、「見得」の瞬間には「バッタリ」という「ツケ」が打たれ、特に「幕切(まくぎれ)」の「大見得(おおみえ)」は壮観です。

 慣用句として使用される「大見得を切る」が「自信たっぷりに装い、大げさな言動をとる」という意味になる言葉の由来になっているわけですが、ともかく一つに作品で何回かそのシーンにより歌舞伎役者達は「見得を切る」わけですが、多くの場合、感情の高まりなどを表現するとともに登場人物の「覚悟」を示しているわけです。

 「見得を切る」行為、それは周囲への「約束」でもあります。 

 歌舞伎のいくつかの作品ではせっかく途中で「見得を切った」主人公がそれを守ることができなくて最後に恥をかいてしまう展開が見られるのですが、これは正に「見得を切る」行為がひとつの「約束」であり、それが結果的に破られてしまうことを「その場しのぎ」だったことをシニカルに表現しているのです。

 ・・・

 本件では、鳩山首相は話相手が変わればそれに自らの「目線」を合わせて変えて、その場しのぎの矛盾する「見得を切る」行為を繰り返しているように私には思えます。

 なぜこのような優柔不断な行為をしてしまうのか、それは私は普天間問題で鳩山首相が「大見得を切る」ことをしていないからだと邪推しています。

 どういうことか。

 16日付けの毎日社説。

社説:基地移設の政府方針 普天間の永続避けよ、問われる首相の指導力
http://mainichi.jp/select/opinion/editorial/archive/news/20091216ddm005070027000c.html

 ここに極めて冷静な「目線」での今回の普天間問題に関する日米合意に関する論説があります。

 当該部分を抜粋。

 第一は、日米合意の考え方である。政権交代があれば、内政・外交ともに過去の政策を見直すのは当然であろう。しかし、相手のある外交では限界もある。今後の外交方針とは違って、すでに政府間の公式合意が存在する場合には「継続性」が重視される。さらに、日米合意については、国会が承認した「在沖縄海兵隊のグアム移転協定」で明文化されており、法的にも確定している。

 常識的には、政府間合意を覆す場合、相手国が納得できる新たな案を提示する義務は、合意見直しを提案する側にある。普天間の「県外・国外移設」を強く主張する社民党も、連立政権の維持を重視する首相も、この点は理解すべきである。

 普天間問題を、日米同盟全体を揺るがす発火点にしてはならない。そんな事態は、「日米同盟が日本外交の基盤」と強調する首相の本意でもないだろう。対米協議に向けて、鳩山政権はあらゆるチャンネルを使って米側に働きかける必要がある。

 これは本問題の核心を突いているコア部分だと思います。

 「常識的には、政府間合意を覆す場合、相手国が納得できる新たな案を提示する義務は、合意見直しを提案する側にある」(毎日社説)のは当然であり、付け足せば一度同意した事項を一方的に破棄するならば、代案無き反対論など外交シーンでは全く説得力がないわけです。

 その代案が私は賛成しかねますがたとえ「無条件完全撤収」(日本共産党)であれ、あるいは「日米同意の完全履行」(自由民主党)であれ、あるいは鳩山政権オリジナルの折衷案でも構いません。

 旗をまず鮮明にしなければ議論すら始まらないのです。

 「日米合意については、国会が承認した「在沖縄海兵隊のグアム移転協定」で明文化されており、法的にも確定している」(毎日社説)厳然たる事実がある限り、それを白紙に戻すならば具体的対案を掲げるのはまず鳩山政権側の義務であります。

 毎日社説の指摘するとおり、国際的な約束事を破る側の方が具体的代案を掲示すべきなのは道理なのであり、それを示さないのではアメリカにしても沖縄県民にしても、議論が前に進みようがないのは当然です。

 それなのに、鳩山首相は具体的代案を示さず、つまり「大見得を切る」ことをせずにいるために、ただ無駄にそれぞれのシーンで場当たり的に相手に合わせた小さな「見得を切る」ことを愚かにも繰り返すことで信用を失墜し続けているわけです。

 結果、鳩山政権は沖縄県民からもアメリカ政府からもその場しのぎの「虚言」(産経社説)ではないのかと、疑われてしまっているのが現状であります。

 ・・・

 相手「目線」に合わせてその場しのぎの「見得を切る」ことを繰り返していてもこの問題は解決しません。

 そのような小細工ではなく、ここは「大見得を切る」ことが肝要であります。

 ようは指導者としての決断力の問題なのでありましょう。



(木走まさみず)