木走日記

場末の時事評論

2大政党制の中での小党の価値〜デモクラシーを凡庸(ぼんよう)にしないためのスパイス

 いよいよ投票日まであと一日となりましたね。

 今日は2大政党制の中での小党の価値について思っていることをまとめてみました。


デモクラシーの潮流は万事において凡庸であることである。

 アメリカ人作家であったジェイムズ・フェニモア・クーパー(James Fenimore Cooper,1789年9月15日 - 1851年9月14日)は、その著作「アメリカの民主主義者」において、デモクラシーの本質とその限界性を、"mediocrity"・凡庸(ぼんよう)という一言で言い表しました。

 民主主義というものは平凡でとりえのないものなんだと。

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 ゲーム理論を思いついた人はハンガリー出身の数学者で近代コンピュータの父祖とも言われるジョン・フォン・ノイマンであります。

 それを発展させたのは、アメリカ出身の数学者ジョン・F・ナッシュでありました。

 まずはゲーム理論で有名なビーチのアイスクリーム屋の話から。

 ある浜辺で商品も価格も同じアイスクリームを売ろうとしているAとBがいて、いま浜辺のどこに店を構えれば一番売り上げが伸びるかを考えています。

 浜辺は直線で客は均等に存在しています、夏の炎天下の浜辺のことです、客はもっとも近い場所にあるアイスクリーム屋から買うことが想定されます。

 さてA,Bはお店をどこに立地すれば相手より売り上げを上げることができるか思案します。

 結論から言うとA,Bともに浜辺の中央、ど真ん中に並ぶように店を構えることになります。

 最初Aは浜辺の左側4分の1ほどの位置に、逆にBは浜辺の右側4分の1ほどの位置に店を構えたとしましょう。

 この状態では、浜辺の左半分にいる客たちはAの店に、右半分にいる客たちはBの店にいくことでしょう、客は均等に存在していますから売り上げも均等、AとBの店は仲良く棲み分けられます。

 しかし、どちらか少し賢ければどうでしょう、必ず店を中央よりに移し始めるはずです。

 たとえばAの店が中央に移り、Bの店が右4分の1の場所のままだったら、Aの店が浜辺の3分の2の客にとって最寄の店となり売り上げを伸ばすことでしょう。

 こうしてこの条件では、A,B両方の店は浜辺の真ん中中央に並ぶようにくっついて店を立地することになります。

 売り上げを重視しライバルに負けないためのこれしかない戦略です。

 これがこのゲームにおける均衡点なのです、このような均衡点をナッシュ均衡と呼びます。

 興味深いことは、このナッシュ均衡はあくまでも店側の論理における解であり、ここでは客の立場は無視されていることです。

 客の利便性(なるべく短い距離でアイスを買うという)を考えれば、最初の左右に分かれていたときが実は一番よろしいことになります。

 その場合、どんなに離れている客でも最大で浜辺の全長の4分の1の移動で店に行けます(平均で8分の1)のに、ナッシュ均衡の浜辺の真ん中に2件並んだ場合、最大で浜辺の2分の1も移動しなければ店にたどりつけません(平均で4分の1)。

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 で、このビーチのアイスクリーム屋の話からすぐ連想できるのが小選挙区制度は2大政党制になりやすいがそれぞれの政党の主張は似たもの同士になりやすいという話です。

 それぞれ左右のイデオロギーを有する2つの政党が、閉じた地域で1議席を争う場合、ライバルより1人でも多くの有権者を引き付けるために、最初は左右に分かれていたその主張が中庸(ちゅうよう)にシフトしていく、戦略上浜辺のど真ん中に店が並ぶように、ゲーム理論によれば議席獲得のために2つの政党は小選挙区制では似たような中庸の政策を掲げざるを得なくなるわけです。

 議席獲得のためには最も多くの支持を得られる政策を取らざるを得ないわけで、2大政党の政策は似たもの同士にならざるを得ないのです。

 民主党自民党マニフェストが競うようにバラマキ政策をのせて有権者のご機嫌をうかがう様は、まさに悪しきポピュリズムでありジェイムズ・クーパーのいう「デモクラシーの潮流は凡庸」となる証左であるとも言えましょう。

 衆愚的人気取りに走らざるを得ないのであります。

 まあしかし政策の一貫性という点、政権交代が起こりやすく国政に緊張感がもたらされるという点で小選挙区制度を評価する人たちも多くいます。

 アメリカの共和党民主党、英国の保守党と労働党、それぞれ党内には左派から右派までいろいろな主義主張のグループを抱えながらも、選挙で掲げる公約は比較的穏便な政策を取ることによらないと政権は取れないために、防衛・外交政策を含めて政権交代しても大きくは国としての政策が変わらないということになります。

 ここでもしかし重要なことは、小選挙区制度の制度として政党から見たナッシュ均衡が中庸(ちゅうよう)政策に落ち着くことは、必ずしもすべての国民・有権者の立場を尊重することを意味してはいない、むしろ国民の意向など無視した政党側の選挙に勝つためだけの論理的帰結にすぎない点です。

 浜辺の真ん中にあるアイス屋は浜辺の左端や右端にいる人にはとっても距離感を持ってしまうのと同様、小選挙区制では少数意見を反映するのはとても難しい、小党にとっては議席を獲得することは困難な制度であります。

 小選挙区制では2大政党化により政策の安定化と政権交代が容易なため国政の緊張はもたらされますが、デモクラシーの潮流は凡庸になりがちになります。

 政策の多様性が犠牲になるのです。

 しかしながら、日本では、投票数の多い政党だけでなく少ない政党にも比較的公平に議席を割り当てることが可能な比例ブロック制、つまり複数定員を設けた大選挙区制が用意されており、少数意見の民意を反映させることができます。

 日本の衆議院選の場合、小選挙区300議席に対し比例ブロックが11あわせて180議席が用意されています。

 比例ブロックでは小党の政策にも十分に耳を傾けて貴重な一票を投じなければならない理由がそこにあります。

 小党の存在理由はデモクラシーを凡庸(ぼんよう)にしないためのスパイスなのだと思います。

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(木走まさみず)