木走日記

場末の時事評論

利己的個体により群れごと沈むか民主党

 WBCで日本が延長戦でイチローの劇的な適時打で5−3で韓国を破り優勝、第一回に続き連覇したようですね、おめでとうございます。

 PCでドキュメント作成の仕事をしつつ、ネットのリアルタイム速報をサブウィンドウで表示して経過をながめていましたが、なかなかの好ゲームだったようです。

 さてWBCも決着がついたところで、ぜひとも決着をつけてほしいのは、東京地検政治資金規正法違反容疑で逮捕した公設秘書の刑事処分を決めるのを受けて、24日にも自らの進退を含めた対応を表明する小沢民主党代表の去就であります。

 毎日新聞速報記事から。

違法献金:小沢代表の大久保秘書ら起訴 東京地検
2009年3月24日 15時49分 更新:3月24日 17時09分

 小沢一郎民主党代表の資金管理団体陸山会」を巡る違法献金事件で、東京地検特捜部は24日、小沢氏の公設第1秘書、大久保隆規(47)と西松建設前社長、国沢幹雄(70)の両容疑者を政治資金規正法違反で起訴した。大久保被告は「西松からの献金だとは思わなかった」と起訴内容を否認し、国沢被告は認めている模様だ。

(後略)
http://mainichi.jp/select/today/news/20090324k0000e040109000c.html

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●興味深いマルチレベルセレクションセオリー〜SCIENTIFIC AMERICAN誌記事

 読者のみなさんは、マルチレベルセレクションという理論をご存知でしょうか。

 「複数レベル選択」とも表記されますが、進化生物学者たちに熱く議論されている最新の理論のひとつなのですが、今月号の日経サイエンスが進化論について特集していまして、その中の小さな囲い記事がこのマルチレベルセレクションを取り上げていまして、とってもわかり易く評論されていましたので、ここでテキスト化してご紹介。

集団が選択されることもある?
個体よりも高いレベルにも自然淘汰は作用するのだろうか

 進化学者たちにケンカをふっかけたいと思ったら、どうすればよいか−群選択(group selection)の概念を持ち出すだけでいい。群選択はさまざまな個体の寄せ集めが、同じ種に由来する他の不均一なグループよりも優れた1つのグループとして「選択される」ことがあるという考え方だ。創造説やインテリジェント・デザイン説と戦うためなら一致団結をいとわない生物学者たちが、「自分の身は自分で守れ」という大原則のもと、いきなりパイ投げを始めるかもしれない。
 ダーウィン自身は群選択に賛成していた。彼は道徳心を持つ紳士達は道徳心のない人たちよりも何ら優れたことはしないかもしれないが、紳士の集団はケンカっ早い海賊の集団より「非常に有利な点」を確実に持っていると仮定した。だが1960年代には、グループレベルでの選択は否定されるようになっていた。有名な理論家のウィリアムズ(George Williams)は、群選択は起こりうるかもしれないが、現実の世界では「群れに関する適応は事実上存在しない」と認識していた。
 何冊ものミリオンセラーを書いたケンブリッジ大学ドーキンス(Richard Dawkins)は、選択が個体のような高レベルの生物学的組織に及ぶことはなく、遺伝子に作用すると主張した。彼によれば、個体は自身の永続をはかる何千もの利己的な遺伝子の選択が結実したものだと考えられる。
 だがここ数十年間に、群選択は進化論者の間で静かに復活してきた。ハーバード大学のE.O.ウィルソン(E.O.Wilson)とビンガムトン大学のディヴィッド・スローン・ウィルソン(David Sloan Wilson:同姓だが血縁ではない)は、群選択を学問的に復権させようと試みている。彼らは群選択を「複数レベル選択理論」という新しい呼び名で再生させている。これは選択が同時に多数のレベルで起きているとするものだ。現実世界の何らかの状況においてこれらの選択の結果を調べるには、どうすればいいのだろうか。「ケースバイケースで状況を調べるしかない」とスローン・ウィルソンは言う。
 だが彼らはQuarterly Review of Biology誌2007年12月号で、いくつかの指針を示した。彼らは「どんなレベルの適応も同じレベルでの自然選択のプロセスを必要とし、より低いレベルの自然選択によって損なわれる傾向がある」と述べている。

便乗者が多すぎると共倒れ

 実際の群れでの実験から重要な点が明らかになった。蛍光菌という水中の細菌は水に溶け込んでいる酸素をすぐに吸収してしまうため、水面近くに薄い層状になって生息している。だが一部の蛍光菌では役に立つ変異が自然に生じる。それらの蛍光菌が粘性のあるポリマーを分泌し、多数の個体によって水面に浮かぶマットのようなものが形成される。このマットではすべての蛍光菌が生き残るが、そのほとんどはポリマーを作っていない”便乗者”だ。
 もし、便乗者が欲張って増殖しすぎればマットは沈み、ポリマーを作る利他的なものも便乗者も一緒に死んでしまう。その結果、蛍光菌の中では、浮くために十分な数の利他的な蛍光菌を含むグループが、利他的な蛍光菌が少なすぎるグループに勝つことになる。前者のグループは生き残り、増殖していくつかの子孫グループに分かれる。つまり利他的な個体は、貴重な資源をポリマーの生産に使う点で不利なのにもかかわらず繁殖できる。
 おそらく群選択の考えが持ち込まれたことで一番影響を受けるのは、いわゆる「血縁選択」だろう(血縁選択説は、自然界に見られる利他的な行動を説明する理論で、血縁関係にあるほかの個体を助けることで、自分と血縁者が共通して持つ遺伝子が子孫世代に伝わる可能性を高まるというもの。働きバチが好例)。一部の理論家は、群選択のように見えるものは実際には遺伝的血縁度として理解できると主張する。
 進化論のホーロデン(J.B.S.haldane)は血縁選択を、「私は2人の兄弟か8人のいとこのためなら自分の命を捨てるつもりだ」という言葉で簡潔に説明した(理論上、同じ両親から生まれた兄弟姉妹では1/2、同じ祖父母からのいとこでは1/8が自分と共通している)。この考え方では、前述のマットに存在する利他的な蛍光菌は、親戚の蛍光菌を助けている。その結果、自分達が持っているのと同じ遺伝子の大半が確実に生き残る。
 ウィルソンらはこの主張を否定し、血縁選択は群選択の特殊な例だと断言した。彼らは「血縁関係が重要なのは、それによって異なるグループ間での遺伝的多様性が増加するからだ」と述べている。グループ内の個体は互いによく似ているが、他のグループの個体とはあまり似ていない。そして、こうしたグループ間の多様性が群選択が働く上での明確な選択肢となる。したがって血縁関係は、グループ内の個体の選択よりも集団レベルでの選択に対してより重要な意味を持つ。
 ウィルソンらは「社会的行動を生物学的な視点から調べる」社会生物学の研究を充実させるためには、進化論者は複数レベル選択理論を受け入れる必要があると考えている。このとき、研究者たちはウィルソンの便利な経験則を肝に銘じなければならない。−「利己的行動はグループ内の利他的行動を打ち負かす。だが利他的グループは利己的グループを打ち負かす」。
(S.マースキー=SCIENTIFIC AMERICAN編集部)

日経サイエンス4月号  32頁〜33頁 記事より

 実はこの記事、私はネットで既知でありまして、元記事は昨年12月18日付けのSCIENTIFIC AMERICAN誌のSteve Mirsky記者によるものであります。

 瑣末なことですが、記事中に「何冊ものミリオンセラーを書いたケンブリッジ大学ドーキンス(Richard Dawkins)」とありますが、利己的遺伝子論で有名なドーキンス先生はオックスフォード大学なんでありましてこれは元記事がすでに間違えているのであり邦訳した日経サイエンスの担当者に責はないのであります。

 参考までに元記事原文をURL付きでエントリー最後に添付しておきます。

 それにしても興味深い記事であります。

 記事にもあるとおり、古典的な「群選択」は多くの論争を呼びましたがドーキンス先生などに徹底的に否定されてしまったわけですが、その敗因は、漠然とした「種のため」や「群れのため」という概念を科学的根拠無く用いたり、ではどの単位が「群れ」なのかその定義がいまひとつ明確に説明されなかったりした他に、時代の空気的なものもあったと記憶しています、優れた「群れ」が生き残るというこの論法には「優生学」や「レイシズム」の香りがただよったのであります。

 で、E.O.ウィルソンらが提唱するマルチレベルセレクションですが、当人達は古典的な「群選択」とは一線をひいて、「自然淘汰は個体レベルでもあらゆる単位の群れのレベルでもマルチに起こる」ことを慎重な言い回しで科学的に説明していて、新たな「群選択」の復権を目指しているようです。

 マルチレベルセレクション理論を支持するかどうかは別として、この記事で興味深いのは蛍光菌を使った彼らの実験結果です。

 彼らの実験ではすくなくとも「群選択」が作用しているらしく見えます。

 彼らはビーカーを用いて複数の蛍光菌のコロニーを複数世代の観察を繰り返したわけですが、浮くために十分な数の利他的な蛍光菌を含むグループが、利他的な蛍光菌が少なすぎるグループに勝つことになる結果を得たわけです。

 利己的な便乗者がある一定の割合に達したコロニーはコロニー自体が浮力を失い全滅していきます。

 逆に利他的な蛍光菌が一定の割合をキープしているコロニーは全員が生き残ります。

 ここではコロニー内部では、利他的な個体は、貴重な資源をポリマーの生産に使う点で不利なのにもかかわらず、コロニー単位の淘汰により結果として繁殖できるわけです。

 興味深い現象であります。

 まさに「利己的行動はグループ内の利他的行動を打ち負かす。だが利他的グループは利己的グループを打ち負かす」(E.O.ウィルソン)具体的証左のようにも見えます。

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●利己的個体により群れごと沈むか民主党

 元記事の原文タイトルは

Individual versus Group in Natural Selection

 自然淘汰における『個VS集団』」であります。

 個体間では利己的個体のほうが利他的個体より生存競争には有利なのでありますが、これが集団になると利己的群れ(利己的個体が増えすぎた群れ)はマットごと沈み全滅し、結果的に利他的な群れに負けてしまうのであります。

 実に興味深いです。

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 さて民主党の話。

 民主党という群れ(コロニー)では、今マットが沈むかどうかの正念場を迎えているといえるでしょう。

 ただ利己的便乗者がやたら増殖したわけではありません、ひときわ強大で重い小沢一郎という利己的固体がコロニーにいすわっているがために、コロニー自体の浮力が失われようとしているわけです。

 小沢さんが秘書逮捕及び起訴というこの状況において党首を辞めないで利己的に振舞うか、あるいは利他的に職を辞し自らを犠牲にし群れ(コロニー)を救うのか。

 もし小沢さんがいすわるとするならば、民主党という小さなコロニー内部では「利己的個体のほうが利他的個体より生存競争には有利」なのでしょうが、コロニー同士の競争では結果としてマットごと沈み民主党というコロニー自体が自滅してしまうかも知れません。

 『個VS集団』、小沢さんはどちらを選択しようとしているのでしょうか。



(木走まさみず)



<参考資料(記事原文)>
December 18, 2008
Individual versus Group in Natural Selection
Does natural selection drive evolution at levels higher than selfish genes and fertile individuals?
By Steve Mirsky

Want to start a brawl at an evolution conference? Just bring up the concept of group selection: the idea that one mixed bag of individuals can be “selected” as a group over other heterogeneous groups from the same species. Biologists who would not hesitate to form a group themselves to combat creationism or intelligent design might suddenly start a pie fight to defend the principle that “it’s every man for himself.”

Yet Charles Darwin himself argued for group selection. He postulated that moral men might not do any better than immoral men but that tribes of moral men would certainly “have an immense advantage” over fractious bands of pirates. By the 1960s, however, selection at the group level was on the outs. Influential theorist George Williams acknowledged that although group selection might be possible, in real life “group-related adaptations do not, in fact, exist.”

Richard Dawkins of the University of Cambridge, whose writings have reached millions, maintains that selection might not even reach such a high level of biological organization as the individual organism. Instead, he claims, selection operates on genes—the individual is the embodiment of the selection of thousands of selfish genes, each trying to perpetuate itself.

In the past few decades, however, group selection has made a quiet comeback among evolutionary theorists. E. O. Wilson of Harvard University and David Sloan Wilson (no relation) of Binghamton University are trying to give group selection full-fledged respectability. They are rebranding it as multilevel selection theory: selection constantly takes place on multiple levels simultaneously. And how do you figure the sum of those selections in any real-world circumstance? “We simply have to examine situations on a case-by-case basis,” Sloan Wilson says.

But the Wilsons did offer some guidelines in the December 2007 issue of Quarterly Review of Biology. “Adaptation at any level,” they write, “requires a process of natural selection at the same level, and tends to be undermined by natural selection at lower levels.”

Experiments with actual groups illustrate the point. Pseudomonas fluorescens bacteria quickly suck all the dissolved oxygen out of a liquid habitat, leaving a thin habitable layer near the surface. But some bacteria spontaneously develop a beneficial mutation. These group-saving individuals secrete a polymer that enables bunches of individuals to form floating mats. As a mat, all the bacteria survive, even though most of them expend no metabolic energy producing the polymer. But if the freeloaders get greedy and reproduce too many of their kind, the mat sinks and everybody dies, altruists and freeloaders alike. Among these bacteria, then, groups that maintain enough altruists to float outcompete groups with fewer altruists than that minimum number. The former groups survive, grow and split up into daughter groups. Thus, altruistic individuals can prosper, despite the disadvantage of expending precious resources to produce the polymer.

Perhaps the biggest change that group selection brings to evolutionary theory is its implication for so-called kin selection. What looks like group selection, some theorists argue, can actually be understood as genetic relatedness. Evolutionist J.B.S. Haldane pithily explained kin selection: “I would lay down my life for two brothers or eight cousins.” In this view, altruistic bacteria in the Pseudomonas mats are saving close relatives, thereby ensuring the survival of most of the genes they themselves also carry.

Turning that argument on its head, the Wilsons assert that kin selection is a special case of group selection. “The importance of kinship,” they note, “is that it increases genetic variation among groups.” The individuals within any one group are much more like one another and much less like the individuals in any other group. And that diversity between groups presents clearer choices for group selection. Kinship thus accentuates the importance of selection at the group level as compared with individual selection within the group.

The Wilsons think evolutionists must embrace multilevel selection to do fruitful research in sociobiology—“the study of social behavior from a biological perspective.” When doing so, other investigators can keep in mind the Wilsons’ handy rule of thumb: “Selfishness beats altruism within groups. Altruistic groups beat selfish groups.”

http://www.sciam.com/article.cfm?id=whats-good-for-the-group