木走日記

場末の時事評論

ネット日和見主義者〜当日記はD層(穏健右派)であります


 
文藝春秋』2009年4月号の村上春樹さんへの独占インタビュー「僕はなぜエルサレムに行ったのか」で、村上氏が「ネット空間にはびこる正論原理主義を怖い」と発言されていることがネットで議論を呼んでいるようです。

 スピーチ部分も含めて14ページに渡るインタビュー記事でありますが、全文は是非『文藝春秋』をお読みいただくとして、どうもネット上では「ネット空間にはびこる正論原理主義」の箇所だけの部分が注目を集めているようですが、それがどのような文脈で発言されていたのか、前後の発言も含めて、村上氏が「原理主義」について触れている166ページから168ページにかけて、まとめてご紹介しましょう。

 まず村上氏はエルサレムのスピーチでは自分の父親のこと話そうと思った理由にふれます。

 その国でスピーチをするにあたり、僕は父のことを話そうと思いました。第二次世界大戦の日本には、天皇制と軍国主義がシステムとして存在していました。そのなかで多くのヒトが死んでいき、アジアのいろんな国で沢山の人を殺さざるを得ませんでした。それは日本人が背負っていかねばならないことだし、僕が日本人としてイスラエルで話をするには、そこから発信すべきと思ったのです。
 戦争体験について、正面から父に聞いたことはありません。聞くべきだったのかもしれないけれど、やっぱり聞けなかったし、父もたぶん話したくなかったでしょう。父の人生が戦争で変わったことは確かだと思います。僕は戦後生まれで直接的な戦争責任はないけれど、記憶を引き継いでいる人間としての責任はあります。歴史とはそういうものです。簡単にちゃらにしてはいけない。それは「自虐史観」なんていういい加減な言葉で処理できないものです。

 そのうえで、パレスチナを考えるとき、そこにあるいちばんの問題点は、原理主義原理主義が正面から向き合っていることだと指摘します。

「システム」という言葉にはいろんな要素があります。我々がパレスチナを考えるとき、そこにあるいちばんの問題点は、原理主義原理主義が正面から向き合っていることです。シオニズムイスラム原理主義の対立です。そしてその強烈な二つのモーメントに挟まれて、一般の市民たちが巻き添えを食って傷つき、死んでいくわけです。
 人は原理主義に取り込まれると、魂の柔らかい部分を失っていきます。そして自分の力で感じ取り、考えることを放棄してしまう。原理原則の命じるままに動くようになる。そのほうが楽だからです。迷うこともないし、傷つくこともなくなる。彼らは魂をシステムに委譲してしまうわけです。

 人は原理主義に取り込まれると、魂の柔らかい部分を失っていく典型例としてオウム真理教事件を上げます。

 オウム真理教事件がその典型です。僕は地下鉄サリン事件の被害者にインタビューして『アンダーグラウンド』を出した後、信者たちからも話を聞いて『約束された場所で』にまとめました。その後も東京地裁、高裁に通って裁判を傍聴しました。実行犯たちはもちろん加害者であるわけだけど、それにもかかわらず、僕は心の底では彼らもまた卵であり、原理主義の犠牲者だろうと感じます。僕が激しい怒りを感じるのは、個人よりもあくまでシステムに対してです。
 彼らは自我をそっくりグルに譲り渡し、壁のなかに囲い込まれ、現実世界から隔離されて暮らしていました。そしてある日、サリンの入った袋を与えられ、地下鉄の中で突き刺してこいと命じられたときには、もう既に壁の外に抜け出せなくなっていたのです。そして気がついたときには人を殺して捕らえられ、法廷で死刑を宣告され、独房の壁に囲まれて、いつ処刑されるかわからない身になっている。そう考えると寒気がします。BC級戦犯と同じです。自分だけはそんな目に遭わないよと断言できる人がどれだけいるでしょう。システムと壁という言葉を使うとき、僕の頭にはその独房のイメージもよぎるのです。

 このような文脈の流れの中で、「ネット空間にはびこる正論原理主義」についての発言が続きます。

 ネット上では、僕が英語で行ったスピーチを、いろんな人が自分なりの日本語に訳してくれたようです。翻訳という作業を通じて、みんな僕の伝えたかったことを引き取って考えてくれたのは、嬉しいことでした。
 一方で、ネット空間にはびこる正論原理主義を怖いと思うのは、ひとつには僕が1960年代の学生運動を知っているからです。おおまかに言えば、純粋な理屈を強い言葉で言い立て、大上段に論理を振りかざす人間が技術的に勝ち残り、自分の言葉で誠実に語ろうとする人々が、日和見主義と糾弾されて排除されていった。その結果学生運動はどんどん痩せ細って教条的になり、それが連合赤軍事件に行き着いてしまったのです。そういうのを二度と繰り返してはならない。

 そして、僕らの世代(六十前後)は日本の戦後史に対して集合的な責任を負っているのではないかと結んでいます。

 ベトナム反戦運動学生運動は、もともと強い理想主義から発したものでした。それが世界的な規模で広まり、盛り上がった。それはほんの短い間だけど、世界を大きく変えてしまいそうに見えました。でも僕らの世代の大多数は、運動に挫折したとたんわりにあっさり理想を捨て、生き方を転換して企業戦士として働き、日本経済の発展に力強く貢献した。そしてその結果、バブルをつくって弾けさせ、喪われた十年をもたらしました。そういう意味では日本の戦後史に対して、我々はいわば集合的な責任を負っているとも言える。
 僕らの世代は六十前後になりました。そろそろ定年退職する年齢だし、会社を離れ、ひとりになって考え直すにはいい時期じゃないかと思います。転換期というか、もう一度それぞれのかたちで理想主義みたいなものを取り戻す道を模索するべきなのかもしれません。僕自身も、漠然とではあるけれど、まわりを見渡してそういうことを感じています。我々にはそういう責務があるのではないかと。

 なかなか興味深いインタビュー記事であります。

 「人は原理主義に取り込まれると、魂の柔らかい部分を失ってい」くと村上氏はいいます。

 そして、シオニズムにせよイスラム原理主義にせよオウム真理教にせよ、それが宗教であれイデオロギーであれ、ある種の「原理主義」に魂を委譲してしまう人たちは、「原理原則の命じるままに動くようになる」ために、極めて扱いづらい危険な存在となっていくのでしょう。

 「ネット空間にはびこる正論原理主義」について、村上氏は1960年代の学生運動を持ち出して「おおまかに言えば、純粋な理屈を強い言葉で言い立て、大上段に論理を振りかざす人間が技術的に勝ち残り、自分の言葉で誠実に語ろうとする人々が、日和見主義と糾弾されて排除されていった。その結果学生運動はどんどん痩せ細って教条的になり、それが連合赤軍事件に行き着いてしまった」と述べておられます。

 村上氏がいう「ネット空間にはびこる正論原理主義」とは、「純粋な理屈を強い言葉で言い立て、大上段に論理を振りかざす人間が技術的に勝ち残り、自分の言葉で誠実に語ろうとする人々が、日和見主義と糾弾されて排除されて」しまう今のネット雰囲気を指しているのなら、私も同感です。

 私は場末で時事系ブログを管理していますが、お前は保守かリベラルかと聞かれたら、不肖・木走はプチリベラルのナショナリストと意味不明のスタンスを自称していますが、これはブログ開設以来の私の普遍の日和見的スタンスであります。

 ネットでは「憂国の士」や「ネットサヨ」とかレッテル貼りが横行していますが、まあ左右かぎらずある種の極論が好まれる傾向にあるのは事実であり、私はといえば、あるときには自民や麻生さんの悪口をいい、あるときには民主や小沢さんの悪口をいい、あるときにはメディアの悪口をいい、あるときには中国の悪口をいい、あるときにはアメリカの悪口をいい、あるときには日本の悪口をいい、そして悪口を言うたびにブーメランのように私自身が批判され、照れたり苦笑したり、といったあんばいの日和見主義です。

 またリアルな実生活においても、IT零細業の経営者のかたわらカレッジの講師などをしておりまして、マクロ経済から見ればしがない零細企業主として社会の底辺を支えているという自負心(ひひ孫受けなど日常茶飯事ですがな)があり、しかし零細とはいえ組織上は社長という搾取階級に位置し、週に一回とはいえ教鞭を取っているという、日和見主義じゃなきゃやってられない立場であります。

 ネット空間にはびこる正論原理主義イデオロギーの関係をちょっと私なりに整理すると下の図式になります。

       正論原理主義的(強硬派)
           ↑
    A層     |   B層
           |
リベラル的←--  +  --→保守的
           |
    C層     |   D層
           ↓
       日和見主義的(穏健派)

 過激でときに攻撃的な正論原理主義者はA層(ネットサヨ)とB層(憂国の士)になり、穏健派はC層(リベラル派)とD層(保守派)になります。

 当ブログの自己評価はC層に近いD層(保守リベラル派)かなと考えてます。

 でこの表でおもしろいと思うのは、私自身はD層と自己認識していますが、当然ながら隣接するB層(憂国の士)とC層(穏健リベラル)とは、親和性があり、議論によっては隣の層の立場を取ることもしばしばながら、B層よりはC層の論説や考え方がすっきりくることが多いのです。

 つまりこの表の左右の移動はそれほど心理的ハードルは高くないことを自覚しています。

 いっぽう上下の移動はこれは心理的ハードルが高いのです。

 ところで、正論原理主義は「純粋な理屈を強い言葉で言い立て、大上段に論理を振りかざす」のが得意な傾向があり、実はA層とB層も親和性があって、ちょっとしたきっかけでウヨがサヨになったりあるいは逆が起こったりするようです。

 村上氏の指摘とおりバリバリの学生運動闘士がバリバリの企業戦士に転向したり、読売主幹のナベツネさんのように学生のとき共産党員だったバリバリリベラルが大新聞会長としてバリバリ保守論説を展開したりと、表の横方向のリベラルと保守のハードルは人にもよるのでしょうが、意外と高くない感じがします。

 ・・・

 当日記はD層であります。

 ネット日和見主義者(穏健右派)なのであります。



(木走まさみず)



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http://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20051016