木走日記

場末の時事評論

不況の中倒産するまで雇用を維持し続ける中小零細企業の矜持

 本年もどうぞよろしくお願いいたします。



派遣社員は大変で、自営業者は大変ではないのか〜評論家の清谷信一氏のブログから

 評論家の清谷信一氏のブログから。

派遣社員は大変で、自営業者は大変ではないのか
http://kiyotani.at.webry.info/200901/article_2.html

 これはわが意をえたりと思いました。

 失礼して抜粋引用。

 自営業者の一家離散や夜逃げなど「良くある話」だからニュースバリューが無いです。それとも切られた派遣は可哀想だが、倒産した自営業者は可哀想ではないというのでしょうか。
 はたまた「資本家」は人民の敵だとでもいうのでしょうか。

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 不肖・木走は、零細IT業を営みつつ、複数の企業の経営コンサルもさせていただいておりますが、折からの不況で、私のクライアントの一社が倒産に追い込まれ、その他にも資金繰りに行き詰まり経営危機に陥ってしまったクライアントのフォローアップなどで年末の31日までいろいろな雑事に追われてしまいました。

 仕事とはいえ人様の会社のコンサルをしつつ自らの会社の経営もこなさなければならないので、本来なら積み残した仕事をこなすべく正月返上で業務をしなければいけない状況なのですが、正直、今回は精神的にも疲れてしまって正月三日間は完全に休養日とさせていただきました。

 ふう。

 仕事ですから、弱音を吐くわけにはいかないのですが、独立以来、こんなにも精神的に苦痛でしかし忙しい年末は私にとっては初めてのことでした。

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●不況の中雇用を維持し続けるのは、人が物つくりの中心である零細業においては立派な施策

 先月倒産した私のクライアントの話をご紹介しましょう。

 目の前で夫(社長)が自己破産手続きの書類にサインするのを気丈にも夫の肩に手を添えて見守る奥さんの姿、5号認定(年末の特別融資枠)の希望申請枠が審査が通らず半減され、資金繰りに窮し越年を断念、倒産を選択したこのご夫妻は、自己資産のすべてを失い、自己破産されました。

 日本の場合、信用力のない中小零細企業が資金を金融機関から借りる場合、金融機関は例外なく代表取締役個人の連帯保証を求めますから、会社が倒産や解散する場合、日本の多くの事業主は連帯保証人として財産が没収され、多くの場合それでも足らないので自己破産の道しか残されていないのです。

 ご夫妻には中学生と小学生の二人のお子さんがおられますが、企業家として立派だと思えたのは廃業の際、わずかに残っていた自己資金を全て、これから年の瀬だというのに職を失う、最後まで雇用し続けていた6人の従業員達にあてがったことでした。

 一人当たりとしてはわずかな金額ですが、愛する家族よりも、愛する従業員を優先させる、起業家としての最後のけじめなのでしょう。

 同じく家庭と会社を持つ立場として、この社長の悲壮なしかし立派な行動に私は深い感銘を覚えました。

 また職を失った6人の従業員の人々も、誰一人この社長夫妻を恨むこともなく、最後には給与は半分にまで減らされていましたが、限界まで雇用し続けたご夫妻に感謝の言葉を繰り返していました。

 大企業が振りかざす一般の経営論からすれば、不況の中、雇用を維持し続けるのは愚策となりましょうが、人が物つくりの中心である零細業においては、これは立派な施策なのであります。

 そして、これぞ、実業者としての矜持(きょうじ)というものでありましょう。
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●2つの炊き出しのメディアの扱いの違い

 で、正月のTVなどでは、相変わらずくだらない娯楽番組が溢れていて見るに耐えないのですが、数少ないまじめなニュース報道では『越年派遣村』のニュースが目立ちましたですね。

 今回派遣切りにあって職を失った人々は、大きな経済のうねりの中で、本人の責とはまったく関係のない理由で首にされたという意味で、被害者としての側面を持っているのは当然でありましょう。

 彼らはつい先月まで真っ当に労働していたのです。

 『越年派遣村』のニュース報道を見つつ、しかし私はまったく別の炊き出しのことを考えておりました。

 『越年派遣村』の日比谷公園ではなく、同じ東京の上野公園では、派遣村より人数の多いおそらく500人規模のホームレス対象の炊き出しが行われています。

 上野公園の連中ときたら、『越年派遣村』に比べたら、アル中くずれやらギャンブル依存症やら大義のないナマケモノの巣窟のように見えます。

 そしてその中に自己破産の挙句夜逃げ同然でホームレスと化した元零細企業家たちやそこでまじめに働いていた人々もすくなからずいるわけです。

 彼らは一部ドキュメンタリー報道以外には注目を得ない存在で、年末年始のメディアからは一部を除き事実上無視されています。

 しかし彼らの数もこの年末で増加しつつあります。

 この不況の中、派遣切りにあい職も住も失った人々に世間の注目が集まるのは時勢であるとして、このコントラストは考えさせられました、なにか偏りのようなものを感じてしまいました、

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 両者の違いは何でしょうか。

 そのひとつに自己責任論があると思いました。

 日比谷公園の派遣切りにあった人々には心理的に大きく同情すべき要素があるのだと思います。

 彼らは彼らの意思・責任ではなく職を失いました。

 批判されるべきは、首を切った大会社、セーフティネットの構築を無視しつつ派遣制度そのものを放置した与党・政府などであると。

 一方、日比谷公園に対し、上野公園の人々は、アル中やギャンブル依存など自己に職を失った責任を有している者が中心であり、そこにまじっている自己破産した零細企業主・自営業者達も例外ではありますまい、経済・時代のせいにすることはできないのでしょう。

 破綻により迷惑をかけた取引先や従業員にそれではあまりに無責任ですし、だいいち自分で実業してきた自負心が他人のせいにすることを許さないのでしょう。

 ただ例外としては零細業で雇用されていて会社が倒産してしまった従業員の人々でありましょう。

 彼らに自己責任論を展開するのは酷なのではあります。

 それはともかく、このようなホームレスと化した元零細企業家やその元従業員たちですが、少なからずの彼らの中には派遣切りと同様な、下請け切りや貸し渋り貸し剥がしなどの要因のせいで破綻した会社もあるだろうと想定できるにもかかわわず、彼らの声はメディアでは派遣村の住人に比し目立って取り上げられてはいません。

 清谷信一氏はそれを日本のマスメディアの偏向報道として批判しております。

 その側面は認めるものの、私はそこに別の次元を見て取りたいです。

 彼らの声がメディアで取り上げられないのは、そもそも彼らがあまり声を出していないからではないか、と思うのです。

 私はそれこそが実業者としての矜持(きょうじ)・プライドなのだと思うのです。

 別にホームレス化してしまった人だけではありません、倒産しつつも社会復帰のために一生懸命に職探しをしている元零細企業家や元零細企業従業員達は、おそらく派遣切りされた人々の数に匹敵する、もしかするとそれ以上の人数がいるかも知れません。

 彼らはおそらくメディアに取り上げづらいという側面もあるでしょうが、それ以上に、自らの不徳を責めはしても決して他者を責めない、上述の私のクライアントのような、立派な矜持を持った人々が多くいるのだと思います。

 彼らは自らの意思で沈黙を守っているのだと思います。

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●政府にはぜひこの矜持を持って物つくりをしている多くの人々を支援する政策を打ち立ててほしい

 『越年派遣村』の人々にも、その他の多くの失業中の人々にも、即効性のある雇用政策が速やかに施されることを望みます。

 その上でですが、現在も必死に生き残ろうとしている全国の自営業者・中小零細企業の皆さんがたくさんおられることを強く意識したいです。

 彼らは戸板一枚下は地獄の漁師と同様の心もとない存在です。

 大資本からは景気よければ下請けとして利用され、景気が悪化すれば一方的に契約を破棄されるのが日常の、弱い立場の存在です。

 そしてこの国の政府の自営業・中小零細企業対策はタイミングもいつも後手を踏んでばかりいます。

 そんな中で多くの中小零細企業が雇用を維持しながら経営努力しています。

 彼らには、物つくりをしている実業を生業とする者としての誇りがあります。 

 矜持があります。

 そして、過去の事例を見れば、多くの新しいアイディアが、不況時に彼ら中小零細企業から芽生えてくるのであります。
   
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 現在表出している失業者への対策を急ぐとともに、政府にはぜひこの矜持を持って物つくりをしている多くの人々を支援する政策を打ち立ててほしいです。



(木走まさみず)