木走日記

場末の時事評論

ちょっとついていけない「昭和の日」産経社説〜どうせ「国民の中心に昭和天皇がおられた」ことを懐かしむなら、はっきり堂々と戦前・戦中のほうを懐かしんだほうがいいでしょ

 今日(29日)は昭和の日であります。

 そういえば、40代オヤジの私が幼少の頃までは、祝日には日の丸を掲げて祝意を示す家が町内にもけっこういて祝日のことを「旗日(はたび)」と称したりしていましたが、最近では国旗を掲げる家もめっきり見なくなり旗日という言葉もほぼ死語になりつつあるようであります。

 昭和の日ですか、2年前まではみどりの日だったのがいつのまにか、もちろん昭和天皇の誕生日にちなんでのことでしょうが、激動の昭和という時代をしのぶ日となったのあります、まあ、昭和30年代生まれのオヤジとしてはそれもよいことでしょう、別に目くじら立てることでもありますまい。

 ただし元号が変わるたびに天皇誕生日を別名の祝日にするのはこの当たりで打ち止めにしてほしいですな、零細企業経営者としてはこれ以上休日が増えるのはカンベンしてもらいたいですな、え? セコイですか? ソウデスカ(苦笑)

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 私の二人の子供は当たり前ですが平成生まれなわけですが、まあ現在は平成20年でありますから、平成元年生まれが満19才を迎えているわけで、昨今の少子化にもよりまだまだ人口比率でいうと「昭和生まれ」が多数なわけでして、このブログの読者も昭和生まれがおおいことでしょうが、そうですね、あと20年もすれば昭和生まれもだいぶ減って人口比において少数派になって、かって明治・大正生まれがジジババ扱いされたように、「ケ、昭和生まれか、ジジイだな」なんて言われるんでしょうかねえ(苦笑)

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 せっかく昭和の日なのに今日の主要新聞各紙の社説で昭和の日を取り上げたのは産経新聞だけなのであります。

 この当たりの保守派・産経のこだわりは、不肖・木走は嫌いではありません、いやむしろ愛おしく思っているぐらいであります、主張の内容はともかくですが。

 今日(29日)の産経社説から。

【主張】昭和の日 あの一体感取り戻したい
2008.4.29 03:28

 今日は2回目の「昭和の日」である。言うまでもなく、この日は昭和時代の「天皇誕生日」だった。昭和天皇崩御された後、いったん「みどりの日」とされたが、激動の「昭和」という時代や昭和天皇を偲(しの)ぶため、国民運動を背景に昨年から「昭和の日」となった。そのことの意味を今一度考える必要がある。

 あの時代を振り返るとき、何といっても忘れられないのは、日本が未曾有の大戦を経験したことと敗戦から奇跡的といわれる復興を成しとげたことだろう。

 ことに、戦後の復興から高度経済成長を経験した人々にとっては「よくぞ生き抜いた」との思いが強いに違いない。その「力」となったのが、国民の中心に昭和天皇がおられたことである。

 戦後の国づくりをめぐっては、敗戦によりそれまでの価値観の多くが否定されたこともあり、さまざまな考えの違いがあり、対決や抗争があった。それでも大多数の人が前向きに取り組むことができたのは、国民の間に天皇を中心とした求心力があり「一体感」があったからといえる。

 このことは、実に多くの人たちが、昭和天皇の全国御巡幸によって励まされ苦難に立ち向かうことができた、と述懐していることからも十分わかる。

 ひるがえって今の日本の状況を考えるとき、そうした「一体感」が急速に失われているような気がしてならない。

 政治の世界をとっても、党利党略で国の将来など考えない政治家が目立つ。有権者も目先の利益だけで投票しているように見える。国民の意識がバラバラである。民主主義の国だから、いろんな思想や意見があっていい。だが「心」の部分までがバラバラであっては国の行く末は危うい。

 その理由はさまざまに考えられるが、昭和の時代に比べ、国民の皇室への思いが希薄になっていることもそのひとつだろう。

 グローバル化や近代化によって皇室に凝縮された日本の伝統文化への関心が薄れてきていることは間違いない。しかし一方で、皇室自身や政府の側にもそうした伝統を軽んじていることはないのか、問い直す必要がありそうだ。

 「昭和の日」の名称が定着しつつある今こそ、あの時代の「心」を取り戻すため、国民と皇室とが向き合って、皇室のあるべき姿についても考えてみるべきだ。

http://sankei.jp.msn.com/culture/imperial/080429/imp0804290329000-n1.htm

 なんだかなあ、香ばしいなあ(苦笑)

 産経社説子さんが、特に力んでいるポイントはここ。

 ことに、戦後の復興から高度経済成長を経験した人々にとっては「よくぞ生き抜いた」との思いが強いに違いない。その「力」となったのが、国民の中心に昭和天皇がおられたことである。

 うーん、「戦後の復興から高度経済成長を経験した人々」「「力」となったのが、国民の中心に昭和天皇がおられたこと」と決めつけておりますが、いいのかなあ、ちょっと強引じゃないでしょうかねえ、この決め付けは。

 当時を幼少時ではありますが生きてきた民として、まだまだ貧しかった生活でしたが、実際庶民は一生懸命働いていましたし、私の親の世代もそうでしょう、カラーテレビ、クーラー、車とがんばれば生活も向上することを実感としておったでしょう。

 私もランニングに短パンで日が暮れるまで近所の悪ガキ連中と遊びほうけていましたが、家が商売していましたから、繁忙期には家の手伝いをばさせられたりしておりました。
 でも正直、日々の生活の中で昭和天皇を意識していた人ってほとんどいなかったんじゃないかなあ、そんな余裕はなかったでしょう、多くの庶民は・・・

 戦後の国づくりをめぐっては、敗戦によりそれまでの価値観の多くが否定されたこともあり、さまざまな考えの違いがあり、対決や抗争があった。それでも大多数の人が前向きに取り組むことができたのは、国民の間に天皇を中心とした求心力があり「一体感」があったからといえる。

 どうなのかなあ、「それでも大多数の人が前向きに取り組むことができたのは、国民の間に天皇を中心とした求心力があり「一体感」があったから」と主張する産経社説子さんなのでありますが、これは正直、違和感があるなあ。

 私は別にアンチ皇室派でもなんでもありませんし、主権在民の戦後の皇室のあり方は、国民の象徴として「統帥権」とか権力は放棄されちゃいましたが、かわりに実にフレンドリーに国民と接しられていて微笑ましく肯定しております。

 が、正直、戦前・戦中のほうがはるかに「国民の間に天皇を中心とした求心力」が働いていたと思うのでありまして、まあ、戦前・戦中も「昭和」であるわけですが、昭和時代の戦後の復興期を、「それでも大多数の人が前向きに取り組むことができたのは、国民の間に天皇を中心とした求心力があり「一体感」があったから」と大ざっぱにくくられて論じられちゃうと、ちょっと違和感があるのであります。

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 結語。

 「昭和の日」の名称が定着しつつある今こそ、あの時代の「心」を取り戻すため、国民と皇室とが向き合って、皇室のあるべき姿についても考えてみるべきだ。

 産経社説子さんの「国民と皇室とが向き合って、皇室のあるべき姿についても考えてみるべき」というお気持ちはよく理解できますが、「あの時代の「心」を取り戻すため」っていうのはどうも、ちょっとついていけないのであります。

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 戦後の復興から高度経済成長まで、「その「力」となったのが、国民の中心に昭和天皇がおられたことである」と主張する産経社説なのであります。

 なんだかなあ、こういう産経のトンデモ主張(を読むこと)は嫌いじゃないのですが、どうせ「国民の中心に昭和天皇がおられた」ことを懐かしむんだったら、戦後よりも、はっきり堂々と戦前・戦中のほうを懐かしんだほうがいいでしょう。

 そのほうが正直ってもんでしょ、産経新聞さん。



(木走まさみず)