木走日記

場末の時事評論

検証!道路特定財源と暫定税率(1)〜すべては「ワトキンス・レポート」から始まった

●はじめに

 政局の焦点は、ガソリン税暫定税率維持を盛り込んだ税制改正法案をめぐる与野党間の修正問題に移りました。

 暫定税率の期限が切れる31日を目の前にして、与党は21日(金)、修正案に関する協議を野党側に呼び掛けましたが、野党側は審議そのものを拒否する構えで、両者の溝を埋めるのは、その政権戦略が激しくぶつかり合っているためもあり、かなり難儀しそうであります。

 今回福田首相が自民、公明両党の政調会長に指示した与党修正素案の骨子は次のような内容です。

 (1)道路特定財源は年末の税制抜本改革で一般財源化に向けて見直す
 (2)暫定税率の在り方もその中で考える
 (3)10年間で最大59兆円を投じる道路整備中期計画は計画期間を含め見直す。

 これまでの「道路特定財源」は「一般財源化」しない、「暫定税率」も今後10年は維持する、「59兆円を投じる道路整備中期計画は必ず実施する」といった与党側の主張から、かなり踏み込んだ譲歩案であり、自民党内の道路族議員の抵抗を考えれば、「相当気合が入った指示」(谷垣禎一自民党政調会長)であるとみなせましょう。

 これに対し民主党は全額一般財源化と暫定税率廃止によるガソリン価格値下げを求めていますが、その最大のポイントはいずれも「4月から即時」を条件にしていることです。

 首相側は全額一般財源化と暫定税率廃止を近い将来の検討目標としているのに対し、民主党は4月から即時実施を求めているわけです。

 政府側の対応の鈍さも批判されるべきですが、野党側の審議そのものを拒否する構えは、国民の大切な税金財源を与野党の駆け引きだけが先行する政局に利用しているという批判のそしりをまぬがれないでしょう。

 多くの国民は、この問題で国会の場で与野党の真摯な議論と歩み寄りを求めていることを、与野党双方は強く自覚すべきです。

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 不肖・木走ですが、この問題について個人的に関心があり、地味に資料の調査分析・関連テキスト等のまとめをしてまいりました。

 そこで、当ブログでは、今日から数回に分け(おそらくエントリーは不連続・不定期にはなりますが)シリーズで、この「道路特定財源暫定税率」の問題について、読者の皆様と共に、多面的に考察・検証していきたいと思います。

 第一回の今日は、「道路特定財源暫定税率」のその歴史を紐解き、そもそもこの国で道路建設財源が一般財源から切り離された歴史的経緯をまとめてみました、題して『すべては「ワトキンス・レポート」から始まった』であります。

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●これ程完全にその道路網を無視してきた国は、日本の他にない〜当時の日本政府の道路行政関係者にとっては痛い“頂門の一針”となった「ワトキンス・レポート」

 1956(昭和31)年8月8日に提出された「ワトキンス・レポート」の冒頭の檄文は、当時の日本政府の道路行政関係者にとっては痛い“頂門の一針”となりました。

"The roads of Japan are incredibly bad. No other industrial nation has so completely neglected its highway system."
「日本の道路は信じがたい程に悪い。 工業国にして、これ程完全にその道路網を無視してきた国は、日本の他にない。」

 この「ワトキンス・レポート」は、正確には「日本国政府建設省に対する名古屋・神戸高速道路調査報告書」といいます。

 1956(昭和31)年5月、当時の建設省は、名古屋・神戸間の高速道路の建設について、その経済的、技術的妥当性等について調査を依頼するためアメリカからラルフ・J・ワトキンス氏を団長とする7名の調査団を招聘いたしました。

 アメリカからわざわざワトキンス調査団を招聘したのは、大きく2つの理由からでした、ひとつは当時の戦後復興間もない日本国では高速道路を建設する資金など捻出するすべはなく、世界銀行から建設資金の融資を受けるために名・神高速道路建設計画の正当性の論拠を国際的に認知してもらう必要があったためです。

 そしてもうひとつアメリカからわざわざ調査団を招くにいたった理由は、当時の日本には自動車専用道路の専門知識を有する調査団(そもそもこの国に自動車専用道路などなかったわけですから当然なのですが)を自前で用意できなかったためでもあるようです。

 ワトキンス調査団は5月に来日以来、三ヶ月にわたって、日本全国の精密な調査検討を行って、同年8月詳細な報告書が提出されたのでした。

 その序文的な総括と7章に亘る詳細な報告書は「調査結果と勧告」と題し、当時のわが国の道路運輸政策について16項目の勧告を行っていました。

 冒頭で「日本の道路は信じがたい程に悪い。工業国にして、これ程完全にその道路網を無視してきた国は日本の他にはない。」と極めて厳しい見解に続き、「日本の1級国道―この国の最も重要な道路―の77%は舗装されていない。この道路の半分以上はかつて何らの改良も加えられていない。道路網の主要部分を形成する2級国道及び都道府県道は90〜96%が未舗装である。75%〜80%は未改良である。」と道路の不備な状況について詳述していきます。

 その次に「しかし、道路網の状態はこれらの統計の意味するものよりもっと悪い。」として調査団が調査した実状を厳しい表現で述べ、「工事が悪く維持が不十分で悪天候のときは通行不能になる。」「昔の道路敷地をそのまま自動車交通に使用しているので路線は狭く危険である。」「自転車、馬車、荷牛馬車の混合交通で自動車交通が阻害されている。」等を列挙しています。

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 「ワトキンス・レポート」は、「日本の道路は信じがたい程に悪い。工業国にして、これ程完全にその道路網を無視してきた国は日本の他にはない。」との認識の元に、しかし戦後復興まもない資金の余剰のない日本政府に対し、主に3点の勧告を示します。

1 日本において、近代的道路をつくる補助的財政手段
 として有料制の利用は経済的見地からも望ましいし、
 また、これが必要とされる高価な高速道路を早急に
 達成する唯一の実際的方法である。
2 ガソリン税又は自動車物品税を道路整備の目的税とし、
 一般の道路整備に半分、残りを高速道路の高い工費と
 料金収入との間のギャップを埋めるために充てるべき
 である。
3 現在以上に大きな責任と権限を(中央)政府に与える
 ように、日本の道路行政を改革すべきである。

 ここまで道路網を無視してきたこの国において、「近代的道路をつくる補助的財政手段」としては、「有料制の利用」が「高価な高速道路を早急に達成する唯一の実際的方法」であり、また、「ガソリン税又は自動車物品税を道路整備の目的税とし」、「一般の道路整備に半分、残りを高速道路の高い工費と料金収入との間のギャップを埋めるために充てる」、そのためには「大きな責任と権限を(中央)政府」に集中させるべきと勧告したのです。

 この「ワトキンス・レポート」は、当時の日本政府の「ここまで道路網を無視してきた」道路行政関係者にとっては痛い“頂門の一針”となったわけですが、その当時の日本の国家財政事情をも踏まえた正鵠を射たこの勧告は、その後の日本の道路行政施策に大きな影響を及ぼすことになります。

 その意味で、戦後の日本の道路行政はすべては「ワトキンス・レポート」から始まったと表現しても過言ではないと思います。



●「ワトキンス・レポート」当時の時代的背景を押さえておく〜「もはや戦後ではない」と言い切る経済白書とその経済成長に追いつけない極めて劣悪な道路状況

 すべては「ワトキンス・レポート」から始まった、と表現しましたが、もちろん当時の日本政府も、このレポートで指摘される前から、自国の道路の極めて貧困な状態はよく認識しており憂慮しておりました。

 昭和31年という時代背景を整理しておきましょう。

 「ワトキンス・レポート」が提出された同じ1956(昭和31)年の経済白書には、「日本経済の成長と近代化」という表現の下に「消費や投資の潜在需要はまだ高いかも知れないが、戦後の一時期に比べれば、その欲望の熾烈さは明らかに減少した。もはや戦後ではない」と述べています。

 占領中のいろいろな経過を経て、独立回復の後、経済情勢が次第に好転し、1953(昭和28)年頃には国民生活の中に家電製品が普及し、電気冷蔵庫、電気洗濯機、テレビは「三種の神器」といわれて、一般市民のあこがれの的となる程に消費経済が伸長いたしました。

 そのような時代背景の下に“戦後ではない”と結論づけた白書が発表されたのであります。

 みなさま、ご承知のとおり、このあと神武景気岩戸景気、高天が原景気といわれる好景気を迎え、池田内閣の所得倍増10ヶ年計画が樹てられるなど、わが国は、経済の高度成長時代に入っていくのであります。

 自動車の生産も、昭和43年には世界第二位になり、またGNPもアメリカに次いで第二位になるというように、終戦後20年にして、経済大国といわれるまでに発展していきます。

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 急成長を遂げんとしていたその経済に比し、日本の道路事情は当時悪化の一途をたどっていました。

 「ワトキンス・レポート」提出の一年前の1955(昭和30)年6月29日に、『交通事故防止対策要綱』が政府より決定されています。

 1953(昭和28)年頃から交通事故が多発するようになり、1955(昭和30)年には事故件数93,981件、死亡者6,379名、傷者76,501人を数えるに至ります。

 昭和30年当時の数値ですが、自動車保有数は、各種とりまぜて約200万台、原動機付自転車約90万台の規模であり、運転免許取得者数は約300万人前後とされています。

 現在の運転免許取得者数約8000万人で年間死亡者7000人前後と比し、300万人で年間6400名の死者数というのが、免許取得者数が現在の20分の1以下であったにもかかわらず現在とあまり変わらない死者数を数えていた点からも、当時いかに深刻な事態であったかが想像できます。

 当時の道路の状況について関連資料より抜粋しておきましょう。

(1) 道路の幅員のせまいことについては、占領軍やワトキンス報告によりすでに、指摘されているところであるが、この当時の幅員について通達は「国及び都道府県道のうち、幅員5.5メートル(自動車が対行して一台宛が通行しうる幅)以上のものは、わずかに16%に過ぎない」とし、「ところが、今や大型のバスやトラックが都市、農村を問わず、そのような狭い道路を疾駆し、このことにより、交通事故が発生し、また、自動車が転落することも多い」と述べている。

(2) 歩車道の区分は、大都市の一部、中都市の中心部等のほんの一部に設けられているに過ぎず、歩行者は、自動車の交通量の増加と狭い道路故に自動車の接触、衝突に戦々兢々として歩いている有様である。先進国では、考えられない状況である。

(3) 舗装については、国及び都道府県道の主要道路でさえも僅かに7%弱の舗装であり、全く舗装のない都市の郊外、農村地域等では、道路の補修も十分にできないため、道路に凸凹を生じ、大穴があくなどで、降雨の場合はぬかるみとなり、泥土汚水をはね上げて、道路の両側の家屋に被害を与え、また通行している歩行者の着物に泥水をあびせるというような事態を引き起こしている。

(4) わが国の道路網の成り立ちの特色として、とくに都市においては、道路の交差するところが極めて多い。広い道路と狭い道路の交差など、大小さまざまの道路が短距離の間に多数交差している。道路上の交通量が増加するにしたがって、多種類の自動車、その他の車両、歩行者がその交差場所に集中する。この結果、交差点によっては、交差点の中で自動車がかみ合って立ち往生するようなことがしばしば生起している。このような状況に対し、その交通を整理し、規制するための対策が立ち遅れている。例えば、東京都において信号機の設置ヶ所は僅かに400交差点に過ぎない。同じ規模の都市ニューヨークでは1万ヶ所といわれている。

(5) 橋梁は道路の一部であるが、国及び都道府県内に架せられている橋は125,164ヶ所である。その43%が木橋で8%は通行不能、また通行可能でも2トン〜6トンの荷重制限を課しているものが40%もある。ところが、このような状態にある橋梁を10トン以上の大型車が危険を冒してひっきりなしに通行している。

(6) 道路上の工事が大きな問題である。この工事問題は、単にこの時期だけだけでなく、この後も長く続いている道路交通上の難題である。道路を修理するための工事は、当然必要なことであるが、それらを遙かに越えて繰り返し行われているのはガス、水道、地下埋設物修理などの掘り返しである。   これらの工事が、昭和32年東京都内だけで、警視庁に届け出られた件数は年間7万5千件になっている。もし、これらの掘り返しが、関係者の協議によって合理的に行われるならば、遙かにその数は減らすことができると考えられるが、当時の経済の発展、社会生活の近代化等のためには、やむを得なかったようである。これらの「所嫌わず、のべつまくなし」の工事による交通上の支障は甚だしく、このため徒らな交通渋滞を生じさせていた。

(7) 道路の不正使用及び自動車の駐車が当時、漸く問題となりはじめていた。道路上に物品を並べ、自転車や荷車を放置し、また、道路上で諸々の作業を行うなどという本来の道路機能を害する不正使用が行われていた。これらのことについては、本来警察取締りによって措置されるべきものであるが、実情は警察取締りの限界を越えていた。
  自動車の駐車については、法律上、禁止制限の措置をとり得ることになっており、警視庁はじめ各道府県でそれぞれ措置をとっているが、それにもかかわらず当時においては、政策的に自動車の駐車についての方策を考えるという所までには至っていなかった。駐車場も整備されていなかったし、保有自動車の車庫規制も未だ行われていなかった。
  昭和32年、東京都の都心部において調査したところでは、登録自動車の22%が放置の状態であった。その80%は自家用自動車であった。このような駐車が、道路上至るところで行われていたので、第一線の警察では、駐車禁止等の措置を執っているが、殆どの自動車が禁止違反を繰り返し、それらをすべて取り締まることは警察力の限界を越えていた。

(8) 騒音の問題である。街頭及び道路上における騒音が漸く社会問題になって来た。その騒音源は、自動車の警笛音、電車の軌道走行音、広告放送などが主であった。この中でとくに問題となったのは、自動車の警笛による騒音である。自動車は道路を通行する場合、警笛を鳴らすことが義務付けられている場合もあるが、現実には、自動車が通行するために歩行者又は他の通行者に対する“そこのけ”的な吹鳴で、これが濫用されていた。昭和32年頃、国会でも取り上げて論議された。

 「ワトキンス・レポート」が提出される時代的背景として、当時の日本の道路の状況が上記のように極めて劣悪であり、さらに経済成長と共に年々状況が悪化していき、もはや看過できない状態であったことがよくわかります。

 このような時代背景の中で「ワトキンス・レポート」は提出されたのでした。

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道路特定財源暫定税率のあゆみ〜道路整備五ヵ年計画のたびに増設された特定財源と「石油ショック」により登場した本則税率(本来の税率)のおよそ2倍の暫定税率

 「ワトキンス・レポート」提出をひとつのトピックとして、現在の日本の道路特定財源暫定税率がどのような過程で成立してきたのか、時系列でまとめておきましょう。

 1949(昭和24)年、戦時下に廃止されていた揮発油税がまず復活いたします。

 1953(昭和28)年、第1次道路整備五ヵ年計画(実施は翌年から)。ここで財源問題が浮上、「道路整備費の財源等に関する臨時措置法」により、揮発油税がまず道路特定財源に紐付けられます。

 1956(昭和31)年、「ワトキンス・レポート」提出、その後の道路行政の基本スキームの骨子がこのレポートで勧告されます。

 1957(昭和32)年 「ワトキンス・レポート」の勧告に添う形で、「 国土開発縦貫自動車道建設法 」と「 高速自動車国道法 」が公布されます。ここで日本における「縦貫自動車道」は「有料制の利用」をし逐次建設する計画が確立します。

 1958(昭和33)年 第2次道路整備五ヵ年計画。「道路整備緊急措置法」(道路整備費の財源等に関する臨時措置法は廃止)。道路整備特別会計が創設されます。

 1960(昭和35)年、名神高速道路建設に係る世界銀行の第一次借款が成立します。(余談ですがこのときの借金返済は平成2年の完済まで実に30年かかることになります)

 この道路整備五ヵ年計画ですが、ご承知の通り次々と計画が立案されていくことになります、そしてその計画の財源が不足する事態になると、財源を確保する目的で政府により道路特定財源に紐づく新税が設立されていきます。

 1966(昭和41)年、石油ガス税創設。

 1968(昭和43)年、自動車取得税創設。

 1971(昭和46)年、自動車重量税創設。これらは第6次道路整備五ヵ年計画の約3000億円の財源不足に対応した措置であります。

 この1971年までに今日の主な道路特定財源は整備されるわけですが、興味深いのは、各道路整備五ヵ年計画は平均すると前後2年ほど重複する期間がある(先行する道路整備五ヵ年計画の完了を待たずに次の計画が立案・実施されてきたため)ですが、その財政規模は、計画を新しく立案するたびに、雪ダルマ式に膨らんでいき、その財源として次々と新税を設立しなければならなかった事実であります、

 そして、第七次道路整備五ヵ年計画で致命的な財源不足が発生してしまいます。

 これは、第七次道路整備五ヵ年計画(1973(昭和48)年開始)の期間中に石油ショックによる石油価格の暴騰という緊急事態が発生したためです。

 これに対処するため、政府は新しく新税を設立するこれまでの手法では財源不足額が間に合わないこともあり、1974(昭和49)年度から2年間の「暫定措置」として、石油ガス税を除くほとんどの税目において、本則税率(本来の税率)のおよそ2倍の暫定税率を適用することを決定します。

 石油ショックにより登場したこの暫定税率ですが、臨時の財政措置としてだけでなく、当時は結果的に石油消費抑止効果をもたらし、また日本の行政と産業界に脱石油依存と省エネルギー政策を強く促した点で、肯定的な評価もされています。

 しかし、結果として、2年間の「暫定措置」として設定された、本則税率(本来の税率)のおよそ2倍の暫定税率が、その後34年間も維持され、今日に至るわけです。

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●まとめ

 「ワトキンス・レポート」は戦後復興期の日本の道路状況を「日本の道路は信じがたい程に悪い。 工業国にして、これ程完全にその道路網を無視してきた国は、日本の他にない。」と批判、あわせて日本の行政当局にこれからの道路建設の基本スキームを勧告しました。

 ここまで道路網を無視してきたこの国において、「近代的道路をつくる補助的財政手段」としては、「有料制の利用」が「高価な高速道路を早急に達成する唯一の実際的方法」であり、また、「ガソリン税又は自動車物品税を道路整備の目的税とし」、「一般の道路整備に半分、残りを高速道路の高い工費と料金収入との間のギャップを埋めるために充てる」、そのためには「大きな責任と権限を(中央)政府」に集中させるべきと勧告したのです。

 その後のこの国の道路行政は、この「ワトキンス・レポート」の勧告に従うように、法整備を進め、道路特定財源を拡充していき、中央政府建設省(現国交省)に大きな責任と権限を集中させてきました。

 また30年以上前の不況による財源対策として2年間の暫定措置として設定された、本則税率(本来の税率)のおよそ2倍の暫定税率が今日まで維持されてきました。

 今日、21世紀の日本において、この道路特定財源のあり方と暫定税率廃止問題が急浮上してきたことにより、旧態依然としたこのような中央集権的やり方が「制度疲労」をきたしていることが、次々に発覚する国交省ならびに天下り先独立法人による無駄遣いなどの事実によって、国民の前に明らかになりました。

 ことは「道路をつくる」「道路はつくらない」という単純な二元論ではありません。

 必要な道路を公正で透明な財源にてつくることに誰も異存はないでしょう。

 問題はその実現手法にあります。

 道路特定財源のあり方そのものを腰をすえて議論する絶好の機会と考えます。

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(木走まさみず)



<関連テキスト>
■[道路財源]検証!道路特定財源暫定税率(2)〜増殖する行政コストと世界に前例のない官僚機構の肥大化
http://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20080403



<参考および引用文献・テキスト・サイト>(順不同)
道路特定財源制度の歴史的展開過程
http://www.js.yamanashi.ac.jp/~simazaki/kyomu/080227ss/G06MF009.pdf
■日本の高速自動車国道ネットワーク及び法制度の経緯
http://homepage3.nifty.com/whales/kh/jpnexpwy/jpexpwy.htm
道路特定財源の歴史・仕組み
http://www.city.shizuoka.jp/000064904.pdf
■高速道路はここからはじまった〜ワトキンス・レポート復刻と解説
http://www.ins-hwy-eco.or.jp/10information/101watkinsreport/watkins_n.htm
■今後の道路政策の基本的方向について(論点整理)
http://www.mlit.go.jp/road/singi/bunkakai/6pdf/662.pdf
■日本の道路整備の基本スキーム
http://www.mlit.go.jp/road/ir/kihon/siry46.pdf
■道路交通問題研究会編〜道路交通政策史概観
http://www.taikasha.com/doko/chapt31.txt
http://www.taikasha.com/doko/chapt32.txt
http://www.taikasha.com/doko/chapt33.txt
http://www.taikasha.com/doko/chapt34.txt
http://www.taikasha.com/doko/chapt35.txt
http://www.taikasha.com/doko/chapt36.txt
http://www.taikasha.com/doko/chapt37.txt
http://www.taikasha.com/doko/chapt38.txt
http://www.taikasha.com/doko/chapt39.txt
道路特定財源制度 フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%93%E8%B7%AF%E7%89%B9%E5%AE%9A%E8%B2%A1%E6%BA%90