木走日記

場末の時事評論

「ギョーザの影をはらえ」タイトルに主語のない朝日社説の微妙な日本語表現

 本日(14日)の朝日新聞社説から全文掲載。

胡主席来日―ギョーザの影をはらえ 

 中国の胡錦濤国家主席が5月のゴールデンウイーク明けに来日する。日中両国政府は、その方向で日程の最終調整を急いでいる。中国元首の来日は、98年の江沢民主席以来だ。10年ぶりの訪問を心から歓迎したいと思う。

 しかし、ギョーザ中毒事件が主席の訪日に暗い影を投げかけている。

 日本から見ると、中毒事件をめぐる中国側のこれまでの対応には不満に感じる点が少なくない。「互いに連携して捜査を」と合意しあっていたのに、中国の捜査当局が記者会見を開き、強い姿勢で「中国で農薬が混入した可能性はきわめて低い」と発表した。

 日本は逆に「国内で混入した可能性は低い」とみていたから、「中国はこのまま捜査から手を引いてしまうのか」と懸念する声が広がったのも無理はない。

 外交当局同士は、この問題と訪日を絡めたくないと考えているようだ。確かに、この事件だけで両国の関係全体が損なわれることは避けなければなるまい。

 中国は経済的にも軍事的にも急速に台頭しつつある。そんな隣国と日本がどう向き合っていくのか。国際社会の様々な問題を解決するため、両国間でどんな協力ができるのか。ようやく軌道に乗り始めた首脳同士の意見交換は極めて大切だからだ。

 といって「日中関係とギョーザは別」と割り切ることもできない。なぜなら、ことは食の安全にかかわるからである。日本国民の関心はたいへん高い。なのに、中国当局はあいまいなまま幕を引こうとしているのではないか。日本側は中国側の誠意を疑っているのだ。

 大事なことは、解決の道筋を見いだそうとする双方の努力だ。そうした明確な姿勢があれば、たとえすぐに問題が解決しなくとも両国の関係は前進する。

 しかし、それが見られなければ、せっかくの首脳交流もむなしいものに映るだろう。

 中国にしてみれば、捜査が先行した日本が先に、中国での混入をうかがわせるような見解を示したことで、メンツをつぶされたと感じたのかもしれない。だが、万一それで捜査を投げ出すようなことがあっては、中国にとってもマイナスが大きすぎる。

 現在の日中関係には東アジアにおける主導権争いの側面もある。ちょっとしたことがナショナリズムに火を付ける。下手をすれば、日本の中にある反中感情を刺激して小泉元首相の靖国参拝のときのような負のスパイラルに陥りかねない。

 幸い中国側は捜査員らを再度、日本に派遣する意向を示している。できるだけ早く両国の捜査担当者が顔を合わせて会議を開くことだ。捜査協力の進め方や検証のための実験方法などを率直に話し合い、打開の道を探ってもらいたい。

 せっかく立て直した日中関係だ。主席来日を念頭に、中国にも冷静で真剣な捜査を求めたい。

http://www.asahi.com/paper/editorial.html

 うーん、中国毒餃子問題を取り上げた、タイトルに主語のない朝日新聞社説なのであります。

 この朝日社説はいったい誰に向かって『ギョーザの影をはらえ』と言っているのでしょうか。

 ・・・

 朝日社説のポイントはここ。

 大事なことは、解決の道筋を見いだそうとする双方の努力だ。そうした明確な姿勢があれば、たとえすぐに問題が解決しなくとも両国の関係は前進する。

 「解決の道筋を見いだそうとする双方の努力」こそが大切なのであると指摘しています。

 そうか、だとすれば日中両国政府に対して「平等」に『ギョーザの影をはらえ』とこの論説は唱えているのでしょう。

 日中間の懸案事項である毒餃子問題、当事者間で協力しながら『ギョーザの影をはらえ』と唱える朝日社説なのであります。

 日中当事者間で協力しながら『ギョーザの影をはらえ』ですか、けっこうなことであります。

 ・・・

 私に言わせれば、これまでの経緯を考えればまず誠意を持って『ギョーザの影をはら』うべき努力をすべきなのは当然製造国中国の方だと思うのですが、まあ日中友好命の朝日新聞が日中両国政府に対して「平等」に努力を求めること自体は同意できませんが、理解はできます。

 ですがね、日中友好で「平等」な努力もけっこうなことなのですが、この社説の文章のどうも細かいところを読み解いていくと、なんか日本より中国のほうへの配慮が目立つ不愉快な日本語が散見するのであります。

 例えば、

 幸い中国側は捜査員らを再度、日本に派遣する意向を示している。できるだけ早く両国の捜査担当者が顔を合わせて会議を開くことだ。捜査協力の進め方や検証のための実験方法などを率直に話し合い、打開の道を探ってもらいたい。

 この「幸い」。

 これってそんなにありがたい「幸い」なことなんでしょうか。

 そりゃ「中国側は捜査員らを再度、日本に派遣する意向を示して」いるのは、示さないよりは確かに「マシ」なのでしょうが、あんな非科学的な日本で再実験することもおぼつかないあいまいな資料しか開示していない検証実験結果をこんきょに「中国で混入した可能性は極めて低い」という一方的中国側会見の経緯を踏まえれば、「捜査員らを再度、日本に派遣する意向を示して」いるのは、当然というか当たり前のことであり「幸い」という形容はどうなんでしょう、この文脈で使うとすると、なんか「幸い」と表現するほどありがたいことなんでしょうかと、思ってしまうのです。

 そんなに中国様はえらいのか、と。

 ・・・

 あと、結語。

 せっかく立て直した日中関係だ。主席来日を念頭に、中国にも冷静で真剣な捜査を求めたい。

 「にも」ってどうなんでしょ、「にこそ」の間違いじゃないの?

 中国「にも」冷静で真剣な捜査を求めたいって、論説の最後に「にも」ってことはですよ、前提としては朝日はやはりより以上の日本側の冷静で真剣な捜査を求めているのでありましょうか。

 結語に中国「にも」という表現を取るこの論説に、中国当局に対する配慮というか遠慮が見え隠れしてしまうのですが、ここは日本の立場からすれば、今までの中国の不誠実な対応を考えたら「にも」じゃなくて「にこそ」じゃないのかなあ。

 ・・・

 細かい言葉遣いの指摘が多く恐縮なんですが、どうも文脈全体から、これでは日本側が「冷静で真剣な捜査」を継続するのは当然だが、中国側が操作を打ち切らないで継続することはとてもありがたいことのような印象を持ってしまうのであります。

 そんなに中国様はえらいのか、と。

 ・・・

 なんら科学的根拠も証拠も示せていないにもかかわらず、中国側が日本との事前調整もなく一方的に「中国側で混入した可能性は極めて低い」と無責任な会見をしたのであり、そのような国側が、「冷静で真剣な捜査」を継続するのは、「幸い」ではなくきわめて「当然」なのではありませんか。

 中国側が「捜査員らを再度、日本に派遣する意向を示している」のは、原因究明のための中国側の責任であり「幸い」などでは断じて無く真摯に問題解明する気があるのなら、「当然」「当たり前」のことであります。

 そして結語ですが、この経緯を考えれば、「冷静で真剣な捜査を求め」るのは、日本の立場としては「中国にも」などと消極的な抑制されたものじゃなくて、「中国にこそ」と主張すべきじゃないでしょうか。

 ・・・

 今回は、なぜかタイトルに主語のない朝日社説「ギョーザの影をはらえ」の微妙な日本語表現についてちょっとこだわってみました。



(木走まさみず)