木走日記

場末の時事評論

小沢一郎『仮面ライダー』仮説

 勧善懲悪(かんぜんちょうあく、Poetic justice)とは「善を勧め、悪を懲しめる」ことを意味する四字熟語であり、この国の民が古くから愛してきた古典文学上の理念や倫理であります。

 『勧善懲悪』の文学様式は、『水戸黄門』や『ウルトラマン』など時代劇や子供ヒーロー番組に於けるシナリオにおける典型的パターンであります、善玉(正義若しくは善人)と、悪玉(悪役・悪党・搾取する権力者など)が明確に分かれており、最後には悪玉が善玉に打ち倒され、滅ぼされたり悔恨するという形で終結し、必ずや最後は悪は滅び正義は勝つことが必須のパターンであります。

 興味深いのは、『勧善懲悪』ストーリーの中でもこの国の国民に特に人気があるのは、英雄(ヒーロー)が必ずしも純粋な『善』ではなく『小悪』を背負う宿命にあるいわば勧悪懲悪なストーリーであります。

 古くは『ネズミ小僧次郎吉』から最近のアニメ『ルパン三世』に見られる義賊的泥棒が主役のもの、女たらしやヤミの殺し屋が主役となる『必殺』シリーズなど、すねに傷を持つ英雄(ヒーロー)はこの国ではいつの世でも人気者でありました。

 その『勧善懲悪』ストーリーの系譜の中でも、定番のストーリーのひとつに主人公がもともとは悪の大組織の側にあり、志をもってそこを裏切り抜けだし、正義のため市民のため一人巨悪組織に立ち向かう裏切り者英雄(ヒーロー)ものがあります。

 悪のレスラー養成所『虎の穴』出身ながら正義のために闘う『タイガーマスク』、悪魔集団から「裏切り者」との名を受けて全てを捨てて人類のために悪魔集団と闘う『デビルマン』、そして戦後ヒーローものの集大成とも言えるのは、ショッカーにより改造されながらショッカーに立ち向かう『仮面ライダー』本郷猛がありましょう。

第1作『仮面ライダー
特撮テレビ番組『仮面ライダー』は、1971年(昭和46年)4月3日から1973年(昭和48年)2月10日にかけて毎週土曜日19:30 - 20:00に毎日放送・NET(現:テレビ朝日)にて放送された(全98話)。

ストーリー
優秀な科学者でオートレーサーでもある本郷猛(ほんごう たけし)は、その能力を見込んだ悪の組織ショッカーに拉致され、バッタの能力を持つ改造人間(サイボーグの一種)にされてしまった。しかし、脳改造によってその意思を奪われる寸前、ショッカーの協力者にされていた恩師・緑川博士の手引きで脱出に成功した。緑川博士は脱出行の途中でショッカーの怪人・蜘蛛男に暗殺されるが、その遺志を継いだ猛は腰につけたベルトの風車に風のエネルギーを受けて仮面ライダーに変身、ショッカーに立ち向かう。猛は、オートレーサーとしての師・立花藤兵衛や緑川博士の遺児ルリ子、そしてレース仲間であり実は FBI 捜査官としてショッカーを追う滝和也(たきかずや)らの協力を得て、ショッカーの送り出す戦闘用改造人間である怪人たちを次々に倒していった。仮面ライダーに多くの怪人たちを倒されたショッカーは、ライダー打倒のためカメラマン一文字隼人(いちもんじ はやと)を猛と同型のバッタ型サイボーグに改造するが、隼人は脳改造前に猛に救出され新たな仮面ライダーとなった。こうして誕生した2人の仮面ライダーは日本と海外に別れて戦い、時には共闘しながら、ライダーガールズや少年仮面ライダー隊、多くの仲間たちの協力を得てショッカーと戦っていく。

出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%AE%E9%9D%A2%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%80%E3%83%BC

 仮面ライダーをはじめとする裏切り者英雄(ヒーロー)達に共通する属性は言うまでもなく、彼らが守るべく一般社会において彼ら自身が実は『異端』であり孤独であることであります。

 『仮面ライダー』の主人公本郷猛も、「改造人間の苦悩」というテーマを抱え、彼の存在意義は悪の組織『ショッカー軍団』との戦いの中にだけにあり、その日常で、ときおり彼が見せる怪人と同等の存在になってしまった者の絶望感、戦いの宿命を背負ってしまったあるいは「戦うためだけの存在」になってしまった者の苦悩は、彼が『異端』であり孤独であることを物語っています。

 完全無欠の存在ではない、その出自のため運命(さだめ)として『異端』者としてしか存在できない、決して心から笑わない笑うことができない裏切り者英雄(ヒーロー)達。

 彼らは例外なくストイックなほど容赦なく自分の出身の悪の組織とそれを滅ぼすために徹底的に闘うことを使命とします、そこには一切の妥協がない。

 「正義」のためかつての「身内」を滅ぼすために孤独に闘う『異端』英雄(ヒーロー)、彼らの戦いがときに悲壮感を漂わせるのは、その悲しい出自が背負わせている矛盾、『自己否定』感と因果しているのは明らかです。

 こども達はそんな彼らを熱狂的に支持したのであります。

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 小沢一郎をリベラル政治家と評する有権者などこの国には一人も居ないでしょう。

 彼は、かつて自民党の実質一党支配時代、自民党の中の最大派閥田中派の実力者として権力中枢に位置していた間違いなく保守本流政治家でありましたし、今もその本質は変わりますまい。

 小沢一郎は自他共に認める純粋な保守政治家であります。

 ただ、彼はその権力中枢にある絶頂のとき、その中枢の地位を捨てて2大政党制を目指して下野した一点で、アンチ自民の国民に取り英雄(ヒーロー)となったのであります。

 長期に渡る自民党一党支配にこそ諸悪の根元があり、政権交代こそさまざまな問題を解決する決定策である、自民党に変わりうる政治勢力を結集してこの国に2大政党制を根付かせる、それにこそ自身の政治生命をかける、彼のそのような姿勢・行動に、多くのリベラル派を中心としたアンチ自民の国民は希望を託してきたのであります。

 かつて権力中枢にあった者が、志をもって権力を放棄し権力者達を裏切り下野し、国民の側に立って権力と対峙する、こここそが彼を支持する多くの国民が彼を通じて描いている『勧善懲悪』政治劇なのであります。

 彼は巨悪『自民党』を裏切り、その出自は保守であり『異端』ではあるが、庶民のために権力に対峙する道を選んだリベラル派にとり裏切り者英雄(ヒーロー)なのであります。

 裏切り者英雄(ヒーロー)は、かつて自身が所属していた敵である悪の集団の強み・弱みを熟知しています。

 小沢一郎もリベラルなグループの中で、かつての政治権力中枢で身につけた保守出身者としての豪腕を振るいます、ときに『壊し屋』ときに『独断専行』と批判を受けながら、公家集団のような理論だけで実行力を伴わないやわな書生のような集団民主党を強引にひっぱてきました。

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 しかし、小沢一郎は英雄(ヒーロー)には成りきれませんでした。

 英雄(ヒーロー)はもとの集団とは決して手を結んではいけない。

 いかなる理由があろうとも。

 裏切り者英雄(ヒーロー)は、その出自から現在の所属する集団では『異端』ではあっても、決してもとの悪の集団に戻ったり、手を組んだり妥協することはしません。

 あくまでも徹底的に自分の出身の悪の集団と戦い抜くことで、その存在価値が初めて認められると言う運命にあるからです。

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 小沢は今回自民・読売にはめられたのかも知れません。

 あるいは「保守」としての馬脚をあらわしてしまったと批判することもできましょう。
 しかし、私には彼の落ち度を責める気持ちにはなれません。

 ただただ、英雄(ヒーロー)になりそこなったことを憂います。

 堕英雄(ヒーロー)小沢一郎

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 私がいだいてきた小沢一郎仮面ライダー』仮説は幻想だったのかも知れません。



(木走まさみず)